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第2部
#37 虐殺都市
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煉瓦が敷き詰められた床を砂埃が舞う。
薄暗いグレーの雲が覆い被さるように広がり、街は雨の臭いがした。
市街の空気は澱んだ河のように暗い。錆びついた家のドアや、腐って苔が生えている窓の縁に目を遣った。
逆らう人々を悉く残酷な方法で殺害した拷問好きの王が、この国を制圧していたという。僕は欠伸をした。
「ご主人様、聞いていますか?」
レイセン君は欠伸をしている僕をきつく睨むと、呆れたように吐息を漏らす。
「うん、勿論。それがこの街──アトロシティなんでしょ」
いつものように、レイセン君が旧市街アトロシティの概要を説明してくれていた。
──罪の償いは重ければ重いほど、長ければ長いほど、痛ければ痛いほど良い。
それが、アトロシティの王の趣味であり方針であったらしい。僕が欠伸をしたのは、そんな個人的な理由で死に方を決められてしまう人々が可哀想だ、とでも思ったと同時に呆れたからだろう。
「そうです。貴方は本を全く読まないのですから、話を聞くだけで理解できるのであればそれに越したことはないでしょう」
旧市街アトロシティという一つの住居のまとまりは、特に変わったものだった。
正方形の箱に押し込められた家が、網目状の道にそって規律正しく敷き詰められている。
道のど真ん中に立って正面を向くと、食パンを真っ二つに丁寧に切ったような光景が広がっていた。
「気のせいでなければ、向こうから何か聞こえてくる……」
僕とレイセン君の後ろを、三歩ほど下がって歩くノアが、ふいに声を出す。
ノアが言い終わるのが先か、自分自身で気づいたのが先か、僕にも同じように音が聞こえた。
音は、僕たちからはまだほど遠い。けれどその音階は女性の美しい歌声のように、心地よく耳に届く。近場で聞いていたとしても、その音が楽器から出ているものだと気づくのに時間を要するだろう。
「誰かが演奏しているみたい」
「こーんなに人気のない場所でやることではありませんわね。綺麗な演奏なのに、勿体無いですわ」
僕の推測に、フィリアが皮肉で応えた。
「油断なさらぬように。死角から足音が聞こえます」
レイセン君が警鐘を鳴らす。気にしなければ笛の音に掻き消されていたであろう、鉄靴が足踏みをする音がしっかりと耳に入った。
「念のため武器を構えておきましょう。十中八九、敵だと思います」
レイセン君が鉈剣の柄を強く握る。僕は弓と矢を一本取り出し番えた。ノアは静かに頷くと、フィリアに目配せをした。
「フィリアが先に支援しますわ! さあ、輝くところをフィリアに見せなさい!」
フィリアはサイコロに話しかけると、戦闘用のサイズに膨らませ、賽の目に嵌め込む宝石が飴玉程度の大きさにまで小さくなった粒が幾つも詰まったおもちゃのようなステッキを握った。
それから動作を短くし、急かすようにサイコロを振る。出目は三だった。
僕の周りを回転するように、生暖かい風が吹いては上空へと消えていく。フィリアの賽の目が与える効力の表れだろう。
しかし、魔法学校ユーサネイジア前で受けた時とは「何か」が違っていた。
支援を受けたはいいが、未だその回数が少ないため、どんな効果があるのかは戦ってみなければわからない。するとフィリアが言う。
「これは……えぇっと、確かそう、普段よりも身軽に動けるはずですわ!」
「おー今回はちゃんと本を開かなくても言えたね。えらい、えらい」
「お世辞は結構ですのよ! フィリアは天才ですからね」
まだ全ての色と効能を覚えきれてないんだ、フィリアは。とノアが面白がって言う。
「ご主人様、以前最後までできなかったあれをここで試してみては?」
「うん、あれだね。わかったよ」
レイセン君と顔を見合わせて、うんと頷いて見せる。
ノアとフィリアは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている、が説明している暇はないようだ──。
「Δαίμονας?」
人語を話すそれが、ついに左右の建物の影から姿かたちを現した。
列をなして一人ひとりが一定の距離を保ちながら、寸分も違わず皆一斉にこちらを振り向いた。ざっと見たところ十五体くらいはいる。
「Δαίμονας?」
頭部から触手のようなものが二、三本生えた二足歩行の魔獣。中には腕や足が触手に代わっている者もいた。
両手が人のものである魔獣は、銃を体の前で斜めに抱えている。そうでないものは触手と長銃が同化した腕をこちらに向け、反対の腕で槍や剣を握っていた。
「さっきから何を言っているんだ、あの魔獣……」
ノアの独り言みたいなつぶやきに、僕は推測ではなく事実を教える。
「悪魔かって聞いてる。話が通じる相手とは思えないけど」
「アクアさん、あの人達が言っている言葉がわかるんですの?」
なんとなくね、と返事をした。どこで身につけた知識なのかさえもわからないが、普段の会話と同じように、僕には魔獣の言葉が理解できた。
「προδότης! προδότης! ο δαίμονας είναι προδότης!」
「たった今、僕たちを悪魔だって決めつけたみたいだよ」
「Ο διάβολος πάει στη φυλακή! Οι αντάρτες πάνε στη φυλακή! ──悪魔を監獄へ! 反逆者を監獄へ!」
十五人の銃口が、僕らに牙を立てた。
「前置きは終わりましたか? では、参りましょう」
レイセン君が吐き捨てるように言い残し、魔獣の持つ武器の特性を知りながら、それでも恐れることなく前進する。
「……フフ」
続けてすぐに、ノアが薄笑いを零す。これは戦闘時という条件下で必ず起こる、ノアのスイッチの切り替えだ。
レイセン君が疾走する後ろで、体を前かがみにゆっくりと倒し、ノア自身の体を支えるために、両手を床についた。逆手に持ったスタンガンが、一瞬青白く稲光をあげた。
そして下半身を突き上げると、解き放たれた獣のように、魔獣へ一直線に駆けた。
銃声が、僕たちの居場所を原点に街を覆い尽くしていった。
「フィリアは銃が当たらないところに隠れて、僕はあそこに」
「わかりましたわ。お気をつけて」
僕はフィリアがサイコロを抱えて走り出したのを横目で見ながら、建造物の屋根に意識を集中させた。
屋根の上から、真下に見える魔獣の群れを想像する。僕が転移しようとしているのは、想像した視点と全く同じ位置だ。
集中すると、辺りから人も何もかもが消える。けれど目的地だけは見失わないよう、意識だけはしっかりと転移先に向ける。
「本当にできた……」
晴れ渡り、澄み切った視界にはっと息を呑んだ。
僕は転移の反動で少しふらついてしまう。しかと平らな屋根に足をつけ、一呼吸。
さっきまでいたはずの道を、僕は今見下ろしている。そこでレイセン君とノアが魔獣と闘争を繰り広げていた。
すかさず応戦に入る。番えたままの矢を、一気に弓から遠ざけた。狙いを定め、魔獣の頭──はないから、武器を破壊し妨害する。
「う、うわぁ!?」
矢の向きで、魔獣のうち数体が僕の場所に気づいてしまったようだ。残りは気づいていないというより、レイセン君とノアの一際素早い行動についていくのに精一杯という状態だった。
僕をめがけて、一体が銃弾を放つ。僕は自分でも信じられない速度で弾を躱していた。
体が、骨と肉と皮でできているような気がしなかった。布と綿の詰まった人形になった気分だ。これがフィリアの術の力だと、再認識させられる。
「クク、斬首がお好みですか。ならばそのように」
レイセン君は踵の高い靴で倒れた魔獣の胴体を踏み潰すと、嬉しそうに且つ蔑んだ目で鉈剣を突き立て、振り下ろした。
陸にあげられた魚のように触手から迸る鮮血を浴びながら、それでもレイセン君の口角は下がっていなかった。
「ウゥ……ゥアアアアアアア!!!!」
今度は滅茶苦茶なように見えて、しかし確実に敵を仕留めていくノアと、彼が手に持つスタンガンが唸る。
「Δαίμονας!!!!」
僕がノアに立ち塞がっている敵の殲滅を試みようと、再び弓矢を構えたその時だった。
ノアが転がっていた小石に片足を取られて足を挫く。
「あっ……ノア!」
両眼を赤く光らせた水色の髪が揺れる。ノアが顔を上げた先に、魔獣の銃口があった。
最悪の場合、額を弾丸が貫通してしまうだろう──。
すると、ノアを包み込むように、新月の形をしたカプセルのような輝きが生まれた。魔獣がトリガーを引くと、その弾はノアの直前で反射し、真っ直ぐ敵の腕を貫いた。同時に僕の放った矢が魔獣に直撃し、異色を放つ怪物は断末魔をあげて斃れた。
まさかと思い、戦闘の中心から少し離れた建築物の角を見ると、フィリアがうさぎのように飛び跳ねて喜んでいた。
そして時計の針の音が鳴り止んだように、旧市街は静けさを取り戻していった。戦いは終わったようだ。
「ふぅ……」
僕は敵がいなくなった安堵からため息をつくと、レイセン君たちのいる場所に転移した。
「皆さん、怪我はありませんか?」
最も魔獣の血を浴びているレイセン君が言う。
「あぁ、転んじゃったみたい。掠り傷程度だし、薬を塗っておくよ」
ノアもレイセン君も、大事に至る怪我はしていなかった。
「ふふっ、先程の、見ていただけました? あの銃弾を防げたのはフィリアのおかげでしてよーノア!」
フィリアの高笑いが始まった。少女は安全な場所に隠れていたおかげで傷一つない。
「うんうん、あれは当たってたら痛かった。ありがとう」
ノアがいつものノアに戻り、困ったように笑いながらフィリアの頭を優しく撫でた。
「……この演奏、まだ続いてたんだ……」
街に入ると聞こえていた音の旋律は、今も変わらず響き続けていた。
僕たちは、その音が聞こえる方に向かってまた歩きだす。道端には、魔獣と似た鎧を身につけた死体が転がっていた。魔獣同士が殺し合う──なんてこともあるのだろうか。魔獣は僕らを見つけなければ、あのまま自分と同じ者を敵とみなしてデスゲームを始めていたのかもしれない。
「あの噴水の裏。そこに誰かがいる。黒っぽい影が見えるよ」
目視で確認できるかできないかという距離で、ノアが人影に気がつく。崩れかけた女性像の後ろ側に蠢くものがあり、聞こえてくる音も段々近くなっていく。音源はきっとあの噴水だ。
僕たちは更に噴水へと近づいていった。
「う……足が痛い……」
「さっき転んだのに、やっぱり無理を……って、なんだかフィリアも体が……」
その身体的な異変は、どうやら全員が感じているらしい。ノアは足を引き摺って歩くようになり、フィリアもどこか苦しそうだ。
「みんな、だいじょう……な、なに、これ……」
原因はわからない。けれど全身が痛みだす。魔獣との戦いで深手を負ったわけでもない。
「……っく……」
横を見ると、レイセン君も苦虫を噛み潰したような表情に変わっていた。
「君も……ああ、だめだ。感覚がなくなっていく……」
噴水まであと少し、あと十数歩でたどり着けるのに。
体が痛みだしたかと思えば、今度はじわりじわりと痺れていった。あるべき感覚を全てその痺れに奪われ、立っていられなくなる。
脳裏にまで響く笛の音色が、耳に入っては脳味噌を伝い、体の内側から叫ぶように勝手に振動する自分の体に気持ちの悪さを覚えた。
遂に、一言も話せなくなってしまった。声を上げても、せいぜい唸り声にしかならない。
「……ッう」
音が、止んだ。
噴水の裏で演奏をしていた人の動きがなくなり、黒くて長いローブを垂らしながら立ち上がった。
「……ふん、まんまとハマりやがって」
ローブの口から見える横顔が笑う。男性のようにも女性のようにも聞き取れる、中性的な声だった。ローブで顔を隠したその人は、ここにいない誰かに言い聞かせるように口を開いた。
「おい、もう十分だろ。連れて行くぞ」
中性的な声に反応したのか、ローブを深く被った人の斜め後ろから赤い魔法陣が現れた。
魔法陣からは、同じローブを着た、背の低い人が湧き出てきた。
「ま、初見じゃ気づかないよな。俺の才能なんてさ」
「あまり喋らないで。調子に乗ってまた怒られても知らないから」
二人は会話をしながら、僕たちに近づいてくる。
「こいつは貰っていくぞ」
そしてローブの二人が足を止めた。その先にいるのは──レイセン君だ。
「……ッ!」
起き上がろうと腕を曲げてはいるが、それ以上の力が入らないようだ。それは僕も同じだった。
「や、めろ……!!」
僕は死んだ頬の筋肉を無理矢理動かして、拒絶した。抗うも為す術がないレイセン君が、今まさに連れ去られようとしている。
いなくなるなんて考えられない。僕は笛を演奏していた外套の人影をきつく睨みつけた。
「……わかったよ。だけど必ず一人は連れて行かないとなんだ」
「ちょっと! 言われたことと違うじゃない」
「うるせえな。だったらお前が一人でやれよ!!」
何故か意見の合わない二人は、レイセン君から離れると、次はフィリアの前で足を止めた。背のわりかし高いローブの中から指が伸びて、フィリアの手首を掴んだ。
「っあ……」
フィリアが後手に縛り上げられる。ぐったりとしたフィリアを抱え、黒ローブは距離を置いた。
「そいつの代わりだ。もう何を言っても遅い」
背の低い女性のような声をした人が小声で何かを呟いた。すると再び魔法陣が現れ、フィリアと共にその場から消え去った。
薄暗いグレーの雲が覆い被さるように広がり、街は雨の臭いがした。
市街の空気は澱んだ河のように暗い。錆びついた家のドアや、腐って苔が生えている窓の縁に目を遣った。
逆らう人々を悉く残酷な方法で殺害した拷問好きの王が、この国を制圧していたという。僕は欠伸をした。
「ご主人様、聞いていますか?」
レイセン君は欠伸をしている僕をきつく睨むと、呆れたように吐息を漏らす。
「うん、勿論。それがこの街──アトロシティなんでしょ」
いつものように、レイセン君が旧市街アトロシティの概要を説明してくれていた。
──罪の償いは重ければ重いほど、長ければ長いほど、痛ければ痛いほど良い。
それが、アトロシティの王の趣味であり方針であったらしい。僕が欠伸をしたのは、そんな個人的な理由で死に方を決められてしまう人々が可哀想だ、とでも思ったと同時に呆れたからだろう。
「そうです。貴方は本を全く読まないのですから、話を聞くだけで理解できるのであればそれに越したことはないでしょう」
旧市街アトロシティという一つの住居のまとまりは、特に変わったものだった。
正方形の箱に押し込められた家が、網目状の道にそって規律正しく敷き詰められている。
道のど真ん中に立って正面を向くと、食パンを真っ二つに丁寧に切ったような光景が広がっていた。
「気のせいでなければ、向こうから何か聞こえてくる……」
僕とレイセン君の後ろを、三歩ほど下がって歩くノアが、ふいに声を出す。
ノアが言い終わるのが先か、自分自身で気づいたのが先か、僕にも同じように音が聞こえた。
音は、僕たちからはまだほど遠い。けれどその音階は女性の美しい歌声のように、心地よく耳に届く。近場で聞いていたとしても、その音が楽器から出ているものだと気づくのに時間を要するだろう。
「誰かが演奏しているみたい」
「こーんなに人気のない場所でやることではありませんわね。綺麗な演奏なのに、勿体無いですわ」
僕の推測に、フィリアが皮肉で応えた。
「油断なさらぬように。死角から足音が聞こえます」
レイセン君が警鐘を鳴らす。気にしなければ笛の音に掻き消されていたであろう、鉄靴が足踏みをする音がしっかりと耳に入った。
「念のため武器を構えておきましょう。十中八九、敵だと思います」
レイセン君が鉈剣の柄を強く握る。僕は弓と矢を一本取り出し番えた。ノアは静かに頷くと、フィリアに目配せをした。
「フィリアが先に支援しますわ! さあ、輝くところをフィリアに見せなさい!」
フィリアはサイコロに話しかけると、戦闘用のサイズに膨らませ、賽の目に嵌め込む宝石が飴玉程度の大きさにまで小さくなった粒が幾つも詰まったおもちゃのようなステッキを握った。
それから動作を短くし、急かすようにサイコロを振る。出目は三だった。
僕の周りを回転するように、生暖かい風が吹いては上空へと消えていく。フィリアの賽の目が与える効力の表れだろう。
しかし、魔法学校ユーサネイジア前で受けた時とは「何か」が違っていた。
支援を受けたはいいが、未だその回数が少ないため、どんな効果があるのかは戦ってみなければわからない。するとフィリアが言う。
「これは……えぇっと、確かそう、普段よりも身軽に動けるはずですわ!」
「おー今回はちゃんと本を開かなくても言えたね。えらい、えらい」
「お世辞は結構ですのよ! フィリアは天才ですからね」
まだ全ての色と効能を覚えきれてないんだ、フィリアは。とノアが面白がって言う。
「ご主人様、以前最後までできなかったあれをここで試してみては?」
「うん、あれだね。わかったよ」
レイセン君と顔を見合わせて、うんと頷いて見せる。
ノアとフィリアは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている、が説明している暇はないようだ──。
「Δαίμονας?」
人語を話すそれが、ついに左右の建物の影から姿かたちを現した。
列をなして一人ひとりが一定の距離を保ちながら、寸分も違わず皆一斉にこちらを振り向いた。ざっと見たところ十五体くらいはいる。
「Δαίμονας?」
頭部から触手のようなものが二、三本生えた二足歩行の魔獣。中には腕や足が触手に代わっている者もいた。
両手が人のものである魔獣は、銃を体の前で斜めに抱えている。そうでないものは触手と長銃が同化した腕をこちらに向け、反対の腕で槍や剣を握っていた。
「さっきから何を言っているんだ、あの魔獣……」
ノアの独り言みたいなつぶやきに、僕は推測ではなく事実を教える。
「悪魔かって聞いてる。話が通じる相手とは思えないけど」
「アクアさん、あの人達が言っている言葉がわかるんですの?」
なんとなくね、と返事をした。どこで身につけた知識なのかさえもわからないが、普段の会話と同じように、僕には魔獣の言葉が理解できた。
「προδότης! προδότης! ο δαίμονας είναι προδότης!」
「たった今、僕たちを悪魔だって決めつけたみたいだよ」
「Ο διάβολος πάει στη φυλακή! Οι αντάρτες πάνε στη φυλακή! ──悪魔を監獄へ! 反逆者を監獄へ!」
十五人の銃口が、僕らに牙を立てた。
「前置きは終わりましたか? では、参りましょう」
レイセン君が吐き捨てるように言い残し、魔獣の持つ武器の特性を知りながら、それでも恐れることなく前進する。
「……フフ」
続けてすぐに、ノアが薄笑いを零す。これは戦闘時という条件下で必ず起こる、ノアのスイッチの切り替えだ。
レイセン君が疾走する後ろで、体を前かがみにゆっくりと倒し、ノア自身の体を支えるために、両手を床についた。逆手に持ったスタンガンが、一瞬青白く稲光をあげた。
そして下半身を突き上げると、解き放たれた獣のように、魔獣へ一直線に駆けた。
銃声が、僕たちの居場所を原点に街を覆い尽くしていった。
「フィリアは銃が当たらないところに隠れて、僕はあそこに」
「わかりましたわ。お気をつけて」
僕はフィリアがサイコロを抱えて走り出したのを横目で見ながら、建造物の屋根に意識を集中させた。
屋根の上から、真下に見える魔獣の群れを想像する。僕が転移しようとしているのは、想像した視点と全く同じ位置だ。
集中すると、辺りから人も何もかもが消える。けれど目的地だけは見失わないよう、意識だけはしっかりと転移先に向ける。
「本当にできた……」
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僕は転移の反動で少しふらついてしまう。しかと平らな屋根に足をつけ、一呼吸。
さっきまでいたはずの道を、僕は今見下ろしている。そこでレイセン君とノアが魔獣と闘争を繰り広げていた。
すかさず応戦に入る。番えたままの矢を、一気に弓から遠ざけた。狙いを定め、魔獣の頭──はないから、武器を破壊し妨害する。
「う、うわぁ!?」
矢の向きで、魔獣のうち数体が僕の場所に気づいてしまったようだ。残りは気づいていないというより、レイセン君とノアの一際素早い行動についていくのに精一杯という状態だった。
僕をめがけて、一体が銃弾を放つ。僕は自分でも信じられない速度で弾を躱していた。
体が、骨と肉と皮でできているような気がしなかった。布と綿の詰まった人形になった気分だ。これがフィリアの術の力だと、再認識させられる。
「クク、斬首がお好みですか。ならばそのように」
レイセン君は踵の高い靴で倒れた魔獣の胴体を踏み潰すと、嬉しそうに且つ蔑んだ目で鉈剣を突き立て、振り下ろした。
陸にあげられた魚のように触手から迸る鮮血を浴びながら、それでもレイセン君の口角は下がっていなかった。
「ウゥ……ゥアアアアアアア!!!!」
今度は滅茶苦茶なように見えて、しかし確実に敵を仕留めていくノアと、彼が手に持つスタンガンが唸る。
「Δαίμονας!!!!」
僕がノアに立ち塞がっている敵の殲滅を試みようと、再び弓矢を構えたその時だった。
ノアが転がっていた小石に片足を取られて足を挫く。
「あっ……ノア!」
両眼を赤く光らせた水色の髪が揺れる。ノアが顔を上げた先に、魔獣の銃口があった。
最悪の場合、額を弾丸が貫通してしまうだろう──。
すると、ノアを包み込むように、新月の形をしたカプセルのような輝きが生まれた。魔獣がトリガーを引くと、その弾はノアの直前で反射し、真っ直ぐ敵の腕を貫いた。同時に僕の放った矢が魔獣に直撃し、異色を放つ怪物は断末魔をあげて斃れた。
まさかと思い、戦闘の中心から少し離れた建築物の角を見ると、フィリアがうさぎのように飛び跳ねて喜んでいた。
そして時計の針の音が鳴り止んだように、旧市街は静けさを取り戻していった。戦いは終わったようだ。
「ふぅ……」
僕は敵がいなくなった安堵からため息をつくと、レイセン君たちのいる場所に転移した。
「皆さん、怪我はありませんか?」
最も魔獣の血を浴びているレイセン君が言う。
「あぁ、転んじゃったみたい。掠り傷程度だし、薬を塗っておくよ」
ノアもレイセン君も、大事に至る怪我はしていなかった。
「ふふっ、先程の、見ていただけました? あの銃弾を防げたのはフィリアのおかげでしてよーノア!」
フィリアの高笑いが始まった。少女は安全な場所に隠れていたおかげで傷一つない。
「うんうん、あれは当たってたら痛かった。ありがとう」
ノアがいつものノアに戻り、困ったように笑いながらフィリアの頭を優しく撫でた。
「……この演奏、まだ続いてたんだ……」
街に入ると聞こえていた音の旋律は、今も変わらず響き続けていた。
僕たちは、その音が聞こえる方に向かってまた歩きだす。道端には、魔獣と似た鎧を身につけた死体が転がっていた。魔獣同士が殺し合う──なんてこともあるのだろうか。魔獣は僕らを見つけなければ、あのまま自分と同じ者を敵とみなしてデスゲームを始めていたのかもしれない。
「あの噴水の裏。そこに誰かがいる。黒っぽい影が見えるよ」
目視で確認できるかできないかという距離で、ノアが人影に気がつく。崩れかけた女性像の後ろ側に蠢くものがあり、聞こえてくる音も段々近くなっていく。音源はきっとあの噴水だ。
僕たちは更に噴水へと近づいていった。
「う……足が痛い……」
「さっき転んだのに、やっぱり無理を……って、なんだかフィリアも体が……」
その身体的な異変は、どうやら全員が感じているらしい。ノアは足を引き摺って歩くようになり、フィリアもどこか苦しそうだ。
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原因はわからない。けれど全身が痛みだす。魔獣との戦いで深手を負ったわけでもない。
「……っく……」
横を見ると、レイセン君も苦虫を噛み潰したような表情に変わっていた。
「君も……ああ、だめだ。感覚がなくなっていく……」
噴水まであと少し、あと十数歩でたどり着けるのに。
体が痛みだしたかと思えば、今度はじわりじわりと痺れていった。あるべき感覚を全てその痺れに奪われ、立っていられなくなる。
脳裏にまで響く笛の音色が、耳に入っては脳味噌を伝い、体の内側から叫ぶように勝手に振動する自分の体に気持ちの悪さを覚えた。
遂に、一言も話せなくなってしまった。声を上げても、せいぜい唸り声にしかならない。
「……ッう」
音が、止んだ。
噴水の裏で演奏をしていた人の動きがなくなり、黒くて長いローブを垂らしながら立ち上がった。
「……ふん、まんまとハマりやがって」
ローブの口から見える横顔が笑う。男性のようにも女性のようにも聞き取れる、中性的な声だった。ローブで顔を隠したその人は、ここにいない誰かに言い聞かせるように口を開いた。
「おい、もう十分だろ。連れて行くぞ」
中性的な声に反応したのか、ローブを深く被った人の斜め後ろから赤い魔法陣が現れた。
魔法陣からは、同じローブを着た、背の低い人が湧き出てきた。
「ま、初見じゃ気づかないよな。俺の才能なんてさ」
「あまり喋らないで。調子に乗ってまた怒られても知らないから」
二人は会話をしながら、僕たちに近づいてくる。
「こいつは貰っていくぞ」
そしてローブの二人が足を止めた。その先にいるのは──レイセン君だ。
「……ッ!」
起き上がろうと腕を曲げてはいるが、それ以上の力が入らないようだ。それは僕も同じだった。
「や、めろ……!!」
僕は死んだ頬の筋肉を無理矢理動かして、拒絶した。抗うも為す術がないレイセン君が、今まさに連れ去られようとしている。
いなくなるなんて考えられない。僕は笛を演奏していた外套の人影をきつく睨みつけた。
「……わかったよ。だけど必ず一人は連れて行かないとなんだ」
「ちょっと! 言われたことと違うじゃない」
「うるせえな。だったらお前が一人でやれよ!!」
何故か意見の合わない二人は、レイセン君から離れると、次はフィリアの前で足を止めた。背のわりかし高いローブの中から指が伸びて、フィリアの手首を掴んだ。
「っあ……」
フィリアが後手に縛り上げられる。ぐったりとしたフィリアを抱え、黒ローブは距離を置いた。
「そいつの代わりだ。もう何を言っても遅い」
背の低い女性のような声をした人が小声で何かを呟いた。すると再び魔法陣が現れ、フィリアと共にその場から消え去った。
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