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第8部 分かたれる道
4-1今度こそ本物のゴールにたどり着くために
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慌ただしく時は過ぎ去り、九月。まだ、気温は高めだけど、空気がカラっとしてきた。この世界での暦は、まだ夏だけど。だいぶ、秋っぽい陽気になって来た。暑くもなく寒くもなく、観光案内には、最高の時期だった。
早いもので、私が『スカイ・プリンセス』に昇進して、一年が経過した。日々忙しいせいか、あっという間に、時間が過ぎ去ってしまった。でも、何事もなく、平和な日々が続いていた。あと、私の知名度も、だいぶ上がった気がする。
私は今、観光案内の最中で、お客様の希望で〈新南区〉に来ていた。私自身は、滅多に来ない地区だけど。最近は、ここに来る機会も、多くなっている。ひっきりなしに、予約が入っているので、中には〈新南区〉を希望する人もいるからだ。
〈新南区〉と〈南地区〉は、どちらも人の多い地区だけど、違った発展のしかたをしている。〈南地区〉は、デパートやショッピングモールを始め、小売系のお店がメインだ。高級店が多いせいか、人の数の割りには、落ち着いた感じがする。
対して〈新南区〉は、あらゆる娯楽施設が揃っていた。カラオケ・映画館・カジノ・遊園地・各種スポーツ施設。また、世界中の料理が食べられる、とても大きな、飲食街や居酒屋街。有名なスイーツ店や、人気の出店も多い。
とにかく、一日では回り切れないほど、たくさんの娯楽施設が密集している。『娯楽の殿堂』とも言われており、世界中から、観光客が集まっていた。常に賑わっていて〈南地区〉と比べると、ザワザワした感じがする。
案内しているお客様も、その娯楽を満喫するために、観光に来ていた。でも、他のお客様と違って、回っているのは、スポーツ関連の施設が多い。つい先ほども、大型のスポーツジムを、見学してきたばかりだ。
ちなみに、今日のお客様は、顔見知りで、何度も話したことがあった。しかも〈ホワイト・ウイング〉の、古くからの常連さんで、私が入社するよりも、ずっと前から、利用してくださっている。
今は、カフェのテラス席で、三人でお茶を楽しんでいた。一人は、がっちりとした筋肉質の男性。もう一人は、スリムな体系の女性。私が見習い時代『ノア・マラソン』のアドバイスをしてくれた、スポーツが大好きな、キンダース夫妻だ。
いつもは、十月の『スポーツ・フェスタ』の時期に訪れる。でも、今回は、時間ができたので『蒼海祭』を見るために、やってきた。しかも、いつもとは違い、リリーシャさんではなく、私を指名してくれたのだ。
「やっぱり、この季節の観光は、気持ちがいいわ。特に〈グリュンノア〉は、風の心地よさが格別ね」
「そうだね。この風を浴びながら、体を動かすのは、とても爽快だ。いつもより、体が軽く感じるよ」
奥様のキャロラインさんと、ご主人のアランさんは、お茶を飲みながら、楽しそうに話している。二人は、私より、四十歳以上も年上だ。しかし、相変わらず、健康的で、とても若々しく見える。
「今回は『サファイア・カップ』に、参加されるんですよね? お二人なら、優勝も、狙えるんじゃないですか?」
『蒼海祭』の最終日に行われる『サファイア・カップ』は、ローカルなお祭りレースだ。でも、年々人気が増しており、参加者や観戦者も増えている。今年は、参加者の数が、過去最高らしい。
「ただ、記念に参加するだけよ。主人が年甲斐もなく『どうしても、やってみたい』なんて、言うから。勢いで、申し込んじゃったのよね」
「いやー、雑誌で特集を見たら、久々に血が騒いでしまってね。昔は、よくマリン・スポーツも、やっていたから」
「まぁ、年齢制限は、ないみたいだけど。私たちみたいな、おじいちゃん、おばあちゃんなんか、普通は出ないんじゃないの?」
「歳をとったとはいえ、まだまだ、若者には、負けないつもりだよ。日々みっちりと、鍛えているんだから」
アランさんは、グッと、腕に力こぶを作って見せた。物凄く太い腕で、筋肉の盛り上がりも凄い。とても、六十歳とは思えない体つきだ。
「そういえば、風歌ちゃんも、以前『サファイア・カップ』に、参加したのよね? 今回は、出場しないの?」
「君こそ、出場すれば、一位をとれるんじゃないかい?『ノア・グランプリ』で、優勝するぐらいの、実力者なんだから」
「私は、今回は、参加しないんです。毎日、予約がいっぱいですし。観光案内だけで、イベントが、終わっちゃいそうですので」
本音を言えば、参加したいのは山々だ。でも、仕事が忙しいし。あれは、見習いの時だから、参加できたイベントだ。今の私には、立場上、ちょっと厳しい。上位階級になると、参加するイベントも、選ばなければならないのだ。
「それは、残念ね。でも、風歌ちゃん、今では、物凄い人気者だし。イベントに、参加するどころじゃないわよね」
「人気が出るのも、大変だね。仕事も、凄く大変だろうし。行動にも、いろいろ制限があるだろうから。窮屈に、感じていないかい?」
「……そうですね。たまに、見習い時代を、懐かしく感じることもあります。あのころは、物凄く、自由だったので。ただ、今の生活も、とても楽しいですよ。日々充実していますから」
上位階級になってからは、ひたすら、観光案内をするだけの日々だ。イベントには、全然、参加できないし。午後のティータイムはおろか、昼食すら、食べられない日が多い。ただ、これはこれで、楽しい忙しさだ。
「でも、来月の『スポーツ・フェスタ』は、一日だけ、参加する予定です。どうしても、もう一度だけ、やりたいことがあって――」
「もしかして、もう一度『ノア・マラソン』に、出るのかい?」
アランさんは、ティーカップを置くと、静かに尋ねてきた。
「はい。あの結果には、全然、納得がいかなくて。あれから、三年、経ちますけど。今でも、私の中では、終わっていないんです。オマケで、完走にして貰いましたけど。物凄く、悔いの残るレースだったんです……」
本当は、翌年に出たかったんだけど。また、査問会に呼ばれでもしたら、大変だし。昨年は、昇進があって、そのあと忙し過ぎて、それどころではなかった。
「よく分かるわ、その気持ち。もし、私が同じ立場だったら、やっぱり、気になって、しょうがないでしょうね」
「そうだね。足を怪我した状態での完走は、本当に、立派だったけど。選手としては、完全な体調の状態で、正式な結果を残したいからね。自分の実力が、出し切れない時ほど、辛いことはないよ――」
流石は、二人ともスポーツマンだけあって、よく理解してくれている。
「お二人も、そういう経験は、あるんですか?」
「もちろんよ。スポーツに、故障はつきものですもの」
「骨折したり、靭帯を痛めたり。若いころは、色々やったよなぁ」
二人は、懐かしそうに話す。
「でも、怪我だけじゃなくて、メンタルの問題も、大きいわよね」
「あぁ、緊張して失敗したりなんてのは、よくあったよ」
「アランさんでも、緊張されたりするんですか?」
彼は、ガッチリした体系で、とても強そうだ。それに、話し方も、物凄く落ち着いているし、貫禄があるので、緊張する感じには、全く見えない。
「実は彼、物凄くあがり症なのよ。だから、練習では、上手く行っていても、本番で、結構、失敗しちゃうのよね」
「えっ!? そうなんですか?」
「いやー、お恥ずかしい。どうしても、競技直前になると、緊張したり、頭が真っ白になったりして。いくら体を鍛えても、こればかりはね……」
へぇー、意外だなぁ。緊張とは、無縁そうな雰囲気なのに。
「元々器用な性格じゃないからね。一回目は失敗して、二回目以降で、上手く行くことが多いんだ。でも、大事なのは、一発で成功することじゃなくて、失敗したままで、終わりにしないこと。君も、そう思ってるんじゃないのかな?」
「はい。物凄く、諦めの悪い性格ですから。失敗したままじゃ、絶対に終われないです。それに、私も、一発で成功することなんて、滅多にありませんから。滅茶苦茶、不器用なので――」
「あははっ、じゃあ、僕らは、似た者同士かも知れないね。色んな意味で」
「ですね」
私は、微笑みながら答える。やっぱり、以前から感じていたシンパシーは、考え方や性格が、似ているからかもしれない。
「今回は、大丈夫そう? まぁ、以前は、まだ十五歳だったし。体も出来てなくて、若過ぎたのもあるわよね」
「十代は、成長途中だからね。一歳の違いは、大きいよ。十八歳の今なら、行けるんじゃないかな? 体つきを見る限り、しっかり、鍛えているようだし」
二人は、優しい笑顔で、言葉を掛けてくれる。
「以前は、一ヵ月前ぐらいから、練習を始めたんですけど。今回は、年明けから、ずっと、走ってますので。それに、二回目なので、ペース配分も分かりますし。以前よりも、落ち着いて走れると思います」
以前、参加した時は、何から何まで、準備不足だった。練習は、かなり直前からだったし。心の準備も、全くできていなかった。怪我の原因も、そこにあったと思う。
その前回の反省を踏まえ、今年は、一月からトレーニングを開始。九ヶ月間、みっちり鍛えてきたのだ。コースの上空も、何度も飛んでみて、地形の把握やペース配分も、細かく考えている。
「それだけ、しっかりやっていれば、大丈夫ね。今度こそ、納得の行く走りが、出来ると思うわ。頑張ってね」
「形はどうあれ、すでに一度、完走しているんだから。怪我さえしなければ、全く問題ないよ。自信をもって」
二人とも、ニコニコしながら、温かいエールを送ってくれた。
「ありがとうございます。全力で頑張ります」
大先輩に言われると、物凄く安心する。二人とも、スポーツ歴、四十年以上の、大ベテランだもんね。
「一番、大事なのは、失敗を活かすことかな。失敗の経験は、上手く活かせば、最高の武器になるからね。前回の雪辱を晴らす、という訳ではなく。同じ失敗をしないよう、冷静に対処することが、とても大事なんだ」
「最初から最後まで、感情的にならず、ひたすら冷静に。熱くなってしまうと、色んなものが、見えなくなってしまうから。それが、ミスに繋がることが多いんだ」
アランさんは、真剣な目で語る。
「そうね。体を動かして熱くなってくると、感情的になりやすいから。どこまで、クールでいられるかが、問題ね。でも、若いうちって、感情的になりやすいのよ。特に、あなたは、そうだったものね」
「いやー、あははっ。若気の至り、ってやつだね。昔は、考えるより先に、感情で動いていたからなぁ……」
どうやら彼も、私と同じ、即決タイプの性格だったようだ。私も、何でも、感情で動いていたもんね。最近は、流石に、考えて行動するようになったけど。
「本当に、それって重要ですよね。でも、気付くと、感情的になっていて、つい無茶をしちゃうんです。前回の『ノア・マラソン』も、冷静に走っていれば、怪我をせずに、済んだと思うんですけど――」
結果を出すこと、皆に認められること。その強い野心が、感情に火をつけてしまった。でも、あのころは、何一つ持ってなかったし、最下層の見習いだったから。色んな意味で必死で、無茶をせずには、いられなかったのだ。
「無茶をするのは、悪いことではないよ。特に、若いうちはね。でも、大事なのは、冷静に無茶することだよ。しっかり、頭で考え、自分の限界ギリギリに挑戦する。冷静じゃなければ、針の穴に糸を通すような作業は、出来ないからね」
「本当に、その通りだと思います。そう考えると、私は、今まで、凄く運がよかったです。いつも、感情的になって、ギリギリの勝負をして、辛うじてクリアしてましたから……」
思えば、大一番で、私が感情的にならなかった時なんて、なかったんじゃないだろうか? 唯一『ノア・グランプリ』の時だけは、かなり冷静だった気がする。ノーラさんにも、同じことを、言われていたからだ。
「心は熱く、頭はクールに――ですよね?」
「そう、その通り。それが分かっていれば、大丈夫だよ」
アランさんは、満足げに頷く。
「でも、今の風歌ちゃんなら、大丈夫だと思うわよ。以前、会った時に比べて、ずいぶん、大人になったもの」
「えっ、そうですか? 私、ちゃんと、成長できているんでしょうか?」
「えぇ。以前と比べて、物腰が、とても落ち着いているし。もう、立派な大人のレディーね。流石は『スカイ・プリンセス』だわ」
「ありがとうございます。立場に見合った人間になれるよう、日々考えて、行動するようにしていますので。もう、ノリと勢いだけで、自由に行動できる立場では、ありませんから」
最初は、とんでもなく、窮屈に感じていたけど。慣れれば、この生活も悪くない。常に、周りに注目されているので、一日中、身の引き締まる思いだ。仕事中の、緊張感のある、ピリッとした空気は、嫌いじゃない。
「若者が育って行くのを見るのは、とても嬉しいね。どうりで、歳を取るわけだ」
「まったく、その通りね」
二人は、視線を合わせると、くすくすと笑う。
「来月の『スポーツ・フェスタ』の時は、また来るから。『ノア・マラソン』には、しっかり応援に行くよ。気負わずに、頑張って」
「気合を入れて応援するわ。ケガだけは気を付けて、悔いのない走りをしてね」
「はいっ、ありがとうございます。全力で頑張ります!」
この後も、三人で、スポーツの話題で盛り上がった。やっぱり、体育会系の大先輩の話は、物凄く勉強になる。
三年前の『ノア・マラソン』は、私の人生の中でも、一番の大勝負だった。でも、私の中では、まだ、あのレースは、終わっていない。いまだに、ゴールできていないままで、ずっと、引きずり続けている。
だからこそ、ちゃんとゴールして、心に区切りをつけたい。失敗したままにするのは、絶対に嫌だし。結局、私は、どこまで行っても、負けず嫌いなんだと思う。
今度こそ、あのゴールを、気持ちよく走り抜けよう。今より、さらに、上に行くためにも……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『沢山の人に元気や勇気を与えられる人間になりたい』
誰かの為に「元気になりたい」と思えるのはなんと幸せなことでしょう
早いもので、私が『スカイ・プリンセス』に昇進して、一年が経過した。日々忙しいせいか、あっという間に、時間が過ぎ去ってしまった。でも、何事もなく、平和な日々が続いていた。あと、私の知名度も、だいぶ上がった気がする。
私は今、観光案内の最中で、お客様の希望で〈新南区〉に来ていた。私自身は、滅多に来ない地区だけど。最近は、ここに来る機会も、多くなっている。ひっきりなしに、予約が入っているので、中には〈新南区〉を希望する人もいるからだ。
〈新南区〉と〈南地区〉は、どちらも人の多い地区だけど、違った発展のしかたをしている。〈南地区〉は、デパートやショッピングモールを始め、小売系のお店がメインだ。高級店が多いせいか、人の数の割りには、落ち着いた感じがする。
対して〈新南区〉は、あらゆる娯楽施設が揃っていた。カラオケ・映画館・カジノ・遊園地・各種スポーツ施設。また、世界中の料理が食べられる、とても大きな、飲食街や居酒屋街。有名なスイーツ店や、人気の出店も多い。
とにかく、一日では回り切れないほど、たくさんの娯楽施設が密集している。『娯楽の殿堂』とも言われており、世界中から、観光客が集まっていた。常に賑わっていて〈南地区〉と比べると、ザワザワした感じがする。
案内しているお客様も、その娯楽を満喫するために、観光に来ていた。でも、他のお客様と違って、回っているのは、スポーツ関連の施設が多い。つい先ほども、大型のスポーツジムを、見学してきたばかりだ。
ちなみに、今日のお客様は、顔見知りで、何度も話したことがあった。しかも〈ホワイト・ウイング〉の、古くからの常連さんで、私が入社するよりも、ずっと前から、利用してくださっている。
今は、カフェのテラス席で、三人でお茶を楽しんでいた。一人は、がっちりとした筋肉質の男性。もう一人は、スリムな体系の女性。私が見習い時代『ノア・マラソン』のアドバイスをしてくれた、スポーツが大好きな、キンダース夫妻だ。
いつもは、十月の『スポーツ・フェスタ』の時期に訪れる。でも、今回は、時間ができたので『蒼海祭』を見るために、やってきた。しかも、いつもとは違い、リリーシャさんではなく、私を指名してくれたのだ。
「やっぱり、この季節の観光は、気持ちがいいわ。特に〈グリュンノア〉は、風の心地よさが格別ね」
「そうだね。この風を浴びながら、体を動かすのは、とても爽快だ。いつもより、体が軽く感じるよ」
奥様のキャロラインさんと、ご主人のアランさんは、お茶を飲みながら、楽しそうに話している。二人は、私より、四十歳以上も年上だ。しかし、相変わらず、健康的で、とても若々しく見える。
「今回は『サファイア・カップ』に、参加されるんですよね? お二人なら、優勝も、狙えるんじゃないですか?」
『蒼海祭』の最終日に行われる『サファイア・カップ』は、ローカルなお祭りレースだ。でも、年々人気が増しており、参加者や観戦者も増えている。今年は、参加者の数が、過去最高らしい。
「ただ、記念に参加するだけよ。主人が年甲斐もなく『どうしても、やってみたい』なんて、言うから。勢いで、申し込んじゃったのよね」
「いやー、雑誌で特集を見たら、久々に血が騒いでしまってね。昔は、よくマリン・スポーツも、やっていたから」
「まぁ、年齢制限は、ないみたいだけど。私たちみたいな、おじいちゃん、おばあちゃんなんか、普通は出ないんじゃないの?」
「歳をとったとはいえ、まだまだ、若者には、負けないつもりだよ。日々みっちりと、鍛えているんだから」
アランさんは、グッと、腕に力こぶを作って見せた。物凄く太い腕で、筋肉の盛り上がりも凄い。とても、六十歳とは思えない体つきだ。
「そういえば、風歌ちゃんも、以前『サファイア・カップ』に、参加したのよね? 今回は、出場しないの?」
「君こそ、出場すれば、一位をとれるんじゃないかい?『ノア・グランプリ』で、優勝するぐらいの、実力者なんだから」
「私は、今回は、参加しないんです。毎日、予約がいっぱいですし。観光案内だけで、イベントが、終わっちゃいそうですので」
本音を言えば、参加したいのは山々だ。でも、仕事が忙しいし。あれは、見習いの時だから、参加できたイベントだ。今の私には、立場上、ちょっと厳しい。上位階級になると、参加するイベントも、選ばなければならないのだ。
「それは、残念ね。でも、風歌ちゃん、今では、物凄い人気者だし。イベントに、参加するどころじゃないわよね」
「人気が出るのも、大変だね。仕事も、凄く大変だろうし。行動にも、いろいろ制限があるだろうから。窮屈に、感じていないかい?」
「……そうですね。たまに、見習い時代を、懐かしく感じることもあります。あのころは、物凄く、自由だったので。ただ、今の生活も、とても楽しいですよ。日々充実していますから」
上位階級になってからは、ひたすら、観光案内をするだけの日々だ。イベントには、全然、参加できないし。午後のティータイムはおろか、昼食すら、食べられない日が多い。ただ、これはこれで、楽しい忙しさだ。
「でも、来月の『スポーツ・フェスタ』は、一日だけ、参加する予定です。どうしても、もう一度だけ、やりたいことがあって――」
「もしかして、もう一度『ノア・マラソン』に、出るのかい?」
アランさんは、ティーカップを置くと、静かに尋ねてきた。
「はい。あの結果には、全然、納得がいかなくて。あれから、三年、経ちますけど。今でも、私の中では、終わっていないんです。オマケで、完走にして貰いましたけど。物凄く、悔いの残るレースだったんです……」
本当は、翌年に出たかったんだけど。また、査問会に呼ばれでもしたら、大変だし。昨年は、昇進があって、そのあと忙し過ぎて、それどころではなかった。
「よく分かるわ、その気持ち。もし、私が同じ立場だったら、やっぱり、気になって、しょうがないでしょうね」
「そうだね。足を怪我した状態での完走は、本当に、立派だったけど。選手としては、完全な体調の状態で、正式な結果を残したいからね。自分の実力が、出し切れない時ほど、辛いことはないよ――」
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「お二人も、そういう経験は、あるんですか?」
「もちろんよ。スポーツに、故障はつきものですもの」
「骨折したり、靭帯を痛めたり。若いころは、色々やったよなぁ」
二人は、懐かしそうに話す。
「でも、怪我だけじゃなくて、メンタルの問題も、大きいわよね」
「あぁ、緊張して失敗したりなんてのは、よくあったよ」
「アランさんでも、緊張されたりするんですか?」
彼は、ガッチリした体系で、とても強そうだ。それに、話し方も、物凄く落ち着いているし、貫禄があるので、緊張する感じには、全く見えない。
「実は彼、物凄くあがり症なのよ。だから、練習では、上手く行っていても、本番で、結構、失敗しちゃうのよね」
「えっ!? そうなんですか?」
「いやー、お恥ずかしい。どうしても、競技直前になると、緊張したり、頭が真っ白になったりして。いくら体を鍛えても、こればかりはね……」
へぇー、意外だなぁ。緊張とは、無縁そうな雰囲気なのに。
「元々器用な性格じゃないからね。一回目は失敗して、二回目以降で、上手く行くことが多いんだ。でも、大事なのは、一発で成功することじゃなくて、失敗したままで、終わりにしないこと。君も、そう思ってるんじゃないのかな?」
「はい。物凄く、諦めの悪い性格ですから。失敗したままじゃ、絶対に終われないです。それに、私も、一発で成功することなんて、滅多にありませんから。滅茶苦茶、不器用なので――」
「あははっ、じゃあ、僕らは、似た者同士かも知れないね。色んな意味で」
「ですね」
私は、微笑みながら答える。やっぱり、以前から感じていたシンパシーは、考え方や性格が、似ているからかもしれない。
「今回は、大丈夫そう? まぁ、以前は、まだ十五歳だったし。体も出来てなくて、若過ぎたのもあるわよね」
「十代は、成長途中だからね。一歳の違いは、大きいよ。十八歳の今なら、行けるんじゃないかな? 体つきを見る限り、しっかり、鍛えているようだし」
二人は、優しい笑顔で、言葉を掛けてくれる。
「以前は、一ヵ月前ぐらいから、練習を始めたんですけど。今回は、年明けから、ずっと、走ってますので。それに、二回目なので、ペース配分も分かりますし。以前よりも、落ち着いて走れると思います」
以前、参加した時は、何から何まで、準備不足だった。練習は、かなり直前からだったし。心の準備も、全くできていなかった。怪我の原因も、そこにあったと思う。
その前回の反省を踏まえ、今年は、一月からトレーニングを開始。九ヶ月間、みっちり鍛えてきたのだ。コースの上空も、何度も飛んでみて、地形の把握やペース配分も、細かく考えている。
「それだけ、しっかりやっていれば、大丈夫ね。今度こそ、納得の行く走りが、出来ると思うわ。頑張ってね」
「形はどうあれ、すでに一度、完走しているんだから。怪我さえしなければ、全く問題ないよ。自信をもって」
二人とも、ニコニコしながら、温かいエールを送ってくれた。
「ありがとうございます。全力で頑張ります」
大先輩に言われると、物凄く安心する。二人とも、スポーツ歴、四十年以上の、大ベテランだもんね。
「一番、大事なのは、失敗を活かすことかな。失敗の経験は、上手く活かせば、最高の武器になるからね。前回の雪辱を晴らす、という訳ではなく。同じ失敗をしないよう、冷静に対処することが、とても大事なんだ」
「最初から最後まで、感情的にならず、ひたすら冷静に。熱くなってしまうと、色んなものが、見えなくなってしまうから。それが、ミスに繋がることが多いんだ」
アランさんは、真剣な目で語る。
「そうね。体を動かして熱くなってくると、感情的になりやすいから。どこまで、クールでいられるかが、問題ね。でも、若いうちって、感情的になりやすいのよ。特に、あなたは、そうだったものね」
「いやー、あははっ。若気の至り、ってやつだね。昔は、考えるより先に、感情で動いていたからなぁ……」
どうやら彼も、私と同じ、即決タイプの性格だったようだ。私も、何でも、感情で動いていたもんね。最近は、流石に、考えて行動するようになったけど。
「本当に、それって重要ですよね。でも、気付くと、感情的になっていて、つい無茶をしちゃうんです。前回の『ノア・マラソン』も、冷静に走っていれば、怪我をせずに、済んだと思うんですけど――」
結果を出すこと、皆に認められること。その強い野心が、感情に火をつけてしまった。でも、あのころは、何一つ持ってなかったし、最下層の見習いだったから。色んな意味で必死で、無茶をせずには、いられなかったのだ。
「無茶をするのは、悪いことではないよ。特に、若いうちはね。でも、大事なのは、冷静に無茶することだよ。しっかり、頭で考え、自分の限界ギリギリに挑戦する。冷静じゃなければ、針の穴に糸を通すような作業は、出来ないからね」
「本当に、その通りだと思います。そう考えると、私は、今まで、凄く運がよかったです。いつも、感情的になって、ギリギリの勝負をして、辛うじてクリアしてましたから……」
思えば、大一番で、私が感情的にならなかった時なんて、なかったんじゃないだろうか? 唯一『ノア・グランプリ』の時だけは、かなり冷静だった気がする。ノーラさんにも、同じことを、言われていたからだ。
「心は熱く、頭はクールに――ですよね?」
「そう、その通り。それが分かっていれば、大丈夫だよ」
アランさんは、満足げに頷く。
「でも、今の風歌ちゃんなら、大丈夫だと思うわよ。以前、会った時に比べて、ずいぶん、大人になったもの」
「えっ、そうですか? 私、ちゃんと、成長できているんでしょうか?」
「えぇ。以前と比べて、物腰が、とても落ち着いているし。もう、立派な大人のレディーね。流石は『スカイ・プリンセス』だわ」
「ありがとうございます。立場に見合った人間になれるよう、日々考えて、行動するようにしていますので。もう、ノリと勢いだけで、自由に行動できる立場では、ありませんから」
最初は、とんでもなく、窮屈に感じていたけど。慣れれば、この生活も悪くない。常に、周りに注目されているので、一日中、身の引き締まる思いだ。仕事中の、緊張感のある、ピリッとした空気は、嫌いじゃない。
「若者が育って行くのを見るのは、とても嬉しいね。どうりで、歳を取るわけだ」
「まったく、その通りね」
二人は、視線を合わせると、くすくすと笑う。
「来月の『スポーツ・フェスタ』の時は、また来るから。『ノア・マラソン』には、しっかり応援に行くよ。気負わずに、頑張って」
「気合を入れて応援するわ。ケガだけは気を付けて、悔いのない走りをしてね」
「はいっ、ありがとうございます。全力で頑張ります!」
この後も、三人で、スポーツの話題で盛り上がった。やっぱり、体育会系の大先輩の話は、物凄く勉強になる。
三年前の『ノア・マラソン』は、私の人生の中でも、一番の大勝負だった。でも、私の中では、まだ、あのレースは、終わっていない。いまだに、ゴールできていないままで、ずっと、引きずり続けている。
だからこそ、ちゃんとゴールして、心に区切りをつけたい。失敗したままにするのは、絶対に嫌だし。結局、私は、どこまで行っても、負けず嫌いなんだと思う。
今度こそ、あのゴールを、気持ちよく走り抜けよう。今より、さらに、上に行くためにも……。
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次回――
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誰かの為に「元気になりたい」と思えるのはなんと幸せなことでしょう
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