【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(十五)初陣

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 七月十二日の朝。

「神指の『とら屋』は無事に引き払いました。お香はひとまず、鶴ヶ城の城下で家を借りております」
「そいつは良かった。しかし、今から戦さになろうかって時に、団子屋を続けるというのも難しいかも知れねぇな」

 福島城の陣屋で、斯忠つなただは善七郎からの報告を聞いていた。

 斯忠に与えられた陣屋のつくりは神指城の掘っ建て小屋よりは幾分かまし、という程度で、夏場はともかく冬場は隙間風がさぞ寒かろうと思われた。

 その気になればいくらでも盗み聞きされてしまいそうではあるが、斯忠は声を潜めることもなく、善七郎と会話していた。

 誰かが聞き耳を立てている気配があれば、善七郎が気づかない筈がない、と信じているからだ。
 信じる者はとことん信じるのが、車丹波という男である。

「せっかく落ち着いたところを申し訳ねぇが、この際、お香らをこっちに呼び寄せたほうが良いだろうか」
 斯忠が善七郎に問う。

 せっかく会津まで連れてきた風車衆だが、今のところ有効に活用できていないのが斯忠には気がかりであった。

「さて、どうでしょうか。我等は特段、戦さのお役に立つわけではございませぬから」
 即答を避けた善七郎は、わずかに首を傾げた。

 風車衆はもっぱら市井の風聞を拾い集めて、最新の情勢を探って斯忠に伝える役目である。

 敵城に忍び込んだり、敵の大将を暗殺したりといったいかにも忍び衆といった活動は基本的には行わない、というより行えない。

 それだけの腕を持つ人材は、善七郎とお香、あと二、三名といったところである。
 戦が近い今より、平時向きの組織と言えるかもしれない。

 欲を言えば、上方の情勢を探らせたいところである。

 現状、徳川家康の動きは上杉家を通じて知らされる情報と、出所不明の噂話に頼るしかないため、斯忠はもどかしい思いをしていた。

 とはいえ、そのために大坂に派遣できる人数の余裕もなく、現実的な思案ではなかった。

「まあ、戦さの役に立たぬということはねぇが、無理もさせられまい。しばらくは鶴ヶ城下の声を拾ってもらうか。茶屋は無理でも、辻売りぐらいなら出来よう」

「団子の材料が揃えば、なんとかなりましょう」
 今度は善七郎は小さくうなずいた。

「そこいらは、お香たちの才覚に任せるしかねえな」

 そんな話をしているところに、団吉が部屋の外から声をかけてきた。
「旦那様。本丸大広間にて、これより戦評定が行われるとの報せにございます」

 斯忠は、なにか知っているかとの意味を込めて、ちらりと善七郎の顔を伺う。
 善七郎は思い当たる節がないらしく、表情を曇らせてわずかに首を横に振った。

「何かあったかな。判った、すぐ行く」
 何食わぬ顔で斯忠は団吉に返事をして、腰を浮かせた。

 風車衆の使いどころを今一度本気で考えてやらねば、と思いつつ。

***

 福島城本丸の大広間には、本庄繁長とその家臣、そして直江兼続の命で派遣されてきた福島在陣衆があらかた顔を揃えていた。

 もちろん、その中には坊主頭の前田慶次の姿もある。

 席次はあらかじめ定められており、慶次の視界に入らないよう、部屋の片隅で小さくなっている訳にもいかない。

 斯忠は平静を装い、努めて慶次の存在を視界にいれぬよう顔を不自然に背けながら、何食わぬ顔で着座する。

「梁川城より報せてきおった。梁川の郷民が一揆を起こしよった」
 上座の繁長が前置きなく切り出すと、居並ぶ諸将がざわめいた。

 繁長は諸将に鎮まるよう、片手をあげて押さえる仕草をみせたあと、梁川城主の須田長義からの通報の詳細を続けて説明する。

 曰く、一揆勢は、およそ一千あまりと見込まれること。
 梁川城から三里ほど北にある刈田の古塁と呼ばれる城跡に立てこもったこと。
 増援として梁川城に派遣されている築地修理亮資豊に、一千の兵を任せてこれを討つ算段であること、などである。

「さしずめ、伊達が銭をばら撒いて動かしているのであろう。つまらぬ小細工よ」
 繁長の話を聞き終えた本村造酒丞親盛が息巻く。

「須田大炊介殿の手勢だけに働かせておくのも如何なものかと。我等も加勢しましょうぞ」
 本村親盛の気勢につられるように、組外衆からも口々に出陣を求める意見が出た。

「その意気やよし。が、伊達の動きが判らぬまま、一揆勢相手にそれほどの大人数は出せぬわ。総勢で三百ほどだせば、横鑓を入れるには充分であろう」
 諸将を見渡した繁長はそう応じ、手早く陣立を定めた。

 譜代の本村親盛を大将とし、上泉泰綱が先陣の将として組外衆の指揮を執ることとなった。

 上泉泰綱は剣聖と称された上泉武蔵守信綱の孫であり、上杉家が会津入りした頃には既に家臣として加わっている。
 組外衆の中でも、いわば別格の存在として重く扱われている。

 組外衆からは、前田慶次と山上道牛らが出陣する。

「後備を車殿の手勢にお任せしたい。御手前の兵は百ほど動かせましょうや」
 上泉泰綱が、探るような目つきで問いかけてくる。

 組外衆としてひとくくりにされてはいるが、自前の手勢を有する斯忠もまた、泰綱とは違った意味で、また別格の存在である。

 泰綱にとってはお手並み拝見、といったところであろう。

「手勢は総数五百ばかりおりますゆえ、百名を出すのは造作もござらぬ」
 斯忠は胸を張って請け負う。

 本当はそのうち二百名は荷駄組であるため、すぐに出せるのは三百名が精いっぱいである。が、ここで数を大きくみせねば、せっかく連れてきた甲斐がない。

***

「野郎ども、出陣だぞ」
 軍評定を終えた斯忠は、己の陣屋の前に五百名の配下を勢ぞろいさせた。

 福島城に送り込まれて以来、来るべき徳川勢との決戦の場となる白河口から外されたことで、臍を曲げていた者も少なくない。

 だが、会津に来て以来はじめての戦さと聞かされてか、意外と士気は高い。

 敵軍は徳川勢でも伊達勢でもなく、伊達に煽動された一揆勢に過ぎないのだが、車一党としての初陣の相手としては手ごろとも言えた。

「まあ、落ち着け。全員を連れていける訳じゃねぇからな。百名だぞ」
 逸る配下をなだめながら、斯忠は主に馬廻りと徒組を中心として選んだ。

 弓、鉄砲、長鑓の多くを残していくのは、一揆勢を蹴散らすのに使い勝手が良くないと判断したためだ。

 だが、自分達も連れて行って欲しいと声をあげる残留組の連中をなだめるのは一苦労だった。

「お前らの出番はあとだ、あと。これからもまだまだ働き場はある」
 最後は拳骨で小突いて追い散らす。

 騒ぎがひと段落すると、斯忠は徒組の組頭を差し招き、そっと耳打ちする。

「初陣だからって、気負って手柄を立てようなんぞ思うな。味方を死なせないことを第一に考えろよ」

「それでよろしいので」
 思わぬ言葉を聞いて、徒組の組頭は目を丸くしている。

「相手は郷民の一揆だぞ。下手を打ってこんなところで、一人でも死なせるのはつまらねえ。命を張るべき戦さは、まだこれから先の話だ」
 どこか物憂げな口ぶりで応じる斯忠だった。

 本村親盛を大将とする兵三百は、軽快な足取りで街道を進む。

 福島城から刈田の古塁まで、およそ八里の道のりとなる。

 この時代、健脚な男子であれば一日十里ほども歩く。
 しかしそれは単身の場合であり、人数が多ければそれだけ遅くなる。

 八里という距離は、移動だけなら一日でも不可能ではないが、そのまま合戦を行うのは無理がある距離だ。

 しかし本村親盛はそうは考えなかったようで、かなりの強行軍を手勢に強いた。

 ろくな休憩も与えぬまま、脱落した者をその場に残置して先を急がせ続ける。
 その甲斐あって、日没を迎える前に刈田の古塁近くの森にまで進出していた。

「物見の報せでは、古塁には一千もおらぬ。せいぜい五百ほどとのことじゃ」
 床几に腰かけた本村親盛が、上泉泰綱と斯忠を前にそう告げる。

「梁川城からの急使が見誤った数字を伝えたか、あるいはどこかに移動したか……」
 上泉泰綱が顎を撫でながら思案する。

「梁川城から出たという御味方との繋ぎがまだ取れておらぬ。あるいは今日は出陣しておらぬかも知れぬが、ここで待っておる暇はない。これより城攻めいたす」

「今からでござるか。いったいそこまで無理をする必要があるんで? 兵は随分と疲れておりますがね」
 思わず渋面を作った斯忠が問うと、本村親盛は難しい表情のまま頷いた。

「車殿の懸念はごもっとも。されど、お忘れあるな。ここは上杉の領地なれど、一揆勢が跋扈しておる以上は、敵地も同然。郷民は我等よりよほど地勢に明るい。悠長に野営などしておっては夜討ちを受けるやも知れぬ」

「それは道理やも知れぬが……」

「これは、虎とも呼ばれた御仁とも思えぬ気弱なお言葉。ご案じめさるな。我が手勢と本村殿の本軍だけで、一揆どもを蹴散らすには充分にござろう」
 斯忠を怯懦とみたか、上泉泰綱は挑発するように宣言した。

「では、我が手勢は後備の役目を果たし、御二方の側背をしっかと守ってみせましょう」
 短気の虫をぐっとこらえて、斯忠はそう返した。

 夕闇迫る中、城攻めが始まった。
 西日を背に仕寄る上泉泰綱率いる組外衆に、一揆勢は気づくのが遅れた。

 銃声が数発響き、形ばかりの矢玉の応酬の後、組外衆は強引に間合いを詰める。

 城跡こそ残っていても、古塁と言うだけあって土塁はあちこちが崩れ、堀は雨のたびに流れ込んだ土砂で埋まり、浅くなっている。本格的な城攻めに耐えられるものではなかった。

 たちまち城内に乗り込んだ組外衆には、腕に覚えのある武辺が揃っている。
 とりわけ上泉泰綱の他、前田慶次と山上道牛の働きがすさまじい。

 立て続けに一揆勢の首が宙を舞うと、はやくも一揆勢は逃げ腰となった。

「さすがに天下の傾奇者は強いですな」
 斯忠の傍らで戦況を眺める嶋左源次が声を弾ませる。

 その無邪気な喜びように、斯忠はつい苦笑する。

 後備の車勢は合戦に参加することなく、一揆勢の奇襲に備えていた。

 やがて、完全に崩れ経った一揆勢が古塁を捨てて逃げ出すと、本村親盛は斯忠にも追撃を命じた。

「行くぞ! だが、忘れるなよ。こんなところで手負い討死を出している場合じゃねえ。俺達の本当の相手は徳川内府だ」
 斯忠は手勢百名に向かってそう声をかけると、本陣を前進させはじめた本村親盛の後を追って兵を進めた。

***

 結局、目覚ましい働きを示した前田慶次らとは対照的に、斯忠に手柄らしい手柄はないまま、上杉家における初陣は終わった。

 それでも戦場の空気を吸い、とりあえず斯忠は満足していた。

 兵の進退を采配するのも久方ぶりであったが、車一党の百名は、にわか雇いの連中にしては、まずは満足できる動きを見せてくれていた。

「これも、普請場で息を合わせたおかげかも知れませんね」
 追従めいた左源次の言葉だったが、斯忠もまんざらではない。

「あとは、本当の働きどころを得られるかだな」
 敵は徳川内府、と啖呵を切ってみたが、現実的にはそれは難しいのだ。
 働き甲斐のある場所を得られるのか。気がかりな斯忠であった。
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