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第3章 『雪解け』
2.あの子のために
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「空…!」
一足先に空へと追いついていたユウが、その腕を退いて制した。
空は、振り返らないままで「何?」とだけ答える。
「ごめん、僕が悪かった。君のところに、妖魔である彼女を連れて行ったのは間違いだったよ。離して歩かせるべきだった――っていうのは、雪姉がやってくれてたけど。無責任だった」
ユウは、空の身に起きたことを、妖魔を拒絶する理由を、知っている。
トコから、それとなく聞かされたことがあった。
「……そうだよ。ユウ兄ちゃん、母ちゃんからオレのことは聞いたことあるんでしょ?」
「ああ。でもあの子は――ミツキは、他の妖魔とは違う。君と似たような境遇にある雪姉だって、あの子には多少心を開いているんだ。話せば、きっと少しは分かり合える筈だよ。あの子は確かに妖魔だけど、僕ら妖にとって無害な存在なんだ、ってね」
「……オレだって、もうただの子どもじゃない。あいつに悪意がないことぐらい分かるよ。でも……だからって、妖魔を好きになる理由にはならないよ」
「好きになれ、なんて言ってないよ。ただ、あの子が君を襲うことはないし、嫌っているわけでもないって、分かってほしいだけなんだ」
「そんなこと……」
「難しいってことぐらい承知さ。でも、空の言うあの宝の在処まで行くには、ミツキとも多少の会話は避けられない」
「宝……ユウ兄ちゃん、手伝ってくれるの……?」
「トコさんから受けた恩に報いる為にもね。だからこそだよ」
ユウの言葉に少し晴れた顔も、またすぐに曇ってしまう。
それだけ、妖魔という存在に対して思うことが強いのだ。
「……ユウ兄ちゃんは、あの妖魔が大事なの?」
空は、控えめに尋ねた。
ユウは優しく、しかし隠すことなく首を振ってこたえる。
「それは未だ分からない。これから事態が良くなるか、はたまた悪くなっていくのかって見通しも立ってない。ただ少なくとも今は、あの子の身柄や性格については、問題ないと思ってる。最悪何かあったって、僕と雪姉がついてる。それじゃあ不安かい?」
「ユウ兄ちゃんも雪姉ちゃんもすっごく強いから、不安はないよ……でも、やっぱり……妖魔は嫌だよ」
「うん、嫌だね。僕だって怖い。でも、害が無いって理解はしてくれているだけでも、分かって良かった。ありがとう、空」
「……妖魔の代わりに礼を言うなんて、変なの」
そう。空の言う通りだ。
きっと、その辺りの価値観が、妖とはどこか違うのだ。
ユウは、改めてそのことを意識させられた。
「ごめん。大丈夫。話さなきゃボロを出すこともないし、極力話さないでいくよ」
「うん、分かった。それでも――」
「あっ、おーい! ユウー、空くーん!」
随分と先の方までやって来ていたふたりの背に、声が掛けられる。
振り返ったそちらでは、ミツキの手を引き歩く紗雪が、手を振っていた。
そうしてふたりの元まで辿り着くと、紗雪に何か促されたミツキが、おずおずと空の前まで歩みを進めた。
「な、なんだよ」
「えっと……えっと、ね……」
言いにくそうにしながらも、ミツキはやがて、空の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「ごめんね、ソラ……」
申し訳なさそうに言いながら、右手を差し出す。
「わたし、わるいことした……ソラ、こわかった。だから、ごめんなさい」
ミツキは頭を下げ、その手を相手が取ってくれるのを待つ。
空は聊か恐怖しながらも、目配せしたユウが優しく頷くのを受けて、右手を伸ばした。
「お、オレも――」
言いかけた、その視線の先――下げられたミツキの頭に見つけた角が、空の頭の中を強く刺激した。
「ひっ…! や、やっぱ無理だよ、ユウ兄ちゃん…!」
叫ぶように言うと、今度は突き飛ばすこともしないまま、空はその場から距離を取り、蹲ってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も呟きながら頭を抱える空の様子に、流石のミツキもいつも通りではいられなかった。
どうすればと悩んでいるのか、差し出した手は空気を揉んでいる。
空はまだ子どもだ。そう簡単にいくとは当然思ってはいなかった。
ただユウが思うより幾らも強く、心に突き刺さった記憶の棘は、深く根を張っているらしい。
「ソラ……」
「父ちゃん……ごめん、父ちゃん……ごめん……」
肩を震わせ何度も呟くそんな言葉が、ミツキの目にはひどく印象的に映った。
「ユウ、どうしましょう?」
隣から、紗雪が小さく尋ねた。
「宝ものを探すとは言ったけど、そんな余裕もなさそうかな。早いところ監視所まで行って、それから考えよう。トコさんにも謝らないと」
「分かりました。ミツキ」
名前を呼ばれたミツキは、少し戸惑いながらも紗雪のいる方へと戻った。
「私が余計なことを吹き込んだせいですね。ごめんなさい、ミツキ。嫌な思いをしましたね」
「ち、ちがう、それはソラだよ……ソラ、しんどいの、わたしもしんどい……どうしよ、さゆき……」
今にも泣きだしそうに震えた声で尋ねるミツキに、紗雪はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「大丈夫です。誰かと分かり合うのには、時間はとてもかかるものなんですから。今はまだ、ちょっと早かっただけです」
「ほ、ほんと……?」
「ええ。ミツキが、本当の意味で空くんと仲良くなりたい、空くんの為に何かしたいと強く思えるような時が来れば、彼も必ず応えてくれるはずです」
「ソラのため……」
「ですから今は、一旦、私のそばを離れないように、目的地まで行きましょう。空くんのことはユウに任せてね」
「うん……わかった」
どうしたものか分からず、ただ、紗雪の言葉には頷くことしか出来ない。
紗雪は紗雪で、自分の言葉に説得力があるとも思っていない。
自身がそうであったように、分かり合うのは難しい。
ましてそれを子どもに強いるのは、聊か酷というものだ。
ふたりして悪い心持ちで、空の手を引き歩くユウの少し後ろを、今はただついてゆくのだった。
一足先に空へと追いついていたユウが、その腕を退いて制した。
空は、振り返らないままで「何?」とだけ答える。
「ごめん、僕が悪かった。君のところに、妖魔である彼女を連れて行ったのは間違いだったよ。離して歩かせるべきだった――っていうのは、雪姉がやってくれてたけど。無責任だった」
ユウは、空の身に起きたことを、妖魔を拒絶する理由を、知っている。
トコから、それとなく聞かされたことがあった。
「……そうだよ。ユウ兄ちゃん、母ちゃんからオレのことは聞いたことあるんでしょ?」
「ああ。でもあの子は――ミツキは、他の妖魔とは違う。君と似たような境遇にある雪姉だって、あの子には多少心を開いているんだ。話せば、きっと少しは分かり合える筈だよ。あの子は確かに妖魔だけど、僕ら妖にとって無害な存在なんだ、ってね」
「……オレだって、もうただの子どもじゃない。あいつに悪意がないことぐらい分かるよ。でも……だからって、妖魔を好きになる理由にはならないよ」
「好きになれ、なんて言ってないよ。ただ、あの子が君を襲うことはないし、嫌っているわけでもないって、分かってほしいだけなんだ」
「そんなこと……」
「難しいってことぐらい承知さ。でも、空の言うあの宝の在処まで行くには、ミツキとも多少の会話は避けられない」
「宝……ユウ兄ちゃん、手伝ってくれるの……?」
「トコさんから受けた恩に報いる為にもね。だからこそだよ」
ユウの言葉に少し晴れた顔も、またすぐに曇ってしまう。
それだけ、妖魔という存在に対して思うことが強いのだ。
「……ユウ兄ちゃんは、あの妖魔が大事なの?」
空は、控えめに尋ねた。
ユウは優しく、しかし隠すことなく首を振ってこたえる。
「それは未だ分からない。これから事態が良くなるか、はたまた悪くなっていくのかって見通しも立ってない。ただ少なくとも今は、あの子の身柄や性格については、問題ないと思ってる。最悪何かあったって、僕と雪姉がついてる。それじゃあ不安かい?」
「ユウ兄ちゃんも雪姉ちゃんもすっごく強いから、不安はないよ……でも、やっぱり……妖魔は嫌だよ」
「うん、嫌だね。僕だって怖い。でも、害が無いって理解はしてくれているだけでも、分かって良かった。ありがとう、空」
「……妖魔の代わりに礼を言うなんて、変なの」
そう。空の言う通りだ。
きっと、その辺りの価値観が、妖とはどこか違うのだ。
ユウは、改めてそのことを意識させられた。
「ごめん。大丈夫。話さなきゃボロを出すこともないし、極力話さないでいくよ」
「うん、分かった。それでも――」
「あっ、おーい! ユウー、空くーん!」
随分と先の方までやって来ていたふたりの背に、声が掛けられる。
振り返ったそちらでは、ミツキの手を引き歩く紗雪が、手を振っていた。
そうしてふたりの元まで辿り着くと、紗雪に何か促されたミツキが、おずおずと空の前まで歩みを進めた。
「な、なんだよ」
「えっと……えっと、ね……」
言いにくそうにしながらも、ミツキはやがて、空の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「ごめんね、ソラ……」
申し訳なさそうに言いながら、右手を差し出す。
「わたし、わるいことした……ソラ、こわかった。だから、ごめんなさい」
ミツキは頭を下げ、その手を相手が取ってくれるのを待つ。
空は聊か恐怖しながらも、目配せしたユウが優しく頷くのを受けて、右手を伸ばした。
「お、オレも――」
言いかけた、その視線の先――下げられたミツキの頭に見つけた角が、空の頭の中を強く刺激した。
「ひっ…! や、やっぱ無理だよ、ユウ兄ちゃん…!」
叫ぶように言うと、今度は突き飛ばすこともしないまま、空はその場から距離を取り、蹲ってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も呟きながら頭を抱える空の様子に、流石のミツキもいつも通りではいられなかった。
どうすればと悩んでいるのか、差し出した手は空気を揉んでいる。
空はまだ子どもだ。そう簡単にいくとは当然思ってはいなかった。
ただユウが思うより幾らも強く、心に突き刺さった記憶の棘は、深く根を張っているらしい。
「ソラ……」
「父ちゃん……ごめん、父ちゃん……ごめん……」
肩を震わせ何度も呟くそんな言葉が、ミツキの目にはひどく印象的に映った。
「ユウ、どうしましょう?」
隣から、紗雪が小さく尋ねた。
「宝ものを探すとは言ったけど、そんな余裕もなさそうかな。早いところ監視所まで行って、それから考えよう。トコさんにも謝らないと」
「分かりました。ミツキ」
名前を呼ばれたミツキは、少し戸惑いながらも紗雪のいる方へと戻った。
「私が余計なことを吹き込んだせいですね。ごめんなさい、ミツキ。嫌な思いをしましたね」
「ち、ちがう、それはソラだよ……ソラ、しんどいの、わたしもしんどい……どうしよ、さゆき……」
今にも泣きだしそうに震えた声で尋ねるミツキに、紗雪はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「大丈夫です。誰かと分かり合うのには、時間はとてもかかるものなんですから。今はまだ、ちょっと早かっただけです」
「ほ、ほんと……?」
「ええ。ミツキが、本当の意味で空くんと仲良くなりたい、空くんの為に何かしたいと強く思えるような時が来れば、彼も必ず応えてくれるはずです」
「ソラのため……」
「ですから今は、一旦、私のそばを離れないように、目的地まで行きましょう。空くんのことはユウに任せてね」
「うん……わかった」
どうしたものか分からず、ただ、紗雪の言葉には頷くことしか出来ない。
紗雪は紗雪で、自分の言葉に説得力があるとも思っていない。
自身がそうであったように、分かり合うのは難しい。
ましてそれを子どもに強いるのは、聊か酷というものだ。
ふたりして悪い心持ちで、空の手を引き歩くユウの少し後ろを、今はただついてゆくのだった。
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