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第十六章・成都

第十六章第九節(天府の土)

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                 九

 その昔、諸葛孔明が「沃野千里よくやせんり天府之土てんぷのど」と称したごとく、四川は土地が肥沃で天然資源の宝庫とされる。

 英、米、独、仏の列強諸国は早くからこの地に着目し、鉄道敷設や鉱山開発を進めてきた。これまで満洲を中心に“北方”を勢力圏としてきた日本は、苦い思いでそれを傍観するしかなかった。
 今回、既存の領事館再開を巡ってこれほど揉めた背景に、「満洲から華北方面へと支配権を拡大してきた日本が、さらに四川へ手を伸ばそうとしている」という危機感が南京政府内に広がった点は無視できない。ではそれは杞憂きゆうに過ぎなかったかと言うと、岩井自身四川に対する旺盛な野心を披瀝してはばからなかった……。
 満鉄の田中や漢口商人の瀬戸を誘ったのも、早期に通商を開きたいという目論見の一環であった。

 いにしえから四川人は穏健と剽悍を併せ持つといわれ、普段はのんびりしているが、ひと度火が付くと、手を付けられないほど獰猛になるという。
 四人は相当な覚悟で成都入りしたが、成都は意外にも平穏だった。
 ただ重慶と同じく、街のあちらこちらに「日本総領事館反対」のビラが張り付けてあり、宿の番頭の話では今日も近くの中央公園で「総領事館開設反対」の市民集会があったという。

 集会は明日も開かれるのだそうだ。成都には二十三の地元新聞があるが、いずれもがドギツイ言葉で総領事館の開設に抗する大見出しを掲げていた。
 市民集会といい、壁や電柱にベタベタと貼られたビラといい、言葉で表せば物々しいが、深川が重慶で感じたのと同じく街行く一般の人々は、どれも人の良さそうな、けんも締まりもない表情でよそ者を迎えた。
 新聞の表記とは裏腹に、目の前には田舎然とした、のんびりゆったりの時間が流れていた。

 詰まるところ、南京政府の悪宣伝に踊っているのは、いつも肥大化した“自意識”を持て余す騒ぎたがり屋と学生だ。こうした人種は上海にも南京にも、もっと言えば満洲にもいる。彼らの「反対」は決して実を結ぶことはない。それと知りつつ、むしろ実現しないからこそ安心して「反対」を叫んでいる。
 四人が受けた成都初日の印象は、そのようなものであった。
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