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(十三)福島城

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 手勢を率いて神指城の普請場を出立し、福島城に入城した斯忠つなただは、本丸広間にて城主の本庄越前守繁長に着到を報告する。

「よいところに来たわ。神指城での活躍は聞いておる」

 本庄繁長は天文九年(一五四〇年)生まれというから、当年六十一歳。

 斯忠にとっては、会津入り以来初めて相対する年上の将と言ってよい。

 その老将から凄みのある笑みで出迎えられたのでは、斯忠としてもどうにも対応に困る。

「ただの土運びを活躍などと申されては、どうにも身の置き所がございませぬな」

「別に皮肉ではないぞ。儂もこの城に来て数日じゃが、何かと手を入れねばならぬところが目についておるでな」

 斯忠より数日先んじて入城したばかりだという繁長は、先日まで田村郡守山城の城主だった。

 前の城主である水原常陸介親憲が、今井源右衛門が死去して城主不在となった猪苗代城を任されため、城主を交代した形である。

「なんだってまた、こんな時期ににわざわざ城主を交代させたんで?」
 との問いが危うく口からこぼれかかり、斯忠は慌てて口をへの字に結んで呑み込む。

 本庄繁長は、上杉家の先代当主・謙信の時代から世に広く名を知られた猛将である。

 ただし、決して上杉家の忠臣という生き様ではない。
 それどころか永禄十一年(一五六八年)には、謙信に歯向かって居城の村上城に籠る叛乱を引き起こした「前科」がある。

 この時は籠城一年、ついに攻め落とされることなく謙信との和睦に持ち込んだことで勇名を馳せていた。

 そのような経歴であるから上杉家に帰参した後も不遇の時代は長く、実力は文句なしであっても、重用するには二の足を踏む武将と言える。

 それに比べれば、前城主の水原親憲のほうがよほど、第四次川中島合戦の頃からの上杉家の忠実な家臣であり、わざわざこの大事な時期に城主を交代させる意味が斯忠には判らない。

 しかし、それを繁長本人に問うたところで詮無い話である。

 当主・上杉景勝から――、この際、直江兼続から、としても同じ意味ではあるが、ともかく上から命じられて赴任した事情は、斯忠とさほど変わるものではあるまい。

 何より、要らぬことを聞けば、この見るからに気難しげな老人の逆鱗に、どこで触れるか知れたものではない。

 後先考えぬ真似をするにも相手を選ぶのが、車丹波という男である。

 斯忠がそんな思いをこね回していると知ってか知らずか、繁長は福島城の置かれた状況の説明を続ける。

 曰く、手早く水原親憲からの引き継ぎを済ませた繁長は、早々に城の縄張りを自ら見分して回ったという。

 西から流れてくる阿武隈川が北東へと蛇行する曲がり際に築かれた福島城は、おおむね三角形の縄張りを有している。

 地形だけで言えば天険の要害には程遠い平城であり、北側と西側には空堀が掘られ、掻き出された土砂で土塁が築かれ、その上に柵を設けて防備を固める縄張りとなっている。

 北側に設けられている大手門からは、松川を挟んで、盆地の中心に据えられたような信夫山が盛り上がっている姿が正面に見える。

 伊達勢が福島城を攻めるとなれば北側から、とは誰もが考えるところである。

「あの信夫山は、寄せ手が本陣を据えるのに絶好じゃな。彼我の間に川もあり、こちらからの急襲にも備えられようでな」
 手勢に余力があれば放置しては置かぬものを、と繁長は悔し気に続ける。

 下手に信夫山に枝城など築けば、敵手に落ちた時にわざわざ格好の付城を進呈してしまう形になるため、手を付けられないためだ。

 それらの地勢を見極めたうえで、繁長は福島城の守りをさらに固めるため、新たな普請が必要と考えていたのだ。

 なにしろ、文禄年間の頃には秀吉の命令で廃城となり、畑にされていたなどという逸話が残る城である。

 この要衝が本当に更地になって畑になっていたとも考えにくいが、水原親憲も修復を急がせていたにせよ、手が回っていなかったと思われる。

 そして繁長がまさに普請を始めようと人数を集めた矢先に到着したのが、他ならぬ斯忠という訳だ。

 経緯を聞かされたうえで、「神指城での手腕を期待しておる」などと言われては、斯忠としても断れない。

 なにしろ、自分たちの命にかかわることである。

 面倒がって防備をおろそかにしたまま攻め寄せられては、死ぬに死にきれないというものだ。

***

 そんな訳で、斯忠たちはまたしても普請場に駆り出されることになる。

「やっと土運びから解放されたと思ったのに、またかよ」
 組頭の中にも、当然のことながら不満の声をあげる者が出てくる。

 徳川家康との決戦のために会津に来た筈なのに、方向違いの伊達政宗に備えるための城の普請をやっている場合なのか、と問われれば斯忠も返事に窮する。

 まさしく同じ疑念を抱いているのだが、立場上、同調する訳にもいかない。

「うるせぇぞ、お前ら。伊達の抑えだって大事な役目だ。腕を見込まれたと思って気張ってみせろ」
 我ながら理不尽と思いながら、拳骨で小突きながら配下を追い立てる斯忠である。

 ぶつくさ言いながらも、いざ普請を始めれば、堀を穿ち、土を掻き揚げて土塁を作るといった手際は、皆すっかり慣れたものだった。

 もっとも、職人的な技巧までもが身に着いた訳ではなく、相変わらずの人数任せの力仕事がもっぱらであるが。

 繁長は普請のために、かなり強引な手段で近在の領民をかき集めていたらしい。

 普請にあたる人数はそれなりに揃っていたが、士気は低かった。

 それでも斯忠ら五百名が加わると、その働きぶりにつられるような形で、次第に作事は軌道に乗りはじめる。

 自分たちが籠城することになるかもしれない、という差し迫った思いがあれば、自然と堀を穿つ手にも力がこもる。

***

 「車一党」における作業の休憩の間などにおける話題は、最初の内はもっぱら福島城が実際に戦場になるかどうかというものだった。

 やがてその話題は、上杉家はどのように家康を迎え撃つのかという大きな展望へと広がりをみせる。

 そのうちに、白河口を扼する革籠原なる場所で徳川勢の主力を待ち伏せして、谷田や西原といった沼沢地に追い込み、革籠原の北に位置する長沼城に待機していた上杉の主力が包囲殲滅するのだ、という話が広まった。

 大軍を迎え撃つとなれば、なにがしかの策を用いるしかない、という点で、この話はかなりの説得力を持っていた。

 話はここで、福島城の普請が終われば我等も白河口に派遣されるという説と、徳川との戦は上杉の譜代のみで行い、斯忠を含む組外衆は伊達に備えて福島城に留め置かれるという説に分かれる。

 それは、説と言うよりも願望と評するべきかもしれない。

 斯忠としても、わざわざこの手の噂を取り締まる気にはなれないし、今後の動向は気になる。

 そして、自分たちの身の振り方はどうあれ、革籠原における迎撃策というものには懐疑的だった。

「そんなに注文通りに、徳川を迎え撃てるものかよ」
 斯忠が抱く疑念を一言で言えば、そうなる。

 家中の存亡がかかった大戦さを控えているのである。徳川方の間者が紛れ込んでいることは当然想定される。

 もし本当に上杉が、つまりは直江兼続が、そのような迎撃策を考えているのだとすれば、こうも簡単に味方の陣中に風聞が流れてしまうのは粗漏であろう。

(あるいは、そう見せかけているだけなのか)
 兼続ならばやりかねない、と斯忠は考える。また、そうでなくては困るとの思いもあった。

***

 福島城の普請に駆り出されるようになってから数日後。

「梁川城主、須田大炊介様が登城される。道を開けよ」
 普請奉行を勤める繁長の家臣が、大手門周りの普請をしている斯忠たちに触れ回る声が普請現場に響いた。

 土運びにあたっていた配下と共に、斯忠もやれやれと手をとめて顔を上げた。

 福島城から五里ほど北東にある梁川城の城主・須田大炊介長義とおぼしき颯爽たる若武者が、数名の従者を従える姿が目に入った。

 斯忠らが拡幅を手掛けたばかりの大手門前の道を、騎乗したまま城に向かっていく。

 しかし、斯忠が目を惹かれたのは、長義の後ろに続く、白馬にまたがった小柄な鎧武者のほうだった。

 白銀の当世具足に身を固め、同じく白銀に輝く頭形兜をかぶった武者は、面頬をつけているためにその容貌ははっきりとしない。

 それでも、具足姿であっても身体の線の細さは伺える。

 少しでも上背があるように見せようとしているのか、懸命に背を伸ばしている姿がいじらしくさえある。

 馬の歩みに合わせて頭が揺れるのは、兜が重すぎるせいか、緒の締め方が悪いせいか。

 軽衫袴に小袖をもろ肌脱ぎにして、土埃にまみれている斯忠の今の姿恰好は、一手の将というより、やはり人足衆の頭にしかみえないのだろう。

 一瞬であったが、面頬の奥にある小柄な鎧武者の目が見えた。

「……っ!」
 その瞳の輝きを見た瞬間、斯忠は息をのんで棒立ちになる。

 一方、小柄な鎧武者は、斯忠に一瞥をくれただけでろくに頭を下げることもなく、そのまま通り過ぎていく。

「におうような、とはあの白銀鎧の武者のことを言うのでしょうなあ」

 大手門に消えた後姿を見送った後、「作事に戻れ」との普請奉行の偉そうな声を聞き流しながら、左源次が感に堪えぬといった口ぶりで呟く。

 兼続贔屓であることも含め、どうにも左源次には見目の良い武者が好きらしいというのは、斯忠は以前から薄々感じていたことである。

 じゃあ自分のことを「虎の兄貴」と慕っているのはなんなのか、という点はよく判らなくなるが、あまり深く考える気にもなれない。

 しかし、この時の斯忠は同意するでもなく否定するでもなく、「ふうん」と曖昧な言葉を漏らした。

 その反応に戸惑う左源次に向き直った斯忠は、左源次の縮れ毛頭を小突きながら、にんまりと笑みを浮かべる。

「気づかなかったか。ありゃあ、女だぜ」

「本当ですか」

 酢を飲んだような顔をする左源次を横目に、斯忠は得意げな様子を見せるでもなく、むしろ自らの言葉に釈然としない思いにとらわれていた。

「あの目、どっかで見たことがあるような気がするんだよなあ。知り合いに、あんな目をした女はいない筈なんだがなあ」
 理由が判らず、ただ首をひねる斯忠であった。
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