310 / 363
第8部 分かたれる道
4-2沢山の人に元気や勇気を与えられる人間になりたい
しおりを挟む
夜、静まり返った物置部屋で。私は、背の低い折り畳みテーブルの前に、座布団を敷き、正座していた。マギコンを操作しながら、目の前には、複数の空中モニターが表示されている。夜の日課の、お勉強タイムだ。
ちなみに、この物置部屋は、今住んでいる家の、二階の隅にある。大きな部屋が、いくつもある中、唯一、こじんまりした空間だ。狭い場所のほうが、落ちつくので、いつも、ここで勉強している。
寝室は、物凄く大きいし。リビングも、滅茶苦茶、広くて快適なんだけど。私は、一人で広いところにいると、寂しくなってくる。
あと、ふかふか過ぎるソファーや、豪華な調度品は、どうも落ちつかない。なので、一人の時は、最も狭い物置部屋で、過ごすことが多かった。
広い部屋が、たくさんあるのに、何かおかしいけど。でも、狭いところのほうが、落ち着くんだよね。あと、床に座るのが好きだから、背の低いテーブルと座布団の組み合わせが、一番のお気に入りだ。
今、勉強しているのは、新店のチェックと、新しいニュースについて。昇級試験は、もうないけど。上位階級としての、立場と責任があるので、以前にもまして、勉強に熱が入っている。ある意味、日々の接客が、試験のような感じだ。
みんな、上位階級のシルフィードの、最高の接客を期待して来ている。だからこそ、お客様の期待を、はるかに上回る、ハイレベルな対応が必要だ。そのためには、やれることは、何でもやらなければならない。
各種情報をチェックしていると、マギコンから、メッセージの着信音が鳴った。この時間は、間違いなくユメちゃんだ。私は、急いでELを開いて、返信する。
『風ちゃん、こんばんはー。元気してるー?』
『うん。元気元気、超元気!』
いつもと変わらない、このやり取りで、物凄くホッとする。なぜなら、ここ最近、私に気楽に接してくれる人が、少ないからだ。
『勉強中だった?』
『うん。物置部屋にこもって、ボチボチやってた』
『大きな家なのに、なんで、そんな所にいるの?』
『いやー、なんて言うか、あまり広すぎると、落ち着かないんだよねぇ。特に、リビングとか、広すぎて……』
ちなみに、リビングには、何人も座れる大きなソファーが、何組も置いてある。凄くふかふかだし、いかにも高級そうな見た目だ。でも、居心地が悪くて、一人でいる時は、すみに、ちょこんと座っている。
『あんなに、オシャレで、いいリビングなのに? しかも、目の前に、海が見えるなんて、最高の立地じゃない?』
『んー、景色は、確かにいいんだけどね。でも、一人だと、凄く寂しいんだ。特に、ガランとした部屋で、一人で見る夜の海って、虚しくなってくるんだよね――』
『ふーん。じゃあ、風ちゃんの家、遊びに行ってもいい?』
『もちろん、OKだよ。部屋、余ってるから、泊まって行ってもいいし』
一部屋あれば、十分なんだけど。寝室も複数あるし、応接室やティールームまである。地下には、バー・カウンターや、ビリヤード台なども置いてあった。どう考えても、一人用の家じゃないし。リゾートで使う、別荘のような感じだ。
『やったー! じゃあ、パジャマ・パーティーやろうよ! 差し入れ、いっぱい持ってくね』
『ありがとう。でも、そんなに、気を遣わなくていいからね。こないだのは、流石に、多過ぎたから……』
新居祝いの時は、あまりにも、プレゼントが多すぎて。リチャードさんが、何度も往復して、せっせと運んでくれていた。
高価そうな、ティーカップセットや食器類。各種アメニティーグッズ。大量のお菓子や、高級缶詰など。あと、有名ブランドの、化粧品のセットなどもあったけど。私は、化粧をしないから、全く使わないんだよね。
ただ、あの量を見れば、ユメちゃんが、どれだけ本気で祝福してくれたかが、よく分かる。間違いなく、そうとうな金額が、掛かってるはずだ。
『だって、新居祝いだよ。あれが、普通じゃないの?』
『うーん、どうなんだろ? 私は、初めてだから、よく分からないけど』
『向こうの世界は、こういうの、やらないの?』
『一応、やるけど。引っ越し祝いや新築祝いは、あくまで、気持ちだから。あげても、一品だね。こんなに、大量にはしないよ』
『ふーん、そうなんだ』
『それに、高価なものも多かったし、ビックリだよ。ユメちゃんのも、高そうなのが、多かったけど。ちなみに、おいくらぐらいだったの――?』
こういうのを訊くのは、失礼かもしれないけど。でも、今度は、私があげる立場になった時のために、知っておく必要がある。
『うーん、今回は、全部、親が出してくれたし。詳しくは、知らないんだけど。たぶん、百数十万ベルぐらい……?』
『えぇっ、百数十万っ?!』
『食器類は、お母さんが、好きなブランドの選んでたし。ティーカップ・セットが、三、四十万ベルとかじゃない?』
『ちょっ――?! そんな高価なもの、本当に、もらっていいの?』
高そうだとは思ってたけど、流石に、そこまでとは、思っていなかった。
『いーの、いーの。大事な新居祝いだし、うちの家族、全員分だから』
『はぁー……何か申し訳ないなぁ。他の人たちからも、滅茶苦茶、たくさん貰ったし。どう、お返ししていいのか――』
『お返しなんて、いらないよ。あげたくて、あげてるんだから。それこそ、気持ちの問題だよ』
『確かに、そうだけどね。でも、いつも、何かもらったり、助けてもらってばかりで、何もお返しできてないから。嬉しい反面、ちょっと、心が痛むんだよね……』
この世界に来てからは、与えられる一方で、お返しが、全く追い付いていない。感謝の気持ちは、常に持ってるんだけど。お返しする前に、どんどん貰っちゃうし。これじゃ、バランスが悪すぎるよね。
『風ちゃんって、結構、そういう細かいこと、気にするよね?』
『そうかなぁ? でも、何かしてもらったら、お返しって、気にするものじゃない? ユメちゃんは、そういうのないの?』
『私は、特に気にしないかな。もちろん、ありがたいとは、思うけど。この町は「分け与える」ことが、普通だから。「大地の魔女」の話は、知ってる?』
『うん、ある程度は』
大地の魔女は、四魔女のリーダーで、この〈グリュンノア〉の創始者だ。彼女は、魔女だけではなく『大陸最強の武人』とも言われた、剣の達人でもある。自分には、凄く厳しかったけど、とても情のある人だったらしい。
『彼女は、暮れになると、全ての家を回って、銅貨を一枚ずつ、配っていたんだ。それが、十二月に行われる『大金祭』の起源だね。あと、国のトップだったけど、裕福だった訳じゃないんだ』
『彼女の死後、自宅には、数冊の本と剣しか残ってなくて。私財の全ては、他の人たちにあげちゃって、金品は全く残っていなかったらしいよ。だから「史上最も清貧な執政者」って、言われてるんだ』
自身に厳格な人だとは、聴いていたけど。本当に、自分には、とことん厳しかったようだ。普通、国のトップの人って、そうとう豪華な生活をしてるよね――。
『でも、彼女は、幸せだったみたいだよ。人に与えることに、喜びを感じていたから。この町の人たちが、人に幸せや財を分け与えるのは、彼女の影響だね。彼女の場合は、極端すぎるけど。他の魔女たちも、多くの物を、分け与えていたから』
『この町の人たちは、四魔女の子孫であることに、誇りを持ってるし。与えることに、喜びを感じているから。何かをもらっても、気にする必要はないよ。誰もが、好きでやってるんだもん』
なるほど、そういうことなんだね。どうりで、みんな、よくしてくれる訳だ。子供のころから『与えるのが当り前』という考え方が、自然に身についているのだろう。
『本当に、素敵な習慣だね。世界中の人が、そんな考えになったら。きっと、素晴らしい世界に、なるだろうねぇ』
『それに、奪うよりも、与えるほうが、はるかに効率的だと思うよ。みんなで、与え合っていれば、絶対に、争いが起こらないもん。歴史上の戦争って、全ては、奪い合いが発端だから』
確かに、ユメちゃんの言う通りだ。戦争まで至らなくても、普段の生活の中でも、常に、利益や物の奪い合いはある。
でも、この町の人たちは、全く違う。みんな、とても大らかで、手放しに、色んなものを与えてくれる。四魔女の思想が、今でも、深く根付いている証拠だ。
『理屈では、分かるんだけどね。向こうの世界では、こういう習慣は、なかったから。色々して貰っちゃうと、やっぱり、気になっちゃうんだよね』
『まぁ、この町が、特別なだけだからね。この世界の全てで、与える習慣が、ある訳じゃないし。でも、風ちゃんも、周りの人に、色々与えてるでしょ?』
『えっ? ほとんど、何もお返しできてないし。贈り物も、あまり、したことないけど……』
ちょっとした、差し入れぐらいは、するけど。あまり、本格的な贈り物は、したことがない。
『与えるって、物だけじゃないよ。風ちゃんは、いつも、元気や勇気を、沢山の人に与えてるじゃない』
『えーっと――そう?』
『精神的なものって、お金で、どうにかなるもんじゃないし。誰もが、できる訳じゃないから。物をあげるより、はるかに、価値があると思うよ。そもそも、風ちゃんの知名度が、一気に上がったのって「ノア・マラソン」の時だったでしょ?』
『あー、アレね。自分的には、黒歴史だったんだけど……』
やってくるお客様の多くが『ノア・マラソンで知った』と、口にする。MVが、全世界放送だったし。スピの動画が、滅茶苦茶、拡散した影響だと思う。
『何言ってるの? 世界中の人に、勇気を与えたじゃない。見ていた人、全てに与えたとしたら。数百万、いや、数千万人に、与えたことになるんだよ。もらった分以上に、与えてるじゃん』
『私だって、風ちゃんから、いっぱい元気や勇気をもらったし。新居祝いのお返しじゃ、足りないぐらいだよ。きっと、他の人たちも、同じ気持ちだと思う。風ちゃんは、これからも、物じゃなくて、精神的なものを、与えていけばいいじゃん』
『なるほど。それなら、できるかも』
物を物で返すことばかりに、とらわれ過ぎていたのかもしれない。そもそも、元気や幸せを、たくさんの人に与えるのは、私のポリシーにも、シルフィードの理念にも、ピッタリだと思う。
『私、ユメちゃんにも、ちゃんと、与えられてるかな?』
『当り前だよ。毎晩、こうやって、元気もらってるし。そもそも、風ちゃんの存在自体が、生き甲斐だもん』
『それは、流石に、大げさすぎじゃない――?』
『そんなとないよ。ファンは、推しが頑張ってるだけで、超幸せなんだから。私が「ファン一号」だって、忘れてない?』
『もちろん、覚えてるよ。見習い時代、ファンは、ユメちゃん、一人しかいなかったし。私の一番の理解者だもん』
最初は、冗談で言っているかと思った。でも、ユメちゃんは、本物の私のファンだ。しかも、かなり熱狂的な……。
『最近は、風ちゃんのファンも、かなり増えて来たけど。世界一のファンは、絶対に私だからね。これからも、全力で応援するよ』
『ありがとう。ユメちゃんが、ファンでいてくれる限り、安泰だね』
予約が、たくさん入っている今でも、しっかり、ユメちゃんの予約が、定期的に入っている。
『あ、そうそう。今年の「ノア・マラソン」は、出場することにしたから。申し込みも、済ませてあるし』
『おぉー、本当に?! でも、超忙しいのに、大丈夫? ブランクもあるでしょ?』
『ずっと前から「今年は出る」って、決めてたから。年明けから、ずっとトレーニングしてたんだ。早朝のランニングや、休日のトレーニング。あと、ジムにも通ってるし』
ただ、やみくもにやるのではなく、ジムでプロのトレーナーから、本格的な指導も受けている。『ノア・グランプリ』の時に、プロの指導の重要性が、よく分かったからだ。なので、ロード・ワークについても、トレーナーと相談して決めている。
『へぇー、凄く本確的にやってるね。でも、私そんな話、全然、聴いてないよ』
『ごめんね。別に、隠してた訳じゃなくて。正直、結構、迷ってたんだ。立場が立場だし。あの時のケガの記憶も、まだ残ってるから――』
『上位階級になると、行動に制限が多いもんね。それに、怪我の恐怖が、ずっと尾を引くのは、私も、痛いほどよく分かるよ……』
ユメちゃんは、一歩、間違えば、命を落とすほどの大怪我だったので、当然だ。私の場合は、そこまで、酷くなかったけど。それでも、査問会なんかもあったし。恐怖心を抱くには、十分すぎる、重い記憶だった。
『でも、ユメちゃんと話して、スッキリしたよ。私、今回は、世界中の人のために、走ろうと思う。少しでも、元気や勇気を、与えてあげられるように』
『凄くいいね! それでこそ、私の大好きな、風ちゃんだよ。私、超気合いを入れて応援するから。また、私に、大きな夢を見せてよ』
『うん。私も、四魔女に負けないように、頑張って、希望の光になるよ。私が目指すのは「幸運の使者」だもん』
私は、元々この世界とは、全く無縁の異世界人だ。でも、以前、リリーシャさんが言っていた。シルフィードはみんな、四魔女の子孫のようなものだと。だから、私も、与えることの意志を、継いでいこう。
それに、私の特技なんて、運動ぐらいだし。走ることで、人を幸せにできるなら、人生の全てを懸けてもいいと思う。私だって、この町の一員なんだから。体を張って、全力で与えるためだけの走りをしよう……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『走ると人生の色んなことが見えて来る』
人生は壁の隙間から白馬が走る姿を見るようなものだ
ちなみに、この物置部屋は、今住んでいる家の、二階の隅にある。大きな部屋が、いくつもある中、唯一、こじんまりした空間だ。狭い場所のほうが、落ちつくので、いつも、ここで勉強している。
寝室は、物凄く大きいし。リビングも、滅茶苦茶、広くて快適なんだけど。私は、一人で広いところにいると、寂しくなってくる。
あと、ふかふか過ぎるソファーや、豪華な調度品は、どうも落ちつかない。なので、一人の時は、最も狭い物置部屋で、過ごすことが多かった。
広い部屋が、たくさんあるのに、何かおかしいけど。でも、狭いところのほうが、落ち着くんだよね。あと、床に座るのが好きだから、背の低いテーブルと座布団の組み合わせが、一番のお気に入りだ。
今、勉強しているのは、新店のチェックと、新しいニュースについて。昇級試験は、もうないけど。上位階級としての、立場と責任があるので、以前にもまして、勉強に熱が入っている。ある意味、日々の接客が、試験のような感じだ。
みんな、上位階級のシルフィードの、最高の接客を期待して来ている。だからこそ、お客様の期待を、はるかに上回る、ハイレベルな対応が必要だ。そのためには、やれることは、何でもやらなければならない。
各種情報をチェックしていると、マギコンから、メッセージの着信音が鳴った。この時間は、間違いなくユメちゃんだ。私は、急いでELを開いて、返信する。
『風ちゃん、こんばんはー。元気してるー?』
『うん。元気元気、超元気!』
いつもと変わらない、このやり取りで、物凄くホッとする。なぜなら、ここ最近、私に気楽に接してくれる人が、少ないからだ。
『勉強中だった?』
『うん。物置部屋にこもって、ボチボチやってた』
『大きな家なのに、なんで、そんな所にいるの?』
『いやー、なんて言うか、あまり広すぎると、落ち着かないんだよねぇ。特に、リビングとか、広すぎて……』
ちなみに、リビングには、何人も座れる大きなソファーが、何組も置いてある。凄くふかふかだし、いかにも高級そうな見た目だ。でも、居心地が悪くて、一人でいる時は、すみに、ちょこんと座っている。
『あんなに、オシャレで、いいリビングなのに? しかも、目の前に、海が見えるなんて、最高の立地じゃない?』
『んー、景色は、確かにいいんだけどね。でも、一人だと、凄く寂しいんだ。特に、ガランとした部屋で、一人で見る夜の海って、虚しくなってくるんだよね――』
『ふーん。じゃあ、風ちゃんの家、遊びに行ってもいい?』
『もちろん、OKだよ。部屋、余ってるから、泊まって行ってもいいし』
一部屋あれば、十分なんだけど。寝室も複数あるし、応接室やティールームまである。地下には、バー・カウンターや、ビリヤード台なども置いてあった。どう考えても、一人用の家じゃないし。リゾートで使う、別荘のような感じだ。
『やったー! じゃあ、パジャマ・パーティーやろうよ! 差し入れ、いっぱい持ってくね』
『ありがとう。でも、そんなに、気を遣わなくていいからね。こないだのは、流石に、多過ぎたから……』
新居祝いの時は、あまりにも、プレゼントが多すぎて。リチャードさんが、何度も往復して、せっせと運んでくれていた。
高価そうな、ティーカップセットや食器類。各種アメニティーグッズ。大量のお菓子や、高級缶詰など。あと、有名ブランドの、化粧品のセットなどもあったけど。私は、化粧をしないから、全く使わないんだよね。
ただ、あの量を見れば、ユメちゃんが、どれだけ本気で祝福してくれたかが、よく分かる。間違いなく、そうとうな金額が、掛かってるはずだ。
『だって、新居祝いだよ。あれが、普通じゃないの?』
『うーん、どうなんだろ? 私は、初めてだから、よく分からないけど』
『向こうの世界は、こういうの、やらないの?』
『一応、やるけど。引っ越し祝いや新築祝いは、あくまで、気持ちだから。あげても、一品だね。こんなに、大量にはしないよ』
『ふーん、そうなんだ』
『それに、高価なものも多かったし、ビックリだよ。ユメちゃんのも、高そうなのが、多かったけど。ちなみに、おいくらぐらいだったの――?』
こういうのを訊くのは、失礼かもしれないけど。でも、今度は、私があげる立場になった時のために、知っておく必要がある。
『うーん、今回は、全部、親が出してくれたし。詳しくは、知らないんだけど。たぶん、百数十万ベルぐらい……?』
『えぇっ、百数十万っ?!』
『食器類は、お母さんが、好きなブランドの選んでたし。ティーカップ・セットが、三、四十万ベルとかじゃない?』
『ちょっ――?! そんな高価なもの、本当に、もらっていいの?』
高そうだとは思ってたけど、流石に、そこまでとは、思っていなかった。
『いーの、いーの。大事な新居祝いだし、うちの家族、全員分だから』
『はぁー……何か申し訳ないなぁ。他の人たちからも、滅茶苦茶、たくさん貰ったし。どう、お返ししていいのか――』
『お返しなんて、いらないよ。あげたくて、あげてるんだから。それこそ、気持ちの問題だよ』
『確かに、そうだけどね。でも、いつも、何かもらったり、助けてもらってばかりで、何もお返しできてないから。嬉しい反面、ちょっと、心が痛むんだよね……』
この世界に来てからは、与えられる一方で、お返しが、全く追い付いていない。感謝の気持ちは、常に持ってるんだけど。お返しする前に、どんどん貰っちゃうし。これじゃ、バランスが悪すぎるよね。
『風ちゃんって、結構、そういう細かいこと、気にするよね?』
『そうかなぁ? でも、何かしてもらったら、お返しって、気にするものじゃない? ユメちゃんは、そういうのないの?』
『私は、特に気にしないかな。もちろん、ありがたいとは、思うけど。この町は「分け与える」ことが、普通だから。「大地の魔女」の話は、知ってる?』
『うん、ある程度は』
大地の魔女は、四魔女のリーダーで、この〈グリュンノア〉の創始者だ。彼女は、魔女だけではなく『大陸最強の武人』とも言われた、剣の達人でもある。自分には、凄く厳しかったけど、とても情のある人だったらしい。
『彼女は、暮れになると、全ての家を回って、銅貨を一枚ずつ、配っていたんだ。それが、十二月に行われる『大金祭』の起源だね。あと、国のトップだったけど、裕福だった訳じゃないんだ』
『彼女の死後、自宅には、数冊の本と剣しか残ってなくて。私財の全ては、他の人たちにあげちゃって、金品は全く残っていなかったらしいよ。だから「史上最も清貧な執政者」って、言われてるんだ』
自身に厳格な人だとは、聴いていたけど。本当に、自分には、とことん厳しかったようだ。普通、国のトップの人って、そうとう豪華な生活をしてるよね――。
『でも、彼女は、幸せだったみたいだよ。人に与えることに、喜びを感じていたから。この町の人たちが、人に幸せや財を分け与えるのは、彼女の影響だね。彼女の場合は、極端すぎるけど。他の魔女たちも、多くの物を、分け与えていたから』
『この町の人たちは、四魔女の子孫であることに、誇りを持ってるし。与えることに、喜びを感じているから。何かをもらっても、気にする必要はないよ。誰もが、好きでやってるんだもん』
なるほど、そういうことなんだね。どうりで、みんな、よくしてくれる訳だ。子供のころから『与えるのが当り前』という考え方が、自然に身についているのだろう。
『本当に、素敵な習慣だね。世界中の人が、そんな考えになったら。きっと、素晴らしい世界に、なるだろうねぇ』
『それに、奪うよりも、与えるほうが、はるかに効率的だと思うよ。みんなで、与え合っていれば、絶対に、争いが起こらないもん。歴史上の戦争って、全ては、奪い合いが発端だから』
確かに、ユメちゃんの言う通りだ。戦争まで至らなくても、普段の生活の中でも、常に、利益や物の奪い合いはある。
でも、この町の人たちは、全く違う。みんな、とても大らかで、手放しに、色んなものを与えてくれる。四魔女の思想が、今でも、深く根付いている証拠だ。
『理屈では、分かるんだけどね。向こうの世界では、こういう習慣は、なかったから。色々して貰っちゃうと、やっぱり、気になっちゃうんだよね』
『まぁ、この町が、特別なだけだからね。この世界の全てで、与える習慣が、ある訳じゃないし。でも、風ちゃんも、周りの人に、色々与えてるでしょ?』
『えっ? ほとんど、何もお返しできてないし。贈り物も、あまり、したことないけど……』
ちょっとした、差し入れぐらいは、するけど。あまり、本格的な贈り物は、したことがない。
『与えるって、物だけじゃないよ。風ちゃんは、いつも、元気や勇気を、沢山の人に与えてるじゃない』
『えーっと――そう?』
『精神的なものって、お金で、どうにかなるもんじゃないし。誰もが、できる訳じゃないから。物をあげるより、はるかに、価値があると思うよ。そもそも、風ちゃんの知名度が、一気に上がったのって「ノア・マラソン」の時だったでしょ?』
『あー、アレね。自分的には、黒歴史だったんだけど……』
やってくるお客様の多くが『ノア・マラソンで知った』と、口にする。MVが、全世界放送だったし。スピの動画が、滅茶苦茶、拡散した影響だと思う。
『何言ってるの? 世界中の人に、勇気を与えたじゃない。見ていた人、全てに与えたとしたら。数百万、いや、数千万人に、与えたことになるんだよ。もらった分以上に、与えてるじゃん』
『私だって、風ちゃんから、いっぱい元気や勇気をもらったし。新居祝いのお返しじゃ、足りないぐらいだよ。きっと、他の人たちも、同じ気持ちだと思う。風ちゃんは、これからも、物じゃなくて、精神的なものを、与えていけばいいじゃん』
『なるほど。それなら、できるかも』
物を物で返すことばかりに、とらわれ過ぎていたのかもしれない。そもそも、元気や幸せを、たくさんの人に与えるのは、私のポリシーにも、シルフィードの理念にも、ピッタリだと思う。
『私、ユメちゃんにも、ちゃんと、与えられてるかな?』
『当り前だよ。毎晩、こうやって、元気もらってるし。そもそも、風ちゃんの存在自体が、生き甲斐だもん』
『それは、流石に、大げさすぎじゃない――?』
『そんなとないよ。ファンは、推しが頑張ってるだけで、超幸せなんだから。私が「ファン一号」だって、忘れてない?』
『もちろん、覚えてるよ。見習い時代、ファンは、ユメちゃん、一人しかいなかったし。私の一番の理解者だもん』
最初は、冗談で言っているかと思った。でも、ユメちゃんは、本物の私のファンだ。しかも、かなり熱狂的な……。
『最近は、風ちゃんのファンも、かなり増えて来たけど。世界一のファンは、絶対に私だからね。これからも、全力で応援するよ』
『ありがとう。ユメちゃんが、ファンでいてくれる限り、安泰だね』
予約が、たくさん入っている今でも、しっかり、ユメちゃんの予約が、定期的に入っている。
『あ、そうそう。今年の「ノア・マラソン」は、出場することにしたから。申し込みも、済ませてあるし』
『おぉー、本当に?! でも、超忙しいのに、大丈夫? ブランクもあるでしょ?』
『ずっと前から「今年は出る」って、決めてたから。年明けから、ずっとトレーニングしてたんだ。早朝のランニングや、休日のトレーニング。あと、ジムにも通ってるし』
ただ、やみくもにやるのではなく、ジムでプロのトレーナーから、本格的な指導も受けている。『ノア・グランプリ』の時に、プロの指導の重要性が、よく分かったからだ。なので、ロード・ワークについても、トレーナーと相談して決めている。
『へぇー、凄く本確的にやってるね。でも、私そんな話、全然、聴いてないよ』
『ごめんね。別に、隠してた訳じゃなくて。正直、結構、迷ってたんだ。立場が立場だし。あの時のケガの記憶も、まだ残ってるから――』
『上位階級になると、行動に制限が多いもんね。それに、怪我の恐怖が、ずっと尾を引くのは、私も、痛いほどよく分かるよ……』
ユメちゃんは、一歩、間違えば、命を落とすほどの大怪我だったので、当然だ。私の場合は、そこまで、酷くなかったけど。それでも、査問会なんかもあったし。恐怖心を抱くには、十分すぎる、重い記憶だった。
『でも、ユメちゃんと話して、スッキリしたよ。私、今回は、世界中の人のために、走ろうと思う。少しでも、元気や勇気を、与えてあげられるように』
『凄くいいね! それでこそ、私の大好きな、風ちゃんだよ。私、超気合いを入れて応援するから。また、私に、大きな夢を見せてよ』
『うん。私も、四魔女に負けないように、頑張って、希望の光になるよ。私が目指すのは「幸運の使者」だもん』
私は、元々この世界とは、全く無縁の異世界人だ。でも、以前、リリーシャさんが言っていた。シルフィードはみんな、四魔女の子孫のようなものだと。だから、私も、与えることの意志を、継いでいこう。
それに、私の特技なんて、運動ぐらいだし。走ることで、人を幸せにできるなら、人生の全てを懸けてもいいと思う。私だって、この町の一員なんだから。体を張って、全力で与えるためだけの走りをしよう……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『走ると人生の色んなことが見えて来る』
人生は壁の隙間から白馬が走る姿を見るようなものだ
0
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
【完結】帝国から追放された最強のチーム、リミッター外して無双する
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】
スペイゴール大陸最強の帝国、ユハ帝国。
帝国に仕え、最強の戦力を誇っていたチーム、『デイブレイク』は、突然議会から追放を言い渡される。
しかし帝国は気づいていなかった。彼らの力が帝国を拡大し、恐るべき戦力を誇示していたことに。
自由になった『デイブレイク』のメンバー、エルフのクリス、バランス型のアキラ、強大な魔力を宿すジャック、杖さばきの達人ランラン、絶世の美女シエナは、今まで抑えていた実力を完全開放し、ゼロからユハ帝国を超える国を建国していく。
※この世界では、杖と魔法を使って戦闘を行います。しかし、あの稲妻型の傷を持つメガネの少年のように戦うわけではありません。どうやって戦うのかは、本文を読んでのお楽しみです。杖で戦う戦士のことを、本文では杖士(ブレイカー)と描写しています。
※舞台の雰囲気は中世ヨーロッパ〜近世ヨーロッパに近いです。
〜『デイブレイク』のメンバー紹介〜
・クリス(男・エルフ・570歳)
チームのリーダー。もともとはエルフの貴族の家系だったため、上品で高潔。白く透明感のある肌に、整った顔立ちである。エルフ特有のとがった耳も特徴的。メンバーからも信頼されているが……
・アキラ(男・人間・29歳)
杖術、身体能力、頭脳、魔力など、あらゆる面のバランスが取れたチームの主力。独特なユーモアのセンスがあり、ムードメーカーでもある。唯一の弱点が……
・ジャック(男・人間・34歳)
怪物級の魔力を持つ杖士。その魔力が強大すぎるがゆえに、普段はその魔力を抑え込んでいるため、感情をあまり出さない。チームで唯一の黒人で、ドレッドヘアが特徴的。戦闘で右腕を失って以来義手を装着しているが……
・ランラン(女・人間・25歳)
優れた杖の腕前を持ち、チームを支える杖士。陽気でチャレンジャーな一面もあり、可愛さも武器である。性格の共通点から、アキラと親しく、親友である。しかし実は……
・シエナ(女・人間・28歳)
絶世の美女。とはいっても杖士としての実力も高く、アキラと同じくバランス型である。誰もが羨む美貌をもっているが、本人はあまり自信がないらしく、相手の反応を確認しながら静かに話す。あるメンバーのことが……
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
【完結】婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!
猫石
ファンタジー
「ミズリーシャ・ザナスリー。 公爵の家門を盾に他者を蹂躙し、悪逆非道を尽くしたお前の所業! 決して許してはおけない! よって我がの名の元にお前にはここで婚約破棄を言い渡す! 今後は修道女としてその身を神を捧げ、生涯後悔しながら生きていくがいい!」
無実の罪を着せられた私は、その瞬間に前世の記憶を取り戻した。
色々と足りない王太子殿下と婚約破棄でき、その後の自由も確約されると踏んだ私は、意気揚々と王都のはずれにある小さな修道院へ向かったのだった。
注意⚠️このお話には、妊娠出産、新生児育児のお話がバリバリ出てきます。(訳ありもあります)お嫌いな方は自衛をお願いします!
2023/10/12 作者の気持ち的に、断罪部分を最後の番外にしました。
2023/10/31第16回ファンタジー小説大賞奨励賞頂きました。応援・投票ありがとうございました!
☆このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。
☆作者の趣味嗜好作品です。イラッとしたり、ムカッとしたりした時には、そっと別の素敵な作家さんの作品を検索してお読みください。(自己防衛大事!)
☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。
★小説家になろう様でも公開しています。
いつもの電車を降りたら異世界でした 身ぐるみはがされたので【異世界商店】で何とか生きていきます
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
電車をおりたら普通はホームでしょ、だけど僕はいつもの電車を降りたら異世界に来ていました
第一村人は僕に不親切で持っているものを全部奪われちゃった
服も全部奪われて路地で暮らすしかなくなってしまったけど、親切な人もいて何とか生きていけるようです
レベルのある世界で優遇されたスキルがあることに気づいた僕は何とか生きていきます
貧乏男爵家の四男に転生したが、奴隷として売られてしまった
竹桜
ファンタジー
林業に従事していた主人公は倒木に押し潰されて死んでしまった。
死んだ筈の主人公は異世界に転生したのだ。
貧乏男爵四男に。
転生したのは良いが、奴隷商に売れてしまう。
そんな主人公は何気ない斧を持ち、異世界を生き抜く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる