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43話 君の目覚めを待つ
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グラーレウスから少し離れた村に、ライナス達は一時的に避難していた。
グラーレウスの街がドレイクに襲われてから早五日。
火はグラーレウスの民達の決死の努力によって鎮火し、今は復興作業に入っている。
多くの負傷者を死の淵から救い出してくれた聖女の元を、大勢の民達が毎日欠かさず祈りに訪れている。
聖女が眠る村長の家の前には、見舞いの花が山ほど置かれていた。
その村長の家の中、ベッドの上で未だ目覚めない聖女の側には常に一人の男性が付いていた。
いつもは綺麗に整えられているはずの黄色の髪は、日光を失った花のように萎れ、少し傷み始めている。
蒼色の瞳の下には寝不足の印である隈が刻まれ、男性の顔色を悪く見せる効果を発揮していた。
聖女の手を握り離れようとしない男性を、聖女の従者が困った様子で休息を取ることを薦める。
「ライナス様。いい加減お休みになられて下さい。ライナス様まで倒れては元も子もありません」
「ああ……わかっている」
ライナスはそう返事をしながらも、頑なにその場から動こうとしない。
聖女の従者であるレグランは、どうにかしてライナスに休んでもらおうと、彼が持つ不安を取り除けるような励ましの言葉を口にした。
「アイヴィ様ならその内目覚めますよ。タダで死ぬような人ではなさそうですから」
「だがもう五日も目を覚ましていない。このまま目を覚ますことがなければ……どうしたらいいかわからない」
「そうですね。アイヴィ様にはノノメリアの王女を必ずお救いになってもらわなければなりませんからね」
「ノノメリア……? ……ああ、そうだな」
ノノメリアとの関係悪化を避けるためには聖女であるアイヴィの存在は非常に重要である。
にも関わらずノノメリアのことを言われて初めて思い出したかのようなライナスの反応に、レグランは目を丸くする。
「……珍しいですね。ライナス様が個人的な感情を見せるとは」
レグランの指摘に心当たりがないライナスは、僅かに瞳を大きくした。
「個人的な感情……?」
「ノノメリアとの関係よりも、アイヴィ様の方が気になられるんですよね」
「…………。そうか。確かにそうだな……」
レグランがわかりやすく簡潔に伝えれば、自覚がなかったライナスは頭の中でその事実を何度か咀嚼して、認める。
レグランは干渉しすぎだとわかっていながらも、ライナスへ更に深く訊ねた。
「アイヴィ様のこと、お慕いしておられるのですか?」
その質問はライナスの動揺を誘い、彼の瞳が一度だけ揺れる。
冷静さを取り戻そうとしたのか、ライナスは目を瞑って頭を横に振り、否定の言葉を口にした。
「……いや、そんな浮ついた感情ではない。……ただ、彼女のことを放っておけないだけだ」
「……ああ、少しわかる気がします」
レグランは頭の中で今までのアイヴィの姿を思い返しながら、ライナスに共感する。
ライナスも同じようにアイヴィのことを思い、眠る彼女の顔をじっと見つめた。
「彼女は聖女の祈りを捧げる時、いつも微かに手が震えているんだ。きっと私が想像するよりも彼女への身体の負担は大きいのだろう。……それでも弱音を吐かず、目の前の人を救うことを優先する。自己犠牲が過ぎる姿を見ていると心配なんだ」
「…………」
「私は無理矢理にでも彼女を止めるべきだった。もし止めていれば、彼女は……」
「ライナス様。まだアイヴィ様は亡くなった訳ではありません。そうご自身を責めないで下さい」
レグランが慰めの言葉をかけるも、ライナスの自責の念が和らぐことはない。
「だが……」
「心配せずとも目が覚めたらアイヴィ様は悪態つかれますよ。『やだ、私が死ぬとでも思っていたの? 随分情けない顔をしているわね。恥ずかしくないの?』とでも、言いますよ」
レグランがアイヴィの身振り口振りを真似して見せれば、固かったライナスの口元がふっと緩む。
「……ふ。お前は物真似が上手いな。レグラン」
「誠に不名誉ですね」
レグランがわざとらしく咳払いすると、控え目に扉をコンコンとノックする音が部屋に響いた。入室の許可を求める、か細い声が続く。
「コ、コニーです。入ってもよろしいですか?」
「ああ、入ってくれ」
ライナスが許可すると、メイドのコニーがおどおどした様子で入って来た。
その手には軽食と身体を拭くためのタオル、そして桶が乗ったトレイがある。
ゆっくりと運び、コニーはベッドサイドの棚の上に置いた。
コニーはアイヴィが食べる重湯を、一日に何度も作り直して持って来る。
早くアイヴィが目覚めるのを願い、待っているようだ。
「君は随分献身的だな、コニー」
「い、いえ! 私はただアイヴィ様がいつ目覚めてもいいようにしているだけで……」
ライナスに褒められたコニーは、手と頭を振りながら恐縮する。
そしてベッドで眠るアイヴィに視線を移して、不安そうに眉を下げた。
「あの、あの……アイヴィ様、早く……お目覚めになるといいですね……」
「……君は、アイヴィ嬢を心から心配しているのだな」
「は、はい……。早く、お目覚めになって欲しいです。ア、アイヴィ様は、とっても優しい方で……。わわ、私なんかにもよく気遣って下さるし、あの、私が淹れる紅茶を、す、すごく美味しそうに飲んで下さるんです」
コニーは元々赤い頬を更に濃く染めて、嬉しそうに話す。
「アイヴィ様は、ご、誤解されやすいだけで……とても優しい方ですよね! わ、私は今まで悪い人に会うことが多かったので、人を見る目には自信があるんです」
コニーの自信の無い態度に苛立ち、同じ使用人から見下されたり虐めを受けることもあったコニーは、人の悪意に敏感だ。
だからこそ彼女は、アイヴィからその悪意を感じ取ることはなく、アイヴィの悪態の裏に隠れる優しさに気付いていた。
ライナスはコニーの言葉を受けて微笑するようにふと息を零すと、アイヴィに呼び掛ける。
「アイヴィ嬢、早く起きてくれ。君の目覚めを心待ちにしている人がたくさんいるんだ」
ライナスの声が耳に届いたのか、アイヴィが応えるように指先がピクリと動いた。
グラーレウスの街がドレイクに襲われてから早五日。
火はグラーレウスの民達の決死の努力によって鎮火し、今は復興作業に入っている。
多くの負傷者を死の淵から救い出してくれた聖女の元を、大勢の民達が毎日欠かさず祈りに訪れている。
聖女が眠る村長の家の前には、見舞いの花が山ほど置かれていた。
その村長の家の中、ベッドの上で未だ目覚めない聖女の側には常に一人の男性が付いていた。
いつもは綺麗に整えられているはずの黄色の髪は、日光を失った花のように萎れ、少し傷み始めている。
蒼色の瞳の下には寝不足の印である隈が刻まれ、男性の顔色を悪く見せる効果を発揮していた。
聖女の手を握り離れようとしない男性を、聖女の従者が困った様子で休息を取ることを薦める。
「ライナス様。いい加減お休みになられて下さい。ライナス様まで倒れては元も子もありません」
「ああ……わかっている」
ライナスはそう返事をしながらも、頑なにその場から動こうとしない。
聖女の従者であるレグランは、どうにかしてライナスに休んでもらおうと、彼が持つ不安を取り除けるような励ましの言葉を口にした。
「アイヴィ様ならその内目覚めますよ。タダで死ぬような人ではなさそうですから」
「だがもう五日も目を覚ましていない。このまま目を覚ますことがなければ……どうしたらいいかわからない」
「そうですね。アイヴィ様にはノノメリアの王女を必ずお救いになってもらわなければなりませんからね」
「ノノメリア……? ……ああ、そうだな」
ノノメリアとの関係悪化を避けるためには聖女であるアイヴィの存在は非常に重要である。
にも関わらずノノメリアのことを言われて初めて思い出したかのようなライナスの反応に、レグランは目を丸くする。
「……珍しいですね。ライナス様が個人的な感情を見せるとは」
レグランの指摘に心当たりがないライナスは、僅かに瞳を大きくした。
「個人的な感情……?」
「ノノメリアとの関係よりも、アイヴィ様の方が気になられるんですよね」
「…………。そうか。確かにそうだな……」
レグランがわかりやすく簡潔に伝えれば、自覚がなかったライナスは頭の中でその事実を何度か咀嚼して、認める。
レグランは干渉しすぎだとわかっていながらも、ライナスへ更に深く訊ねた。
「アイヴィ様のこと、お慕いしておられるのですか?」
その質問はライナスの動揺を誘い、彼の瞳が一度だけ揺れる。
冷静さを取り戻そうとしたのか、ライナスは目を瞑って頭を横に振り、否定の言葉を口にした。
「……いや、そんな浮ついた感情ではない。……ただ、彼女のことを放っておけないだけだ」
「……ああ、少しわかる気がします」
レグランは頭の中で今までのアイヴィの姿を思い返しながら、ライナスに共感する。
ライナスも同じようにアイヴィのことを思い、眠る彼女の顔をじっと見つめた。
「彼女は聖女の祈りを捧げる時、いつも微かに手が震えているんだ。きっと私が想像するよりも彼女への身体の負担は大きいのだろう。……それでも弱音を吐かず、目の前の人を救うことを優先する。自己犠牲が過ぎる姿を見ていると心配なんだ」
「…………」
「私は無理矢理にでも彼女を止めるべきだった。もし止めていれば、彼女は……」
「ライナス様。まだアイヴィ様は亡くなった訳ではありません。そうご自身を責めないで下さい」
レグランが慰めの言葉をかけるも、ライナスの自責の念が和らぐことはない。
「だが……」
「心配せずとも目が覚めたらアイヴィ様は悪態つかれますよ。『やだ、私が死ぬとでも思っていたの? 随分情けない顔をしているわね。恥ずかしくないの?』とでも、言いますよ」
レグランがアイヴィの身振り口振りを真似して見せれば、固かったライナスの口元がふっと緩む。
「……ふ。お前は物真似が上手いな。レグラン」
「誠に不名誉ですね」
レグランがわざとらしく咳払いすると、控え目に扉をコンコンとノックする音が部屋に響いた。入室の許可を求める、か細い声が続く。
「コ、コニーです。入ってもよろしいですか?」
「ああ、入ってくれ」
ライナスが許可すると、メイドのコニーがおどおどした様子で入って来た。
その手には軽食と身体を拭くためのタオル、そして桶が乗ったトレイがある。
ゆっくりと運び、コニーはベッドサイドの棚の上に置いた。
コニーはアイヴィが食べる重湯を、一日に何度も作り直して持って来る。
早くアイヴィが目覚めるのを願い、待っているようだ。
「君は随分献身的だな、コニー」
「い、いえ! 私はただアイヴィ様がいつ目覚めてもいいようにしているだけで……」
ライナスに褒められたコニーは、手と頭を振りながら恐縮する。
そしてベッドで眠るアイヴィに視線を移して、不安そうに眉を下げた。
「あの、あの……アイヴィ様、早く……お目覚めになるといいですね……」
「……君は、アイヴィ嬢を心から心配しているのだな」
「は、はい……。早く、お目覚めになって欲しいです。ア、アイヴィ様は、とっても優しい方で……。わわ、私なんかにもよく気遣って下さるし、あの、私が淹れる紅茶を、す、すごく美味しそうに飲んで下さるんです」
コニーは元々赤い頬を更に濃く染めて、嬉しそうに話す。
「アイヴィ様は、ご、誤解されやすいだけで……とても優しい方ですよね! わ、私は今まで悪い人に会うことが多かったので、人を見る目には自信があるんです」
コニーの自信の無い態度に苛立ち、同じ使用人から見下されたり虐めを受けることもあったコニーは、人の悪意に敏感だ。
だからこそ彼女は、アイヴィからその悪意を感じ取ることはなく、アイヴィの悪態の裏に隠れる優しさに気付いていた。
ライナスはコニーの言葉を受けて微笑するようにふと息を零すと、アイヴィに呼び掛ける。
「アイヴィ嬢、早く起きてくれ。君の目覚めを心待ちにしている人がたくさんいるんだ」
ライナスの声が耳に届いたのか、アイヴィが応えるように指先がピクリと動いた。
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