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第十六章・成都

第十六章第八節(個人旅行)

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                 八

「岩井氏が“個人”の資格で旅行するのなら、必ずしも通行を阻むものではない」--。
 重慶市当局からそう“耳打ち”されたので、上海の川越茂かわごえしげる大使は東京へ、「取り敢えず岩井を“個人”として現地入りさせ、『領事館』の再開は現地の動向を見計らった上で実現したい」と伺いを立てた。

 だがこの計画も、四川省当局から「個人であろうと何であろうと、岩井氏を現地へ入れる訳にはいかない」と拒絶され、実現しなかった。
 やはり岩井はしばらく重慶で足止めを食わざるを得なさそうだった。

 片や渡邉洸三郎と深川経次ふかがわけいじ田中武夫たなかたけお瀬戸尚せとひさしの四人はもとより全くの私人であるから、護照の発給は比較的容易に得られた。
 ただそれでも航空券の購入はできず、結局バスで移動することにした。

 出発前、深川は上海の編集部に向けて次の紀行文を送った。

 「国府当局が当地の民衆を使嗾し、岩井氏の成都入りを極力妨害しつつある陰険姑息なる手段には、あまりの執拗さにむしろ一驚を喫した。(中略)一般市民は割合に平静で、在留邦人に対する暴行事件などはまだ発生していない。これは要するに中央において一面極めてあいまいな態度を示しつつ、中央通信によって国民の反日感情を扇動さらに現地の党部その他の諸機関の手で民衆を扇動しているものである」

 一行を乗せたバスは八月二十三日午後二時、成都へ入った。
城門で官憲の検問を受けたあと、一時間ほどして目抜き通りの騾馬市街らばしがいにあるこの街最大の洋館風旅館、大川飯店だいせんはんてんへ落ち着いた。
 成都にもかつては六十人あまりの日本人が暮らしていたが、五年前の上海事変で揚子江沿いの対日感情が極度に険悪になった末に、いずれも引き揚げてしまった。今では地元の男性へ嫁いだ日本人妻が三人いるばかりだという。
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