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(二十八)木目城の三将
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新庄城に帰還した員昌は、善住坊を捕らえた旨を家臣に告げ、領内に触れ回るよう命じた。
もはやこれ以上、善住坊探索のための領民からの報せは不要である。
高札も書き換えねばならない。
一通りの処置を終えた後、員昌は土牢に足を運んだ。
城主直々のお出ましに、見張り役を与えられたばかりの若い番兵が目を白黒させる。
(このような役、当人も不本意であろうに)
員昌は若い番兵に同情する。
「その方、儂が呼ぶまで、しばしこの場を外しておれ」
「しかし、かの者は信な、いえ、織田弾正様をも手にかけようとした極悪人と聞きまする。殿に万が一のことがあっては……」
若い番兵が、気負った口調で言い募る。
「案ずるな。あ奴の得意は鉄砲よ。徒手空拳では何もできぬ。それとも、儂が不覚を取るとでも? 良いから下がっておれ」
員昌は片目をつぶって凄みのある笑みを見せる。
「いえ、そのような」
恐縮した番兵が飛びのいて走り去った。
(もっとも、ただの鉄砲放ちでないことは、他ならぬ儂がいちばんよく知っておるのだがな)
自分の発した言葉に小さくため息をついた員昌は、歩を進める。
いくつか並んだ牢のうち、最も奥にある陰気な場所。
員昌が新庄城に居を移して、最初の土牢の客がそこにいた。
杉谷善住坊が、足を途に気づいて顔を上げ、無言のまま上目遣いで員昌の顔を見る。
「なぜ、逃げなんだ」
員昌は問う。
懸賞金までかけて大々的に捕縛に動いたのは、善住坊がいち早く危難を察して高島郡から逃げ出すよう、仕向けるため。
他の者には聞かれてはならない問いだった。
「騎馬武者に突っかけられては、いつまでも逃げられませぬゆえ」
「そうではない。信長は、そなたを捕らえることを家臣に厳命しておった。そのこと、知らぬ筈はなかろう。なぜ信長の支配する地の外に出なんだ」
員昌の口調は叱責めいたものになる。
曲がりなりにも己の主君を呼び捨てにするべきではないのだろうが、昔を知る善住坊を前にして「織田様」だの
「お屋形様」だのと歯の浮くような呼び方はためらわれた。
「再び信長を討つ機会を狙っていた。それだけのことにござります」
朴訥とした口ぶりは、かつて善住坊が太尾城攻めでしくじった「森盛造」だった頃、員昌と対面した際と変わるところがなかった。
「もし、儂が昔のよしみでそなたを逃がすなり、ましてや信長を討つ手伝いをしたりするなどと期待しておるなら、お門違いというものじゃ。そなたは岐阜に送られる。信長がどのような処断を下すか知る由もないが、まず助からぬぞ」
「判っておる」
不意に、善住坊の口ぶりがぞんざいなものになる。
今になって、眼前の員昌が己の主でもなんでもないと、はじめて気づいたかのような豹変だった。
「承知しておきながら、逃げなんだのか。死ぬつもりか」
員昌は、善住坊の態度の変化には素知らぬ風で問いを重ねる。
「儂は、もう疲れたのだ」
善住坊は束の間目を伏せた。
それは本心ではあるのだろう。しかし、心のうちのすべてとも思えなかった。
「解せぬわ」
「懸念は無用じゃ。儂は口が堅いゆえ、磯野様とのつながりを信長に漏らしたりはせぬ」
善住坊の声には、「疲れた」との言葉とは裏腹に、妙な力がこもっていた。
それに気づいた員昌の頭に、閃くものがあった。
「……なにやら、秘策があるようじゃな」
「それを聞いては、磯野様もただではすみませぬぞ」
善住坊は口元をゆがめた。笑っているのだ。
「判った。そこまで申すのであれば、儂も何も言わぬ。岐阜に送ってくれる」
員昌の宣言に、善住坊は静かに首を垂れた。
翌日には、杉谷善住坊は員昌の家臣らによって岐阜へと護送されていった。
(よもや、善住坊にお屋形様が討たれるなどということもあるまいが)
員昌自身、善住坊の目論見が奏功して欲しいのかどうか、わからぬところがあった。
結果はほどなく知れた。
岐阜に到着した善住坊は、ただちに岐阜城の大手門前に首まで埋められ、竹ののこぎりで通行人に一回ずつ挽かせるという残忍な方法で処刑されたのだ。
善住坊は信長と刺し違える秘策に失敗したのか、それとも秘策など最初からなかったのか、知るすべは永久に失われた。
「殿の御名前を口にされることはなかった由にございまする」
密かに善住坊の最期を見届けた森盛造の報告に、員昌はむっつりと黙り込んだまま頷くしかなかった。
こうして波乱の幕開けとなった、員昌の高島郡司しての職務が本格化する。
着任早々、かつて信長の命を狙った杉谷善住坊を捕らえる手柄を立てたこともあってか、員昌の武勇を慕って仕官を求める者が増えるようになった。
その中には員昌の血縁者もあった。
広間で平伏する若武者の名は、安養寺勘三郎という。
叔父・員清の娘、つまり員昌の従兄妹が安養寺九郎右衛門に嫁いでおり、勘三郎はその子である。
勘三郎が差し出した書状を受け取った員昌は、やや困惑の体で記された内容を読んだ。
「この書状、中身は承知しておるな?」
員昌はまず、そう尋ねた。
安養寺家の当主である安養寺三郎右衛門氏種が京極家に仕えることになったが、合戦で功名をあげる望みが薄いことから、員昌の元で働かせてやってほしい。
書状にはそう記されていた。
「はっ。丹波守様に、立身出世の機会をお与えいただきたく存じまする」
勘三郎は、あけすけな願いを歯切れよく応じる。
(右近とは、随分と性根が違うておるようじゃ)
員昌は頬を緩めた。
「よかろう。もっとも、どれだけの働きが出来るかは、お主次第じゃぞ」
後に員昌は勘三郎を養子とし、磯野勘三郎員次と名乗らせることになる。
実子である員行が世継であることは揺るがない。
しかし、後継者たる養子が既に存在していることを内外に明らかにする機会を作り、織田於菊丸との養子縁組を遠ざけたいとの思惑があった。
天正元年八月に朝倉家が浅井家に一足先んじて滅亡した後、越前の地の守護代に任じられて、朝倉歴代の居城である一乗谷城に入ったのは、桂田長俊なる名の武将であった。
その正体は、かつての朝倉家臣・前波吉継である。
名乗りを一新したのは、領内の統治に差し障りがあったであろうか。
何しろ前波吉継は一年前、小谷城と峰続きの大獄砦に朝倉家が進出した際、白昼堂々、衆人環視の中で織田方の陣営に子息を引き連れて駆け込むという、あまり例のない寝返りをみせた男である。
その寝返りこそが朝倉家の綻びの発端となったことを考えれば、勲功第一とされたこと自体は、妥当と言えば妥当ではあった。
とはいえ、投降した朝倉家の一門衆や他の重臣を差し置いての抜擢は、いかにも不用意であった。
信長が、その後に引き起こされる事態をどれほど予測していたのかは判らない。
長俊赴任から半年も経たない天正二年(一五七四年)一月、朝倉の旧臣である富田長繁が反旗を翻し、一乗谷を襲撃した。
一説にはこの時には失明状態であったともいわれる長俊は、成す術もなく殺害された。
富田長繁は、当年わずか二十四歳という若さであった。
若気の至りではすまされない長繁の蜂起は、さらなる拡大の動きを見せる。
織田家から代官として派遣されていた木下祐久・津田元嘉・三沢秀次らを美濃に追い払うと、信長に降った朝倉旧臣のうちの大物の一人である魚住景固と子の彦四郎を、朝食に招いて謀殺する。
長繁が、なりふり構わぬ形で越前の実質的な支配権を握ったのは、改めて信長から正式に越前守護として任じられることを目論んでいたためとされる。
しかし、どう考えてもこのような暴挙が事後承諾で認められる筈もなかった。
それ以前に、越前の混乱は単なる長繁の暴走だけで終わらず、より深刻な事態、すなわち加賀の一向一揆の介入を招くこととなった。
手の付けられない混乱の中、新庄城の員昌の元に、阿閉貞征、堀秀村らと共に、越前と近江の境目の城である木目城を守備せよとの命令が、木下あらため羽柴秀吉から届いた。
厳密に言えば、坂田郡、浅井郡、伊香郡の三郡を治める羽柴秀吉と、高島郡を任されている員昌は同格であり、頭ごなしに命令を受ける立場にはない。
その意味では、坂田郡半郡の本領安堵された堀秀村と、伊香郡の一部の領有を認められた阿閉貞征は秀吉の与力となっており、員昌と立ち位置が異なることになる。
しかし、越前の争乱に限っては秀吉が大将となって対処する取り決めとなっており、員昌も秀吉の指揮下に入ることになる。
「桂田殿も気の毒なことじゃ。せっかく主を捨ててまで生き延びておきながら、このような最期を迎えることになろうとはの」
木目城の物見櫓から北の方角に目をやる阿閉貞征が、独り言めいた呟きを漏らす。
ただ、その口調からは言葉ほどに同情している様子は伺えない。
浅井家の重臣であった貞征は、要害である山本山城を守備してきたが、天正元年八月になって織田勢の勢いに抗しきれず、内応して城内に織田勢を引き入れた。
この寝返りが契機となって小谷城の孤立は決定的なものとなり、浅井家の命運は定まった。
その功によって、滅亡直前に織田方に降った浅井家の家臣の多くが許されずに処刑されるなか、貞征は伊香郡内の本領安堵を手にしていた。
だが当人からは、浅井家滅亡の引き金を引いたなどという自責の念は伺われなかった。
仮に自分が山本山城で討死するまで戦ったところで、早晩浅井家の滅亡は避けられなかったのであり、自分は沈みかけた舟からすんでのところで逃げ延びたとの思いが、態度の端々から伺えた。
どの口が主を捨ててまで、などと言うのか。
員昌は思わずそう言いかけて、ふと傍らに立つ樋口直房に視線を向けた。
堀秀村が若年であることを理由に、堀家の軍勢は依然として樋口直房が陣代として率いている。
視線の意味に気づいたか、直房が薄笑いを浮かべて首をすくめてみせた。
本領安堵を条件に、浅井家の中で真っ先に信長に降った堀家は、敢えて言えば朝倉家における前波吉継の立場に近いと言えなくもない。
もちろん本人に言わせれば「一緒にするな」と言いたいところであろうが。
(まあ、その点に関しては儂も似たような立場には違いない)
その点に思い至ると、員昌も肩に入った力が抜けるのを感じずにはいられない。
時期や形こそ違えど、浅井家から離反したことで滅亡の運命を回避した三人が寄り集まっているのだ。
員昌としては、他の二人よりはマシな降り方をしたと思いたい。
だが、余人の目から見れば目糞鼻糞の集まりであろうことは否定しようがない。
(羽柴殿も、この三人を一つところに集めるとは、いささか意地が悪い)
秀吉の立場としては、あえて三人を並び立たせて功を競わせようとの思惑もあるのかもしれない。
三者三様、それぞれの立場に思いをはせ、どうにも気まずい空気が流れる中、直房に近習が歩み寄って何やら耳打ちした。
直房は「しばし席を外しまする」と断り、櫓から降りていく。
残された員昌と貞征の間に、一層冷えた空気が残る。
「いささか、気弱になっておるようじゃな」
貞征が言った。
最初、員昌は自分を指して言っているのかと思ったが、口ぶりからするとこの場を離れた直房のことを指しているらしかった。
「一揆はとにかく数が多いゆえ、致し方ないところもあろう」
言葉を選びながら員昌は応じる。
「数が多いだけでは、そうそう城を攻め落とせるものでもあるまい」
貞征は鼻を鳴らす。
本願寺が信長を仏敵と見做して挙兵したのに対抗する形で、長政が本願寺と手を結んで味方につけたのは、元亀元年の九月以降の話である。
従って、当時佐和山城に籠っていた員昌は聞き知った知識しかない。
高島郡においても、大規模な一向一揆は起こっていない。
対する貞征は、一向一揆を味方にして共に戦った経験から、その強みよりも脆さを実感している様子だった。
「相手が武家ならばともかく、一揆輩を相手に降ることなど出来ぬのは確かか」
自重とも皮肉ともつかない言葉が員昌の口からこぼれた。
お互い、城を開いて織田家に降った者同士だとの思いを込めたものだが、いささか挑発的に過ぎたようだった。
貞征は再び鼻を鳴らしただけで取り合おうとはしなかった。
かつて姉川の戦い前に示したような親しさは、既に貞征のどこからも感じられなかった。
高島一郡を任される員昌の事を、今は羽柴秀吉の寄騎である貞征は妬んでいる節も見受けられる。
「越前を探っておった我が手の者より報せがございました。領内はなかなか酷い有様ながら、どうやら一揆勢は国境を超えるつもりはなさそうですな」
再び櫓に上ってきた直房が嫌な空気を払うように、明るい声音を作って朗報を告げた。
「それはありがたい。一揆相手の戦さなど、勝ったところでなんの足しにもならぬでな」
つまらない冗談を耳にしたかのように、貞征は口をゆがめてみせる。
その後、越前の一連の騒乱を引き起こした張本人である富田長繁は二月十七日の一向一揆との合戦の最中、味方である筈の小林三郎二郎の寝返りによってあえなく討たれた。
一向宗と距離を置いていた寺社は、一揆の手によってことごとく焼かれた。
信長に降った朝倉の旧臣は、再度織田から離反して一向一揆に加勢するなどして生き残りを計ったが、その多くが一向一揆の嵐の前に命を長らえることなく消え去った。
しかし、顕如光佐の命に従って一揆を主導する本願寺の坊官・下間頼照は、支配権を確立して越前一国を加賀に続く新たな「一揆持ちの国」とすることを優先した。
結局、直房の見立て通り、一揆勢は木目城にまでは攻め寄せて来なかった。
もはやこれ以上、善住坊探索のための領民からの報せは不要である。
高札も書き換えねばならない。
一通りの処置を終えた後、員昌は土牢に足を運んだ。
城主直々のお出ましに、見張り役を与えられたばかりの若い番兵が目を白黒させる。
(このような役、当人も不本意であろうに)
員昌は若い番兵に同情する。
「その方、儂が呼ぶまで、しばしこの場を外しておれ」
「しかし、かの者は信な、いえ、織田弾正様をも手にかけようとした極悪人と聞きまする。殿に万が一のことがあっては……」
若い番兵が、気負った口調で言い募る。
「案ずるな。あ奴の得意は鉄砲よ。徒手空拳では何もできぬ。それとも、儂が不覚を取るとでも? 良いから下がっておれ」
員昌は片目をつぶって凄みのある笑みを見せる。
「いえ、そのような」
恐縮した番兵が飛びのいて走り去った。
(もっとも、ただの鉄砲放ちでないことは、他ならぬ儂がいちばんよく知っておるのだがな)
自分の発した言葉に小さくため息をついた員昌は、歩を進める。
いくつか並んだ牢のうち、最も奥にある陰気な場所。
員昌が新庄城に居を移して、最初の土牢の客がそこにいた。
杉谷善住坊が、足を途に気づいて顔を上げ、無言のまま上目遣いで員昌の顔を見る。
「なぜ、逃げなんだ」
員昌は問う。
懸賞金までかけて大々的に捕縛に動いたのは、善住坊がいち早く危難を察して高島郡から逃げ出すよう、仕向けるため。
他の者には聞かれてはならない問いだった。
「騎馬武者に突っかけられては、いつまでも逃げられませぬゆえ」
「そうではない。信長は、そなたを捕らえることを家臣に厳命しておった。そのこと、知らぬ筈はなかろう。なぜ信長の支配する地の外に出なんだ」
員昌の口調は叱責めいたものになる。
曲がりなりにも己の主君を呼び捨てにするべきではないのだろうが、昔を知る善住坊を前にして「織田様」だの
「お屋形様」だのと歯の浮くような呼び方はためらわれた。
「再び信長を討つ機会を狙っていた。それだけのことにござります」
朴訥とした口ぶりは、かつて善住坊が太尾城攻めでしくじった「森盛造」だった頃、員昌と対面した際と変わるところがなかった。
「もし、儂が昔のよしみでそなたを逃がすなり、ましてや信長を討つ手伝いをしたりするなどと期待しておるなら、お門違いというものじゃ。そなたは岐阜に送られる。信長がどのような処断を下すか知る由もないが、まず助からぬぞ」
「判っておる」
不意に、善住坊の口ぶりがぞんざいなものになる。
今になって、眼前の員昌が己の主でもなんでもないと、はじめて気づいたかのような豹変だった。
「承知しておきながら、逃げなんだのか。死ぬつもりか」
員昌は、善住坊の態度の変化には素知らぬ風で問いを重ねる。
「儂は、もう疲れたのだ」
善住坊は束の間目を伏せた。
それは本心ではあるのだろう。しかし、心のうちのすべてとも思えなかった。
「解せぬわ」
「懸念は無用じゃ。儂は口が堅いゆえ、磯野様とのつながりを信長に漏らしたりはせぬ」
善住坊の声には、「疲れた」との言葉とは裏腹に、妙な力がこもっていた。
それに気づいた員昌の頭に、閃くものがあった。
「……なにやら、秘策があるようじゃな」
「それを聞いては、磯野様もただではすみませぬぞ」
善住坊は口元をゆがめた。笑っているのだ。
「判った。そこまで申すのであれば、儂も何も言わぬ。岐阜に送ってくれる」
員昌の宣言に、善住坊は静かに首を垂れた。
翌日には、杉谷善住坊は員昌の家臣らによって岐阜へと護送されていった。
(よもや、善住坊にお屋形様が討たれるなどということもあるまいが)
員昌自身、善住坊の目論見が奏功して欲しいのかどうか、わからぬところがあった。
結果はほどなく知れた。
岐阜に到着した善住坊は、ただちに岐阜城の大手門前に首まで埋められ、竹ののこぎりで通行人に一回ずつ挽かせるという残忍な方法で処刑されたのだ。
善住坊は信長と刺し違える秘策に失敗したのか、それとも秘策など最初からなかったのか、知るすべは永久に失われた。
「殿の御名前を口にされることはなかった由にございまする」
密かに善住坊の最期を見届けた森盛造の報告に、員昌はむっつりと黙り込んだまま頷くしかなかった。
こうして波乱の幕開けとなった、員昌の高島郡司しての職務が本格化する。
着任早々、かつて信長の命を狙った杉谷善住坊を捕らえる手柄を立てたこともあってか、員昌の武勇を慕って仕官を求める者が増えるようになった。
その中には員昌の血縁者もあった。
広間で平伏する若武者の名は、安養寺勘三郎という。
叔父・員清の娘、つまり員昌の従兄妹が安養寺九郎右衛門に嫁いでおり、勘三郎はその子である。
勘三郎が差し出した書状を受け取った員昌は、やや困惑の体で記された内容を読んだ。
「この書状、中身は承知しておるな?」
員昌はまず、そう尋ねた。
安養寺家の当主である安養寺三郎右衛門氏種が京極家に仕えることになったが、合戦で功名をあげる望みが薄いことから、員昌の元で働かせてやってほしい。
書状にはそう記されていた。
「はっ。丹波守様に、立身出世の機会をお与えいただきたく存じまする」
勘三郎は、あけすけな願いを歯切れよく応じる。
(右近とは、随分と性根が違うておるようじゃ)
員昌は頬を緩めた。
「よかろう。もっとも、どれだけの働きが出来るかは、お主次第じゃぞ」
後に員昌は勘三郎を養子とし、磯野勘三郎員次と名乗らせることになる。
実子である員行が世継であることは揺るがない。
しかし、後継者たる養子が既に存在していることを内外に明らかにする機会を作り、織田於菊丸との養子縁組を遠ざけたいとの思惑があった。
天正元年八月に朝倉家が浅井家に一足先んじて滅亡した後、越前の地の守護代に任じられて、朝倉歴代の居城である一乗谷城に入ったのは、桂田長俊なる名の武将であった。
その正体は、かつての朝倉家臣・前波吉継である。
名乗りを一新したのは、領内の統治に差し障りがあったであろうか。
何しろ前波吉継は一年前、小谷城と峰続きの大獄砦に朝倉家が進出した際、白昼堂々、衆人環視の中で織田方の陣営に子息を引き連れて駆け込むという、あまり例のない寝返りをみせた男である。
その寝返りこそが朝倉家の綻びの発端となったことを考えれば、勲功第一とされたこと自体は、妥当と言えば妥当ではあった。
とはいえ、投降した朝倉家の一門衆や他の重臣を差し置いての抜擢は、いかにも不用意であった。
信長が、その後に引き起こされる事態をどれほど予測していたのかは判らない。
長俊赴任から半年も経たない天正二年(一五七四年)一月、朝倉の旧臣である富田長繁が反旗を翻し、一乗谷を襲撃した。
一説にはこの時には失明状態であったともいわれる長俊は、成す術もなく殺害された。
富田長繁は、当年わずか二十四歳という若さであった。
若気の至りではすまされない長繁の蜂起は、さらなる拡大の動きを見せる。
織田家から代官として派遣されていた木下祐久・津田元嘉・三沢秀次らを美濃に追い払うと、信長に降った朝倉旧臣のうちの大物の一人である魚住景固と子の彦四郎を、朝食に招いて謀殺する。
長繁が、なりふり構わぬ形で越前の実質的な支配権を握ったのは、改めて信長から正式に越前守護として任じられることを目論んでいたためとされる。
しかし、どう考えてもこのような暴挙が事後承諾で認められる筈もなかった。
それ以前に、越前の混乱は単なる長繁の暴走だけで終わらず、より深刻な事態、すなわち加賀の一向一揆の介入を招くこととなった。
手の付けられない混乱の中、新庄城の員昌の元に、阿閉貞征、堀秀村らと共に、越前と近江の境目の城である木目城を守備せよとの命令が、木下あらため羽柴秀吉から届いた。
厳密に言えば、坂田郡、浅井郡、伊香郡の三郡を治める羽柴秀吉と、高島郡を任されている員昌は同格であり、頭ごなしに命令を受ける立場にはない。
その意味では、坂田郡半郡の本領安堵された堀秀村と、伊香郡の一部の領有を認められた阿閉貞征は秀吉の与力となっており、員昌と立ち位置が異なることになる。
しかし、越前の争乱に限っては秀吉が大将となって対処する取り決めとなっており、員昌も秀吉の指揮下に入ることになる。
「桂田殿も気の毒なことじゃ。せっかく主を捨ててまで生き延びておきながら、このような最期を迎えることになろうとはの」
木目城の物見櫓から北の方角に目をやる阿閉貞征が、独り言めいた呟きを漏らす。
ただ、その口調からは言葉ほどに同情している様子は伺えない。
浅井家の重臣であった貞征は、要害である山本山城を守備してきたが、天正元年八月になって織田勢の勢いに抗しきれず、内応して城内に織田勢を引き入れた。
この寝返りが契機となって小谷城の孤立は決定的なものとなり、浅井家の命運は定まった。
その功によって、滅亡直前に織田方に降った浅井家の家臣の多くが許されずに処刑されるなか、貞征は伊香郡内の本領安堵を手にしていた。
だが当人からは、浅井家滅亡の引き金を引いたなどという自責の念は伺われなかった。
仮に自分が山本山城で討死するまで戦ったところで、早晩浅井家の滅亡は避けられなかったのであり、自分は沈みかけた舟からすんでのところで逃げ延びたとの思いが、態度の端々から伺えた。
どの口が主を捨ててまで、などと言うのか。
員昌は思わずそう言いかけて、ふと傍らに立つ樋口直房に視線を向けた。
堀秀村が若年であることを理由に、堀家の軍勢は依然として樋口直房が陣代として率いている。
視線の意味に気づいたか、直房が薄笑いを浮かべて首をすくめてみせた。
本領安堵を条件に、浅井家の中で真っ先に信長に降った堀家は、敢えて言えば朝倉家における前波吉継の立場に近いと言えなくもない。
もちろん本人に言わせれば「一緒にするな」と言いたいところであろうが。
(まあ、その点に関しては儂も似たような立場には違いない)
その点に思い至ると、員昌も肩に入った力が抜けるのを感じずにはいられない。
時期や形こそ違えど、浅井家から離反したことで滅亡の運命を回避した三人が寄り集まっているのだ。
員昌としては、他の二人よりはマシな降り方をしたと思いたい。
だが、余人の目から見れば目糞鼻糞の集まりであろうことは否定しようがない。
(羽柴殿も、この三人を一つところに集めるとは、いささか意地が悪い)
秀吉の立場としては、あえて三人を並び立たせて功を競わせようとの思惑もあるのかもしれない。
三者三様、それぞれの立場に思いをはせ、どうにも気まずい空気が流れる中、直房に近習が歩み寄って何やら耳打ちした。
直房は「しばし席を外しまする」と断り、櫓から降りていく。
残された員昌と貞征の間に、一層冷えた空気が残る。
「いささか、気弱になっておるようじゃな」
貞征が言った。
最初、員昌は自分を指して言っているのかと思ったが、口ぶりからするとこの場を離れた直房のことを指しているらしかった。
「一揆はとにかく数が多いゆえ、致し方ないところもあろう」
言葉を選びながら員昌は応じる。
「数が多いだけでは、そうそう城を攻め落とせるものでもあるまい」
貞征は鼻を鳴らす。
本願寺が信長を仏敵と見做して挙兵したのに対抗する形で、長政が本願寺と手を結んで味方につけたのは、元亀元年の九月以降の話である。
従って、当時佐和山城に籠っていた員昌は聞き知った知識しかない。
高島郡においても、大規模な一向一揆は起こっていない。
対する貞征は、一向一揆を味方にして共に戦った経験から、その強みよりも脆さを実感している様子だった。
「相手が武家ならばともかく、一揆輩を相手に降ることなど出来ぬのは確かか」
自重とも皮肉ともつかない言葉が員昌の口からこぼれた。
お互い、城を開いて織田家に降った者同士だとの思いを込めたものだが、いささか挑発的に過ぎたようだった。
貞征は再び鼻を鳴らしただけで取り合おうとはしなかった。
かつて姉川の戦い前に示したような親しさは、既に貞征のどこからも感じられなかった。
高島一郡を任される員昌の事を、今は羽柴秀吉の寄騎である貞征は妬んでいる節も見受けられる。
「越前を探っておった我が手の者より報せがございました。領内はなかなか酷い有様ながら、どうやら一揆勢は国境を超えるつもりはなさそうですな」
再び櫓に上ってきた直房が嫌な空気を払うように、明るい声音を作って朗報を告げた。
「それはありがたい。一揆相手の戦さなど、勝ったところでなんの足しにもならぬでな」
つまらない冗談を耳にしたかのように、貞征は口をゆがめてみせる。
その後、越前の一連の騒乱を引き起こした張本人である富田長繁は二月十七日の一向一揆との合戦の最中、味方である筈の小林三郎二郎の寝返りによってあえなく討たれた。
一向宗と距離を置いていた寺社は、一揆の手によってことごとく焼かれた。
信長に降った朝倉の旧臣は、再度織田から離反して一向一揆に加勢するなどして生き残りを計ったが、その多くが一向一揆の嵐の前に命を長らえることなく消え去った。
しかし、顕如光佐の命に従って一揆を主導する本願寺の坊官・下間頼照は、支配権を確立して越前一国を加賀に続く新たな「一揆持ちの国」とすることを優先した。
結局、直房の見立て通り、一揆勢は木目城にまでは攻め寄せて来なかった。
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刀より強い? 腹が減っては戦はできぬ!
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血と硝煙の戦国乱世。一大大名家が歴史を変える大いくさを前に、軍全体がかつてない危機に喘いでいた。それは、敵の奇襲でも、寡兵でもない――輸送路の遮断による、避けようのない「飢餓」だった!
武功に血道を上げる武士たちの中で、ひっそりと、だが確かに異彩を放つ若者が一人。伊吹千兵衛。刀の腕は今ひとつだが、「食」の道を探求し、戦場の兵糧に並々ならぬ情熱をかける兵糧奉行補佐だ。絶望的な食糧不足、日に日に失われる兵士たちの士気。この危機に、千兵衛は立ち上がる。
彼の武器は、限られた、乏しい食材から、想像もつかない「いくさ飯」を生み出す驚きの創意工夫!
いつもの硬いだけの干飯は、野草と胡麻を加え、香ばしく焼き上げた「魂を焦がす焼きおにぎり」に。
そして、戦場の重苦しい空気を忘れさせる、兵士たちの「ささやかな甘味」まで――。
『乏しき中にこそ、美味は宿る。これぞ、いくさ飯。』
千兵衛が心を込めて作る一品一品は、単なる食事ではない。
それは、飢えと疲労に倒れかけた兵士たちの失われた力となり、荒んだ心を癒やす温もりとなり、そして明日を信じる希望となるのだ。
彼の地道な、しかし確かな仕事が、戦場の片隅で、確実に戦の行方に影響を与えていく。
読めばきっとお腹が空く、創意工夫あふれる戦国グルメの数々。次にどんな驚きの「いくさ飯」が生まれるのか?
それが兵士たちを、そしてこの大戦をどう動かすのか?
これは、「あの時代の名脇役」が、食という最も人間臭く、最も根源的な力で、乾坤一擲の大戦に挑む物語。
歴史の裏側で紡がれる、もう一つの、心熱くなる戦場ドラマ。
腹ペコを連れて、戦国の陣中へ――いざ、参らん!
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