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本編
14.生まれて初めて
しおりを挟む「なに、軍使だと?」
その知らせがもたらされたのは、敵味方がにらみ合いのまま陽が暮れなずみ、そろそろ野営の準備をしようかという時間帯になってからだった。フランツェンブルク城の敵方から軍使、つまり軍の使者が送られてきたというのだ。
ヴィクトーリアは伝令を受けて、自分の軍の軍幕を出て本陣天幕へと移動する。
「父上、兄上、軍使が来たと──」
本陣の入口を潜り、顔を上げたその目に飛び込んで来たのは──
「おお、一瞥以来ですね、エステルハージ辺境伯令嬢。思ったより元気そうで何よりだ」
「貴方は!ジー…いや、アイヒホルン卿、ご無沙汰しております」
そう、“剣位騎士”ジークムント・アイヒホルンがそこにいたのだ。
彼が礼儀正しく姓で呼びかけてきて、思わず名を呼びそうになったもののヴィクトーリアも慌てて姓で呼び返す。本人相手に親しく名で呼んだことなどないのだが、何度か脳裏に彼を思い浮かべることがあり、その時のクセでつい名を呼びそうになってしまったヴィクトーリアである。
ジークムントは軍装の鎧姿ではあったものの、兜は被っていなかった。そのため天幕の天井から吊り下げられた魔術灯の柔らかな明かりの下で、明るい栗色の短めの髪がよく見える。あの決闘の時と変わらぬ表情の乏しい顔が、ヴィクトーリアの顔を見てなんだか柔らかく笑んだ気がして、ヴィクトーリアは内心ドキリとした。
いや多分気のせいなどではない。黒玉色の瞳は確かに細められ、口角が少しだけ上がっている。
「魔術師団の腕利きたちのおかげで一命を取りとめたことは知っていたが、こうして実際に元気な姿を見るとやはり安堵する。本当に、無事で良かった」
そう言って、彼はもっとハッキリと微笑んだ。それを見てヴィクトーリアの心臓がかすかに跳ねる。彼の顔は忘れたことなどなかったが、決闘の際の表情に乏しい姿、何より特にあの忌まわしい瞬間の驚愕に満ちた表情の印象が強くて、こんなふうに柔らかく微笑まれるなど思ってもみなかった。
「あ…ああ。おかげさまで、何とかこうして生きている」
若干顔を逸らしながらモゴモゴと答えるヴィクトーリア。何だか彼の顔が真っ直ぐ見られない。
「そ、そうだ。貴方には礼を言いたかったのだ」
「礼を?私に?」
「ああ。貴方が最後ギリギリで剣を止めてくれたと聞いている。それがなければ私は確実に死んでいただろう。貴方は命の恩人だ」
顔を逸らしたままのヴィクトーリアの耳に、フッ、と彼が息を抜いたのが伝わってきた。
「ヴィクトーリア嬢は優しいな」
「………は?」
意外な言葉に、思わず彼の顔を見る。
「いや、むしろ私が術式の気配にいち早く気付いて剣を止めるべきだったのに止められなかったのです。責められて然るべきなのに、礼を言われるとは思わなかった」
ああ、失礼、名を呼ぶ許可ももらわずに呼んでしまった無礼を詫びたい、などと彼の言葉は続いていたが、ヴィクトーリアの耳にはもはや入っていない。
優しい?私が?
一体どこが?
ヴィクトーリアは両親や兄たちには溺愛され可愛がられ褒め倒されて育ってきた。もちろんその中で「可愛い」「優しい」「愛らしい」「美しい」などと歯の浮くような褒め言葉もたくさん言われてきていて、だから優しいと言われたこと自体は経験もあるし特に何とも思わない。
だが8歳の頃から婚約していたこともあり、親族以外の男性で親しく言葉を交わす者といえばほとんどがクラウスだった。そしてそのクラウスからは「粗野」「粗暴」「暴力女」「男女」「色気がない」「可愛げがない」などと、考えられるありとあらゆる暴言ばかり浴びせられてきた。もちろん優しいなどと言われたことはないし、それどころか褒められた記憶さえほとんど無かった。
要するに彼女は褒められ慣れていないのだ。褒めてくれるのは親族や使用人や領民領兵たち、つまるところ身内ばかりで、だから彼女の中では褒める=身びいきに等しかった。
なのに今赤の他人のジークムントに褒められて、彼女は盛大に混乱してしまったのである。
「ややや優しいなどと、そんな」
両手を振ってあわあわと狼狽える彼女を彼は少しだけ怪訝な目で見たが、すぐにまた微笑う。
「貴女はどうもご自分を過小評価しているようだが、むしろもっと誇ってよいと思うがな。貴女は気高く、美しく、強く、立派なひとりの淑女だ。そして今また心根の優しい女性であると知れた。貴女の夫になる人は、きっと我が国でもっとも幸せな男となるだろう」
「ほほほ褒めすぎでは!?」
「むしろ褒め足らないくらいだ。私は貴女のことをよく知っているわけではないが、それでも貴女が素晴らしい女性であることくらいは分かる」
「あああありがとう!?」
「きちんと礼を返せるところも美徳だな」
「ひいぃ…!や、もうやめてくれ!」
生まれて初めて褒め殺しというものに遭ったヴィクトーリア。顔を真っ赤にして両手で覆ってしまい立ち尽くすその様子は、誰が見ても可愛らしいひとりの乙女であった。
そしてそんな彼女は、父と兄とルイーサがキラリと目を光らせてニヤニヤと自分を眺めていることなど気付きもしないのであった。
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