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何もしない
しおりを挟むカチャリと音がして、バスルームの扉がほんの僅かに開く。そこから風真はそっと顔だけを覗かせた。
「ユアンさん……」
「神子君……。帰らなくてごめん。きちんと謝りたくて」
立ち上がり、風真へと近付く。すると風真は一度扉を閉め、またすぐに開けた。
ユアンは少し離れた位置で立ち止まっている。戸惑った顔でこちらの様子を窺う姿を、風真はジッと見つめた。
「もう何もしないですか?」
「しないよ」
すぐに答える。
「本当ですね?」
「ああ。今回は本当に反省してるよ」
眉を下げると、ゆっくりと扉が開いた。
「本当にもうしないでくださいよ? 下着だけ洗った後なのを侍女さんに見られるの、死ぬほど恥ずかしいんですから……」
洗濯カゴにそのまま入れる訳にもいかず、洗った下着は今、バスルームに干している。渡す直前にカゴに紛れ込ませるのだが、気付かれずにいるとは思えなかった。
ほんのりと頬を染める風真に、ユアンは眉を寄せる。
「今までにもそんな経験が?」
「……朝とか」
まさか、アールに踏まれた時に、とは言えない。えっちな夢を見て夢精してしまった事にしてしまった方が穏やかだ。
トキの前で漏らした時は、トキによって回収された下着が、綺麗に洗ってアイロンまで掛けられた状態で後日届けられた。それはそれで違う恥ずかしさがあった。
「前に、ユアンさんにされた時とかです」
「そうだったね」
「それもこれも、ユアンさんが開発とか言ってえっちなことするから……」
ぶつぶつ言いながらソファに向かう風真を、ユアンは穏やかな笑顔で見つめる。無意識に理性を殴ってくる癖はどうにかして欲しい。それだけは、風真の可愛くないところだった。
「神子君。洗濯物を渡す時に、下着だけ部屋に干したままでもいいんじゃないかな」
「……あっ」
「穢れが溜まらないよう全て回収だろうけど、乾くまで一日くらい置いてても平気だと思うよ」
「そう……ですよね……」
そんな簡単な事にも気付けなかった。何故だろうと考えるが、年上の女性の言葉には無条件で従う癖がついているのかもしれない。姉という、偉大な存在によって。
何やらショックを受けている風真の頭をそっと撫で、今度は間を開けてソファに座る。
「神子君。今日は何処か出掛けた?」
本来の問いに辿り着くまでに大分かかってしまった。苦笑すると、風真も小さく笑った。
「いえ、眠くてずっと寝てました」
「昼も?」
「はい。……寝てばかりですみません」
「それはいいんだよ。寝る子は育つからね」
「子供じゃないですけど育ちたいです」
せめて身長だけでも。風真は真顔で答えた。
「何かあったんですか?」
「ああ。第三部隊が不思議な事を言っていてね。討伐中に、突然魔物が霧のように消えたそうだ」
風真の眉がぴくりと動く。
「逃げたのではなく、消えた、とね」
強調すると、素直な黒の瞳がそっと逸らされた。
「誰かの力に似てるよね?」
追い打ちを掛けると、どう答えようか思案して視線が彷徨う。癖なのか、膝の上で指も組んでギュッと握った。
その仕草が愛らしく映り、ユアンはそっと目を細める。こんな責める言い方をする気はなかったが、風真の反応が可愛くてつい意地悪を言ってしまった。
「そんな悪い事をした顔をしないで」
ごめんね、と髪を撫で、固く握った手にもそっと触れた。
そこで風真はハッとする。言い方からつい、悪い事をした気になっていた。良く考えれば怒られるような事はしていないのでは、とユアンを見上げる。
「今日は事実確認と、彼らを助けてくれたお礼をしに来たんだ」
優しい笑顔で褒めるように頭を撫でられ、風真の体から力が抜けた。
「討伐は神子の仕事。君は良い事をしたんだ。だから」
「っ……、シイタケとタケノコっ?」
テーブルの上に置かれていた箱を開けると、見慣れた食材が入っていた。
「えっ、これ……」
「神子君から貰った情報と、記憶と勘で見つけ出したんだ。東国の一部地域で栽培されている食材だよ」
「っ、すごいですっ」
シイタケとタケノコという名ではなかったが、特徴の似ている物を片っ端から取り寄せた。その中に、風真が説明して絵師が描いた絵と同じ形状と味の物があったのだ。
「これを使って肉まんを改良したものと、シュウマイも試作で作ってみたから、今度味見をお願いしてもいいかな」
「喜んで!」
パッと明るく笑う風真に、ユアンも笑みを零した。
「それから、これもプレゼント」
「わ、綺麗……」
「そのまま齧って食べられる果物だよ」
「果物なんですかっ?」
どちらもレモンほどのサイズ。真珠のように静かに輝く白い実と、ルビーのように澄んだ赤い実。赤い方は中の種が透けて見えた。
「異世界だ……」
ほう、と息を吐き、二つの果物を見つめたり灯りに翳してみたりと、その造形美を堪能する。
良く磨かれた玉のようにつるりとした艶やかな実は、箱に数個入っている。今はもう寝る前。だが……。
「……一つだけ食べてもいいでしょうか」
「一つと言わず二つともどうぞ。食べたら歯磨きしようね」
「子供じゃないんですけど」
「仕上げ磨きが必要だったかな」
「ユアンさんって、お子さんいます?」
「いるよ。未来の君との可愛い子がね」
本気でいるのかと思い、心臓が飛び出るほど驚いた。
「早く君にも見せてあげたいな」
「それ産むの俺ですよねっ?」
「今日から一緒に頑張ろうね」
「ね、じゃないです!」
今まで見たことのない輝く笑顔を向けられ、それでも押し倒されるパターンにならない事にまた戸惑う。
ユアンは、もう何もしないと言った事を守っているだけ。それなのに。
(何もされない方が違和感あるってさぁ……)
何かされる展開に慣れてしまった事に地味にショックを受けた。
「神子君は恥ずかしがりやだね。仕方ないなあ」
「え、あの……」
今度は何やら意味深に微笑まれ、やはり何かされるのかと身構えた。
「赤と白、どっちにする?」
「えっ」
「その反応は、俺の方が良かったかな?」
「白っ、じゃなくて赤っ……じゃなくてっ」
「それなら、交互に食べようか」
「はい!」
思わず良い返事をすると、白い実が唇にピトリと押し付けられた。
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