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第四章

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 その男は、生まれながらに二番手としての人生が決定していた。
 若々しく美しい母と、母と瓜二つの美貌を持つ姉。母に似ることのなかった男は、その時点で――女王の血筋に開花する、天性の魅惑の能力を持たずに生まれたことが明白だった。
 その日から男の扱いは、王太子と見込まれることは最初から有り得ない、外様の王子に対してのものとなった。生まれ持った身分が身分ゆえに、男を表立って悪し様に罵るものもいないが、声高に崇め湛えてくれるものもいない。魅惑の魔法を授かることなく生まれてしまった男は、その他の面においては不足なく優秀だったが、何かの旗印となれるほどの器量はないという評価を下されていた。
 いっそ本当に愚鈍であれば、母を敬い、姉を慕い。よき臣下としての自分を受け入れて、平凡に生きていけたのかも知れない。王城の中では二番手でも、外に身分を求めれば、公爵と呼ばれて通り一遍の尊崇と権力は得られたことだろう。
 だが、男には、生まれ持った自尊心と、不釣り合いな卑屈の心があった。――己には遂に発現しなかった、魅惑の力を疎む心も。

(何故、人の心を惑わすばかりの不実の力が、それほどまでに重宝されるのか)

 たまたまその力に恵まれただけの姉が、何故すでに次代の王として内定しているのか。何故、人はこの自分を敬うことがないのか。
 己の優れたるを晒せば晒すほどに、姉の力になるようにと説かれる現状の不可解に、男の鬱屈は深まっていく。そうした言葉をかける師のほとんどは、男の才を正しく評価した後のこととして、その説法を口にしていたのだが。鬱屈に塞がれた男の耳に、己への賛辞は不足と聞こえた。
 周囲の誰もが、己の実力を認めてくれないと言う思い込みは、架空の敵を生む。ありもしない陰口に腹を立てた男は、ただ一人の弟に優しく接しようとする姉の寛容までもが煩わしく、反抗の態度は次第にあからさまになった。
 だから、その時も、悪いのは男の方だった。

『返してあげなさい』

 もう、詳細を覚えているものは、当事者を含めて誰もいないだろう。そんな、取るに足らない姉弟の小さな諍いを見咎めた母が、苦笑しながら男に告げたその言葉。庶民の間でさえ日常的に交わされているであろう、そんな言葉に、男は激昂したのだった。

(――返せと言うなら、俺に返せ)

 その美貌で、生まれながらの才気で。この己から不当に奪ったものの、全てを。
 姉の出涸らしと陰口を叩かれ続けた男にとって、母のその発言は憎悪に値するものだった。――事実として、そんな陰口は、男の頭の中にしか存在しないものであったのだけど。
 そうして男は、呪いをかけた。少しずつ、少しずつ、母の魔力が狂うように。男の魔力は、母や姉ほど強大なものではなかったけれど、特筆すべき特質として、手に触れる全てのものを媒介にできた。
 己の手に触れる、食器に、服に、豪奢な家具に。時には空気そのものにも呪いをかけて、男は母を蝕んだ。
 周囲の全てを魅了できる女王たる母は、身内に彼女を呪うものがいるとは考えなかった。彼女は魔力の制御を狂わせ、生まれ持ったその膨大な魔力に裏切られる形で生を終えた。
 男はそれを喜んだが、胸の内は晴れなかった。それは、男に残った良心の嘆きだったかもしれないし、男が生涯認めないだろう、母への思慕によるものだったかもしれない。だが男は、その曇りを。姉へ矛先を変えるだけの理由にしたのだった。

(……まだ、あの女がいる)

 当たり前のように母の死を嘆き、悲しみ、涙をこぼし。そうして周囲に慰められ、励まされて。当然のこととばかりに王位を継いだ、美しい姉。意識せずとも天性の魅了を振り撒くその瞳を、男は持っていない。その事実を思うだけで、胸は容易く憎しみに凍った。
 姉も、同じ方法で、呪い殺さんとしたものの。次はそう上手くはいかなかった。男を警戒しているのか、それとも何か他の目的があるのか。姉は王城で女王の職務を務めながら、よくよく郊外の別邸へと足を運んでいた。
 それでも、男は、時を待てばよかった。女王の責任がある限り、姉はそう長くは城を空けられない。陰鬱な呪いは少しずつでも蓄積して、やがて彼女の命を脅かすだろう。
 だが、男の前を素通りして、別邸の女王へと喫緊の案件の解を伺いに走る家臣たちが。女王の不在に関わらず、思慕を瞳に映しながら城を美しく保つ下男下女が。――城に戻る度に、他愛無い花などを男に差し出してくる姉が。男を焦らせた。

(留守を預かる礼だと)

 胸に込み上げる憎しみと煩わしさのままに、一思いに捕らえ、閉じ込め、呪い殺してくれようと。別邸に火を放ったその短慮は、いつでも慎重に、陰湿に事を運んできた男の、唯一の失態だった。
 炎を逃れて姿を眩ませた姉は、いつまでも隠れたまま出て来ない。彼女が男を糾弾すれば、一夜にして全てが終わることを知っている男は、国中を隈なく警戒した。共犯と呼べるほど、胸の内の全てを明かして解り合える共謀者は持たなかったが、後ろ暗いところのある貴族のいくらかは、男の味方に付いている。
 だが、この国の真の実力者たちは――男がどのような手を使おうとも、いつまでも靡くことはなかった。

(女王、女王、女王。そればかりだ)

 男が直接、表立って動くことはない。それは、女王の不在に混乱する、為政の場においても同じことだ。無能の王弟殿下と揶揄されようとも、下手を打って悪事の尻尾を出すよりも余程いい。男を素通りしてきた家臣たちが、蒼褪めながら、どうか女王の代行をと。縋ってくることが、気持ちよかった節もなくはない。
 だが、協力者の手を介し介し、極端な搦め手で罪の焦点をぼやけさせるやり方では、そう大掛かりなこともできやしない。姉の動向不明に、一向に味方にならない大貴族たち。男の胸を埋め尽くす焦りは、いよいよ強引な手も辞さないと決意し始めている。
 いくつか打ち始めた、強引な一手の内の一つへの、反応を示すその手紙に目を通して。――男は薄暗い微笑みを浮かべた。

「サリフォード」
「はい、レーヴィン様」

 男が唯一、多少の信を置いている、幼い頃からの老執事に声をかければ。普段と変わらぬ、淡々とした返事がある。
 男の謀に、気付かないほど愚鈍ではなく。それを咎めるほどの忠臣でもない執事にその手紙を渡すと、男は冷ややかに命じた。

「かねてよりお声をかけていたご令嬢が、当家への招待に応じてくれた。滞りのない、もてなしの準備を」

 令嬢のお好きなものを、お好きなだけ用意するように、と。唐突に告げた男へ一つの疑問を呈すこともなく、畏まりました、と。老執事は恭しく腰を折った。
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