破棄から始まる下克上

杜野秋人

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本編

15.挑戦状

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「さて、この子で遊ぶのはそれくらいにして」

 ウルリヒのその言葉で場の空気が締まる。

「ヴィクトーリア、そなたに“挑戦状”が来ておる」
「挑戦状だと?父上、誰からだ?」

 たった今の今まで顔を真っ赤にしてあわあわしていた乙女は、その瞬間にはもうひとりの女将軍になっている。そのあまりのギャップにジークムントが目を見開いて、アインハルトから「あれが普段のあの子だ」とか何とか言われている。

「誰が、など言わんでも分かるだろう?」
「なるほど、こちらの軍中に私がいることを嗅ぎつけたわけか」

 そう、挑戦状を送りつけてきたのはクラウスだ。だがウルリヒから手渡された書状を読むと、それは“挑戦状”などではなかった。

「大人しく降伏すれば、貴様らの命と家門の存続だけは許してやる、だと………!?」

 そう。それはクラウスからのだった。
 古代ロマヌム帝国時代から続くアウストリー公爵家、その公爵家が代々治める八裔国の一角たるアウストリー公国に対する、辺境伯の行いは重大な反逆行為であり許されざる大罪である。だがこれまでの功績に免じて降伏するなら特別に許してやらんでもない………などという内容の文言が、故事の引用や古臭い慣用句の言い回しをやたらと多用して長々と書いてある。

「な、“挑戦状”じゃろ?」

 確かに、これはヴィクトーリアと辺境伯家の誇りと尊厳を貶めようとするとも受け取れる。

「しかしこれ、便箋三枚も必要か?」

 怒りに震えるヴィクトーリアの手元から書状を抜き取って読んだマインハルトが、やや呆れたように言う。それほどに中身もないのに無駄に冗長な文であった。
 だが必要なのだ、クラウスにとっては。公国の公太子として、軍中の書状であっても親書であり、公太子に相応しい品位とを見せつけなければならないのだから。

「だから言ったろう、公太子アイツは見栄っ張りだと」

 憮然としたまま、ヴィクトーリアが言う。この期に及んでまだ自分の非を認めないどころか、あくまでもと言わんばかりのその文面に、もはや呆れを通り越して怒りさえ湧いてくる。
 今まではとかく尊大になりがちな彼をそれとなくなだめ、苦労しつつも上手いこと手綱を取っていたのがヴィクトーリアだった。だが婚約を破棄された今となってはもうそんな義理もないし、それで彼が苦労することになっても知ったことではない。
 というかこの文面からだけでも、彼がフランツェンブルク城内ですでに浮いているであろうことが伺える。おそらく城内では抗戦か降伏かで意見が割れていて、抗戦派のクラウスの方がきっと劣勢なのだろう。だから彼には今、『手柄』が必要なのだ。

「まあお察しの通りなのだが、私個人としてはこんなもの、受けるべきではないと思う」

 このふざけた書状を携えてきた当の軍使であるジークムントが、あろうことか書状の内容に反対してきてヴィクトーリアは驚く。タマラの血縁でもある彼は公太子に与するものと思っていたのに、もしや彼もクラウスに背くのか。

「それほど驚かれるのも心外だな。一連のこと、誰がどう見ても殿下の方に非があることは火を見るよりも明らかではないか」

 そうして彼は、そもそもタマラとは面識がなかったこと、それなのに縁者というだけで無理に決闘の代理人を命じられたのだと語り、さらに自分の勝利を信用せずに使こと、それにより神聖な決闘の儀を汚すとともに、ヴィクトーリアの心身と誇りに加えて自分の名誉さえも傷付けた事実を許した覚えはない、と言い切った。

「本当は私も、辺境伯領軍へ馳せ参じたかったのです」

 だが騎士上がりで領地も持たないアイヒホルン子爵家の力は弱く、一族の立場や騎士団での力関係を考えると軽はずみな決断もできなかった、と彼は悔しそうに語った。

「ジ、いやアイヒホルン卿が気に病まれることではない。元はといえば私が公太子アレを御せなかったのがそもそもの発端なのだから」
「「いやあのバカアレを御すのは無理じゃろだろ」」
「父上と兄上はちょっと黙れ」

「呼び難ければどうぞ名で呼んで頂いて構いませんよエステルハージ辺境伯令嬢」
「え、……あ、そ、そうか、では遠慮なく。
私のこともどうか名で呼んで欲しい」

 父娘のやり取りを微笑ましそうに見ていたジークムントがヴィクトーリアに名を呼ぶ許可を与え、彼女のほうでも返礼として許可を与えた。これ以後ふたりは親しく名で呼び合うことになる。

「ところでアイヒホルン卿は今からでも我が軍に参じるおつもりはないかのう?こちらとしては歓迎なんじゃが」
「お気持ちだけ有難く、辺境伯閣下。今は軍使として返書を持ち帰らねばなりませんので」
「そんなもの、卿が戻らねばそれが答えになると思うが?」
「だが兄上、それで我が軍が剣位騎士どのを害したなどと噂になってはまずかろう?」
「なに、陣頭に立ってもらえば嫌でも分かるだろうよ」

「返書代わりに、でも2、3発ぶち込んどけばよかろうて」
「それは良いな父上。奴らの度肝を抜くこと請け合いだ!」

 ウルリヒが何やら悪い顔をして、マインハルトが同じ顔で同調する。ヴィクトーリアはアレを使うのかとでも言いたげに顔をしかめる。

「じゃからまあ、アイヒホルン卿はどうぞごゆるりと逗留なされよ。奥に茶も茶菓子もあるでの」
「なんなら酒もあるぞ」
「いや戦の前から酒はダメだろう兄上」
「なに、どうせ戦は明日からだ。今夜は飲み明かそうではないか!」

 およそ決戦前とも思えぬ、見るからに平和そうな余裕のある家族の様子を見せられて、これは負けようがないなとジークムントはしみじみ思った。





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