【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(十四)福島在陣衆

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 七月。雨上がりの青空から強い陽射しが照り付ける中、斯忠つなただは本庄繁長の供をして福島城の外郭を歩いていた。

 普請が一応の完成をみたため、繁長がその仕上がり具合を検分するのに立ち会うためだ。

 そのため、この頃すっかり板についてしまった人足衆の親玉めいた恰好ではなく、小具足に腹巻を着け、その上から陣羽織を羽織った武士らしい恰好をしている。

 土塁に据えられた木柵の前で、繁長がふと足を止める。そして木柵に手をかけ、強度を確かめるようにゆする。

 しっかりと深く埋め込まれた木柵は、繁長の未だ衰えぬ膂力をもってしても、わずかにきしむ音を立てただけで傾くことはなかった。

「この短期間で作事したにしては、なかなか見事なものではないか」
 斯忠の方に振り向いた繁長が、満足気な表情で頷いてみせた。

「はっ、皆、よく頑張ってくれたかと存じます」
 胸をなでおろす思いで斯忠は応じる。

 例によって、柵をぶっ壊されるかと思いましたぜ、といった類の軽口が飛び出しそうになるのを、ぐっと噛み殺す。

「これで、伊達勢を迎え撃つ備えは間に合うたか……」
 繁長は木柵に手を掛けたまま、松川の向こうに聳える信夫山に鋭い眼光を向ける。

 敵が押し寄せてくる光景を脳裏に思い描いているのだと、斯忠にも伺い知れた。

「して、普請を終えた我等はこのまま、この城の守りを任されるのでしょうか」
 斯忠はこの機に、かねてからの疑問をぶつけてみた。

「うむ。そのことじゃが、車殿は梁川の一揆のこと、耳にしておるか」
 梁川、の単語に斯忠の眉が思わず跳ねるが、一揆とは聞かぬ話だった。

「いえ。このところ、土運びばかりでしたからな」
 前にも似たようなやりとりをどこかでしたことがあったな、などと思いながら斯忠は首を横に振る。

「六月の下旬ごろから、梁川城の周辺で小規模ながら幾つか一揆が起きておるようなのじゃ」

 先日、梁川城主の須田長義が福島城に登城したのは、単に福島城の新しい城主のに顔つなぎをするためだけでなく、一揆の追捕についての相談が目的だった、と繁長は明かす。

「ほう、そのようなことが」
 斯忠は、つい気の抜けた相槌を打ってしまい、顔をひくつかせた。

 実のところ、梁川城と聞いて、須田長義が登城した際に同行していた白銀の甲冑をつけた小柄な武者のことが気になって仕方ない。

(とはいえ、この話の流れで「あれは誰ですか」とはさすがに聞けねぇよな)

「須田大炊殿も、最初は一揆輩と軽く見ておったようじゃが、これがなかなか捕まらぬ」
 斯忠が妙な顔つきで思案をしていることに気づいた様子はなく、繁長は苦々しげな口ぶりで言葉を継ぐ。

 一揆勢は地の利を活かし、長義が兵を差し向けるとたちまち雲散霧消し、また別の場所で気勢を上げるなど、神出鬼没の動きをみせているのだという。

 梁川城は、伊達領の境目を押さえる上杉方の要衝・白石城から南に五里のところにある。いざ白石城が伊達勢に攻められた際には、福島城から後詰めをするための重要な拠点である。

 白石城の背後を脅かして福島城との連絡を断つため、伊達が裏で一揆勢を煽動しているとみて、まず間違いない。

「直江殿は、それで随分とお怒りのご様子。須田大炊殿も、かなりきつい叱責の書状を受け取ったようじゃな」

 ここまで話が進むと、斯忠も繁長が言わんとしていることが判る。
「やはり、伊達の動きは座視できぬという話にございましょうか」

「うむ。実は先刻、直江殿からも早馬が届いてな。鶴ヶ城と米沢にいる組外衆の主力を送り込むゆえ、よろしく頼むと言うてきおったわ」
 嗄れ声で応じた繁長が、何が面白いのか気の抜けた笑い声を漏らす。

「やはり、そうなりますか」
 斯忠は、陣中に流れていた「徳川を迎え撃つのは譜代で、組外衆は伊達に備える」との風説が事実になったと知り、肩を落とした。

 己の配下には、伊達の抑えも大事な役目だと檄を飛ばしたものの、他ならぬ斯忠自身が家康との対戦を願っていたのだ。

 上杉家における牢人衆の大々的な雇い入れは、が会津に転封になった二年前から行われている。

 徳川との合戦の可能性が高まった時期に馳せ参じて組外衆に加わった斯忠のほうが、むしろ例外である。

 従って、組外衆が対徳川の戦さに投入されないからと言って、約束が違うとはならない。

 とはいえ、武名に優れた者を集めておきながら、伊達に備えて後方に配置するというのは斯忠には納得しがたいものがあった。

「なかなかの顔ぶれが揃うようじゃな。上泉主水泰綱、山上道牛、岡佐内定俊……」
 指折り数えながら参陣する組外衆の名を口にした繁長が、ふと思い出したかのように、さらに一本指を折る。

「そうじゃ、あの前田慶次も来おるぞ」

 前田慶次利益。
 いまは入道し、穀蔵院忽之斎こくぞういんひょっとさいなどというふざけた道号を名乗っている。

 加賀の雄・前田家の先代当主・前田利家の甥にして、本来であれば前田家を継いでいた筈の男だ。

 天下の傾奇者として知られるだけでなく、文化芸術にも造詣が深く、その人脈は多岐に渡る。

 そしてなにより、皆朱の鑓をとっては無類の強さを示す豪傑である。

 徳川家康と同世代であり、老境と言って差し支えない年齢の筈なのだが、虚実入り乱れて広まる逸話からは、老いの気配をまるで感じさせない。

 その名を聞いてそれらのことを反射的に脳裏に巡らせた斯忠は、思わず顔をしかめた。

(会いたくねぇな)
 別に本人と面識がある訳ではない。

 あくまでも、風の噂に聞く人物評を聞いて知っているだけだ。

 これまで斯忠は、相手が佐竹の当主・義宣であろうと、直江兼続であろうと、物怖じせず相対してきた。

 さすがに本庄繁長を目の前にした時は言葉を選んだが、震えあがってしまうなどということはない。

 しかし、相手が前田慶次となると勝手が違う。
 考えただけで、なぜかいつになく気後れしてしまう。
 人気者が苦手なのが、車丹波という男なのかもしれない。

 そんな斯忠の思いを知る由もない繁長は、再び普請の出来栄えを確かめるべく、なにやら独り言をつぶやきながら歩き始めた。

 頭の中には、再び攻め寄せる伊達勢をどう押し返すか、様々な情景が浮かんでいるのだろう。斯忠の存在も忘れたかのようだ。

(うまく行かねぇもんだよなあ)
 二度三度と頭を振りながら、ため息交じりに後を追う斯忠だった。

***

 それから数日もすると、繁長の言葉通り、福島城に新手が続々と派遣されてきた。
 入城したのは組外衆だけでなく、兼続の配下である譜代の臣・本村造酒丞親盛が、いわば目付役として手勢を率いて同行していた。

 誰言うともなくこの増援は、斯忠も含めて「福島在陣衆」と呼ばれるようになった。

 そんな中、斯忠は福島城内で、岡佐内定俊と数か月ぶりに再会した。

 頭数だけ五百名をかきあつめて上杉に仕官した斯忠と異なり、佐内には己の手勢と呼べる人数はなく、引き連れるのはわずかな郎党のみである。
 従って、組外衆の中でも軽輩者を集めて一手として率いることになる。

 もっとも、斯忠のような立場の方が異例なのであり、組外衆には一騎駆けの武者も珍しくはない。

「佐内殿と一緒に働けるたぁ、ありがたい。それだけで懐が温かくなるってもんだね」
 開口一番、冗談めかして斯忠は言う。
 いかにも給金のことしか気にしていない、と言わんばかりの軽口である。

「それがしも、是非とも車殿の武勇のほどを拝見したく存ずる。あ、先に申しておきますが、さすがにこの場にては給金の受け渡しは出来かねますぞ」
 佐内も、悪戯っぽい声音で応じる。

「そりゃまあ、そうか。さすがの佐内殿も、金蔵を引きずっては来られまい」
 斯忠が冗談を飛ばして、二人して笑い声をあげた。
 
 そして、本庄繁長からも聞かされていた通り、米沢から派遣されてきた組外衆の中には、前田慶次もいた。

「天下御免の傾奇者と共に戦えるとは、楽しみですな」
 などと嶋左源次は無邪気に喜ぶのだが、それを聞く斯忠は苦虫を噛み潰したような表情で黙り込み、相槌すら打たない。

 物見高い配下の連中が、かの前田慶次の顔をひと目拝もうと繰り出すのを横目に、斯忠は慶次と城内で出くわしそうな気配を察すると、こそこそとその場から逃げ出すようになった。

 我ながら情けない真似をしていると自嘲するが、苦手なものは仕方ない。

 当の相手に腹の中で笑われているだろうか、それとも自分などは眼中にないだろうか。
 そんなことを考えるだけで憂鬱になる斯忠である。
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