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飛ばんと羽を
しおりを挟む「たっだいまっ」
サギが屋根から屋根へとピョンピョンと飛んで帰って、桔梗屋の裏庭に着地すると、
「やれ飛べ蜻蛉 それ飛べ蜻蛉 飛ばんと羽をきりぎりす~ 飛ばんと羽をきりぎりす~♪」
仕立て物の座敷から『ぼんぼん唄』が聞こえてきた。
みなで針仕事をしながら唄っているようだ。
「なんぢゃあ、お盆はとっくに終わっとろうがあ?」
サギは草鞋を脱ぎ飛ばして縁側に上がった。
「みんな知っておって長くて針仕事にちょうど良いのがぼんぼん唄だったんだわな」
お花はだいぶ慣れてきた手付きで刺繍を刺している。
「おっ?上手うなってきたの」
刺繍台に張られた生地に手鞠の図案の刺繍が六つも並んでいるが一つ目と六つ目では差が歴然だ。
「こうして唄いながら刺していると、ゆるり、ゆるりと力が入らずにちょうど良い加減で刺せると分かったんだわな」
お花は刺繍を刺しながらまた続きを唄い出した。
「きりこきりこ~♪ 誰方様細工~ お若衆様のお手細工~ お手細工~♪」
そこへ、
「ただいま戻りました」
女中のおクキが早々と錦庵から帰ってきた。
「あれ?今日は泊まりぢゃないのか?」
サギはおクキが錦庵に泊まったと見せ掛けてホントは浮世小路の料理屋の親しい女中のところへ泊まったことはお見通しであるが、わざと聞いてみる。
「へえ、もう、しばらくお泊まりは、あれ、イヤだわいなあ。ほほ――」
やけにおクキは上機嫌だ。
「おクキ、おクキ、ちょいと話を聞かせとくれな」
お花はおクキの帰りを待ち兼ねていたように刺繍針をすぐさま針山にブスッと刺して一休みする。
「今、お茶をお持ちしましょう」
下女中二人が台所へ立っていくと、台所にいた下女中五人もワラワラと仕立て物の座敷へやってきた。
みな、おクキの話を聞きたいのだ。
「あたしゃ、昼過ぎ頃に錦庵のシメさんが出前へ行くのを見掛けましたけど、シメさんの腰が良うなってもおクキ様は店のお手伝いをしなさるんですか?」
お茶を差し出しながら下女中が訊ねる。
「へえ、今日は出前がひっきりなしで店もいつもより混んでいて、てんてこ舞いだったわいなあ」
おクキはホッと一息という顔をしてお茶を啜る。
実はシメが今日から店に出るというので一計を案じたおクキは近所の商家の親しい女中等に自分が奢るからと声を掛けて蕎麦の出前を注文させ、さらに女中等の知り合いを錦庵に食べに寄越して貰っていたのだ。
浮世小路にある上等な錦庵の蕎麦を奢りと聞けば、案の定、みなで押し掛けてきて、麺が売り切れるまで大繁盛であった。
とにかく、おクキは奢りの蕎麦代くらいは散財しても錦庵の手伝いをやめたくはなかった。
そして、さらに天はおクキに味方した。
「それがシメさんはまた店には出られんようになったので、わしゃ、明日からもずうっと錦庵を手伝うことになったわいなあ」
おクキは嬉しさを隠せぬように笑み崩れる。
「シメさんが店に出られんって、何で?出前へ行けるほど腰は良うなったんだえ?」
お花はオヤツの残りの饅頭を頬張りながら訊ねた。
「ボリボリ――」
サギはその理由に見当が付いていたが素知らぬ顔で煎餅を齧っている。
「それがシメさんのところの子守りが芸妓になりたいと家出してしまったんでござりまする」
おクキはさも愉快そうに声を弾ませる。
「へええ?芸妓になりたいって家出を?」
お花は興味津々と身を乗り出した。
「まあ、あの小唄のお師匠さんのところのおマメが?芸妓に?」
下女中はみな(あのおマメが?)(あのふてくされた子が?)(あの可愛げのない娘が?)と思ったようで意外そうに顔を見合わせる。
おマメもこの春までは下女中の子等と同じ手習い所に通っていたので下女中はおマメのことは幼い頃からよく知っているのだ。
(おマメの奴、さっそく家出とは、さすがに忍びの蟒蛇の一族の娘ぢゃ)
サギはおマメの行動の早さに感心した。
「善は急げ」だの「思い立ったら吉日」だの、おマメを焚き付けた張本人はサギであるが、おマメの家出に背中を押したとは思ってもいなかった。
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