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「アンナ、気分が悪いの?」
 いきなり間近で声がしてびっくりした。
 顔を上げてみたらハインリヒがいた。
「ハインツ様?」
 それはアンナも同じだったようだ。目を丸くしてハインリヒを見つめている。

「あちらのお席でヴィット公爵令嬢とお茶をしていたのではないですか」
「そうだよ。でも、アンナの調子が悪そうだから来ちゃった」
 そう言いながらギロリと私を睨みつけた。

 "その汚い手でアンナに触るな"

 そう言われている気がして慌てて手を離した。
 それを見て満足したのか、アンナに対して柔らかな笑みを浮かべた。もしかしたら、私がアンナに触れたことが我慢ならなくてこっちに来たのかもしれない。

 ハインリヒは私達に断りもなくテーブルに着いた。

「調子が悪いならすぐに言うんだよ」
 そう言いながらハインリヒはアンナの手を握った。
 突然の行動にアンナは戸惑っているようだった。不自然に繋がれた手とハインリヒの顔を交互に見ている。
「体調は悪くないですよ」
「そう? でも気をつけておいた方がいい」
 ハインリヒは私をちらりと見た。邪魔だから早く席を立てとでも言いたいのだろうか。

 ーー気まずい。

 でも、ここで席を立ったらハインリヒの思う壺になるような気がした。だから、意地になってハインリヒに笑いかけた。

「おや、珍しい組み合わせだね」
 そう声をかけてきたのはヴェルナーだった。彼は当然のように私達のテーブルに着いた。
 アンナは顔をしかめて嫌悪感を丸出しにしている。対照的に、ハインリヒは穏やかな笑みを浮かべたけれど、よく見ると目が笑っていない。

「殿下、今日はアイリス嬢と一緒じゃないんだね」
 ヴェルナーは爽やかな笑顔で嫌味なことを言う。アンナの前でわざわざアイリスの名前を出すなんて、やっぱりこの男は性格が悪い。

「それに、こんなところで"仲良くする"なんて」
 からかうように二人の手を見る。
「婚約者だよ? 何か問題があるのかな」
 ハインリヒはそう言ってアンナに微笑みかける。アンナは戸惑いながらも微笑み返した。
 ヴェルナーの目が一瞬鋭くなった。

「そういえば、アンナ。庭園のバラが見頃だそうだよ。これから一緒に見に行こう」
「え? これからですか」 
 アンナはこちらをちらりと見た。そしてヴェルナーを見てまた顔を顰めた。
 私を放っておいて行くのは気が引けるけど、ヴェルナーとはこれ以上一緒にいたくないと言いたげた。
「アンナ様、いってらっしゃい」
 迷った末に私は言った。ハインリヒの思い通りになるのは癪だけど、この変な空気を味わい続けるのは拷問に近い。
「そう? ごめんなさい。お茶の途中に」
「いえ。またゆっくりお話しましょう」
 エマの微笑みでそう返したら、アンナとハインリヒは席を立った。

「何あれ。つまんないんだけど」
 二人がカフェテリアを出ていってからヴェルナーは呟いた。
「君、アンナと仲良くなったって本当だったんだね」
「ええ。まあ」
 隠してもしょうがないから認めておく。
「まあ、いいや」
 そう言ってヴェルナーはいきなり私の手を取った。
「最近かまってあげられなかったからって、そんなにすねないで?」
 大きな声でそう言うや否や私の手の甲にキスをしてきた。
 周囲がざわついた。四方八方からの視線が痛い。

 私は慌てて手を引っ込めた。
「ブラント小公爵様、お戯れが過ぎますよ?」
「まだ怒っているんだね。俺が悪かったよ。お願いだから前みたいに"ヴェルナー様"って呼んでくれ」
 そう言ってヴェルナーはわざとらしく媚びてみせた。この男、何が目的かしら。
 ヴェルナーは私に顔を近づけると囁いた。
「アイリスの顔を見てご覧? すごい表情をしているから」
 ちらりと彼女の方を見たら、アイリスは怒気を孕ませた目で私を睨みつけていた。
 私は慌てて目を逸らした。
 ヴェルナーが急に変なことを言い出したのは、アイリスの怒りを私に向けるためだったらしい。

「最近、鬱陶しくてムカついてたんだよね」
 ヴェルナーは満足気な表情で足を組んだ。
「ハインリヒどころかマテウスにも媚びを売って気持ち悪い。何か目的があるのかと思って探りを入れてみたらただの頭の悪い女だったよ。がっかりだ」
 ヴェルナーは早口で捲し立てると頬杖をついた。
「どうして、私にそれを?」
 人がいる前だ。私はエマの微笑みを崩さないように細心の注意を払う。
「君は今、俺の一番のお気に入りだから」
 にっと笑うヴェルナーはかっこよくて余計に腹が立った。
「愛してるよ」
 わざとらしく大きな声で言うとヴェルナーは立ち上がった。そして何食わぬ顔でカフェテリアを後にする。

 残された私は、遠くの席に座っていた友達の下へと向かった。そうしないとアイリスがこっちに向かって来そうで怖かった。
 友達には案の定、変な誤解をされ、質問攻めにあった。最近、やっとヴェルナーとの噂が落ち着いてきていたというのに、あの男はなんてことをしてくれたのかしら。私は授業が始まるまで、怒りを抑えてエマを演じた。

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