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Act・4

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 その日は雨が降っていた。さすがに蒼子からのLINEもなかった。

 下校の支度を始めている生徒たちに混ざって、晴海は机に軽く腰掛け、スマホの画面を見ていた。

「はぁ~る!」

 クラスメイトのヨシが、背が高い晴海の首に力いっぱい腕を回してきた。晴海は思わず背中を丸めて屈んだ。ヨシの隣には、彼のガールフレンドの真奈美と彼女の親友の沙也がいて、3人は興味深げな眼差しで晴海の顔を覗き込んでいた。

「お前、珍しいじゃん」

 ヨシが、晴海の胃のあたりを、ぐりぐりと拳骨で押した。

「なにがだよ!」

 晴海は腹を押されて「くの字」になりながらも、スマホを制服のポケットにしまい込んだ。

「いや、最近のはるって、終業の鐘が鳴った途端、消え失せてたじゃん。今日は珍しくゆっくりしてんのな」

「雨だから......」

 晴海が蒼子と会えない理由は雨だったから、つい口に出してしまった。

「雨? 雨だとなんかあんの?」

 真奈美がじっと見上げて尋ねた。

「え? いや、その! 別に、なんでもないよ」

 晴海は耳まで赤くなって、しどろもどろになりながらも否定した。

「おや? はる。おまえ真っ赤だぞ? さてはぁ............、女か!」

 ヨシがからかうように春海の首に回した腕を、さらに強く絡めながら、顔を近付けてきた。

「ち......違うよ! なんでもないったら!」

 晴海が否定すればするほど、沙也を残して2人がずいずいと近付いてきた。

「怪し―――! ぶっ飛んで学校から消えるって、別の高校の子?」

 真奈美もさすがヨシの彼女だ。遠慮がない。

「だから! そんなんじゃないってば!」

 晴海はクラスでは、人当たりは良いがあまり多くをしゃべらない、華奢で背が高く、ちょっと掴みどころがない男の子というイメージが成立していた。

 その情報は下級生にも伝播していて、水面下で女生徒たちにちょっと騒がれる存在だった。

 しかし、少々「ぽよ――――ん」気味な彼自身は、全く気がついていないというおまけがついていた。

「んじゃぁさ、俺らこれからサ店でも行こうかって話してんだけど、男1人足りないっしょ? はる、混ざらない?」

 ヨシの眼が沙也にほんの少し流れた。

 晴海の脳裏に、目的地までじゃれ合う仔犬のように歩く真奈美と沙也、それに茶々を入れるヨシの声。他愛のない話をする彼らが、ストローでグラスに入った氷をカラカラとかき回す音とはしゃぐ姿が浮かんだ。

 晴海には、それが自分とは関わりがない情景に思えた。

「この後、なんかあんのか? なかったら行こうぜ!」

 ヨシがさらに強く誘った。

「行こうよぉ、はる君。次の休みにディズニーランドへ行く計画立てるの。はる君も一緒に行かない?」

 真奈美が沙也の腕に自分の腕を絡めた。晴海はほんの数秒彼らを眺めただけで、カバンに手をかけた。

「ごめん。辞めとく」

 ヨシの腕からすり抜けた。

 晴海は傘を広げながらとぼとぼと帰路に就いた。蒼子とはM美術館でしか会えない。それがひどく寂しかった。

 家に帰ってからも、ぼんやりと重く垂れ込めた雲と、容赦なく降り続く雨を見上げていた。やがて、視線を机に置いたスマホに移すと、勇気を出して、蒼子にビデオ通話をしてみた。

 電話する理由......。なし!

 話題......。思い浮かばない。

 でも、どうしても彼女の顔が見たかった。ひきつるほどに、その感情があふれていた。ほんの3回ほどのコール音の後、意外なほど簡単に蒼子が応答してきた。

「こ......。こんばんは......。なんか......その......」

 晴海はしどろもどろだった。

「ちょうど『顔が見たいなぁ~』って思ってたのよ」

 こういうとき、蒼子の方が先に、はっきりと口にするのはいつものことだった。でも、ディスプレイの向こう側にいる蒼子は、ベッドに吸い込まれたように見えるほど、細い身体を横たえていたのだった。

「具合が悪いの? ビデオ通話なんかしてごめん」

「だぁ~かぁ~らぁ~~。顔が見たいと思ってたって、私、言ったわよ?」

 蒼子は起き上がろうと身体を動かした。それを見た晴海は、思わず叫んだ。

「あ......無理しないで。寝ててよ。蒼子がそれで話せるなら、そのままでいいから」

 晴海は慌ててスマホに向かって、両手をひらひらさせた。

「ありがとう。じゃぁ、このまま寝てるけど、ごめんなさい」

 蒼子は弱々しく笑った。

「調子が悪いの?」

「雨の日はね。身体も正直なのよ」

 蒼子はだるそうに答えた。晴海は、蒼子の背後を見つめた。

「後ろの壁。すごいね。空の写真だらけだ」

「父に頼んで、空の写真をたくさん貼ってもらったの。私の魂が迷わず空へ逝くように......ね......」

「蒼子......」

 晴海は死の覚悟をしている蒼子の言葉に、心臓が握りつぶされそうに痛んだ。

「あら? 電話中?」

 蒼子の母らしき人の声がした。晴海は訳もなく居心地の悪さを感じ、慌てて背筋を伸ばしてしまった。

「七瀬晴海君。晴海君と電話してるの。母よ」

 蒼子が楽しそうに笑いながら、カメラを母親に向けて紹介してくれた。

「あ......。は......初めまして。七瀬と申します」

 晴海はディスプレイに向かって、ぺこりと頭を下げた。

「初めまして。魂の片割れ君ね」

 蒼子の母は、彼女の肩越しにひょいっと顔を出して、穏やかに微笑んだ。この言葉に晴海は、蒼子の恋人と言われた気がしてこっぱずかしくなったが、蒼子の母親が認めてくれてるんだと思うと、浮かれてしまった。

「え......とぉ。はい。そう認識しております」

 これじゃ国会で答弁する議員みたいな口っぷりだ。晴海はますます赤くなり、しどろもどろになってしまった。

「同じものに憧れ、同じように感じ、同じように想いを寄せ、同じように志向する。だから私の魂の片割れ」

 蒼子は晴海をじっと見つめた。やっぱり、言葉にするのは蒼子の方が上手だ。

「蒼子が少し沈んでたから心配したんだけど、晴海君と電話できてよかったわね。蒼子が笑ってて、安心したわ。晴海君。ごゆっくり」

 蒼子の母は言い残すと、部屋から出て行ったようだった。

 ひとしきり蒼子と話したら、階下から母親が、夕食ができたと叫んだ。

「メシだって。蒼子は食べられそう? なんだか、無理させちゃったな。蒼子もちゃんと食事を摂るんだよ」

 晴海は横たわったままの蒼子を見つめた。

「はぁい! 楽しかったわ。じゃあ、またね」

 蒼子は弱々しく手を振った。

「んじゃ、切るね」

 言ってはみたものの、自分から受話器のマークを押すことができなかった。それをまた、蒼子は察したらしい。小さく笑うと、人差し指を見せた。

「いち・にの・さん! で、『ま・た・ね!』って言って押しましょうよ」

 その提案は晴海にとって最高だった。

「うん! じゃぁ、言うよ」

 2人は同時に声を発した。

「いち・にの・さん! 『ま・た・ね!』」

 ポチっとマークに人差し指を乗せると、受話器マークが水平になった。晴海はスマホを机の上に置くと立ち上がり、「うっし!」と小さく叫んでガッツポーズをした。

(蒼子が『またね』と言ってくれた)

 それが嬉しかった。

 また会える。M美術館で。雨の日は電話で......。

 まだまだ、蒼子と一緒の時間を過ごせる。
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