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第四章

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 一連の騒動が過ぎ去り、リオはアスタリス邸で、またいつかのように穏やかで暇な毎日を送っていた。
 あの後、慣れ親しんだ寝台で目覚めるなり。目が覚めて? と。以前聞いた台詞を、以前にはなかった大号泣のファランディーヌに抱き締められながら囁かれ。泣いてはいないが真っ赤な目元と真顔で震えるエルドラにもぎゅうぎゅうに抱き締められて。ごめんなさいの言葉も途中で遮られたリオは、二人が落ち着くまでずっと抱き締め返すことしかできなかった。
 無茶は勿論咎められ、リオも素直に謝罪をしたけれど、事情が事情だったからだろうか。然程厳しく怒られることもなく、むしろエルドラが、アルトの素性をもっと怪しんでおくべきであったと悔やんでいた。――あの日、屋敷に張られた結界を掻い潜って、三人だけで特攻してくれた彼らのお陰で事は丸く収まったのだから。それで十分感謝に値すると、リオは思っていたが。

(あのままだったら、やっぱり僕が、一番足手纏いだっただろうし)

 一人では、あそこから離脱することもままならなかっただろう。どころか、過労と動き過ぎと気疲れから来る、久し振りの高熱にあのまま倒れてしまったリオは。目が覚めた後もたっぷり三か月、以前にまして苦い薬湯をエルドラの監視のもとに飲まされて、ようやく最近床上げを許してもらったのだった。
 だが、無理をした甲斐もあったと言うべきか、事件そのものは解決した。表向きには、女王の快癒を大々的に発表し、王弟は女王不在時の悪政を理由に地位を剥奪ということで収まったらしい。

『リオ様には、ご不快に思われるかもしれませんが』

 その実、レーヴィンは、全ての魔力と記憶を封じた上で、人間の国への追放処分になると言う。
 故郷を流刑地のように使われることを不快に思いはしないだろうかと、気遣う瞳でそのことを教えてくれたエルドラに――リオは、教えてくれてありがとう、と。微笑んだ。複雑な気持ちもなくはないけれど、誰も知らない所で、何の記憶もなく、やり直せるチャンスが与えられるのなら。それは歪んだ憎悪に瞳を濁らせた彼への、せめてもの恩情であるようにも思えたのだった。
 公爵の地位を考慮すれば、他の者は、逆らえなかったと口にすれば処罰が軽くなることを知っている。だが、たった一人。彼に仕えていた老執事だけは、望んで彼と同じ罰を受けると言う。

(止められなかった、罪があるからと)

 死刑の次に重いと思われる流刑に、望んで供をすると言うのなら。少なくとも、たった一人からの献身を捧げられるくらいには、公爵にも真っ当なところがあったということだろうか。リオは、対峙した際に感じた彼の長所と、焼け落ちた部屋の中で唯一主を気にかけていた老執事の姿を思い出して、少し切ない気持ちになった。
 彼らの裁きの他にも並行して、放置されて滞った行政の整備に、悪化した治安の引き締めに。職を不当に追われた人たちの雇い直しに、と。細々とした仕事で忙しいのは真実として。――事件に大袈裟に首を突っ込んでしまったリオについても、どこから情報が漏れたものか様々な流言が飛び交っているようで。ファランディーヌたちは、そちらの扱いにも頭を悩ませているようだった。

(口頭だけど、婚約、オーケーしちゃったしな……)

 流石に無効だと思われるし、それを言うならアルトと先に婚約をしているわけなので、問われるとしたら結婚詐欺の罪かもしれない。
 一過性のものですと口にしつつとても怒っているようなエルドラが、リオを絶対に外に出そうとしないことから。世間一般では、中々碌でもない噂が流れているのではないだろうかと予想はできた。貴族の間でも平民の間でも、ゴシップは非常に人気のある話題であると、一応王族歴だけは長かったリオは実感として知っている。
 けれど、不思議なほどに後悔はない。リオは、アルトの白い手を、復讐に穢すことなく事件を終えることが出来て満足だった。

(でも……当分、外には。出られないのかな)

 元々、上手くこの国に溶け込んで生きていけるのかも解らない身の上ではあったけれど。この上パルミールの戸籍まで複雑に汚してしまったのでは、この先一向に表に顔が晒せない。長寿の魔法使いたちの基準で、ほとぼりが冷めるまでと言うにはどれほどの期間が必要だろう。屋敷の中は平和なので、ずっとここにいていいと言ってくれるのなら、リオはそれでも構わなかったけれど。
 けれど、根深い悪評が世間に定着するほど流れてしまったのでは。清廉潔白な王子という身分である彼には、もう関わることができないかもしれない。それだけが、リオは割と深刻に悲しかった。

「……もう、会えないのかな」

 結局はそこに辿り着く、堂々巡りのマイナス思考に。何度目とも知れないため息を落としたリオは、無為に暮れて行く窓の外を遠い目で見つめつつ、重い腰を持ち上げて浴室に向かった。
 アルトは正真正銘、生まれながらの貴公子だ。名誉を回復すればいくらでも、彼に相応しい魔法使いが周囲に集うことだろう。そこにリオは、いなくてもいいのだ。
 滲んでしまった涙を、どの季節にも暖かな湯の出るシャワーで洗い流し、石鹸と同じく良い香りのする湯船に浸かる。ここに来たばかりの頃には度肝を抜かれた、故郷の文化レベルでは考えられないほどの贅沢を享受しながら、リオは深々とため息をついた。

(アルトくんは、きっと。……僕はいなくてもいい、なんて。言わないけど)

 リオがこうして落ち込んでいること自体が、彼に失礼なことだと己を戒めても、一人の時間が長いとやっぱり段々落ち込んでしまう。リオは自己嫌悪を温かな湯に溶かすと、最後と決めたため息を落として湯から上がった。

(明日は、庭の散歩くらい許してもらおう)

 せめてもの気晴らしに、と。大したことではないが、そう決意を固めながら、浴室と部屋続きの自室に戻る。すっかり暗くなった窓の外に、あの夜に見たような、星降る夜空を見出して。わあ、と。感嘆の吐息をこぼしたリオは窓辺に歩み寄った。
 窓を開けば、微かに湿った春の気配を感じる。もう、上着が必要なほどではないかな、と。そんなことを思いながら、長湯に多少のぼせた頭を冷やしていると――手を、取られた。
 窓からの侵入者に部屋の中へと押し戻されて、えっ? と。声を上げる。後ろ手に、優雅に窓を閉めた侵入者は、お静かに、と。リオの耳に優しく沈黙を命じた。

「……夜分に、失礼いたします」

 彼も、あの夜を思い出していたのだろうか。
 意図的に重ねられたその言葉を、笑い混じりに囁いて。月光に映える美貌を煌めかせながら――白い貴公子が美しく微笑んだ。
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