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第四章

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 そんな会話から数日を経た、その日。どこか不穏な曇り空の下、公爵邸に、一台の馬車が乗りつけた。
 侍従に手を引かれて馬車を降りる小柄な令嬢一人に、屋敷中の魔法使いたちの視線が刺さる。

(――視線が痛い……!)

 ようこそお越しくださいました、と。大層品の良い老執事に、淑女への最大の敬意を示す礼と共に迎え入れられながら。そもそもが腹芸に向いていないリオは、もう出だしの挨拶だけでいっぱいいっぱいになっていた。
 前日に、突然、侍従の役どころを振られたアスランもそれは同様で。意外と肝の座った所はあると言っても、いきなり過ぎない!? と。悲鳴を上げた彼の言葉は実にもっともだった。
 しばしこちらでお待ちください、と。広々とした客間に通された二人は、柔らかな長椅子に腰かける。二人きりになったことで、ようやく少しだけ肩の力を抜くことが出来たリオは、アスランとほぼ同時に深いため息を落とした。

「もう、こんなのどう考えたって無謀じゃん……!」
「アスランくん、しーっ」

 半泣きの彼と、心は一つのリオだったが、ここは言わば敵の本拠地だ。せめて声はもっと落とすべきだろうと、リオは慌てて人差し指を唇の前に立てた。
 はじめは、テオドールが侍従の役を務める算段だったのだが。俺じゃいかにも胡散臭くない? などと。他でもない本人が言い出したことによって、風向きが変わった。
 猜疑心の強い、慎重なタイプと判っている男と直接対峙するのならば――無害な、印象がある方がいいだろうと。策らしい策さえ授けられることもなく送り込まれた二人は、確かに腹に抱えるものは少なかったが、その分物凄く不安でもあった。

「うう、普通にテディでよかったじゃん! 僕、こんなすごい椅子に座ったことさえないのに……!」
「でも、テオくんはもう一つお仕事があるし……そっちに集中した方が、良いと言えば良いような……」

 納得はしているが、アスランの気持ちの方がよく解ってしまうリオの慰めの語尾がごにょごにょと頼りなく消える。
 そんな煮え切らない慰めにも、一応の効果はあったようで。まあそうだけどさあ、と。少し冷静になったらしいアスランが頷いた。

「アクセサリーを一つ、か。……首から随分妥協したよね」

 どうやって説得したの? と。小さな声で、問うでもなく問われたリオが、曖昧な笑顔を返して首を傾げる。――あの男の、首を、と。苛烈に願っていた彼が、何故目的を変えてくれたのか。それについては、リオもよく解っていなかったから。
 かつてアルトにもらった、純銀の髪飾りに手を触れて、リオは目にしたばかりの美しい歌劇の最中、彼に囁かれた言葉を思い出す。

『――愛しい姫君、あなただけに。私の秘密をお預けします』

 竜の魔法使いの瞳に、一途な想いを見出した姫君は。生まれて初めて自分の意志で、城を出奔し魔法使いを助けに向かう。数の暴力に追い詰められる魔法使いの前に身を投げ出した姫の危機に、その指輪は内に蓄えた力を発揮して、見事彼女を守るのだった。
 そのエピソードが示すように、魔法使いの装具には術者の魔力が宿る。その魔力を細かく解析すれば、得手不得手の情報まで明かされてしまうため、魔法使いは己の装具を他者に渡すことを基本的にはタブーとしている。だが例外として、親から子への心の籠った贈り物として――あるいは、生涯を誓う仲となる相手への、己の誠意の証として。それぞれ手渡す古い習慣があるという。
 魔力の解析自体、扱える者を著しく限る高等魔術だ。だが、時間経過で薄れてしまうそれを、即時に解析することができたなら。

(呪詛を用いた、痕跡が……残っているはず)

 その証拠を、押さえることができたなら。自分の手で、男を裁くことができるのなら。――彼は、その。彼の身も焼き尽くしてしまいそうな怒りを、抑えてくれると約束してくれたのだった。
 優しい彼に、血生臭い復讐は似合わない。そう言うことであるならばと、決意も新たにやる気満々で己の役割を問うたリオに。実に言い出しづらそうに、彼がお願いしてきたのは――

「――お待たせいたしました」

 そんな回想の最中に声をかけられて、リオは飛び上がった。アスランは比喩ではなく飛び上がり、慌ただしく椅子から退いてリオの傍らに控える。その不調法に、微かに眉をひそめたように見えた男は、次の瞬間には柔和な微笑みを浮かべて恭しくリオに一礼をした。
 色の濃い金髪に、臙脂の瞳。彼のおおよその年齢は何となく理解していたが、長寿の魔法使いらしく年齢不詳のその見た目は、真実若年であるリオとも精々一回り程度しか異なっていないように見える。血縁の面ではアルトの叔父に当たるのだろう公爵は、アルトや女王のような華やかさこそなかったが、嫌味なく整った品のいい顔立ちをしていた。

(この人が……)

 呪詛を操る、叛逆の王弟。ミラレーヌ公爵――レーヴィンの姿を、リオはその目で初めて見た。
 夜会に招かれこそしたものの、奥の間から出てくることのなかった彼と顔を合わせるのはこれが本当に初めてだ。
 ぱっと見には、目を釘付けにするような美貌も、息を飲むような才覚も、際立っては感じない。ただただ堅実で、真面目そうな印象のあるその人が、国家の転覆に関わる陰謀の中心にいようとは。散々事情を耳にしたはずのリオさえ、咄嗟にそう思ってしまうほど、彼は誠実かつ無害に見えた。

 ――間違いなく、この男です。……お気を付けて。

 そう告げて。リオの無事を祈るように、いつかの白い花飾りを、胸に飾ってくれたアルト。彼の美しい瞳に、あれほどの不快と激情が映っていなかったなら。リオもまた気付かないまま、彼の仕掛ける罠に足を取られたかも知れない。
 いつかの夜の、誘拐未遂事件のことを思い出す。何か魔術をかけられれば、抗う術のないリオは緊張にごくりと唾を飲み込んだ。

「ようこそ当家にお越しくださいました、リオネラ様。急なことゆえ、至らぬ点も多々あることとは存じますが。せめて心尽くしの歓待をお楽しみいただければ幸いです」
「こちらこそ、今日はよろしくお願いいたします。……公爵様ほどのお方からのご招待に応じられるほどの作法も身についておらず、お恥ずかしい限りですが、ご不快に思わないで頂ければ幸いです」

 ややぎこちない仕草で、深々と頭を下げるリオの態度は拙かったが、不快に思われるほどでもなかったようだ。とんでもありません、と。人当たり柔らかく笑ったレーヴィンは、気安くリオのために手を差し出し、エスコートを申し出た。
 エルドラに受けた厳しいレッスン中には、正直何度も泣き言を漏らしそうになったものだったが、胸の内で彼に改めて深謝する。

「さあ、どうぞこちらへ。……何故今、突然私の誘いに応じてくださったのか。お聞きしてもよろしいですか?」
「ええと、私が……少し、塞いでいたものですから。楽しませてもらっておいで、と」

 母が、そう申しておりましたので、と。伏し目がちに俯いたリオが、どこまでも大人しく、慎ましい態度で応じれば。そうですか、と。どこか意味ありげに、レーヴィンが微笑む。
 リオに、婚約を迫る彼の誘いに乗って――彼を、油断させること。これが今日の、リオの役割だった。
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