【完結】魔法使いも夢を見る

月城砂雪

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第四章

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 淑女を囮にするなど、美しく礼儀正しいアルトの中では、それはもうとんでもない苦渋の決断だったことだろう。
 リオは男に生まれた自分の身の上を初めて心から有難く思いつつ、今にも死にそうな顔色でその願いを口にしたアルトを安心させるために、力強く頷いて快く了承したのだが。正直、やる気はあっても、やり遂げられるかは怪しいところだと思っていた。

(だって、僕だしなあ……)

 美しい人たちを見慣れてしまった目で改めて鏡を見れば、やはりどう考えたって、リオの見た目は華やかさや美貌とは縁が遠い。
 美人の多い魔法使いたちには、地味な感じが好印象なのか、割と誰からも可愛がられはしてきたものの。愛想笑いで力不足をどこまで埋められるかが勝負だと覚悟を決めたのだが、公爵が思いのほか好意的に接してくるので、リオは少しだけ安堵していた。
 腹に黒いものを伴う好意であっても、ひとまずは彼からの好感を引き出さなくては何もできない。公爵の首元を彩る、シンプルな細い金鎖のネックレスに目線を向けては、この辺りかな、などと。余計なことを考えそうになる自分を抑えて歩き出せば、リオの手を引きながら彼が話しかけてくる。

「ファランディーヌ様のお加減は、あまりよろしくないのですか?」
「……ええ。そうですね。その……」

 たとえ口から出任せでも、ファランディーヌの具合が悪いとは言い難く、口ごもってしまう。
 リオの煮え切らない返事を、不安ゆえと捉えたらしいレーヴィンはリオに身を寄せ、励ますように微笑んだ。

「私も心当たりの医者に声をかけてみましょう。どうぞ、お心を曇らせませんよう」

 そんなことを言いながら、肩に回されかけた手に。ひぇっと変な悲鳴が喉にわだかまる。
 だが、その手が触れる前にアスランが音を立てて派手に転んだため、リオは触れられる前にその場を自然に離れることができた。

「大丈夫?」

 そう尋ねながら、ありがとう、と。唇だけで囁けば、うん、と。いかにも物慣れない様子のアスランが頷く。彼は彼で、一生懸命リオを助けようとしてくれているようだ。
 故意の転倒を疑われているわけではないようだが、多少不快そうにしたレーヴィンが、二人の間に口を差し挟んだ。

「失礼ですが、彼は?」

 いつもの侍従ではないようですが、と。問われて、リオはええと、と。多少言葉に詰まりつつ設定を思い返した。

「エルドラは……今は、母の傍を離れられないので、見習いの彼が。一人でお邪魔するのは不安だったのですが、彼なら庭師の孫で、私のお友達なので……」

 いけませんでしたか? と。問えば、公爵はとんでもありませんと首を横に振った。侮るような視線を向けられたアスランには申し訳ないが、不審に思われなかったのならば何よりだ。

「本日は、ささやかでも姫君の無聊の慰めになるよう、心ばかりのゲストを招いてあります。どうぞお心を許してお楽しみください」
「ありがとうございます」

 リオはそつなく答えたつもりだったが、再び彼に軽く手を取られただけで、つい条件反射でびくりとしてしまう。己の反応に多少戸惑いながら、すみません、と。リオは咄嗟に口にした。

「その……エスコートされることに、慣れていなくて」

 小さな声で囁いた、苦し紛れの謝罪には。お気になさらず、と。どちらかと言えば好意的に、レーヴィンが笑った。


     ※          ※


 あれほどガードの固かった令嬢が、自ら、この手の届く場所まで出向いてくれると言うのだ。多少警戒すべきものを感じようとも、みすみすこの機会を逃すのは愚か者のすることだと、レーヴィンは快く令嬢を迎え入れた。念には念を入れ、当日の使用人の配置は戦闘力に長けたものを選んだが。
 しかし、当日。豪奢な馬車から姿を表した二人の姿を窓から見て、レーヴィンは拍子抜けをした。――あの、手強い侍従の姿がない。幼形成熟でもない、ひ弱そうなただの少年に。危うく嘲りを前面に出してしまうところだったが、堪えて歓迎の笑顔を作る。
 事情を聞けば納得のいくもので。庭師の孫では、作法がなっていなくても仕方がない。知識階級には程遠い、かさついた手をした貧相な子供だが、顔立ちや雰囲気には愛嬌がある。貴い少女の遊び相手としては、善良で無害な人選なのだろう。
 彼女の本来の付き人であるエルドラは、どこにいてもその有能を語る声が聞こえるほどの逸材だが。その代わりとなれば、このような子供一人寄越すのが精一杯なのかと思えば、病んだ辺境伯の実情がいっそ憐れなほどだった。――まして使用人一人、側から離すこともできぬほど様態が悪いのであれば、己にとっては喜ばしい事実であることに違いはない。

(ようやく、好機が来たか)

 彼女の娘たちが城に上がるまでは、頻繁に女王の側近として城勤めをしていた彼女だ。己が生涯をかけて発動させ続けた呪詛も、多少は影響があったのかもしれない。
 先代からの忠臣である彼女が、女王を裏切るとは思えない。だが、彼女の最愛と噂される末娘を人質に取れれば話は別だ。上の娘二人と天秤にかければどうなるかは賭けでしかないが、この末娘を手中に収めれば、最も側近くで辺境伯の動向を探ることもできる。
 これまでの経歴からも縁深さからも、窮地の女王が頼るとすればあの辺境伯を置いて適任はいない。彼女を頼ろうとした女王が――末娘とこの己との婚約を知った時、果たして彼女を疑わずにいられるだろうか。その時の姉の顔を想像するだけで、胸の内には暗い愉悦が満ちた。

(……さて、それだけのための婚約と言うのも、煩わしいものだが)

 そうした目で、上から下まで少女を眺め見てみれば。予想外に健康そうであるのはいいとして、見るからに色気には欠ける娘だった。
 小柄な体躯は肉付きも薄く、手も足も、掴めば容易く折れてしまいそうに見える。よく言えば、見ているだけで庇護欲を掻き立てられる程度には愛らしい娘だが、生憎レーヴィンは庇護欲というものを生来持ち合わせていなかった。
 目に痛いほどの美女であった母と姉を見飽きながら育ったレーヴィンは、そもそも女と言うもの全てに興味がなかったけれど。嗜好の傾向として従順な娘は嫌いではないし、か弱い抵抗があるならあるで悪くはない。柔らかな声音は、艶を帯びれば耳には心地よさそうではある。何よりこの少女の肩書は、あのファランディーヌの掌中の珠と呼ばれた末娘だ。
 彼女を絆せば、長らく疎ましい存在であったあの切れ者の辺境伯さえ己に頭が上がらなくなると言う妄想は、支配欲と自尊心を持て余すレーヴィンには殊の外魅力的だった。
 ごく最近まで存在を秘匿され、すでに婚約が済んでいても可笑しくない年頃になって、ようやく社交界に姿を見せた末娘。かと思えばすぐに、体調不良を訴え、誰が誘いをかけてもなしのつぶてときたものだ。恐らくは、ひどく繊細で、臆病なのだろう。
 ここまで来て怖がらせて、逃げられでもしたら大損だ。レーヴィンは打算を胸に、いかにも善良ぶった微笑みを張り付けて、少女に相対した。
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