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(二十七)善住坊捕縛
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「新庄城に居を移す」
小谷城における論功行賞を終えて帰還した員昌は、小川城の広間に主だった家臣を集め、そう宣言した。
もっとも、佐和山城に居を構えていた頃と比較すれば、参集している人数は格段に少ない。
未だ、高島郡の国衆の多くは員昌に帰服してはいない。
あからさまに抵抗してくることこそないが、進んで出仕してくる者も少ない。
「さて、新庄城と申すは、ここから北にわずか一里ばかりのところにある城のことにございましょうか。それも、高島七頭の城の間に割って入るような形となりまするぞ。いささか危険ではございませぬか」
日頃、員昌の考えに異を唱えることは少ない嶋秀淳が、この時ばかりは首を傾げた。
「懸念はもっともなれど、これよりは高島郡司として、儂はその七頭を従えていかねばならんのだ。逃げ口を求めて所領の端にとどまっておる訳にもいくまい」
相手の懐に入り、誼を通じていく他はない。
員昌の説明に、なお難しい顔を崩さない秀淳も、それ以上は反対の言葉は続けなかった。
ただちに、転居のための準備がはじまる。
小川城はあくまでも仮暮らしのつもりではあったが、二年に渡って起居してきただけに、持ち出す品もそれなりに増えていた。
そんな慌ただしい中、打下城の林与次左衛門が自ら馬を走らせて姿を見せた。
わずかに数騎の供が護衛についている。
「取り込み中のところ、申し訳ない」
大手門にて迎えられた与次左衛門が、ややこわばった表情をみせて頭を下げる。
その雰囲気からして、員昌の高島郡司の着任を祝うためではなさそうだった。
「何か面倒事でも出来いたしましたかな」
与次左衛門を本丸の広間に招き入れた員昌は、表情を険しくして問う。
「実は、御耳に入れておきたいことがございましてな。磯野殿は、杉谷善住坊なる鉄砲放ちのことはご存じであろうか」
この数年、耳にすることのなかった名を与次左衛門の口から聞いて、員昌の眉が思わず跳ねた。
員昌は心の動きを気取られぬよう、咳払いしてから口を開く。
「その者は確か、織田弾正様を狙い、仕留めそこねたと聞いておりますな。見つけ次第、捉えて岐阜まで連行せよとの命令が出ておった筈」
員昌は、織田家に降伏して間もないころ、あらたに信長に仕えることとなった者のために用意された、「織田家家臣としての心得」とでもいうべき申次事項を記した書状をいくつも受け取っていた。
その中には、「杉谷善住坊の捕縛」を命じるものも含まれていた。
自分に関わりの無さそうな項目については流し読みしていた員昌も、さすがに善住坊の名前は見逃せなかった。
「その善住坊とやら、先日まで我が城の城下に潜んでおったとの報せがございましてな」
そう説明する与次左衛門は、苦しげに顔をゆがめる。
「なんと」
員昌は驚きの声をあげた。
潜伏しているのはてっきり六角家の勢力圏内、それも出身の甲賀であろうと漠然と考えていたのだ。
湖西に渡っていたとは意表を突いた行動であり、うまく探索の目を欺いて逃れていたと言えるかも知れない。
「我が手の者が調べたところ、既に居を移しており、どうも高島郡に逃げ込む腹積もりであった様子。高島郡司の御礼の手土産というわけではないが、捕縛の名目で領内の不逞の輩をいぶりだすのも一手ではないかと思いましてな」
足元に転がっていた手柄をすんでのところで逃したのが悔しいのか、与次左衛門は繰り返し、是非とも捕らえてくだされ、と念を押した。
「手土産代わりに良きことをお聞かせいただいた。感謝いたす」
員昌としては、笑顔でそう応じるしかない。
その日の晩、員昌は森盛造を寝所に呼び出した。
「お呼びにございますか」
押し殺した盛造の声がどこからか聞こえた。
廊下からとも、天井からともつかぬ、奇妙な声の響き方であった。
年々、盛造の忍びの技は磨きがかかっていくようであり、員昌としても実に頼もしい反面、どこまで腕をあげるのか、空恐ろしいものさえ感じていた。
「うむ、入れ」
「はっ」
間を置かず、庭側の襖を空けて入ってきた盛造が、部屋の隅で平伏する。
「既に聞いておるやも知れぬが、領内に杉谷善住坊が潜んでおると林与次左衛門殿がわざわざ報せに参られた」
「さて、まことの話しにございましょうか」
顔をあげた盛造は、わずかに困惑の表情を浮かべている。
「その方も、疑わしいと思うか。儂も正直、腑におちぬ。あるいは空とぼけておられるだけで、本当のところは与次左衛門殿がこれまで善住坊を匿っていたやもしれぬ」
考えをまとめるように、員昌はゆっくりとした語調で己の考えを告げる。
「露見することを恐れ、己の所領から追い出した、とのお考えで」
「うむ。我等の関係を与次左衛門殿がご存じとは思えぬからな」
当て推量にすぎないが、員昌はそんな感触を持っていた。
「いかがいたしましょう。配下に郡内の探索を命じましょうか」
盛造の問いに、員昌は腕を組んで思案する。
本気で捕らえるのか。捕らえてどうするのか。
仮に善住坊の捕縛に成功した場合、その身柄は勝手に処断することなく、信長の元に送りつけることが命ぜられている。
信長の前で、善住坊の口からかつて員昌の元で鉄砲の鍛錬を積み、千草街道で信長を狙撃した、などと暴露される可能性もある。
それで員昌に咎めが及ぶようなことになれば全く割に合わないし、そもそも善住坊に縄をかけること自体、員昌は望んではいなかった。
しばしの思案の後、員昌は腹を決めた。
「密かに手を回すのも一案ではあるが、むしろ大々的にやりたい。その方、人相書は得手であろうか」
固い表情の盛造が、員昌の問いを受けて頬をわずかに緩めた。
「善住坊様に忍びの教えを受けた際には、人相書の修練もいたしました。さほど得手ではございませぬが、練習台としたのは他ならぬ善住坊様の御顔なれば、それがしが唯一描き慣れた顔にございます」
兵馬を連ねて堂々と新庄城に入城した員昌は、転居にともなう雑事をあらかた片づけた夕刻に、改めて家臣一同を大広間に集めた。
この場にて、いわば員昌の所信表明を行った後、最初の命令として、領内に逃げ込んだという杉谷善住坊の捕縛に乗り出すことを伝えた。
既に、森盛造には人相書を描かせ、領内各所に張り出すことも決めていた。
似た顔を見かけた者や、居場所を知っている者など、報せを持ち込んだ者には報奨金を出す旨もあわせて告げる。
「はて。決して無用などとは申しませぬが、高島郡を治めるにあたって、最初に手を着けるべきことでもないかと思われますが」
事情を知らぬ嶋秀淳などは、員昌の考えを掴めず、首をひねっている。
「まあ、そう申すな。ここは一つ、派手にやっておきたいのだ。胡乱な輩を許さぬとの示しになろう」
本意は別にあるが、員昌は表向きの理由を口にした。
「なるほど。されど、あまり大っぴらに追捕の動きを見せつけては、この杉谷なにがし、早々にいずこかに遁走してしまう気がいたしますな」
それなりに興が乗ったのか、員春は乗り気な姿勢を見せる。
「その時はその時で構わぬ」
「左様でござりまするか……?」
員昌の言葉に、今一つ納得出来ていない様子の秀淳であるが、それ以上の反対はしなかった。
杉谷善住坊の人相書きを貼りだした高札を、新庄城の門前をはじめとして郡内の要所に立てたところ、員昌が想像した以上の反響があった。
もちろん大半は、懸けられた賞金につられての反応ではある。
しかし、それにも増して員昌が領内の統治にあたって、何よりも真っ先に不逞の輩を取り締まる姿勢を示したとして、領内の治安が安定することが期待されている節があった。
「報せが続々と集まってくるのは良いが、どうもあぶりだされておるのは杉谷某とは限らぬようじゃぞ」
員春が新庄城の物見櫓から大手門前を見下ろし、列をなしている民衆の姿に呆れ声を出す。
本人の目撃談や怪しい人物の噂など、情報の確度によって細かな差をつけてあるものの、公正な査定のうえで、懸賞金は気前よく支払われていた。
情報の重要性を判断する段階には員昌も関わっているが、懸賞金の支払いに関しては、例によって信頼する弟に金勘定を丸投げしている。
そしてこれもまた例によって、員春は愚痴をこぼしながらも抜かりなく仕事を果たしてくれている。
居城を移して物入りの時期でありながら、懸賞金を渋らずに済むのは員春の才覚によるところが大きい。
そのおかげで、新しい領主は領内の慰撫に力を入れていて信頼できる、との噂が急速に広まりつつある。
意図したことではなかったが、結果として員昌は金のばら撒きによって領民の支持を集める形になっていた。
「高島郡は、長きに渡って高島七頭がひしめきあってそれぞれの裁量で治めてきたゆえ、よく言えばおおらか、悪く言えば緩んでおったようじゃな。胡乱な輩を成敗して、住みよい地にしてもらいたいと願う者が存外に多いようじゃ」
思いがけない効果に員昌も驚いていたが、悪い話ではない。
善住坊が潜伏していると思しき場所についての情報も、次々に届けられた。
そんな時は、よほど疑わしいものを除いて、員昌は十文字槍「無銘」を携えて自ら手勢を率いて現場に向かった。
人違いながら怪しい輩を取り押さえる時もあれば、員昌自ら出馬したとの風聞を耳にしたのか、もぬけの空となっている時もあった。
善住坊には行き当たらなかったものの、「変事があれば、即座に信長を驚嘆させた猛将・磯野丹波が自ら騎馬を走らせて駆け付けてくる」との風聞は、たちまちのうちに領内に好意的な空気をもって駆け巡った。
「別に、領内の巡察をしている訳ではないのだがな」
ぼやく員昌であったが、九月七日になって、遂に有力と思われる報せがあった。
「新庄城の北、堀川村にある荒れ寺となっていた阿弥陀寺に、最近になって一人の坊主が住み着いた。近くに住む鯰江香竹なる隠居の老人が、その坊主の元に食料や衣服を届けている」と報せてきた者が複数現れたのだ。
呆れた事に、阿弥陀寺は新庄城から一里と離れていなかった。
「鯰江のう。やはり六角に関わりのある者であろうかな」
員昌は苦い表情でつぶやいた。
湖を挟んで隔たっているとはいえ、高島郡は長らく南近江を治めてきた六角氏とのつながりが深い。
信長に追い詰められた六角義賢が、かろうじて立てこもる城の名が「鯰江城」であることを連想せざるを得ない。
「鯰江なる老人をひっ捕らえて詮議するか」
勢い込んで員春が示した策を、員昌は首を振って却下する。
「回りくどいわ。直接、阿弥陀寺を叩く。善住坊でなくとも、一向宗が一揆の煽動を企んでおるやも知れぬでな」
員昌は手早く甲冑に身を固め、手勢三〇名あまりを率いて馬上の人となった。
相手が鉄砲放ちであることを考慮して、率いる兵のうち五名は鉄砲を備え、持楯も多く用意させる。
数名の家臣を、鯰江香竹が住むという隠居宅に走らせて身柄を確保させるとともに、員昌は自ら残る兵とともに阿弥陀寺に向かった。
十名ばかりを、大回りさせて本殿の後方の山側へと向かわせて退路を断ってから、頃合いをみて、崩れかけた山門をくぐって境内に討ち入る。
長らく無住であったためか、参道には雑草が青々と生い茂っていた。
しかし、それとみて目を凝らせば、かろうじて最近人が通ったと思しき痕跡が残っていた。
騎馬武者を含む数十名が押しかけた以上、気配を殺しきることなど出来るものではない。
(最初の一発は、善住坊に撃たせることになるやも知れぬ)
鍛えた夜討ちの技で寝込みを襲うべきだったか、と一瞬脳裏に策が浮かぶが、即座に否定する。
相手は、森盛造に甲賀忍びの技を教えた師匠なのだ。
下手な小細工は、却って墓穴を掘りかねない。
朽ちかけた御堂の奥から銃口が突き出していないか、目を凝らしながら慎重に間合いを詰めていく。
その時、風向きが変わった。
右手の竹林から、かすかに火縄が燃える匂いが漂う。
(!)
員昌が上体を左に倒すようにして鞍上から飛び降りるのと、銃声が響くのがほぼ同時だった。
銃弾は、員昌の身体があった空間近辺を貫いていた。
かわしていなければ命中していたかどうかまでは、員昌にも判らない。
「かかれっ!」
つんのめるようにして着地した員昌は、馬腹に身を隠す低い姿勢のまま叫んだ。
敵が一人だけとも、同時に用意した銃が一挺だけとも限らない。
だが、ともかく次弾が飛んでくる前に間合いを詰めるしかない。
員昌の命令に、周囲を固めていた騎馬武者たちが、己を鼓舞するように雄叫びを発し、足軽を引き連れて竹林目掛けて突っ込む。
駆け抜ける人馬が風を巻く。
とはいえ、生い茂る竹林の中まで騎乗したまま入り込むのは困難だ。
一目算に遁走されれば、追いつくことは難しいかもしれない、配下の武者たちの後に続きながら員昌は思う。
だが、案に相違してほどなく捕縛された一人の男が、小突かれながら員昌の前に引き立てられてきた。
「この男、杉谷なにがしでございましょうや」
員昌は、僧形の薄汚れた男の顔をじっと見つめる。
まぎれもなく、杉谷善住坊がそこにいた。
小谷城における論功行賞を終えて帰還した員昌は、小川城の広間に主だった家臣を集め、そう宣言した。
もっとも、佐和山城に居を構えていた頃と比較すれば、参集している人数は格段に少ない。
未だ、高島郡の国衆の多くは員昌に帰服してはいない。
あからさまに抵抗してくることこそないが、進んで出仕してくる者も少ない。
「さて、新庄城と申すは、ここから北にわずか一里ばかりのところにある城のことにございましょうか。それも、高島七頭の城の間に割って入るような形となりまするぞ。いささか危険ではございませぬか」
日頃、員昌の考えに異を唱えることは少ない嶋秀淳が、この時ばかりは首を傾げた。
「懸念はもっともなれど、これよりは高島郡司として、儂はその七頭を従えていかねばならんのだ。逃げ口を求めて所領の端にとどまっておる訳にもいくまい」
相手の懐に入り、誼を通じていく他はない。
員昌の説明に、なお難しい顔を崩さない秀淳も、それ以上は反対の言葉は続けなかった。
ただちに、転居のための準備がはじまる。
小川城はあくまでも仮暮らしのつもりではあったが、二年に渡って起居してきただけに、持ち出す品もそれなりに増えていた。
そんな慌ただしい中、打下城の林与次左衛門が自ら馬を走らせて姿を見せた。
わずかに数騎の供が護衛についている。
「取り込み中のところ、申し訳ない」
大手門にて迎えられた与次左衛門が、ややこわばった表情をみせて頭を下げる。
その雰囲気からして、員昌の高島郡司の着任を祝うためではなさそうだった。
「何か面倒事でも出来いたしましたかな」
与次左衛門を本丸の広間に招き入れた員昌は、表情を険しくして問う。
「実は、御耳に入れておきたいことがございましてな。磯野殿は、杉谷善住坊なる鉄砲放ちのことはご存じであろうか」
この数年、耳にすることのなかった名を与次左衛門の口から聞いて、員昌の眉が思わず跳ねた。
員昌は心の動きを気取られぬよう、咳払いしてから口を開く。
「その者は確か、織田弾正様を狙い、仕留めそこねたと聞いておりますな。見つけ次第、捉えて岐阜まで連行せよとの命令が出ておった筈」
員昌は、織田家に降伏して間もないころ、あらたに信長に仕えることとなった者のために用意された、「織田家家臣としての心得」とでもいうべき申次事項を記した書状をいくつも受け取っていた。
その中には、「杉谷善住坊の捕縛」を命じるものも含まれていた。
自分に関わりの無さそうな項目については流し読みしていた員昌も、さすがに善住坊の名前は見逃せなかった。
「その善住坊とやら、先日まで我が城の城下に潜んでおったとの報せがございましてな」
そう説明する与次左衛門は、苦しげに顔をゆがめる。
「なんと」
員昌は驚きの声をあげた。
潜伏しているのはてっきり六角家の勢力圏内、それも出身の甲賀であろうと漠然と考えていたのだ。
湖西に渡っていたとは意表を突いた行動であり、うまく探索の目を欺いて逃れていたと言えるかも知れない。
「我が手の者が調べたところ、既に居を移しており、どうも高島郡に逃げ込む腹積もりであった様子。高島郡司の御礼の手土産というわけではないが、捕縛の名目で領内の不逞の輩をいぶりだすのも一手ではないかと思いましてな」
足元に転がっていた手柄をすんでのところで逃したのが悔しいのか、与次左衛門は繰り返し、是非とも捕らえてくだされ、と念を押した。
「手土産代わりに良きことをお聞かせいただいた。感謝いたす」
員昌としては、笑顔でそう応じるしかない。
その日の晩、員昌は森盛造を寝所に呼び出した。
「お呼びにございますか」
押し殺した盛造の声がどこからか聞こえた。
廊下からとも、天井からともつかぬ、奇妙な声の響き方であった。
年々、盛造の忍びの技は磨きがかかっていくようであり、員昌としても実に頼もしい反面、どこまで腕をあげるのか、空恐ろしいものさえ感じていた。
「うむ、入れ」
「はっ」
間を置かず、庭側の襖を空けて入ってきた盛造が、部屋の隅で平伏する。
「既に聞いておるやも知れぬが、領内に杉谷善住坊が潜んでおると林与次左衛門殿がわざわざ報せに参られた」
「さて、まことの話しにございましょうか」
顔をあげた盛造は、わずかに困惑の表情を浮かべている。
「その方も、疑わしいと思うか。儂も正直、腑におちぬ。あるいは空とぼけておられるだけで、本当のところは与次左衛門殿がこれまで善住坊を匿っていたやもしれぬ」
考えをまとめるように、員昌はゆっくりとした語調で己の考えを告げる。
「露見することを恐れ、己の所領から追い出した、とのお考えで」
「うむ。我等の関係を与次左衛門殿がご存じとは思えぬからな」
当て推量にすぎないが、員昌はそんな感触を持っていた。
「いかがいたしましょう。配下に郡内の探索を命じましょうか」
盛造の問いに、員昌は腕を組んで思案する。
本気で捕らえるのか。捕らえてどうするのか。
仮に善住坊の捕縛に成功した場合、その身柄は勝手に処断することなく、信長の元に送りつけることが命ぜられている。
信長の前で、善住坊の口からかつて員昌の元で鉄砲の鍛錬を積み、千草街道で信長を狙撃した、などと暴露される可能性もある。
それで員昌に咎めが及ぶようなことになれば全く割に合わないし、そもそも善住坊に縄をかけること自体、員昌は望んではいなかった。
しばしの思案の後、員昌は腹を決めた。
「密かに手を回すのも一案ではあるが、むしろ大々的にやりたい。その方、人相書は得手であろうか」
固い表情の盛造が、員昌の問いを受けて頬をわずかに緩めた。
「善住坊様に忍びの教えを受けた際には、人相書の修練もいたしました。さほど得手ではございませぬが、練習台としたのは他ならぬ善住坊様の御顔なれば、それがしが唯一描き慣れた顔にございます」
兵馬を連ねて堂々と新庄城に入城した員昌は、転居にともなう雑事をあらかた片づけた夕刻に、改めて家臣一同を大広間に集めた。
この場にて、いわば員昌の所信表明を行った後、最初の命令として、領内に逃げ込んだという杉谷善住坊の捕縛に乗り出すことを伝えた。
既に、森盛造には人相書を描かせ、領内各所に張り出すことも決めていた。
似た顔を見かけた者や、居場所を知っている者など、報せを持ち込んだ者には報奨金を出す旨もあわせて告げる。
「はて。決して無用などとは申しませぬが、高島郡を治めるにあたって、最初に手を着けるべきことでもないかと思われますが」
事情を知らぬ嶋秀淳などは、員昌の考えを掴めず、首をひねっている。
「まあ、そう申すな。ここは一つ、派手にやっておきたいのだ。胡乱な輩を許さぬとの示しになろう」
本意は別にあるが、員昌は表向きの理由を口にした。
「なるほど。されど、あまり大っぴらに追捕の動きを見せつけては、この杉谷なにがし、早々にいずこかに遁走してしまう気がいたしますな」
それなりに興が乗ったのか、員春は乗り気な姿勢を見せる。
「その時はその時で構わぬ」
「左様でござりまするか……?」
員昌の言葉に、今一つ納得出来ていない様子の秀淳であるが、それ以上の反対はしなかった。
杉谷善住坊の人相書きを貼りだした高札を、新庄城の門前をはじめとして郡内の要所に立てたところ、員昌が想像した以上の反響があった。
もちろん大半は、懸けられた賞金につられての反応ではある。
しかし、それにも増して員昌が領内の統治にあたって、何よりも真っ先に不逞の輩を取り締まる姿勢を示したとして、領内の治安が安定することが期待されている節があった。
「報せが続々と集まってくるのは良いが、どうもあぶりだされておるのは杉谷某とは限らぬようじゃぞ」
員春が新庄城の物見櫓から大手門前を見下ろし、列をなしている民衆の姿に呆れ声を出す。
本人の目撃談や怪しい人物の噂など、情報の確度によって細かな差をつけてあるものの、公正な査定のうえで、懸賞金は気前よく支払われていた。
情報の重要性を判断する段階には員昌も関わっているが、懸賞金の支払いに関しては、例によって信頼する弟に金勘定を丸投げしている。
そしてこれもまた例によって、員春は愚痴をこぼしながらも抜かりなく仕事を果たしてくれている。
居城を移して物入りの時期でありながら、懸賞金を渋らずに済むのは員春の才覚によるところが大きい。
そのおかげで、新しい領主は領内の慰撫に力を入れていて信頼できる、との噂が急速に広まりつつある。
意図したことではなかったが、結果として員昌は金のばら撒きによって領民の支持を集める形になっていた。
「高島郡は、長きに渡って高島七頭がひしめきあってそれぞれの裁量で治めてきたゆえ、よく言えばおおらか、悪く言えば緩んでおったようじゃな。胡乱な輩を成敗して、住みよい地にしてもらいたいと願う者が存外に多いようじゃ」
思いがけない効果に員昌も驚いていたが、悪い話ではない。
善住坊が潜伏していると思しき場所についての情報も、次々に届けられた。
そんな時は、よほど疑わしいものを除いて、員昌は十文字槍「無銘」を携えて自ら手勢を率いて現場に向かった。
人違いながら怪しい輩を取り押さえる時もあれば、員昌自ら出馬したとの風聞を耳にしたのか、もぬけの空となっている時もあった。
善住坊には行き当たらなかったものの、「変事があれば、即座に信長を驚嘆させた猛将・磯野丹波が自ら騎馬を走らせて駆け付けてくる」との風聞は、たちまちのうちに領内に好意的な空気をもって駆け巡った。
「別に、領内の巡察をしている訳ではないのだがな」
ぼやく員昌であったが、九月七日になって、遂に有力と思われる報せがあった。
「新庄城の北、堀川村にある荒れ寺となっていた阿弥陀寺に、最近になって一人の坊主が住み着いた。近くに住む鯰江香竹なる隠居の老人が、その坊主の元に食料や衣服を届けている」と報せてきた者が複数現れたのだ。
呆れた事に、阿弥陀寺は新庄城から一里と離れていなかった。
「鯰江のう。やはり六角に関わりのある者であろうかな」
員昌は苦い表情でつぶやいた。
湖を挟んで隔たっているとはいえ、高島郡は長らく南近江を治めてきた六角氏とのつながりが深い。
信長に追い詰められた六角義賢が、かろうじて立てこもる城の名が「鯰江城」であることを連想せざるを得ない。
「鯰江なる老人をひっ捕らえて詮議するか」
勢い込んで員春が示した策を、員昌は首を振って却下する。
「回りくどいわ。直接、阿弥陀寺を叩く。善住坊でなくとも、一向宗が一揆の煽動を企んでおるやも知れぬでな」
員昌は手早く甲冑に身を固め、手勢三〇名あまりを率いて馬上の人となった。
相手が鉄砲放ちであることを考慮して、率いる兵のうち五名は鉄砲を備え、持楯も多く用意させる。
数名の家臣を、鯰江香竹が住むという隠居宅に走らせて身柄を確保させるとともに、員昌は自ら残る兵とともに阿弥陀寺に向かった。
十名ばかりを、大回りさせて本殿の後方の山側へと向かわせて退路を断ってから、頃合いをみて、崩れかけた山門をくぐって境内に討ち入る。
長らく無住であったためか、参道には雑草が青々と生い茂っていた。
しかし、それとみて目を凝らせば、かろうじて最近人が通ったと思しき痕跡が残っていた。
騎馬武者を含む数十名が押しかけた以上、気配を殺しきることなど出来るものではない。
(最初の一発は、善住坊に撃たせることになるやも知れぬ)
鍛えた夜討ちの技で寝込みを襲うべきだったか、と一瞬脳裏に策が浮かぶが、即座に否定する。
相手は、森盛造に甲賀忍びの技を教えた師匠なのだ。
下手な小細工は、却って墓穴を掘りかねない。
朽ちかけた御堂の奥から銃口が突き出していないか、目を凝らしながら慎重に間合いを詰めていく。
その時、風向きが変わった。
右手の竹林から、かすかに火縄が燃える匂いが漂う。
(!)
員昌が上体を左に倒すようにして鞍上から飛び降りるのと、銃声が響くのがほぼ同時だった。
銃弾は、員昌の身体があった空間近辺を貫いていた。
かわしていなければ命中していたかどうかまでは、員昌にも判らない。
「かかれっ!」
つんのめるようにして着地した員昌は、馬腹に身を隠す低い姿勢のまま叫んだ。
敵が一人だけとも、同時に用意した銃が一挺だけとも限らない。
だが、ともかく次弾が飛んでくる前に間合いを詰めるしかない。
員昌の命令に、周囲を固めていた騎馬武者たちが、己を鼓舞するように雄叫びを発し、足軽を引き連れて竹林目掛けて突っ込む。
駆け抜ける人馬が風を巻く。
とはいえ、生い茂る竹林の中まで騎乗したまま入り込むのは困難だ。
一目算に遁走されれば、追いつくことは難しいかもしれない、配下の武者たちの後に続きながら員昌は思う。
だが、案に相違してほどなく捕縛された一人の男が、小突かれながら員昌の前に引き立てられてきた。
「この男、杉谷なにがしでございましょうや」
員昌は、僧形の薄汚れた男の顔をじっと見つめる。
まぎれもなく、杉谷善住坊がそこにいた。
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