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金は浮き物
しおりを挟む一方、
浮世小路の料理屋、蓮月では、
すっかり意気投合した若侍八人が恋の打ち明け話に興じていた。
「それがしはぁぁ嫁にするならばぁ桔梗屋のお花殿と心に決めておるのでござるぅぅ」
八木はもじもじと赤面して照れながらも思い切って白状してみた。
すると、
「ひゃあっ、ひゃっひゃっ、こともあろうに日本橋の大店の娘とはっ」
「八木殿ぉ、正気にござるかあ?うひっく」
「いくら面喰いにしても天下の日本橋の小町娘とは、身の程知らずにもほどがござろう。がははっ」
へべれけに酔った勘定見習い三人に軽く笑い飛ばされた。
「うぅぅ――」
八木はますます赤面して、無遠慮な三人を恨めしげに睨み付ける。
分かってはいたが、やはり誰がどう考えても桔梗屋のお花は高嶺の花か。
身の程知らずといっても身分でいえば八木は旗本で、お花は町人の娘である。
だが、しかし、
天下の日本橋を侮るなかれ。
日本橋の大店というのは、その財力に於いて三万石、五万石の大名にも匹敵するのだ。
日本橋では大店どころか間口二間(約3.6m)の小店でさえも下級旗本など足元にも及ばぬ儲けがある。
たかが百石の八木などは二百坪もの敷地の拝領屋敷に住まう武家でありながら九尺二間(三坪)の長屋住まいの大工、左官、鳶よりも貧乏なのである。
それほど八木とお花には著しい格差があった。
(だ、だがぁぁ――)
八木はしぶとい。
男の一念、ここで諦めてなるものか。
(これから桔梗屋はあの如何にも馬鹿そうな遊び好きの若旦那の代になって坂をゴロゴロと転げ落ちるように衰退するのではぁぁ?)
八木はそう良からぬ期待をしていた。
自らの描いたこっ恥ずかしい恋物語の戯作のように八木はご都合主義の夢想家であった。
ところが、たとえ桔梗屋がどれほど貧乏になったとしても面喰いのお花がヌ~ボ~とした寝惚け面の八木など鼻も引っ掛けぬであろうことは言わずもがな。
なにしろ、当のお花は自慢の美貌と美声を生かせる芸妓に憧れているのだから。
同じ頃、
ここは日本橋の通りにある小間物屋。
「のう?お花、何でわし等が手土産まで持って蜜乃家へ行くんぢゃあ?」
サギは見慣れぬ化粧品を手に取ってみてはヒコヒコとニオイを嗅いだりしながらお花に訊ねた。
「だって、家出したおマメちゃんを励ましたいもの」
お花は紅の入った貝殻に描かれた蒔絵の絵柄をあれこれと選んでいる。
「へえ、ほんに」
当然ながら女中のおクキも付き添っている。
この時代、紅や軟膏、猫のエサなどの容器に貝殻が使われたのは貝殻の内側には抗菌効果があるからだそうだ。
「これ、ええわな」
お花はおマメのために可憐な小菊の蒔絵の貝殻の紅を選んだ。
紅は上等なもので一両もする。
「うへぇ、高いのう。唇を赤うしたけりゃ唐辛子でも塗ったらええんぢゃ」
サギは小さな貝殻にちょびっとばかり入った紅の値段に呆れ顔した。
「あ、そうそ、爪紅も買うとくわな」
お花は自分の桜色のツヤツヤの爪を見てから気付いて爪紅も注文する。
「そういえば、奥様のウグイスのフンもそろそろ買い置きがなくなる頃合いにござりましょう」
おクキがお葉の愛用のウグイスのフンの紙袋に目を留める。
「そいぢゃ、それも買うておくわな」
お花は気を利かせてウグイスのフンを五十袋も注文した。
お葉は毎日朝晩、ウグイスのフンを大量に塗りたくって洗顔するので一日一袋は使ってしまうのだ。
「うへぇ、鳥のフンに金を出すとは酔狂ぢゃの。鳥のフンなんぞ富羅鳥山にいっくらでも落っこちとるんぢゃぞ」
サギは要らぬことをほざいては茶番の小僧がおかわりを注ぎ足すお茶をグビグビと飲んでいる。
「あれ、可愛ゆい兎の柄の風呂敷。お揃いで買おうかえ。――あ、この根付け、可愛ゆらしい」
小間物屋での女子の買い物はとめどなく、目に入った品を次から次へとお花は注文した。
小間物屋の番頭と手代は「まいど」「まいど」と米つきバッタのようにペコペコと頭を下げては帳面にせっせと書き付けていく。
勿論、桔梗屋のツケでの買い物なので支払いは年の瀬である。
まさか千両箱の小判が残り僅かで年の瀬の支払いにも事欠くほどとは露知らず、
「この紅だけ贈り物に包んで、あとは家まで届けておくれな」
お花はおマメにあげる紅を買うつもりで入った小間物屋でついでに五両もの買い物をした。
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