彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第八章

第六十六話 存在を曖昧に

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 乃花が橋具との和解を終えた時、水埜辺はというと未だ有宗と刃を交えていた。右目を伏せながらも、その状況に慣れてきたのか段々と戦えてきていることに彼自身驚きを隠せない。対する有宗は戦いづらいのか、表情から余裕が消えているように思えた。

「おーおーどうした有宗ぇ! 手が遅くなってるぞ!」
「くっ……。鴉の分際で――ぐぁッ」

 有宗は大蛇の力を刀身に込め水埜辺に攻撃を仕掛けるが僅かなところで届かない。現在水埜辺は興奮状態にあった。血を流しているが、気分が紅潮している所為で痛みすら感じていない。脳の神経回路が麻痺を起こしているのだ。

「おらぁ! くくく、有宗、たかが鴉に負かされる気分はどうだぁ?」

 水埜辺の左頬にある水滴のような刺青が大きく広がっている。金色の瞳も普段より一層輝いていた。体が熱い。楽しい。

『人を殺すのが、楽しい……!』

 その時、水埜辺の動きが一瞬だけ鈍くなった。

 ――俺は今、何を考えた……?

 水埜辺は有宗の攻撃を避けながら我に返った。何をしている、と体の熱が嘘のように引いていく。頭の中で頼守が何か言っているような気がしたが、動揺が強く聞こえてこない。
 ふと自身の着物を見れば血塗れだった。自分の血の臭いと有宗の血の臭いが混じって気持ちが悪い。妖怪が憑いているとはいえ血は人間のもの。人間の血を浴びれば妖怪は快楽を覚える。水埜辺は一時的にその興奮状態に陥っていたと考えられた。血の気が一気に引いたことにより貧血を起こし、水埜辺は吐き気を催し口元を手で覆った。その隙を、有宗は見逃さなかった。

『――ッ水埜辺さま!』
「! しまっ――」
「もらった――、!?」

 有宗は懐から陰陽札を取り出し、それを水埜辺の額に付けた。妖怪にとって毒に等しい紙切れの札。一瞬の気の遅れが水埜辺を危険に晒した。自業自得だな、と自嘲したその時、不意に水埜辺は意識がに入っていく感覚に襲われた。
 つまりそれは――表に頼守の意識が浮上する予兆。
 これこそが、頼守の思惑だった。

 ❀

 ――彼岸・奴良野邸にて。
 朔日で体が入れ替わった日、夜も更けた頃。頼守はある場所へと向かっていた。目的地に着くと頼守はその場に立膝を付き「……起きていらっしゃいますか」と静かに声を掛けた。

「……入りなさい」

 部屋の中から声がして、ぼぅ……と、優しい蝋燭の明かりが室内を灯した。

「申し訳ありません。突然、お邪魔して」
「……いいえ。来ると、思っていましたから」

 部屋にいた声の主は碓氷だった。碓氷は興味が無いという表情をして静かに座っていた。寡黙な人だと思う。それでいて、したたかだ。頼守は苦笑いをした。

「……ここへ来たのは、えと、お願いがあって。それを聞いていただきたく」
「事と次第によっては受け入れを拒否します。……それでも宜しければ聞きましょう」
「私と、水埜辺さまの存在を、にしていただきたいのです」

 頼守の発言に、碓氷は初めて彼の言葉に耳を傾けた。

「今のままでも、随分と曖昧だと思うのですか?」
「えぇ。確かに。ですが、今のままではいけないのです。朔の日だけ私に入れ替わるのでは駄目なのです。あの桔梗院と戦うには、私の体にいつでも替われるようにならなければ、水埜辺さまをお守りすることが出来ません」

 瞬間、頼守の視界が天井に向いた。気付いた頃には彼の体が倒れていた。何故だか、その理由はすぐに分かった。碓氷が頼守の上に跨っていたのだ。彼女の蒼眼が赤く染まっていく。妖怪の力を開放し、と彼女の姿が変化していく。
 大きな鴉、それがこの奴良野一族の正体だ。しかし、この姿を見ても頼守は恐れるどころか驚く素振りも見せなかった。ただじっと姿を変化させたを見つめていた。

「タダノ人間ノオ前ニ、水埜辺ヲ守レルモノカ!!」
「……。それは重々承知しています」
「……何故、恐レナイ」
「碓氷さまは恐ろしくありませんよ。水埜辺さまと同じ、とても美しい方です」

 頼守の言葉を聞いて、碓氷は静かに頼守の体から離れ元の姿に戻った。

「…………貴方のその目は嫌いです」
「知っています」
「曖昧にして、というのは……。貴方の考えは何となく理解できますが……」

 着崩れた胸元を直しながら碓氷は彼の言いたい真意を考える。既に答えは見つかっているようだったが、頼守は黙って微笑んでいた。

「私と水埜辺さまの境界を曖昧にすることで、朔日でなくても私が表に出られるのではと考えました。陰陽術は人間には効かない。……私を利用し、にすることで、桔梗院を潰します」

 彼の目は本気だった。一点の曇りもない眼差しは碓氷にそう思わせた。だがそれは同時に彼女にあることを連想させた。

「……そうですか。水埜辺は、それをと言ったのですね」
「はい」

 ふっ、と頼守の表情が一瞬だけ曇った。その言葉の意味を誰よりも理解しており、その意図を彼女に理解させなければならなかった。

「…………あの子は、一度こうと決めたら頑固になる子ですから。今更止めても無駄……なのでしょうね。どうしてこう、私の愛する者たちは皆、どこかへ行ってしまうのでしょう。……貴方に言っても仕方がないですね」
「分かりますよ。恐らく兄にとってのその立ち位置は……私でしたので」

 愛されてると理解わかっていても、愛してもらっている人を守りたいと強く思う。そういった点において、水埜辺と頼守は似た者同士だと言えるだろう。

「不完全な状態から、また今の状態に戻ることはできません。……水埜辺の最期の望みです。母として叶えることはあまり同意できませんが……。頼守殿」
「はい」
「息子を、どうか……宜しくお願い致します」

 碓氷は頼守に向かい深々と頭を下げた。

「……はい。命に代えましても。……あともうひとつ、お願いがあるのですが」
「ふふ、生意気なところが水埜辺に似てきましたね。なんでしょう」
「この刀を、落ち着いた頃ににお渡しして頂けませんか?」
「これは……! ……分かりました。渡しましょう。頼守殿も、気を付けて、無事に帰ってくるのですよ」

 その時、この先のことが見えていた碓氷は敢えて、頼守にそう伝えた。頼守も自分がどうなるのか分かった上で「はい、行って参ります」と応えたのだった。
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