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第四章

4-9☆

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 突然の訪問には動揺しつつも、リオの側に彼を拒む理由はない。リオは快く招き入れ、余計なことを思い出して真っ赤になったりする前にと、急いで部屋の明かりを灯した。
 相変わらず椅子の用意がないので、また寝台に座ってもらいながら、リオは近々ファランディーヌに椅子をねだることを心に決めた。彼と毎回この距離を保つのは、色々と心臓に悪すぎる。
 アルトは今日も白い衣服を纏っているが、当然踊り子の衣装ではない。美しく凛々しい彼によく似合う、気品溢れるその一式は、彼が確かに高貴の生まれであることを言外にも示していた。

「アルト、くん」
「はい」

 彼を何と呼んだものか惑った末に、結局これまでと同じように呼びかける。柔らかな笑顔を見せればますます美しいその顔は、確かに女王陛下とよく似ている。
 そう、改めて思ったところで。己の罪を思い出したリオは、ごめんなさい、と。声を漏らして青褪めた。

「どうなさいましたか」
「僕、エヴァ様が。アルトくんに危ないことをしないで欲しいって言っていたのを、聞いていたのに」

 引き留めることをしなかったから、と。項垂れるリオを驚いたように見つめ、そして笑ったアルトは、優しい声音でリオを慰めた。

「母はもう、私が無理を通したと理解していますよ。……すでに、こっぴどく叱られましたから」
「……怒られちゃったの?」

 あんなに優しそうで可愛らしく、我が子への愛に満ち溢れていた彼女が。彼をこっぴどく叱る場面と言うものが想像できずに首を傾げるリオに、アルトは苦笑を向ける。

「怒りに任せて、無謀に走り、あなたの名も汚してしまった。……痛罵されてしかるべきです」

 そんな、と。リオは慌てて手を伸ばす。確かに今は、表を堂々とは歩けない身の上だけれど。それはアルトのせいではないし、他の誰のせいでもない。
 公爵を油断させて欲しい、と。その願いを飛び越えて、婚約詐欺紛いのことまでしてしまったのは、全てリオの独断だった。

(しかも、最後までできなかったし……)

 中途半端すぎて情けない。結局自分は彼のために何ができたのだろうかと自問しても、はっきりこれだと自信をもって答えられる解はなかった。
 だがアルトだけは、そうは思っていないらしい。心からリオに感謝していると解る瞳で、一途に美しく微笑んだ。

「私怨からの私刑に手を染め、己が正当性を自ら放棄することなく踏み留まれたのは、全て。……あなたのお優しいお心に、触れることが出来たおかげです」

 ありがとうございます、と。そんな風に言われてしまっては、否定する方が彼に対して失礼であるように思えてしまう。リオは嬉しさと恥ずかしさ半々の気持ちで、せめてふるふると控えめにかぶりを振った。みっともなく真っ赤になってしまいそうで、彼の顔もまともに見つめ返せない。
 そんなリオの様子を見て、宝石のような眼差しの色をふっと和らげると。アルトはおもむろに立ち上がり、リオの前に跪いた。
 戸惑うリオの両手を、そっと握り締める。

「残る心残りは、私が穢してしまったあなたの名誉だけ。……どうか、この私に。責任を取らせてはくださいませんか」
「……っ! それ、は」

 びくりと肩を震わせて、リオは息を呑む。その言葉の意を酌めないほど鈍感にもなれなかったリオは、それでも簡単に頷くことはできず、動揺しながら目を逸らした。
 彼の申し出を、断らなければいけない理由だらけに思えるリオは言葉に詰まったものの。――選びたい答えは、一つだけであることにも同時に気付いてしまって、羞恥に頬を赤らめる。
 恥じ入るリオを鮮やかな薔薇色の瞳で見つめ、幸福そうに微笑んだアルトの白い指が、リオの頬に伸ばされる。
 違う男に触れられた時は、あれほどまでに、恐怖しか感じなかったというのに。今は胸の内に満ちて溢れる甘い情動に、身体の熱が上がってしまう。

「……卑怯な言い回しを選びました。責任を、というのは。ただの口実です。……あなたの名誉を穢しておきながら、それをどこかで喜んだ。卑劣な私をお許しいただけるならば、どうか」

 是のお返事を、と。中腰になった彼に、吐息がかかるほどの距離でそんなことを言われて、平静でいられるものなどいないだろう。リオは顔を真っ赤にして、あわわと口を開閉させた。

「あ、あの、待って」
「はい」

 いくらでも、と。心よく微笑むアルトは、しかしその実、イエスと言うまで離さないとばかりにリオの手を握り締めている。
 白く美しい手のひらは、それでも彼が立派な男性であることを示して、男らしく骨ばっている。リオの力では決して振り解けないくらいの力が込められたその手は熱く、彼の決意と熱意を示しているようで、その熱に抗える気がちっともしないリオは、それでもどうにか、震えながら口を開いた。

「僕は、今。悪評が、すごいみたいだし」
「私のために穢してくれたその名を、どうして私が厭うことが出来るでしょう」
「それに、まだ。その、結婚とか、突然過ぎて……エヴァ様たちも、ファランディーヌも、びっくりするだろうし」
「もちろん、急ぐつもりはありません。今は正式な婚約だけでも」

 一つ一つ、丁寧に。リオの手を握り締め、情熱的な炎の色の瞳で見つめながら、アルトは否の理由を潰していく。
 リオの瞳を真っ直ぐに見つめ、言い聞かせるように囁く彼があまりに美しくて、リオの眼前は諸々の感情でチカチカした。

「ぼっ、僕。男なんだけど……」
「……あなたは、私が男であることが、私への好意の妨げになりますか?」

 そんな聞き方をされては、なりません、と。正直に答えるしかない。リオは、ますます追い詰められた気分で頬を上気させた。
 リオは彼のことが、確かに、間違いなく、好きだった。リオを見つめて、リオのために微笑んで、リオのことだけを一番に愛してくれる、彼のことが。

「……っ、でも、アルトくんにはきっと、もっと相応しい人がいて」
「リオ」

 不意に。リオの言葉を遮り、彼は真剣な表情で名を呼んだ。思わず言葉を途中で呑み込めば、アルトは少し困ったように微笑みながら、そっとリオの髪に触れる。

「私の気のせいでなければ、あなたの拒絶の言葉は全て、私を慮ってのことに聞こえます」
「それは……」

 図星の指摘に口ごもるリオを真っ直ぐに見つめて、アルトは優しく首を横に振った。
 美しい、炎の色の宝石の瞳。リオを一途に見つめてくれるその瞳から目を離せずにいれば、ふっと柔らかく細められる。リオの心臓がどきりと跳ね上がった。

「私は自分の意志で、あなたを選びました。だから、あなたが私を憎からず思ってくださるなら、どうか私を選んでください。……私は、私の心に誓ってあなたを愛しています。リオ」
「……っ」

 蕩けるような甘い声で、ストレートな愛を囁かれて、リオは喉の奥に呼吸を詰まらせた。身体中を巡る血流の音だけが耳に響いて、頭がくらくらする。
 その言葉を――受け入れてしまいたい、と。一度でも思ってしまえば、もうダメだった。頬に真っ赤に血の気を差して、髪先から爪先まで、とろとろと液体になってしまいそうな心地になったリオを見て、アルトもリオの答えを知ったのだろう。髪に触れていた手が、頬に触れ、顎を捕らえ――唇が、重なった。

「ん、む。んう、待っ、あ……っ」
「駄目です。……逃げないで」

 恥ずかしさに思わず身を引いたリオを追いかけて、アルトが寝台に膝を乗り上げる。そのまま抱きすくめられ、背中と首裏を力強く押さえられてしまえば、リオに抗う術はない。
 ぎしりとベッドを軋ませながら、全身を抑え込むように深く貪られる。息継ぎの合間に零れる吐息さえも飲み込むようなキスを交わした後、ようやく解放されたリオの顔は、すっかり紅潮していた。

「っ、アルト、くん……」
「リオ」

 荒い息を整えながら、潤んだ瞳でアルトを見上げれば。彼は、ぞくりとするほど妖艶な笑みを浮かべてリオの髪を撫でた。
 その手つきは、いつもと変わらずに優しいのに。どうしてか、リオは背筋が震えてしまう。まるで肉食獣の前に差し出された獲物のような気分だ。それでも、その震えを、どうしても嫌なものだとは思えなくて。リオは大人しく首を差し出す草食獣の気持ちで、彼の腕の中に身を預けた。

「……あの夜に願った、続きを。今、お許しいただいても?」

 耳元で甘く囁かれ、リオはびくりと肩を跳ね上げる。
 続き、続きとは、つまり。アルトの腕の中で、ドキドキと煩い心音に耳を傾けながら。リオが何も答えられずに身体を強張らせていると、いきなり脇腹をくすぐられた。

「ひゃっ?」

 慌てて彼の手を掴まえようとすればあっさりと躱されて、逆に両手の指を絡め取られてしまう。そのまま仰向けに押し倒されて、為すすべなく転がった身体をシーツの上に縫い止められる。

「ふふ。アルトくん、いきなり……」

 どうしたの? と。無邪気に笑おうとしたリオは、彼の稀なる美貌の中に滲んだ、隠しようもない情欲の炎を見咎めて。ごくり、と。唾を飲み込んだ。

「……リオ」

 低く掠れた声が、懇願を滲ませながらリオに迫る。鼻先が触れ合う距離で、情愛を込めた眼差しに熱っぽく見つめられてしまえば、リオにはもう抗う術がなかった。
 どうか、と。吐息を吹き込まれた耳が真っ赤に紅潮し、背筋が震える。リオは熱い息を浅く吐き出すと――灯りを、消してくれるのなら、と。精一杯回りくどい、是の返答を口にした。
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