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縺れあう糸
#6
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結局、いつものように夏目さんが運転する車がマンションの駐車場に着いてからも。エントランスから部屋のある最上階まで移動するエレベーターの中でも。
相変わらず険しい表情をした要さんは、ずっと沈黙を貫いたままだった。
そんな要さんの全身からは、メラメラと怒りの炎が燃え上がっているように見える。
私が大学の友人と会うなんて言っておきながら、それが全部嘘だったと分かり、要さんは、嘘をついていた私のことを相当お怒りのようだ。
先頭を歩いている夏目さんは、要さんと私の様子を見比べるようにして。時折チラリと視線を巡らしてきては、お決まりのやれやれって表情を浮かべている。
このなんとも言えない重苦しい雰囲気に息が詰まりそうだ。
要さんの後ろを、まるで重たい足枷《あしかせ》でも引き摺りながら、歩いている囚人のような重い足取りで、とぼとぼとついていく私の耳に、ドアがガチャリと開け放たれる音が届いて。
暗い気持ちで俯いて、足下ばかりを見つめていた私が、ドアを一歩潜ったところで。何故か突然、私の視界と身体とがぐらりと強く揺すぶられて。"地震"という文字が頭を掠めかけた次の瞬間だった。
突然、ドンッ、バッタン、という大きなド派手な音がして。同じく私の背中に、何か冷たくて無機質な硬いものがぶつかったような、そんな鋭い衝撃が走ったと思ったら、それは今潜ったばかりのドアで。
突然の出来事で、一体何が起こったのか状況を把握できず、戸惑っていた私の頭が、要さんによってドアに押し付けられた自分が、所謂"壁ドン状態"にあると気づいた時には、
「美菜っ!お前も俺に嘘をついて、俺のことを裏切るつもりだったのかっ?!」
怒りに満ちた鬼の形相で私のことを睨みつけ、物凄い剣幕で捲し立てるようにして、要さんに言葉を浴びせられたあとだった。
しかも、その言葉は、昔要さんのことを裏切って、不倫していたらしい元カノである静香さんと私とを、重ねているようにしか聞こえない。
――要さんは、昔静香さんに裏切られたことをずっと引き摺っていて、その事に今も囚われているのかもしれない。
――静香さんとのことを私に言う必要がないんじゃなくって、言えないのかもしれない。
私が要さんに出逢ってから、今の今まで、ただの一度も見たことがないような、その怒りに満ちた要さんの怖い表情と気迫と、強い口調で放たれた言葉に。
強い力で押し付けられた背中の痛みなんかよりも、そのショックと怖さの方が遥かに上回っていたものだから……。
少しでも気を緩めてしまうと、今にも泣き出してしまいそうだ。
けれど、泣いたところで、要さんの怒りは収まらないだろうし。
もしかしたら、泣いて済ませようとしていると思われて、余計怒らせることになるかもしれない。
なんとか泣いてしまわないように、目に力を込めて、必死で泣くのを堪えている時だった。
「ちょっ、おいっ。要っ!?おまっ、何やってんだよっ?!」
先頭を歩いて、先にリビングに到着していたのだろう夏目さんの慌てふためいた、切羽詰まったような声が聞こえてきて。
「うるっさい!夏目は黙ってろっ!」
背後からこちらへ、慌てて駆け寄ってくる夏目さんの方に、僅かに顔を向けて怒号を放った要さんは、私の方に再び向き合ってきた。そして。
「美菜、どうして何も言わないんだ?図星だから何も言えないのか?」
さっきよりは、幾分ゆっくりとした口調だけれど、表情は相変わらず怖いままだ。
――違う、私は静香さんじゃない。
――不安がないといえば嘘になるけど、私は要さんのことを信じたいって思っているし、絶対に裏切ったりしない。
――早く言わなきゃ、早く言わなきゃ、と思うのだけれど……。
――私は要さんのことを信じたいって思ってるのに。要さんは私のことを信じてはくれないんだ。所詮は、奨学金のために契約を交わすような私のことなんて、信用に値しないってことなの?
――でも、昨夜『俺が好きなのは美菜だけだ。愛してる』って言ってくれた言葉には嘘はなかった筈だ。もしかして、要さんと私の『愛してる』っていう想いには雲泥の差があるってことなのかな?
そんなことを考えていたタイミングで、隼さんの言葉がトドメを刺すように浮かんできた。
『兄さんにとって、きっと都合が良かったんだと思います。色恋に疎い美菜さんのことをその気にさせることぐらい容易《たやす》いことだったでしょうから』
――隼さんの言ってた通り、要さんにとって私が、思い通りになる都合のいい存在だったとしたら、と思うと……。
口を開いてしまえば、泣き出してしまいそうで。要さんに睨み付けるようにして見据えられたままで、私はどうすることもできない。
「おい要っ。やめろっ!美菜ちゃんが怖がってんだろっ!」
そこへ、夏目さんの声が割って入ってきて。
私のことをドアに追い込んで凄んだままだった要さんの肩を、夏目さんが掴んで後ろに引き寄せるも。
「夏目には関係ないと言ってるだろっ!」
要さんは、それにも動じる様子は見受けられない。それどころか、夏目さんに掴まれている肩を回して、夏目さんの手を振り払おうとしているようだ。その瞬間。
「おい、要っ!お前、頭冷やして冷静になれっ!」
素早い身のこなしで、それを難なく交わした夏目さん。
そのまま、要さんの胸ぐらを引っ付かんだと思ったら、すぐ横の壁に要さんの身体を、背中から叩きつけるようにして追い込んだ直後。夏目さんは、要さんが動かないように身体を押さえて、壁に押さえ込んだままでいてくれている。
「……美菜!?」
そこでようやく、怒りで我を忘れた挙げ句、過去に囚われてしまっていたのだろう要さんの、酷く驚いたような声が聞こえてきて。
我に返った様子の要さんの声を聞いた途端。操り人形の糸がプツリと切れてしまったかの如く、私はドアに背中を預けたままの体勢で、その場にストンと膝から崩れ落ちた。
「美菜?!」
「美菜ちゃん、大丈夫?」
「……」
再びかけられた、要さんの酷く心配そうな声と、夏目さんの優しい声が聞こえてきても、何も返せずにいる私は、放心状態で。
気づけば、私は、いつの間にか夏目さんに解放された要さんの腕の中だった。
「美菜、ごめん」
しばらくの間、私はいつもの優しさを取り戻した要さんに抱きしめられた腕の中、繰り返される要さんの謝る声を聞きながら、泣き続ける私の口からは、
「私は、要さんの…こと、信じてる……のに、どうして、要さんは……信じて、……くれ、ないの?要さんは……私のこと、本当に、好き……なの?」
さっき言えずにいた本音が、とつとつと零れ落ちていた。
相変わらず険しい表情をした要さんは、ずっと沈黙を貫いたままだった。
そんな要さんの全身からは、メラメラと怒りの炎が燃え上がっているように見える。
私が大学の友人と会うなんて言っておきながら、それが全部嘘だったと分かり、要さんは、嘘をついていた私のことを相当お怒りのようだ。
先頭を歩いている夏目さんは、要さんと私の様子を見比べるようにして。時折チラリと視線を巡らしてきては、お決まりのやれやれって表情を浮かべている。
このなんとも言えない重苦しい雰囲気に息が詰まりそうだ。
要さんの後ろを、まるで重たい足枷《あしかせ》でも引き摺りながら、歩いている囚人のような重い足取りで、とぼとぼとついていく私の耳に、ドアがガチャリと開け放たれる音が届いて。
暗い気持ちで俯いて、足下ばかりを見つめていた私が、ドアを一歩潜ったところで。何故か突然、私の視界と身体とがぐらりと強く揺すぶられて。"地震"という文字が頭を掠めかけた次の瞬間だった。
突然、ドンッ、バッタン、という大きなド派手な音がして。同じく私の背中に、何か冷たくて無機質な硬いものがぶつかったような、そんな鋭い衝撃が走ったと思ったら、それは今潜ったばかりのドアで。
突然の出来事で、一体何が起こったのか状況を把握できず、戸惑っていた私の頭が、要さんによってドアに押し付けられた自分が、所謂"壁ドン状態"にあると気づいた時には、
「美菜っ!お前も俺に嘘をついて、俺のことを裏切るつもりだったのかっ?!」
怒りに満ちた鬼の形相で私のことを睨みつけ、物凄い剣幕で捲し立てるようにして、要さんに言葉を浴びせられたあとだった。
しかも、その言葉は、昔要さんのことを裏切って、不倫していたらしい元カノである静香さんと私とを、重ねているようにしか聞こえない。
――要さんは、昔静香さんに裏切られたことをずっと引き摺っていて、その事に今も囚われているのかもしれない。
――静香さんとのことを私に言う必要がないんじゃなくって、言えないのかもしれない。
私が要さんに出逢ってから、今の今まで、ただの一度も見たことがないような、その怒りに満ちた要さんの怖い表情と気迫と、強い口調で放たれた言葉に。
強い力で押し付けられた背中の痛みなんかよりも、そのショックと怖さの方が遥かに上回っていたものだから……。
少しでも気を緩めてしまうと、今にも泣き出してしまいそうだ。
けれど、泣いたところで、要さんの怒りは収まらないだろうし。
もしかしたら、泣いて済ませようとしていると思われて、余計怒らせることになるかもしれない。
なんとか泣いてしまわないように、目に力を込めて、必死で泣くのを堪えている時だった。
「ちょっ、おいっ。要っ!?おまっ、何やってんだよっ?!」
先頭を歩いて、先にリビングに到着していたのだろう夏目さんの慌てふためいた、切羽詰まったような声が聞こえてきて。
「うるっさい!夏目は黙ってろっ!」
背後からこちらへ、慌てて駆け寄ってくる夏目さんの方に、僅かに顔を向けて怒号を放った要さんは、私の方に再び向き合ってきた。そして。
「美菜、どうして何も言わないんだ?図星だから何も言えないのか?」
さっきよりは、幾分ゆっくりとした口調だけれど、表情は相変わらず怖いままだ。
――違う、私は静香さんじゃない。
――不安がないといえば嘘になるけど、私は要さんのことを信じたいって思っているし、絶対に裏切ったりしない。
――早く言わなきゃ、早く言わなきゃ、と思うのだけれど……。
――私は要さんのことを信じたいって思ってるのに。要さんは私のことを信じてはくれないんだ。所詮は、奨学金のために契約を交わすような私のことなんて、信用に値しないってことなの?
――でも、昨夜『俺が好きなのは美菜だけだ。愛してる』って言ってくれた言葉には嘘はなかった筈だ。もしかして、要さんと私の『愛してる』っていう想いには雲泥の差があるってことなのかな?
そんなことを考えていたタイミングで、隼さんの言葉がトドメを刺すように浮かんできた。
『兄さんにとって、きっと都合が良かったんだと思います。色恋に疎い美菜さんのことをその気にさせることぐらい容易《たやす》いことだったでしょうから』
――隼さんの言ってた通り、要さんにとって私が、思い通りになる都合のいい存在だったとしたら、と思うと……。
口を開いてしまえば、泣き出してしまいそうで。要さんに睨み付けるようにして見据えられたままで、私はどうすることもできない。
「おい要っ。やめろっ!美菜ちゃんが怖がってんだろっ!」
そこへ、夏目さんの声が割って入ってきて。
私のことをドアに追い込んで凄んだままだった要さんの肩を、夏目さんが掴んで後ろに引き寄せるも。
「夏目には関係ないと言ってるだろっ!」
要さんは、それにも動じる様子は見受けられない。それどころか、夏目さんに掴まれている肩を回して、夏目さんの手を振り払おうとしているようだ。その瞬間。
「おい、要っ!お前、頭冷やして冷静になれっ!」
素早い身のこなしで、それを難なく交わした夏目さん。
そのまま、要さんの胸ぐらを引っ付かんだと思ったら、すぐ横の壁に要さんの身体を、背中から叩きつけるようにして追い込んだ直後。夏目さんは、要さんが動かないように身体を押さえて、壁に押さえ込んだままでいてくれている。
「……美菜!?」
そこでようやく、怒りで我を忘れた挙げ句、過去に囚われてしまっていたのだろう要さんの、酷く驚いたような声が聞こえてきて。
我に返った様子の要さんの声を聞いた途端。操り人形の糸がプツリと切れてしまったかの如く、私はドアに背中を預けたままの体勢で、その場にストンと膝から崩れ落ちた。
「美菜?!」
「美菜ちゃん、大丈夫?」
「……」
再びかけられた、要さんの酷く心配そうな声と、夏目さんの優しい声が聞こえてきても、何も返せずにいる私は、放心状態で。
気づけば、私は、いつの間にか夏目さんに解放された要さんの腕の中だった。
「美菜、ごめん」
しばらくの間、私はいつもの優しさを取り戻した要さんに抱きしめられた腕の中、繰り返される要さんの謝る声を聞きながら、泣き続ける私の口からは、
「私は、要さんの…こと、信じてる……のに、どうして、要さんは……信じて、……くれ、ないの?要さんは……私のこと、本当に、好き……なの?」
さっき言えずにいた本音が、とつとつと零れ落ちていた。
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