【完結】狂愛の第二皇子は兄の婚約者を所望する

七瀬菜々

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2:円満な婚約の解消(3)

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    ヨハネスは大きく息を吐き出して、紅茶を一気に飲み干した。

「6年も一緒にいたのに、冷めてるな。メイドが入れる紅茶の方が温かい……。私は悲しいぞ、リリー」
「ずっと一緒にいて湧き出てくる感情なんてただの家族愛です。愛情はあれど、それは恋情はありませんもの。引き止める理由もございませんわ」
「いっそ清々しいな。私相手になんの執着も見せない女は君くらいだぞ?」
「その発言はナルシストっぽいですよ。ヨハン」
「事実だろ。私はモテる」
「無駄に整った顔と無駄に高い地位のおかげですね。陛下に感謝しないと」
「不敬だぞ、こら」
「事実でしょ?そもそも私たちの王侯貴族の婚姻は国のためにあるべきです。愛だの恋だので決めるものでもありません」

 それは高貴な身分に生まれたものの宿命だが、リリアンのこの発言はジェレミーへの非難も含まれているのだろうか。
 ヨハネスが笑って誤魔化すと、彼女は呆れたようにため息をついた。

「……何だかんだと弟のお願いを聞いてあげるあたり、ヨハンも大概です。ほんと、弟に甘いんだから」
「可愛いからな」
「まあ、可愛いのは否定致しませんけど。皇位を争う仲なのに、不思議ですわね」
「それは周囲がそう騒ぎ立てているだけだ。私はアイツが望むのなら譲ってやるつもりだぞ」
「ジェレミーは絶対にいらないと突き返しますね」
「あいつは城よりも外の方が似合うからな。前線で魔獣退治してる時の方が、夜会でチヤホヤされるよりも性に合ってるんだよ」

 そういうところも可愛いけど、とヨハネスは昨日の朝早くに魔獣討伐に行った弟の姿を思い出し、ニヤニヤとしながらクッキーを齧った。
 討伐に行く後ろ姿は勇ましいのに、顔は中性的で可愛らしいジェレミー。
 そのギャップがたまらないのだと彼は言う。

「気持ち悪いですよ、ヨハン」

 本当にブラコンである。ジェレミーと年が離れているせいだろうか。本人には嫌がられているのに、この男はいつも弟を可愛がる。
 それはこの兄弟が対立関係にないことを対外的に示すためでもあるのだろうが、それにしても重症だ。

(そんなところも好きだけど……)

 リリアンは頬杖をつき、クスッと笑みをこぼした。リリアンはこの仲睦まじい兄弟が好きなのだ。
 願わくば、たとえ家族になれずとも、今までのように3人が兄妹みたいな関係でいられたらと思う。 
 ヨハネスは微笑みかける彼女に、同じように微笑みを返すと、そろそろお開きにしようと席を立った。

「じゃあ、正式な通達なまた公爵家に届くはずだから。違約金も多少はふっかけて良いぞ?」
「まあ、では第一皇子宮の半年分の予算くらいおねだりしようかしら」
「こら。リアルに稟議が通るか通らないかの瀬戸際を責めるな」

 大事なことには鈍いくせに、こういうことはちゃっかりとしている女だ。
 ヨハネスが軽く額をこづくと、リリアンは舌を出してい悪戯っ子の少女のように笑った。
 ヨハネスはそんな彼女に対する愛おしさを抑えるように、ぎゅっと奥歯を噛み締めると、右手を差し出した。

「これからは気安く『リリー』って呼べなくなるな」
「私も、『ヨハン』とは呼べなくなりますね」

 いつの頃からか、そう呼び始めたけれど、それももう終わりだ。
 リリアンは少しだけ寂しさを覚えつつ、差し出された彼の手に応えた。

「しばらくは周りがうるさいだろうけど、何かあれば頼ってくれ」
「何かって?」
「嫌味言ってくるやつの口を縫ってほしいとか」
「嫌味で傷ついたことは一度もありませんので心配無用です。なぜなら私は自他ともに認める鈍感ですもの」
「ははっ。間違いない」

 ヨハネスからは乾いた笑みが溢れた。
 優秀だが、貴族特有の迂遠な言い回しが苦手なリリアンは、嫌味を言ってくるご令嬢が逆にイライラするほどに嫌味に気づかない。
 加えていつも穏やかでニコニコしているため、悩みのないお花畑令嬢として有名だ。
 リリアンを見ていると皆、いつの間にか毒気を抜かれて、いつの間にか彼女と親しくなっている。

「本当、天性の人たらしだよな」
「あなたには負けますよ。天性の女たらし」
「男の義務として女性を丁重に扱っているだけだ」
「どうだか。私は何も思いませんでしたけど、今後は控えた方がよろしいですよ?公女殿下が寛容な方とは限りませんもの」
「そうだな。気をつけるよ」
「………」
「………」

 他愛もない昔話をしつつ、一向に繋いだ手を離してくれないヨハネス。
 リリアンは困惑しつつ、若干の上目遣いで彼を見た。
 すると、彼はいつも通りの涼しい顔で、繋がれた手をじっと見つめていた。

「……あの」
「……なんだ?」
「手を……」
「ん?……ああ、そうだな」

 ヨハネスは手を滑らせて名残惜しそうに、指を絡めるようにして手を繋ぎ直した。
 そして一瞬だけぎゅっと握り、すぐにパッと手を離した。

「じゃあな、リリアン・ハイネ嬢。次に会う時はただの友人だ」
「そう、ですね」
「今までありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。ヨハネス第一皇子殿下」
「では、また」
「ええ、また」

 リリアンとヨハネスは互いに微笑み合い、軽く会釈をして皇城の回廊を別々の道へと歩み始めた。

 一歩二歩、三歩と歩いたところで、ヨハネスは不意に足を止めて振り返る。
 その目に映るのは風に靡くリリアンの長い白銀の髪と、空を見上げる横顔。その凛とした眼差しには未練などまるでなかった。

「リリアンらしいな」

 自嘲するような笑みを浮かべてヨハネスは再び歩み始める。 

 この別れは決して悲劇的な別れではない。少しだけ残る寂しさは長く一緒にいすぎた弊害だ。
 こうして、リリアンとヨハネスの、恋はなかったけれど愛は確かにあった6年間が幕を閉じた。

 
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