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第二章 悪魔退治
62:パーティ(2)
しおりを挟む「おい、見ろよあの髪」
「え、もしかしてあの人が?」
「そう!噂の次期公爵夫人!」
「確か、ヴァレリアで夫以外の男と寝たんだっけ?」
「ああ、皆んなそう言ってる」
「公子殿もよく離婚せずにいられるよなぁー。俺なら絶対無理だわ!」
「穢らわしい」
令嬢たちと楽しく話していると、後ろからそんなことを話す男の声が聞こえてしまった。
私は笑顔を貼り付けたまま、固まってしまう。
抗議しようとしたのか、ジェフリーはバッと勢いよく振り返る。だが私は彼の袖を引っ張り、それを止めた。
「ミュリエル?」
「騒ぎを起こしたくありません。私なら大丈夫です」
今日はオズウェル殿下の誕生日を祝うパーティだ。もうすぐ主役の殿下がシルヴィアを伴って、あの中央の階段から降りてくる。
余計な喧嘩をしてお祝いの雰囲気を壊したくはない。
ジェフリーは私の意図を汲んでくれたのか、拳を強く握り締め、グッと我慢してくれた。
けれど、
「あらやだ」
「お可哀想に」
「耳は良くとも目は悪いようですわね」
「遠くの山を見つめ続けると視力は回復すると聞いたことがありますが、教えて差し上げた方が良いかしら」
「それよりも山の中でのスローライフをご提案して差し上げた方が親切かもしれませんわよ」
令嬢たちは一斉に扇を広げて口元を隠し、そこそこ大きな声で話し出した。
「夫人の素敵なお人柄はそのお顔を拝見するだけでよくわかりますのにね」
「あの方の妻となった方はきっと、夫から尊重されることなく、物みたいに扱われる悲惨な人生を歩むのでしょうね」
「まあ!悲劇だわ!」
「想像しただけで涙が出そう!」
「その点、公子様は夫人を深く愛していらっしゃるのが良くわかります」
「そういえばあの日も公子様は警備隊任せにせず、自らヴァレリアに乗り込んだのでしょう?」
「自らの手で夫人を救い出したと聞きましたわ」
「まさに理想的な王子様ですわね!」
「わたくしも結婚をするなら、公子様のような、妻のことを愛し、尊重してくださる殿方がいいわ」
「では、少なくともアドルフ家とベルナール家は候補者リストから除外しておかないと」
「ロベル家もね」
「うふふっ。元から入っていませんわ」
「確かに、そうでしたわね」
ころころと笑いながら嫌味を垂れ流す令嬢たち。私の背後にいた男のうちの一人が顔を赤くして「おい!」と話しかけてきた。
すると令嬢たちは皆、スンッと真顔になり、わざとらしく小首をかしげる。
「どうなさいました?」
「無礼だぞ!」
「何がです?」
「あらやだ。まさかレディの会話を盗み聞きしていらしたの?」
「まあ!なんて破廉恥な」
会話の盗み聞きというマナー違反を指摘された彼らは、顔を真っ赤にして怒りに震るえている。
だが事実、令嬢たちは彼らに話しかけてなどいないわけで。盗み聞きという指摘は間違いではないため、何も言い返せない。
双方が睨み合い、あっという間に一触即発の空気が出来上がってしまった。
さて、どうしたものか。
これ以上騒ぎを大きくしたくない。
私はひとつ、ため息をつくとくるりと後ろを振り返った。
そしてにっこりと微笑み、ひと言。
「卿はご存じ?事実と異なる情報を垂れ流すのは名誉毀損にあたるのよ?」
このひと言で勘の良い奴は顔をサァーッと青くして後ろに下がった。
そりゃそうだ。オーレンドルフ家に名誉毀損で訴えられたら実家は没落確定だから。
けれど中には勘の悪いお馬鹿さんもいて、その一人、ベルナール家の次男は私に向かって『うるさい、阿婆擦れ』と言った。
その瞬間、強く握られていたジェフリーの手は弛んだ。
「ベルナール伯爵に抗議文を送ろう。楽しみにしておいてくれ」
「……え?」
「大丈夫だ。伯爵の対応次第では俺も寛容になってやろう」
「な、何を……」
「まあ、君は次男だし?婚約者もいないようだし?切り捨ててもベルナール家に大きな問題は生じないだろうな」
ジェフリーはそう言って、薄く笑みを浮かべた。それは甘やかされて育った貴族の坊ちゃんには少々酷な宣告だった。
他の令息たちは、自分も同じ目に遭いたくないのか、呆然とするベルナール卿を引きずり、そそくさと退散した。
「……や、やりすぎでは?」
「自分も同じようなこと言ったじゃないか」
「私のはただの脅しです。でもジェフリーのは違うでしょ?」
「当たり前だろう。妻を侮辱されたんだぞ。ここで甘い対応をすればなめられる」
ジェフリーの目は本気だった。なんかギラギラしてる。
ああ、きっとベルナール家の次男は近いうちに家から追い出されることだろう。
たった一度の失言で……。お気の毒にとしか言えない。
「権力って恐ろしいわ。もしも立場が逆なら彼はまだ貴族でいられたでしょうに」
「俺は立場が逆でも女性に対して『阿婆擦れ』なんて言わない」
「まあ、それはそうなんですけど」
「それに、そもそもここはそういう国だ。身分の違いもわからない奴は生きていけない。自由に発言がしたいのなら、海を渡り、自由の国イシュラルへと移住すればいい」
ジェフリーは「ねえ?」と令嬢たちに同意を求めた。彼女らは首をブンブンと縦に振り、激しく同意した。
「でも……」
流石にちょっと可哀想な気もする。
私はジェフリーの顔を見上げた。すると彼は人差し指を私の唇に押し当てた。
「ここでお人好しを発動するのは無しだぞ」
「……まだ何も言ってない」
「言おうとしていた。君を侮辱した男の処遇について俺に慈悲を求めようとした。違うか?」
「……」
「無言は肯定」
「だって……、私は別にそこまで怒っていないし」
「俺が怒っているんだ」
君の意見は聞いていない。そうハッキリ言われた気がした。
何が妻を尊重する夫だ。全然尊重されていないではないか。
私が無言で口を尖らせると、ジェフリーは大きなため息をこぼした。
「……無一文で家から追い出せとは言わない」
これが最大限の譲歩だと、ジェフリーは私の耳元で囁いた。
前言撤回。やはり私は尊重されていた。
でも耳元で囁くのはやめてほしい。息が耳にかかって、何だか恥ずかしいしソワソワする。
私は暑くなった顔を冷ますように手でパタパタと仰いだ。
「……私、ちょっと風に当たってきます」
「もうすぐ殿下が降りてこられれるぞ」
「すぐ戻りますから」
「わかった。では俺も行こう」
「いや、別にいいですよ。一人で大丈夫」
「俺が離れたくないんだよ」
ジェフリーは私の肩を抱き寄せ、額にキスを落とした。
令嬢たちはまた、きゃーっと湧いた。
この反応、見てる分には可愛いけど、当事者になるとちょっと疲れる。
私たちは彼女らに「また後で」と告げて、一度テラスに出た。
「ふう。気持ちいい」
私は柵にもたれかかり、肘をついた。夜風が頬を優しくなでる。
「もう疲れたのか?」
「引きこもりなので、人酔いです」
「なら、殿下に挨拶したらすぐ帰るか?」
「いえ。ちゃんと最後までいますよ」
「無理してないか?」
「無理してないです」
「ならいいけど」
ジェフリーはそう言いながら、私に近づいてきた。けれど何故か私よりも半歩後ろで足を止めた。
「ジェフリー?」
どうして隣に並んでくれないのか、と思ったが。……なるほど。
「ねえ、ジェフリー」
「何だ?」
「……顔見てもいい?」
「ダメ」
ダメと言われたら見たくなる。
私は振り返って彼を見上げた。
「あははっ!だから、そんな顔するならやらなきゃいいのに!」
顔が真っ赤だ。人前で額にキスとか、普段は絶対にやらないくせに。
「か、可愛い」
「う、うるさい」
「ジェフリーは本当に可愛い」
「可愛くない!」
可愛いわよ。とっても。
「やっぱり……」
大好きだなぁ。
信じられないくせに、私はこの人が大好きだ。
ああ、困ったなぁ。
私はうっかり、好きだと言ってしまわないように、熱った顔で不貞腐れるジェフリーにしばらく可愛いと言い続けた。
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