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第三章 原初の破壊編

#114 陸と藍

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 街は火の海に包まれていた。
 ビル群の中央で黒ずくめのローブが大きな鎌を振るい、民を襲う。
 一人、また一人とその魔の手に掛けられ、地に伏して行く。
 そして、また一人と――、

「――させないよ」

 大鎌の一振りを受け止める、大鎌。
 日本の鎌が交差し、ぶつかり合う金属音が鳴り響く。

 黒ずくめのローブは口を開く。

「貴様は――」
「三代目神王候補、大熊陸。――ま、もうそんな肩書どうだって良いよね」

 陸はぬるりと地面から――いや、『影』の中から現れ、ローブの男の大鎌を受け止め、弾いた。
 その大鎌は王の証の意匠を模したものではなく、代わりに黒い布の帯が巻かれた物だ。
 柱無くしても、今の陸は存分に力を振るうことが出来る。
 
 ローブの男は地を蹴り、陸との距離を置く。

「あの時は逃がしちゃったけど、次はその首刈り取るよ。十二波動神、ハーデス」
 
 ローブの男の名は十二波動神が一柱、ハーデス。
 既に全身を黒一色に染めており、“再臨”済みの姿だ。
 
 そして、周囲に突風が巻き起こる。
 その『風』と共に現れたのは、鬼人の藍とその肩に乗るガイア族モシャ、そして鬼人の会の鬼たちだ。
 モシャのスキル『風』に乗って、陸の仲間たちも駆けつけた。
 ハーデスは周囲を囲まれる形と成り、数的には圧倒的不利となった。

「陸、こんな奴早く終わらせよ? それで、他の皆の所や、崩界へ行ったアギトたちを助けに行くの」
「そうだね。でも、藍はそこで見ていても良いんだよー」
「陸? 私、今は陸の知っているか弱い女の子じゃないよ。私は鬼――化け物よ。心配は要らない。――でも、だからこそあなたと共に戦える」

 陸は少し寂し気に、微笑みを藍へと返す。
 その二人の様子を見て、ハーデスはローブの奥で籠った笑い声を上げる。
 
「たかが半神半人ハーフの半端者と鬼の群れ如きで、この我に勝てるとでも? 我がどれだけの数の鬼を屠って来たか、知ら訳ではあるまい」
「そうだねー。昔は頑張ってくれていたみたいだけど――でも、もう世代交代だよ」

 十二波動神ハーデスは、かつて陸と同じ様に地球で鬼を狩る事を生業としていた。
 担当区域で出現した鬼、そしてその周辺国、その全てをたった一人で屠り、そして生涯で数十万もの魂を輪廻の輪へと還したという逸話を残す。
 それ故に、ハーデスはその名を――“神格”を得た。
 その偉業が、ギリシャの神話に名を残す神、冥府を司る“ハーデス”と合致した。
 それ程に、地球で人間の為に影ながら戦い献身する神だった。――ただし、“かつては”という枕詞が付く。
 
 前線を退いてからじばらく経った頃から、ハーデスは人間に対して敵意と嫌悪を露わにするようになった。
 それがゼウスの傘下に入った事によるものだったのか、はたまたアークの影響を当時から少しずつ受けて行ったのかは分からない。
 最初は天界の秩序を維持する為に、人の血を積極的に混ぜようとするライジンに対する嫌悪だったかもしれない。
 ライジンが王となれる立場でありながらその責を逃れたという背景も有って、良い印象は無かっただろう。
 
 それでも、ハーデスは変わってしまった。理由や原因なんてとうの昔に置いて来てしまった。
 ただ今のハーデスの心の内を満たすのは、真っ黒な『破壊』の波動と、その破壊衝動だけだった。

「――愚かな」

 ハーデスは陸の言葉に不快気にそう吐き捨て、鎌の刃の先で地をとんと叩く。
 すると、地の底から無数の黒い何か湧き上がり、それらは形を成す。

「これは――」

 これまで平静だった陸も、これには表情を動かした。
 現れ出た無数の何か、その正体は骸骨の軍勢だった。

 陸たちはこの骸骨の軍勢を以前にも見た事が有った。
 それは百鬼夜行の時、かつては通常の鬼であった藍と対峙した異界でも現れていた鬼と同じタイプだ。
 つまり、この骸骨たちは――、

「お前! 殺した人間の魂を使ったのか!!」

 陸は激昂し、声を荒げた。
 あろうことか、ハーデスはこの地で殺して回った人間の魂を核として使い、鬼として作り変えたのだ。
 かつては人間の魂を解放して周っていた神が、闇に堕ちる事で今度はその魂を鬼として縛り付け弄ぶ。
 その様に、陸は怒りを隠せなかった。
 しかしハーデスは鼻をふんと鳴らしただけで、陸の言葉を一蹴する。

「我が傀儡として、存分に働くが良い」

 地の底から現れた骸骨の軍勢は、波の様に一斉に襲い掛かって来る。
 
「モシャ!」
「分かってるよ!」

 陸が相棒の名を呼べば、阿吽の呼吸で『風』が吹き荒れる。
 風はつむじを成して、藍と陸の足元へと。そして、二人はふわりと宙に浮き上がった。
 ハーデスも陸たちの居る天を見上げて、軽く地を蹴って舞い上がり、両者見合う。

 眼下では骸骨の軍勢と鬼人の会が交戦を繰り広げていた。

「みんな……」
「大丈夫だよー。下は任せよう」

 眼下で戦う鬼人の仲間たちを心配する藍を、陸は宥める様にそう言って、一歩前へ。

「鬼が人間の真似事とは笑わせる」
「真似じゃない。藍も、彼らも、心を持っている。人間と変わりない――よっ!」

 そう言い終える前に、陸は宙を蹴り接近。大鎌を振るう。
 藍とモシャもそれを合図に横へと展開した。
 
 大鎌と大鎌。両者の刃が激突する。
 三対一であっても、ハーデスは大鎌を振るいそれらを全ていなして行く。
 そして数度の激突の後、先にその刃が相手へと届いたのは――、
 
「――“『二度殺し』”」

 ハーデスだった。
 陸は胴を一太刀で切り裂かれ、地へと堕ちる。
 その勢いで陸は大鎌を取り落とし、手を離れた大鎌は地に突き刺さる。

(――なんだ、これは。僕は一撃しか喰らっていないはず)

 陸は自身の胸の傷を手で押さえる。――深い。
 致命傷を避けダメージを抑える為に、確実に後方へ引いてたはずだ。
 実際、体感では薄皮一枚とは行かないまでも、傷は浅く済んだはずだった。
 だというのに、陸の胸の傷はぱっくりと深く抉れており、認識との齟齬が産まれていた。

 たったの一太刀しか受けていないはずだ。しかし――、

(――衝撃は“二度”あった)

 一度目は、確かに回避した刃。そしてもう一撃、陸の認識外のもう一太刀。全く同じ場所に同時に二度の攻撃。
 更にそのダメージは肉体だけではなく魂にまで及んでいた。二撃目の刃は肉体を突き抜け魂にまで深々と傷跡を刻みつける。

 陸がそうして倒れていたのも僅かな間だ。
 傷口を『炎』で焼いて止血し、立ち上がろうとした時、どさりと天から二つ、落ちて来る。
 それは藍とモシャだ。
 藍の鬼の身体に点る青い炎も、弱々しく揺らめいている。二人はぴくりとも動かないまま、地に倒れだらりとしている。

 そして、二人を撃ち落としたハーデスもまたゆっくりと地上へと降りて来る。

「“死神”もこの程度か」
「そう呼ばれるの、あんまり好きじゃないんだけどなー」

 陸の足元から伸びる『影』が怪しく揺らめき、立ち上がると同時にその影の手を伸ばした。
 影は蛇の様に地を這い、そして縄の様にハーデスを締め上げる。
 
 そして、陸が手を横にかざせば、その影の手の一本は取り落とした大鎌を拾い、陸の手の内へと運んできた。
 鎌を手にした陸は拘束したハーデスへと斬りかかる。

「無駄な事」

 ハーデスは影の手による拘束を引きちぎり、応戦する。
 再び日本の大鎌同士がぶつかり合い、火花を散らす。
 本来であれば蒼炎を纏う陸の鎌の方がリーチは長い筈だ。しかし、ハーデスの鎌は一度の攻撃で二度斬り付ける『二度殺し』の技によって、更に一歩先の間合いへと届く。
 そして――、

「終わりだ、死神よ」

 ハーデスの刃が陸の鎌を二つに割り、その勢いのまま刃が左肩へと深々と突き刺さり、鮮血がしぶきを上げる。
 勝利を確信するハーデス。しかし、たいして陸は不敵に口角を上げた。
 そして、陸はがしりと自分の肩へと食い込む鎌を腕で掴んでホールドし、逃げられない様に抑え込んだ。
 そして、残った右の手で鎌の残骸を掴み、ハーデスへと突き立てる。
 
 しかし、その渾身の一撃は敢え無くハーデスの腕を貫き傷を負わせたに留まる。
 これでは刺し違えたとも言えない。
 陸の左肩の傷口からは『破壊』の波動が流れ込んで来る。いくら陸に王の血が流れているとは言っても、その抵抗力にも限界がある。
 このままではやがて死に至るだろう。

「最初の余裕はどうした? 肩透かしも良い所だ。やはり、アーク様の寵愛を受け“再臨”した我々に勝てるはずが無かったのだよ」
「うる、さい……」
「ふん。残念だったな。我々を甘く見た報い、受けさせてやろう」
 
 そう言って、ハーデスが食い込む鎌に更に力を込め陸の身体を断とうとした、その時。

「がっ……、がはっ……!!」

 ハーデスは吐血し、鎌を握る手からは力が抜けて行く。
 見れば、陸の持っていた鎌の残骸はぼんやりとその形を景色に溶かして行き、『影』となって消えて行っていた。
 これまで陸が使っていた得物は、本物の陸の大鎌ではなく“影で形作った偽物”だった。――つまり、その大鎌はまだ折れてはいない。
 では、本物はどこに?

「残念、だったねー。あんまり、甘く見ない方が、いいよー」

 そう言った陸の視線の先は――、ハーデスの後ろだ。
 ハーデスはゆっくりと背後へと意識を向ける。
 そこには、青い炎で全身を焼く一人の鬼が立っていた。

「――こっち」

 『藍』の鬼。
 その手の先には大鎌が握られていて、ハーデスは遅ればせながらその大鎌の刃が自分の胴を貫いたのだと理解した。
 
 ハーデスにとっては藍もモシャも、既に殺したと思っていた相手だ。
 たかが鬼の一匹、たかがガイア族の一匹、いとも容易く『破壊』したと、そう思っていた。
 だからこそ、驚き目を見開く。

「刺すのは、僕じゃない」
「私も居る」

 藍は鎌を握る手に力を込め、そして青い炎がその鎌を伝ってハーデスを包み込み、燃やして行く。

「おのれ、貴様の様な、鬼に、下等な存在に、この我が――!!」

 ハーデスの身体から溢れ出た漆黒の波動が、ハーデス自身を包み込んで行く。
 それは“再臨”の前兆だ。
 自らの死を悟り、再び自分の魂を破壊し再構築する、再臨を図ろうとしている。それが成されれば、更に一段階魂の格を上げよりアークに近しい存在として生れ変わる事だろう。

「藍、離れて!」

 陸の言葉に藍はすぐに反応して、鎌を引き抜いてその場を飛び退く。
 そして、そのまま鎌を陸へと投げ渡す。
 回転し弧を描いた鎌はすとんと陸の手の内に納まり、そして――、

「させない!! 行くよ、モシャ!!」
「待ってたよ、陸!」

 相棒との阿吽の呼吸。
 モシャの身体は光り輝き、光に溶け、そして陸の手の内にある鎌へと纏われて行く。
 陸の影のマントか風に靡きはためく。

 陸の大鎌には『嵐』が纏われ、その嵐の煽りが『炎』をより強く、轟々と燃え盛らせる。
 陸は鎌を受け取ったままの勢いを乗せて、くるりと一回転。そして、放つ。

「――『えんりゅう』!!!」

 鎌の先から“青”と“赤”の二色の炎で形作られた龍が産まれ、嵐のような勢いで漆黒の波動ごとハーデスを呑み込んで行く。
 
 陸とモシャの『憑依混沌カオスフォーム』、その瞬間解放型。
 その力は陸のかつての荒々しい赤き炎と、今の静かに揺らめく青の炎を、モシャの『嵐』となった『風』で束ね、より強く焚き付け、そしてモシャの内へ眠る“翼”を龍の形として開放する大技だ。
 ウルスの天山での修行の末身に着けた『憑依混沌カオスフォーム』。そしてその修行は陸を神の極致へと至らせるだけでなく、相棒のモシャのスキルをも進化させた。
 
 二対の炎の龍が巻き起こす嵐が止めば、そこには真っ黒に焦げ纏っていたローブを失ったハーデスの姿が有った。
 全身は枯れ枝の様に痩せ程り、まるでミイラの様に不気味な姿。
 その瘦せ細ったミイラの様な老体は、限界を超えて酷使され続けてきた証だ。
 かつて人を守護し、輪廻の輪の秩序を保って来た神の、成れの果て。

 『憑依混沌カオスフォーム』の溶けたモシャは龍からイタチの姿へと戻り、ぽとり落ちた所を藍に拾い上げられる。
 陸は膝を付き天を仰いだまま動かないハーデスの元へとゆっくりと歩み寄る。
 
「わ……、われ、は……」

 ハーデスはもはや意識も朦朧とし、今まさに息絶えようとしている。
 しかし、それをハーデスの内に埋め込まれた『破壊』の波動が許さない。
 身体の端からじゅくじゅくと嫌な音を立てて、その身体を構成する分子を一つずつすり潰して行く様に破壊して、再構成を図ろうとしている。
 死さえも許されない、呪いの様な力。

「もういいよ。あなたの役目は、終わり。だから――」

 ――眠れ。

 陸は静かに、鎌を振るう。
 今度は、殺し損ねない様に、しっかりと首を刎ね飛ばす。
 ハーデスの頭部が宙を舞い、どさりと地べたを転がる。
 
 『影炎の鎮魂歌』――静かに揺らめく青い炎が、ハーデスを包み込む。
 王の波動が、破壊の波動を相殺して行く。
 
 次第に、ハーデスの口から漏れていた呼吸とも言葉とも判別付かない様な音も薄れて行く。
 そして、首から下の胴体も、地べたを転がる頭部も、その全てが青き炎によって燃え尽き、灰は風に舞って消えて行った。
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