桜子さんと書生探偵

里見りんか

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第二幕 交錯

20 探偵は考察し、令嬢は決意する

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 貞岡さだおかしをに会った帰り道。桜子は、新伍の隣を無言で歩いていた。

 頭の中で、しを乃の言葉がぐるぐると回る。

ーーー心が欲する相手ヒトと、立場で選ぶ相手ヒトってのは、違うだろう?

 以前なら、この言葉の意味は、半分も理解出来なかっただろう。

 でも、今なら、わかる気がする。

 桜子は、隣を歩く新伍を、ちらりと仰ぎ見た。

「ん?」

 視線に気づいた新伍が、桜子に向けて、首をかしげた。桜子が思わず顔を反らす。すると、

「アレ、食べていきますか?」

 指差す先には団子屋。

「疲れたでしょう? ご馳走します。」

 新伍が店に向かったので、桜子も後を追った。
 
 ちょうど午後のおやつ時だからか、店は繁盛していた。
 しばらくかかるというので、注文だけ済ませて、団子が焼けるまでの間を、外の長椅子に二人並んで座って待つ。

 桜子は、気になっていたことを尋ねてみた。

「先程は、しを乃さんに何か書いてもらうために、芝居の半券を使ったんですね。」

 新伍は、懐から半券を取り出して、見せてくれた。

 そこには、グチャグチャと書かれた印のような、記号のような線の組み合わせと、『五島しんごさんゑ』という文字。

「最初は、貞岡さんの名前を書いてもらおうと思ったんです。………ですが、貞岡さんの書いたのがコレでして…」

 新伍は、印の方を指差した。

「これじゃあ駄目だと思いましてね。」
「筆跡が分からないからですね?」

 新伍が、そうだと頷いた。

「それで、五島さんの名前も書いてもらったんですね。」

 あの時、新伍は、しを乃の書いたものを覗き見て、微妙な表情をして、唸っていた。この署名サインで、新伍の狙いが外れたとわかったからだろう。

「それで、この筆跡、どう思いますか?」

 新伍に尋ねられるまでもなく、先程から、桜子は、ずっと考えている。
 貞岡しを乃の字は、滑らかで美しい。上手い部類の字だろう。今まで見た中では最も手紙の手蹟に近い気がする。ーーーが、しかし、

「あの手紙とは違う、と思います。」

 しを乃も上手いが、あの手紙の字は、それ以上だった。もっと水の流れのように涼やかで、洗練された文字。
 そう告げると、新伍は、「そうですか。」と、半券を折りたたんで、懐にしまった。

 たぶん、新伍も違うとは分かっているのだろう。さほど落胆しているようには見えない。

 桜子は、思い切って、聞いてみることにした。

「あの……園枝さんを……その…殺した犯人って、男性なんですか?」

 殺した、という言葉が物騒で、口に出すのを躊躇い、小声になった。

「そうだろう、とは考えていました。それなりの身長と腕力が必要だと思われましたので。」

 確かに、園枝有朋は、時津と同じくらいの身長だ。それが頭を殴られていたという。仮に、桜子が殺害を試みようと考えてみても、どうしたらいいのか、全く思いつかない。

「正体不明の男性がいる……というのは?」
「それは僕は、初耳でした。」

 勝川警部補も、流石に僕たちに口を割らなかったようですね、とやや口惜しそうに言う。

「しを乃さんの言ったこと、本当でしょうか?」

 桜子は、しを乃が、なぜ自分たちにそんなことを、教えてくれたのか分からない、と思った。

「多分、本当でしょう。貞岡さんが、警察相手ならまだしも、僕たちに嘘を教える意味はありませんから。それに、それなら、わざわざ勝川警部補が、もう一度、桜子さんに話を聞きに来た理由がたつ。」

 多分、正体不明の男の存在が浮かび上がり、桜子か新伍の口から、その男の話ーーー例えば目撃談等が出るかどうかを確かめたかったのだ。

「なぜ警察は、しを乃さんに、そのことを教えたのでしょう?」

 桜子たちには、一言も教えなかったのに。
 新伍は、「それは、分かりませんね。」と肩を竦めた。

「貞岡さんを疑って、あえて揺さぶりをかけたのかもしれないし、貞岡さんのところに聞き込みに行った警察官の口が軽かっただけかもしれない。あるいは、単に僕が勝川警部補に嫌われていて、情報を渡したくなかっただけかも。」

 あれこれ嗅ぎ回っていた僕のことを、相当煙たがっていましたからねと、当の本人は全く気にしていないらしい様子で言った。
 新伍は、勝川が黙っていたこと自体については、あまり重要視していないようだった。

「その男は、一体誰なんでしょう………?」

 その人が、園枝有朋を殺したのか。
 桜子の手紙とは、関係あるのか。
 桜子の知っている人なのだろうかーーー?

「五島さんは、何者だと思いますか?」

 分かるわけのない質問を、それでも新伍なら、何か答えが返ってくるのではないかと、聞いてみた。
 すると、新伍は例の思案するような顔をした。

「心当たりがない……わけでは、ありません。」

 予想外の返答。

「え? 誰だか分かったのですか?」
「……まだ、分かりませんが………」

 もう少しハッキリするまで、答えるのは、差し控えたいといった。

 そのとき、ちょうど、頼んでいた団子が焼けて、運ばれてきた。新伍が、自分のぶんを一本とって、皿ごと桜子へ。渡しながら、

「あっ、そういえば、桜子さんは、煙管キセルの煙が苦手でしたか?」

 桜子は礼を言って、皿を受け取った。

「苦手……というか、煙や匂いに慣れていません。うちには、使用人も含めて、吸う人間がいないので。」

 勿論、来客用の煙草盆はある。そういう人と食事などで同席することもあるのだが、日常的に触れる環境ではなかった。

「そういえば、珍しいですね。旦那さまも、ああいう立場の方は、吸っているのが普通だと思うのに。」
「母の病気のせいなんです。」

 桜子の父、重三郎も昔は煙管を嗜んでいたという。しかし、母の病気が悪化して、よく咳き込むようになった。特に、煙草の煙や匂いを嫌がったので、父は煙管をやめた。

「他の使用人の方も、ですか?」
「父は、やめろとは強制していません。ただ、煙管を吸う人間は、母の見舞いを認めない、といったそうです。」

 そうしたら、皆、ピタリとやめた。

「それは、すごい!」

 新伍が驚いて、刮目した。

「喫煙は、習慣です。そう簡単には、やめられないと言います。それをピタリとやめた、ということは桜子さんの御母堂は、さぞかし皆に好かれていたのですね。」

 優しく微笑む新伍に、何だか、自分が褒められたような気がして、嬉しくなった。

 良い気分で、団子の串にパクリと食いついた。芳ばしいもち米に、甘いタレがよく絡んで、舌にとろりと広がった。

「美味しいッ!!」

 次々に団子を頬張る桜子に、新伍が、

「良かった。桜子さんはあまり、こういう店には来ないかと思い、心配したのですが……」
「そんなこと、ありません!! イツと外出のついでに寄ったり、学校の友人たちと帰りに買い食いしたり……あッ!」

 桜子は、慌てて口を噤んだ。

「あの……今のは、時津には内緒に……」
「はは。分かりました。」

 他愛のない会話。

 あぁ、でも、こういう会話こそが、どうしょうもなく、心が浮き立つんだ。

 ずっとこんなふうに、話していられたらいいのに。

「そういえば、五島さんって、相当お強いんですね?」
「え? どうしてですか?」
「先日も今日も……藤高少尉が随分、五島さんの腕を信用しているようなので。」

 新伍は、もぐもぐと団子を頬張りながら、「うーん、どうでしょうね?」と首を捻った。

「薙刀を持った桜子さんくらいなら、負けないと思いますが。」
「……からかっているんですか?」

 初めて会った晩の会話。わざとらしく頬を膨らませた。
 あのときは、嫌なことをいう人だと思ったけれど、今日は、とても楽しい。

 楽しいからこそーーー辛い。

 本当に、しを乃は、なんて残酷なことを教えてくれたんだろう。

 桜子は、食べ終えた団子の串が乗った皿を膝の上に置いて、道行く人たちの姿をぼんやりと眺めた。

「いつか……」

 往来には人が溢れている。忙しなく歩く人、愉快そうに睦み合う人たち。とても賑やかだ。

「五島さん………いつか、私と手合わせしてくださいますか?」
「僕が、桜子さんとですか?」
「えぇ、そうです。」

 断られるだろうか。たぶん、断られるだろうな。お転婆な令嬢だと、呆れられるかもしれない。それなら、いっそ諦めもつく。

 しかし新伍は、あっさりと、

「いいですよ?」

 子どもみたいにな顔で、くしゃっと笑った。

「でも、手加減は、しませんよ。」

「………ハイ。」

ーーーいつか

 先の見えない、『いつか』を約束する。
 来ないであろう『いつか』を想って、桜子は精一杯の笑顔で返事をした。

 胸に、一つの決意を宿して。


◇  ◇  ◇


 桜子が父の執務室を訪れたのは、その翌日のことだった。

「本当に、それでいいんだな。」

 重三郎の低く落ち着いた声が、桜子の意志を確かめるように、尋ねる。

 桜子は、決意が揺らいでしまわないように、目を瞑り、深い深呼吸を一つしてから、ハッキリと答えた。

「はい。私は、藤高家に……藤高貢ふじたか みつぐさんの元に嫁ごうと思います。」

 これが、湖城家令嬢、桜子の決意ーーー。

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