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第四十三話【多頭飼い】前

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 撮影用のワイヤーで空高く吊るされた力也は心配そうな冬真たちを、見下ろしながらどこまで高くするのかとのんきに考えていた。

今日撮るのはウイングスーツ別名ムササビスーツと呼ばれる物で、ヘリコプターから飛び出した忍者がビルに着地するという場面だ。とはいえ、本当に飛ぶわけではなく、ワイヤーで吊るされ、地上へ滑空する。どちらかと言えばジップラインに近く、それを後で背景のCGと合成するだけだ。
スカイダイビングの経験がある力也だが、流石にウイングスーツの経験はなかった。
 
 今日の為に呼ばれた経験者相手の説明を熱心に聞く力也は、これがあると聞いてから何度もウイングスーツでの滑空の映像を見て勉強していた。
 最初にやると聞いて見せられた時は、興奮と不安が襲った冬真は、本当にやるのではなくワイヤーで吊るされるとわかり少し安心したのだが。
 映像を嬉しそうに見つめ、更に実際に着用すること目が輝きだした力也に別の意味の不安を感じている。
 それは冬真だけでなく、その場にいた力也以外の仲間も同じだった。

(アイツ、これで味をしめて実際にやりたいとか言うんじゃ)
「力也君、すごいワクワクしてたね」
「してましたね」

 あの日、はっきりと冬真を拒絶した孝仁だが、次に会ったときは冷たい態度ながら無視することもなくそれなりに対応し、表面上はなにもなかったかのように接してくれている。
 当初、態度が意外と落ち着いていたため、力也がとりなしてくれたのかと思った冬真だが、力也に聞いてみればそれほどのことはしていないという。
 じゃあ、なにをどうしてご機嫌が直ったのかはわからない。無意識に力也がやっているのかもしれないが、それで自分への態度が軟化するかと言うと、それも違うような気がした。
 結局のところ孝仁が折り合いをつけたのだろう。それについて申し訳ないとは思うが、ここで口に出してしまえば、再び怒らせてしまいそうだと飲み込むことに決めた。
 その為、今は前のようにこうやって雑談ができるぐらいになっている。

「値段まで聞いてたね」
「流石に買わないと思うんで、大丈夫だと思うんすけど」
「国内じゃできないみたいだしね」

 スカイダイビングを含め、スタントとして使えそうなものは事務所が援助してくれているらしいが、流石にこれは無理だ。スカイダイビングも多く経験しているわけではなく、練習が沢山いる。そのたびに金がかかり、さらに国内では練習ができないなら買っても意味がない。

「これで満足してくれればいいんだけど」
「俺もそう思います」

 力也の体はもう遥か上空で、インストラクターに教わった通り、ムササビのように両手足を広げた。それと同時に合図がされ、力也は地上に向い滑空した。

「うっわ」

 あまりのスピードに、心配のあまり顔を顰め見つめる地上とは違い、力也は楽しそうな笑みを見せていた。
風をきる感覚が気持ちいい、スーツに風があたり、その度に揺れる。まるで本当に自分の身一つで飛んでいるみたいだった。映像を見た時から楽しそうだと思っていたが、やってみると予想以上の楽しさだ。実際はヘルメットをかぶるらしいが、今は撮影ということでかぶっていない。いつも忍者の撮影と同じで、目以外はでていないが、マスクの下は笑みを見せていた。
時間にしてほんの十分ほどで撮影は終わった。

「おつかれさま」
「どうだった?」

 走りにくいスーツのまま、冬真たちの傍に戻ってきた力也は遊園地の乗り物から降りた子供のようにキラキラした目をしていた。

「楽しかった!」
「怖くなかった?」
「怖くないっすよ! すごいスピード出て、風がビュンビュン当たってあっと言う間でした!」

 今にももう一度やりたいと言いだしそうな様子に、孝仁と冬真は苦笑だけで返した。なんだかんだ力也に甘い二人では、強く否定することもできない。

「そう、聞くと俺もやりたくなってくるな」
「お前は必要ないだろ」

 力也と同じく、スタントマンとしてスリルに慣れている修二の言葉に翔壱はそうため息交じりに答えた。絶対やめろと強く言うのは楽しそうな力也の手前言いにくいが、やってほしくなかった。
 危険だというのもあるが、修二の場合はパートナーの死因を思い出すことにもなりそうだ。あれから何度も飛行機に乗る機会はあるが、その時はかならず修二の隣には、翔壱がいる。だから何とかなっているが、二人ともまだ傷は癒えていない。

「とりあえず着替えてきたらどうだ?」
「でも、将人さん。撮り直しがあるかもしれないし……」
「残念ながら一発OKだ」

 脱ぎたくない、もう一度やりたいという態度に笑いながら、近寄ってきた神月がそう告げた。一発OKと聞いてがっかりする珍しい状況に、力也以外は苦笑した。

「残念だったね」
「ジップラインなら連れて行ってやるから」

 新しい楽しみを奪われたような力也を慰めるように、孝仁と冬真はその頭と肩に手を置いた。信頼する二人に慰められ、力也は頷くと気分を切り替えるように笑った。

「着替えてきます」
「はい、いってらっしゃい」

 力也が着替えに向かうと同時に今度は将人と翔壱がと修二が呼ばれ三人は神月監督とともにそちらへと向かった。

「ジップライン本当に連れて行ってあげるの?」
「はい、もちろん」
「車もない癖に」

 はっきりと言い切った冬真の様子に、気に食わなそうに孝仁はそうつぶやいた。

「無理そうだったらレンタカー借りるんで」
「旅行したいだけでしょ」
「傍に、温泉とかあれば最高なんすけどね」

 下心を否定しない冬真に、孝仁は呆れた目線を返した。あんなに残念そうにしているのだから、つれていくのには賛成するが、素直に賛成する気にもなれない。
 できることなら、孝仁も力也を連れて行ってあげたい。こっちの心臓にいくら悪かろうが、好きなことをさせて喜ぶ姿を見たい。でも、忙しい孝仁には力也を連れての遠出はなど撮影以外では不可能だった。
さらに言うと、孝仁も車を持っていない。免許は持っているが、マネージャーがどこにいくにも連れて行ってくれるから必要がないのだ。

(力也君のほうが確実に運転上手いし)

 連れて行ってあげるよと言いながら、レンタカーを借りるだけで運転は本人任せでは、恰好がつかない。力也がよくとも孝仁が嫌だった。

「そうだよね。冬真君どうせ暇だもんね」
「そこはオブラートに包んでください」

 自分で暇にしたのはわかっているが、気にならないわけではない。なにしろ、Subの魅力を増した力也はまだ忙しいままなのだ。
もう他のグレアで気持ち悪くなることも、手を伸ばせばすぐに手に入りそうな空気感も消えたというのに、あの短期間で興味を持ったDomからの仕事がまだ落ち着かない。
マネージャーの氷室も、力也と冬真の話でDomからの個人的興味の上になりたった依頼だとわかり、調整をしようとしたのだが力也が断ったのだ。
 狙われているなら、断ると逆に隙を見せてしまうことになりそうだから、仕事を受けて目の前で手に入らないとやり返したほうがいい。そう強気な説明をした力也に、冬真も許可を出した。“おもいっきり高嶺の花を見せつけて来い”と、贔屓目たっぷりに応援した。

「冬真君このまま、力也君のひもになるつもりじゃないよね」
「ひもになったら、こうしてここにも来れないじゃないっすか」

 付き人を名乗ってもいいが、こんな近くに来ることはできなくなるだろう。それこそ、手が届かなくなる。いつも一緒にいられるわけではないが、こうしてたまたま一緒になるときの高揚感は捨てがたい。

「それに一応俺も、役者の仕事気に入ってるんで」

 そもそも、それが好きで続けたいと思ったからAV業界を卒業して黒歴史を背負いながらこちらへ出てきたのだ。やる気満々なようにはあまり見えないが、それでも冬真は選り好みはせずに、その度真剣に打ち込んでいた。

(それは見てればわかる)
「力也君戻ってきたね」

 そう口には出さずに、孝仁が思った時、力也が戻ってくる足音が聞こえ二人はそちらを見た。
戻ってきた力也は気に入っていたウイングスーツを脱ぎ、孝仁と同じ警備員の服へと変わっていた。

「着替えてきました」
「おかえり」

 先ほどまでとは違う、上機嫌な笑みで迎えた孝仁は力也の服装をみて、手を伸ばし帽子を直した。

「顔隠れてる」
「すみません、ついいつもの癖で」
「撮影中は仕方ないけど、今は見せてよ。似合ってんだから」

 そんな仲がいい二人の様子に、冬真は少し離れた。相変わらず、怒りは湧いてこないし、居心地が悪いわけでもない。それよりも離れてみたことで客観的にみたかったことが見えた。

(すげぇ、似合ってる)
「冬真?」

 離れてしまった冬真の様子に不思議そうに、そう尋ねた力也へと冬真はスマホを見せながら片手をあげキラキラとした目を向けた。

「孝仁さん、力也、一枚だけでいいんで写真撮らせてください!」

 どこをどうしたらそうなるのだろうかと問いたくなるような頼みに、力也はきょとんとした表情を浮かべた。

「やだ」

 咄嗟に理解できなかった力也と違い、そうはっきりと言い切った孝仁は、その後も食い下がる冬真へ何度も断った。その後見かねた力也に頼み込まれるまで、二人の子供のようなやり取りは続いた。

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