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第3部 笑顔の裏に隠された真実
1-3いつも笑顔の人ほど深い悲しみを抱えているのかもしれない
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私は〈天使広場〉の、ベンチに座っていた。かなり情緒不安定になって、頭の中はぐちゃぐちゃになり、激しく混乱していた。胸が苦しくなり、一時は、呼吸さえ、ままならなくなった。
元々感情の起伏は激しいほうだけど、ここまで取り乱したのは、生まれて初めてだ。感情や思考だけでなく、体までコントロール不能になって、自分でも物凄く驚いている。
ツバサさんのお蔭で、だいぶ落ちついてきた。けれど、今はベンチに座り、完全に無気力の状態だった。落ちついたというよりも、驚き疲れたのかもしれない。物凄く動揺したせいで、心身ともに、ぐったりしてしまった。
「おまたせ、風歌ちゃん。これ飲んで落ちついて」
渡されたのは、冷たいハーブティーだった。
「ありがとうございます……」
手に氷の冷たさが、ひんやりと伝わって来る。
本当なら、後輩の私が、買いに行かなきゃいけないのに。ツバサさんには、ずいぶんと気を遣わせてしまった。先ほどから、ずっと優しく声を掛けてくれている。
はぁー……。
私は心の中で、大きなため息をついた。
自分から、話を聴かせて欲しいと、言っておきながら、この体たらく。どんな話でも、受け止める覚悟はあったはずなのに。実際には、全然、受け止めきれていない。
しかも、せっかくの休憩中だった、他社の先輩にまで、迷惑を掛けてしまった。本当に、何もかもが、最悪だ。
はぁぁーー……。
再び、心の中で大きなため息をつく。
「大丈夫? 風歌ちゃん」
「はい、だいぶ落ちつきました。なんか、お恥ずかしいところをお見せして、本当にすいませんでした」
本当に恥ずかしい。リリーシャさんにだって、こんな、うろたえた姿を、見せたことないのに――。
「気にしないで。僕だって、アリーシャさんの事故を知った時は、心臓が止まりそうになるぐらい驚いて、滅茶苦茶、動揺したから」
ツバサさんは、優しい笑顔を向けて来る。
「ツバサさんでも、動揺したりとかって、あるんですね?」
「僕を何だと思っているんだい? 機械じゃないんだから、驚いたり悲しんだりは、普通にするよ。ただ、泣くのだけはね、我慢したんだ。一番、悲しかった人は、他にいるから」
彼女は、微笑みながら答える。
ツバサさんって、いい意味で軽い性格で。全然、動じたりとか、しなさそうな感じだから。でも、大事な人を失って、心が動かない人が、いるわけないよね。
「リリーシャさん、ですよね……?」
「きっとリリーは、僕の百倍は悲しかったと思うよ。アリーシャさんは、リリーの憧れだったから。シルフィードとして、一人の女性として、母親として。リリーは、本当にアリーシャさんが大好きで、物凄い母親っ子だったから」
私ですら、物凄くショックを受けたのだから。リリーシャさんの受けた、衝撃と悲しみは、どれ程のものだったのだろうか? 私には、想像もつかない。
でも、アリーシャさんに対する、大きな憧れの気持ちは、物凄くよく分かる。なぜなら、私がリリーシャさんに抱いている気持ちと、全く同じだからだ。
ツバサさんの話を聴いて、ようやく全てがつながった。〈ホワイト・ウイング〉で働き始めて、数ヶ月。その間に、過去やアリーシャさんの話題に、ほとんど触れなかった理由。
また、リリーシャさんが、時おり見せる、物憂げな表情。笑顔の中に、ほんの僅かに、影が掛かっていたこと。今考えると、色々思いあたる節があった。
「私、全然、気付きませんでした。リリーシャさんは、いつも素敵な笑顔だから。毎日が、とても幸せで、楽しくやっているものだとばかり――」
気付こうと思えば、気付けたかもしれない。でも、自分のことだけで、精一杯だった。それに、リリーシャさんが、あらゆる点で完璧だったため、気のせいだと思っていた。
「無理もないよ。リリーが、自分の本心を表に出さないのは、子供のころからだから。特に、風歌ちゃんには、絶対に気付かれないように、気を付けていたんだと思うよ」
「それって……私が頼りないからですか?」
ちょっと話を聴いただけで、これほど取り乱しているのだから。自分で思っていたほど、精神面は、強くないみたいだ。本当に、私って頼りないよね――。
「そうじゃなくて、風歌ちゃんを、物凄く大事にしているからだよ」
「物凄く気を遣ってくれて、とても大事にしてもらっているのは、自覚しています。リリーシャさん、いつも優しくて、絶対に怒らないですし」
本当に、言葉では言い表せないほど、良くしてもらっていた。家族にだって、ここまで優しくしてもらった記憶はない。
「まぁ、風歌ちゃんが思っている以上に、大事にされていると思うよ。過保護すぎるぐらい、風歌ちゃんには甘いから」
「でも、だからこそ、言えなかったんじゃないかな? 話せば、ショックを受けるのも、重い記憶を背負わせてしまうのも、分かっていたから」
確かに、そうかもしれない。実際に、リリーシャさんから聴いたら、受け止められた自信がないから。
「それでも……言って欲しかったです。私は、もっとリリーシャさんのことを知りたいですし、もっと力になりたいです。結局、私は知ったつもりになっていただけで、何一つ分かっていませんでした」
この世界にも、会社にも、シルフィードの仕事にも、かなり慣れて来た。リリーシャさんとも、日々いい感じで、息の合った仕事ができている。
だから、私はリリーシャさんを充分に理解し、最高のパートナーシップを築けていると、大きな勘違いをしていたのだ。
私は表面を見ていただけで、リリーシャさんの抱える苦しみは、何も理解していなかった。
「リリーシャさんは、いつも笑顔で、仕事も完璧で。だから、悩みとは、無縁の人だと思っていました。私も、リリーシャさんみたいに、完璧なシルフィードになりたいって、ずっと憧れていたんです」
この気持ちは、出会った時から変わっていない。そもそも、アリーシャさんに、さほど興味を持たなかったのも、それが理由だ。私にとって、リリーシャさんこそが、最高のシルフィードだと思っているから。
「リリーは、風歌ちゃんが思うほど、完璧な人間じゃないよ。それに、見た目ほど、強くはないからね。一時は、引退を決めていたぐらいだから――」
「えっ?! 引退って、シルフィードを、辞めるつもりだったんですか?」
この一言は、事故の話以上に衝撃的だった。
だって、あんなに活き活きと、楽しそうに働いているリリーシャさんが、引退だなんて……。
「アリーシャさんのことを聴いていないなら、当然、これも話しているはずが無いよね」
ツバサさんは、一呼吸してから、静かに話し始める。
「あの事故のあと、リリーはすっかり、塞ぎ込んでしまってね。家から一歩も、出なくなってしまったんだ」
「ずっと笑顔だったリリーが、全く笑わなくなって。毎日、物凄く暗い顔をしていた。日に日に衰弱していくのが、見ていてとても辛かったよ――」
ツバサさんは、大きく息を吐き出した。
「そんな……笑顔以外のリリーシャさんなんて、想像もつかないです」
私の記憶にあるリリーシャさんは、全て笑顔だけだ。それ以外の表情なんて、一度も見たことがなかった。
「確かに、普段はどんなに辛くても、笑顔を浮かべているからね。でも、それすら出来ないぐらい、深く傷ついたんだと思う――」
「あの頃のリリーは、完全に生きる気力を失っていた。シルフィードの仕事どころか、生きることすら、危うい状態だったんだ」
本当に、今のリリーシャさんからは、全く想像できない。だって、いつも素敵な笑顔で、生きる活力が、あふれている感じだもん。
「そのあと……どうなったんですか?」
私は、恐る恐る尋ねる。
「会社は、無期限休業で閉鎖され、リリーは寝込むことが多かった。僕は、できる限り、顔を出すようにしていたけど。そのうち、足が遠のいてしまったんだ。むしろ、僕が会いに行くほうが、リリーを苦しめてしまっているみたいで」
ツバサさんの表情が曇る。
「それは――どうしてですか?」
「リリーって、滅茶苦茶、他人のことを気遣うじゃない。だから、僕に物凄く迷惑を掛けてるって、思い込んじゃってね。もちろん僕は、迷惑だなんて、一度も思ったことはないよ。大事な親友に会いたくて、自発的に行ってただけだから」
あぁ……それ、何となく分かる。
リリーシャさんって、物凄く空気を読む人で、常に周りの人のことを気に掛けていた。もちろん、私に対しても、いつも気を遣ってくれている。ただ、過剰に気にし過ぎている感じもした。たぶん、性格の問題だと思う。
「リリーって、どんな苦境にあっても、真っ先に人のことを、心配しちゃうんだよね。深く傷ついているのに、自分より、他人を気遣っちゃうんだから」
「結局、一人にしてあげたほうがいいと思って、少し距離を置いたんだ。子供のころから、べったりだったからね」
リリーシャさんは、あまりプライベートな話はしない。けれど、ツバサさんのことだけは、よく話していた。
二人は、本当に仲がよくて、信頼し合っているのだと思う。幼いころから、ずっと一緒にいたので、親友というより、姉妹に近い感じだ。そのツバサさんでさえ、元気づけられなかったのに、どうやって立ち直ったのだろうか?
「でも、今の様子を見る限り、一応『立ち直れた』ってことですよね? 私とリリーシャさんが会う前に、何があったんですか?」
仮に、表面上の笑顔だったとしても、仕事も接客も、完璧にこなしていた。立ち直れていなければ、ここまでは、出来ないと思う。
「特に、何かあった訳ではないけど、今年の三月に、会社を再開したんだ。完全に吹っ切れてはいなくても、何か思うところが有ったんだろうね。正直、辞めてしまうと思っていたから、会社が再開した話を耳にした時は、物凄く驚いたよ」
「三月って、私がこの町に来る直前ですよね。そんな大変な時に、見ず知らずの私に、手を差し伸べてくれたなんて――」
まさか、そんな大変な状況だったとは、全く知らなかった。私は、ワラにもすがる思いだったので、何も考えずに、リリーシャさんについて行っただけだ。
物凄く優しくしてくれたし、いつも笑顔だったから。大きな悲しみを抱えているなんて、想像もしなかった。私は、何て浅はかなんだろう……。
「きっと、自分と似ていたから、放っておけなかったんじゃないかな?」
「似ている――? 私とリリーシャさんがですか?」
私とリリーシャさんって、正反対の性格だと思うけど。
「風歌ちゃんは、河原で佇んでいたんでしょ?」
「えぇ、まぁ……。どこにも、行く所がありませんでしたし」
あの時の、切なさと絶望感は、今でもよく覚えている。前にも進めない、後戻りもできない。私の人生で、最大のピンチだった。
「たぶん、リリーも同じだったんじゃないかな? のんびり散歩してた訳じゃないと思うよ。川でも見ながら、黄昏ようとしたら、先客がいた。そんなオチじゃない?」
「リリーシャさんが、たそがれたりなんて、するんですか?」
リリーシャさんには、全く似合わない姿だと思う。いつも、ニコニコして、フワフワして、キラキラ輝いていて。たそがれとは、真逆だもん。
「あぁ見えて、リリーはメンタル弱いから。人の前では、平気な振りをしてるけど。一人になると、滅茶苦茶、落ち込むからね。風歌ちゃんも、そんなタイプじゃない? 二人とも、精神性が似てるなぁー、って思ったんだ」
「うぐっ――。その通りかもしれません……」
それ、すっごく分かる。私も人前では平然としてても、一人になると、凄く落ち込んだり、時には泣いたりもするからね。そうか、リリーシャさんも、同じだったんだ。でも、だとしたら私――。
いつの間にか、私の目からは、心の汗が流れ落ちていた。
「風歌ちゃん、大丈夫? やっぱり、まだ話すべきでは、なかったのかな……」
「いえ――話してくれて良かったです。いずれは、分かることですから」
いくら隠していても、いずれ知る時が来る。また、来年の三月になれば、追悼式は行われるはずだ。その時、急に知るよりは、今知っておいたほうが、間違いなくいいと思う。
それよりも、リリーシャさんの苦悩を、一緒に抱えたい。できることなら、心からの笑顔が、出せるようになってもらいたい。
でも、自分のことだけで精一杯の今の私に、いったい何が出来るのだろうか……?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『知らないほうが幸せでも知らないと前には進めない』
幸福の秘訣は3つの期待とゼロの心配
元々感情の起伏は激しいほうだけど、ここまで取り乱したのは、生まれて初めてだ。感情や思考だけでなく、体までコントロール不能になって、自分でも物凄く驚いている。
ツバサさんのお蔭で、だいぶ落ちついてきた。けれど、今はベンチに座り、完全に無気力の状態だった。落ちついたというよりも、驚き疲れたのかもしれない。物凄く動揺したせいで、心身ともに、ぐったりしてしまった。
「おまたせ、風歌ちゃん。これ飲んで落ちついて」
渡されたのは、冷たいハーブティーだった。
「ありがとうございます……」
手に氷の冷たさが、ひんやりと伝わって来る。
本当なら、後輩の私が、買いに行かなきゃいけないのに。ツバサさんには、ずいぶんと気を遣わせてしまった。先ほどから、ずっと優しく声を掛けてくれている。
はぁー……。
私は心の中で、大きなため息をついた。
自分から、話を聴かせて欲しいと、言っておきながら、この体たらく。どんな話でも、受け止める覚悟はあったはずなのに。実際には、全然、受け止めきれていない。
しかも、せっかくの休憩中だった、他社の先輩にまで、迷惑を掛けてしまった。本当に、何もかもが、最悪だ。
はぁぁーー……。
再び、心の中で大きなため息をつく。
「大丈夫? 風歌ちゃん」
「はい、だいぶ落ちつきました。なんか、お恥ずかしいところをお見せして、本当にすいませんでした」
本当に恥ずかしい。リリーシャさんにだって、こんな、うろたえた姿を、見せたことないのに――。
「気にしないで。僕だって、アリーシャさんの事故を知った時は、心臓が止まりそうになるぐらい驚いて、滅茶苦茶、動揺したから」
ツバサさんは、優しい笑顔を向けて来る。
「ツバサさんでも、動揺したりとかって、あるんですね?」
「僕を何だと思っているんだい? 機械じゃないんだから、驚いたり悲しんだりは、普通にするよ。ただ、泣くのだけはね、我慢したんだ。一番、悲しかった人は、他にいるから」
彼女は、微笑みながら答える。
ツバサさんって、いい意味で軽い性格で。全然、動じたりとか、しなさそうな感じだから。でも、大事な人を失って、心が動かない人が、いるわけないよね。
「リリーシャさん、ですよね……?」
「きっとリリーは、僕の百倍は悲しかったと思うよ。アリーシャさんは、リリーの憧れだったから。シルフィードとして、一人の女性として、母親として。リリーは、本当にアリーシャさんが大好きで、物凄い母親っ子だったから」
私ですら、物凄くショックを受けたのだから。リリーシャさんの受けた、衝撃と悲しみは、どれ程のものだったのだろうか? 私には、想像もつかない。
でも、アリーシャさんに対する、大きな憧れの気持ちは、物凄くよく分かる。なぜなら、私がリリーシャさんに抱いている気持ちと、全く同じだからだ。
ツバサさんの話を聴いて、ようやく全てがつながった。〈ホワイト・ウイング〉で働き始めて、数ヶ月。その間に、過去やアリーシャさんの話題に、ほとんど触れなかった理由。
また、リリーシャさんが、時おり見せる、物憂げな表情。笑顔の中に、ほんの僅かに、影が掛かっていたこと。今考えると、色々思いあたる節があった。
「私、全然、気付きませんでした。リリーシャさんは、いつも素敵な笑顔だから。毎日が、とても幸せで、楽しくやっているものだとばかり――」
気付こうと思えば、気付けたかもしれない。でも、自分のことだけで、精一杯だった。それに、リリーシャさんが、あらゆる点で完璧だったため、気のせいだと思っていた。
「無理もないよ。リリーが、自分の本心を表に出さないのは、子供のころからだから。特に、風歌ちゃんには、絶対に気付かれないように、気を付けていたんだと思うよ」
「それって……私が頼りないからですか?」
ちょっと話を聴いただけで、これほど取り乱しているのだから。自分で思っていたほど、精神面は、強くないみたいだ。本当に、私って頼りないよね――。
「そうじゃなくて、風歌ちゃんを、物凄く大事にしているからだよ」
「物凄く気を遣ってくれて、とても大事にしてもらっているのは、自覚しています。リリーシャさん、いつも優しくて、絶対に怒らないですし」
本当に、言葉では言い表せないほど、良くしてもらっていた。家族にだって、ここまで優しくしてもらった記憶はない。
「まぁ、風歌ちゃんが思っている以上に、大事にされていると思うよ。過保護すぎるぐらい、風歌ちゃんには甘いから」
「でも、だからこそ、言えなかったんじゃないかな? 話せば、ショックを受けるのも、重い記憶を背負わせてしまうのも、分かっていたから」
確かに、そうかもしれない。実際に、リリーシャさんから聴いたら、受け止められた自信がないから。
「それでも……言って欲しかったです。私は、もっとリリーシャさんのことを知りたいですし、もっと力になりたいです。結局、私は知ったつもりになっていただけで、何一つ分かっていませんでした」
この世界にも、会社にも、シルフィードの仕事にも、かなり慣れて来た。リリーシャさんとも、日々いい感じで、息の合った仕事ができている。
だから、私はリリーシャさんを充分に理解し、最高のパートナーシップを築けていると、大きな勘違いをしていたのだ。
私は表面を見ていただけで、リリーシャさんの抱える苦しみは、何も理解していなかった。
「リリーシャさんは、いつも笑顔で、仕事も完璧で。だから、悩みとは、無縁の人だと思っていました。私も、リリーシャさんみたいに、完璧なシルフィードになりたいって、ずっと憧れていたんです」
この気持ちは、出会った時から変わっていない。そもそも、アリーシャさんに、さほど興味を持たなかったのも、それが理由だ。私にとって、リリーシャさんこそが、最高のシルフィードだと思っているから。
「リリーは、風歌ちゃんが思うほど、完璧な人間じゃないよ。それに、見た目ほど、強くはないからね。一時は、引退を決めていたぐらいだから――」
「えっ?! 引退って、シルフィードを、辞めるつもりだったんですか?」
この一言は、事故の話以上に衝撃的だった。
だって、あんなに活き活きと、楽しそうに働いているリリーシャさんが、引退だなんて……。
「アリーシャさんのことを聴いていないなら、当然、これも話しているはずが無いよね」
ツバサさんは、一呼吸してから、静かに話し始める。
「あの事故のあと、リリーはすっかり、塞ぎ込んでしまってね。家から一歩も、出なくなってしまったんだ」
「ずっと笑顔だったリリーが、全く笑わなくなって。毎日、物凄く暗い顔をしていた。日に日に衰弱していくのが、見ていてとても辛かったよ――」
ツバサさんは、大きく息を吐き出した。
「そんな……笑顔以外のリリーシャさんなんて、想像もつかないです」
私の記憶にあるリリーシャさんは、全て笑顔だけだ。それ以外の表情なんて、一度も見たことがなかった。
「確かに、普段はどんなに辛くても、笑顔を浮かべているからね。でも、それすら出来ないぐらい、深く傷ついたんだと思う――」
「あの頃のリリーは、完全に生きる気力を失っていた。シルフィードの仕事どころか、生きることすら、危うい状態だったんだ」
本当に、今のリリーシャさんからは、全く想像できない。だって、いつも素敵な笑顔で、生きる活力が、あふれている感じだもん。
「そのあと……どうなったんですか?」
私は、恐る恐る尋ねる。
「会社は、無期限休業で閉鎖され、リリーは寝込むことが多かった。僕は、できる限り、顔を出すようにしていたけど。そのうち、足が遠のいてしまったんだ。むしろ、僕が会いに行くほうが、リリーを苦しめてしまっているみたいで」
ツバサさんの表情が曇る。
「それは――どうしてですか?」
「リリーって、滅茶苦茶、他人のことを気遣うじゃない。だから、僕に物凄く迷惑を掛けてるって、思い込んじゃってね。もちろん僕は、迷惑だなんて、一度も思ったことはないよ。大事な親友に会いたくて、自発的に行ってただけだから」
あぁ……それ、何となく分かる。
リリーシャさんって、物凄く空気を読む人で、常に周りの人のことを気に掛けていた。もちろん、私に対しても、いつも気を遣ってくれている。ただ、過剰に気にし過ぎている感じもした。たぶん、性格の問題だと思う。
「リリーって、どんな苦境にあっても、真っ先に人のことを、心配しちゃうんだよね。深く傷ついているのに、自分より、他人を気遣っちゃうんだから」
「結局、一人にしてあげたほうがいいと思って、少し距離を置いたんだ。子供のころから、べったりだったからね」
リリーシャさんは、あまりプライベートな話はしない。けれど、ツバサさんのことだけは、よく話していた。
二人は、本当に仲がよくて、信頼し合っているのだと思う。幼いころから、ずっと一緒にいたので、親友というより、姉妹に近い感じだ。そのツバサさんでさえ、元気づけられなかったのに、どうやって立ち直ったのだろうか?
「でも、今の様子を見る限り、一応『立ち直れた』ってことですよね? 私とリリーシャさんが会う前に、何があったんですか?」
仮に、表面上の笑顔だったとしても、仕事も接客も、完璧にこなしていた。立ち直れていなければ、ここまでは、出来ないと思う。
「特に、何かあった訳ではないけど、今年の三月に、会社を再開したんだ。完全に吹っ切れてはいなくても、何か思うところが有ったんだろうね。正直、辞めてしまうと思っていたから、会社が再開した話を耳にした時は、物凄く驚いたよ」
「三月って、私がこの町に来る直前ですよね。そんな大変な時に、見ず知らずの私に、手を差し伸べてくれたなんて――」
まさか、そんな大変な状況だったとは、全く知らなかった。私は、ワラにもすがる思いだったので、何も考えずに、リリーシャさんについて行っただけだ。
物凄く優しくしてくれたし、いつも笑顔だったから。大きな悲しみを抱えているなんて、想像もしなかった。私は、何て浅はかなんだろう……。
「きっと、自分と似ていたから、放っておけなかったんじゃないかな?」
「似ている――? 私とリリーシャさんがですか?」
私とリリーシャさんって、正反対の性格だと思うけど。
「風歌ちゃんは、河原で佇んでいたんでしょ?」
「えぇ、まぁ……。どこにも、行く所がありませんでしたし」
あの時の、切なさと絶望感は、今でもよく覚えている。前にも進めない、後戻りもできない。私の人生で、最大のピンチだった。
「たぶん、リリーも同じだったんじゃないかな? のんびり散歩してた訳じゃないと思うよ。川でも見ながら、黄昏ようとしたら、先客がいた。そんなオチじゃない?」
「リリーシャさんが、たそがれたりなんて、するんですか?」
リリーシャさんには、全く似合わない姿だと思う。いつも、ニコニコして、フワフワして、キラキラ輝いていて。たそがれとは、真逆だもん。
「あぁ見えて、リリーはメンタル弱いから。人の前では、平気な振りをしてるけど。一人になると、滅茶苦茶、落ち込むからね。風歌ちゃんも、そんなタイプじゃない? 二人とも、精神性が似てるなぁー、って思ったんだ」
「うぐっ――。その通りかもしれません……」
それ、すっごく分かる。私も人前では平然としてても、一人になると、凄く落ち込んだり、時には泣いたりもするからね。そうか、リリーシャさんも、同じだったんだ。でも、だとしたら私――。
いつの間にか、私の目からは、心の汗が流れ落ちていた。
「風歌ちゃん、大丈夫? やっぱり、まだ話すべきでは、なかったのかな……」
「いえ――話してくれて良かったです。いずれは、分かることですから」
いくら隠していても、いずれ知る時が来る。また、来年の三月になれば、追悼式は行われるはずだ。その時、急に知るよりは、今知っておいたほうが、間違いなくいいと思う。
それよりも、リリーシャさんの苦悩を、一緒に抱えたい。できることなら、心からの笑顔が、出せるようになってもらいたい。
でも、自分のことだけで精一杯の今の私に、いったい何が出来るのだろうか……?
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次回――
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幸福の秘訣は3つの期待とゼロの心配
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