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 そして、私は今現在もハインリヒに睨みつけられている。
 私がアンナとカフェテリアでお茶をしているのが気に入らないのだろう。
 彼は少し離れた席でアイリスとお茶をしている。私を睨みつけるくらいなら、アイリスからの誘いを断ってアンナと一緒にお茶をすればよかったものを。

「ハインリヒ殿下を誘わなくていいんですか」
「いいんです。ハインツ様は今、ヴィット公爵令嬢との時間を楽しんでいるみたいですから」
 アンナにしては珍しく冷たい口調だった。
 でも、怒るのも無理はなかった。このところハインリヒはずっとアイリスと一緒にいるのだから。

「そういえば、エマさんは"テンセイシャ"って言葉の意味をご存知でしょうか?」
 アンナの質問に、ティーカップを持つ手が震えた。
「"転生者"? さあ、何でしょうか」
 エマの微笑みで白を切る。
「この間、ヴィット公爵令嬢に言われたんです。『あなた、テンセイシャでしょう?』って。言っていることがよく分からなかったから首を傾げたら、もっと分からないことを言われてしまって・・・・・・」
「どんなことを言われたんです?」
「『ハインリヒは私のものだから。エマと仲良くしてエンディングを変えようとしても無駄だから』って。どういう意味だか分かりますか」
「さあ?」
 いつものように無邪気に笑うつもりだったけど、上手くできなかった。引きつった笑みを浮かべたからアンナは不思議そうな顔をして私をみている。

 アイリスは絶対に私と同じ転生者だ。しかも、ハインリヒをがっつり狙っている。

「"テンセイシャ"という言葉を辞書で引いていたんですけど、載ってなかったんですよね」
 それはそうだろう。なんなら転生前の世界でも、辞書に載っているかどうか怪しい。

「それより、アンナ様。そんなことがあったのにハインリヒ殿下とアイリス様のことを放っておいて本当にいいんですか?」
 アイリスは愚かにもアンナに宣戦布告をしたんだ。ハインリヒをアンナから奪い取る気満々の上、アンナを闇の女王にするつもりでもいる。ハインリヒを奪うだけならまだしも、わざわざアンナを一生、塔の中に幽閉させる気でいるなんて・・・・・・。性格が悪すぎる。

「正直に言って、ハインリヒ様がヴィット公爵令嬢と一緒にいるのは嫌です」
 アンナはティーカップを両手で包みこんだ。
「でも、それをはっきりとハインツ様に言ってしまったら、夢の中みたいに彼の心が離れてしまうような気がして」
「夢の中?」
「この間、お話したでしょう? 私は定期的に変な夢を見るんです。エマさんとハインツ様が親しくすることに私は惨めにも嫉妬して、エマさんにたくさんの意地悪をしてしまうって。それが原因で夢の中のハインツ様は私のことを嫌いになるんです」
 前にこの話を聞いた時、深く追及できる雰囲気ではなかった。でも、ちゃんと聞いておいた方がいいかもしれない。

 ーーアンナが『ルクツェン物語3』のハインリヒルートを、"夢として見ていた"可能性を。

「夢の中で、アンナ様は私にどんな意地悪をしていたんですか」
 なるべく優しく、責めないように言った。
 アンナは口ごもって教えてくれない。聞き方を変えた方がいいのかもしれない。

「ごめんなさい。いきなりこんなことを聞いてしまって。夢の中の出来事とはいえ、アンナ様が人に対して意地悪をするところなんて想像がつかなくて。夢の中の私は、一体どんな失礼を働いたのかなと思ったんです」
 アンナは視線を泳がせた後、恐る恐る私の目を見た。
「ただの、夢ですよ。気を悪くしないで聞いてくれますか」
「もちろんです」
 そう言って優しく笑ったらアンナはぽつりぽつりと話始めた。

 夢の中のエマも、無邪気で明るく愛らしい印象の令嬢だった。ただ、私が演じるエマとは違って、教育のなっていないところも多く、無礼で品がなく教養がないようにも見えたそうだ。

 この特徴は、『3』のエマと同じだ。

 エマは大胆にもハインリヒに積極的に近づいた。その結果、ハインリヒはアンナを蔑ろにしてエマと一緒にいるようになったそうだ。
 例えば、"勉強会"と称して放課後の教室に二人きりでいたり、頻繁にお茶をするようになったり、ついには放課後の中庭で二人がキスをする所まで目撃してしまった。
 アンナはハインリヒに対して抗議をしても全然取り合ってもらえなかった。むしろ、アンナが言えば言うほど、ハインリヒの浮気めいた行動は悪化の一途を辿ったそうだ。
 だから、アンナの憎悪はより一層、エマに向かった。罵倒したり物をぬすんだり、感情が高ぶり過ぎた時には怪我をさせようとしたこともあったらしい。

 アンナが話した夢の内容は、ゲームのイベントとほとんど合致していた。
 まだ時期的にアイリスは到達できていないだろうけど、ゲームの中では放課後のキスイベントも存在した。
 やはりアンナは夢で『3』の内容を見ていたんだ。だから、この間まで私のことを警戒していたのだろう。

「私は、夢の中みたいに悪い子になりたくないんです。もし、夢の中のようにハインツ様の心が私から離れてしまっても、人に意地悪をするような人間にだけはなりたくないんです」

 そう話を締めくくったアンナは儚げで、その瞳は悲しみを帯びていた。

「アンナ様は、悪い子になんてなりませんよ」
 私はカップを握るアンナの手を優しく包みこんだ。
「アンナ様はこんなにお優しいんですもの。意地悪なんてするはずないです」
 天使のように優しく微笑んだ。婚約者の浮気を健気に受け入れようとするアンナが可愛そうでたまらなかった。
 それと同時にハインリヒとアイリスに対する不快感もふつふつと湧いて出た。
 ーーあの二人をどうにかする方法はないのかしら?
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