上 下
57 / 66

初ライブ前日

しおりを挟む
「来ねえな、未来人」とヨイチがつぶやいた。
 日曜日の午前9時、樹子の部屋には彼女の他にヨイチ、良彦、すみれの姿があった。みらいはいなかった。
 9時20分になって、ドアホンがピンポーンと鳴った。
 樹子が玄関に向かって駆けた。扉を開けると、目を赤くしたみらいが立っていた。
「遅れてごめんなさい。昨日よく眠れなくて、明け方にやっと眠れて、寝坊しちゃった」
「いいのよ。そんなこと気にしないで。さあ、入って」
 ふたりは階段をのぼり、樹子の部屋に入った。
 ヨイチと良彦の表情には心配そうな色があり、すみれの顔には多少の怒気があった。
「遅いわよ、みらいちゃん! 明日は大事な初ライブなのよ!」とすみれが叫んだ。
「ごめんなさい……」 
 みらいは頭を下げた。
「原田、その言い方はやめろ……!」
 ヨイチが低い声で言った。鋭いナイフのような迫力が秘められていて、すみれはひっ、と喉を鳴らした。
 若草物語のギタリストは一転して笑顔になり、「練習しようぜ」と言った。
「ええ、そうしましょう。『We love 両生類』からやりましょうか。あたし、あの歌が一番好きなのよ」
 彼らは演奏の準備をした。
 イントロが始まり、みらいが歌った。その歌にはいつもの冴えがなかった。力がなく、誰の心にも響かなかった。
 マズいな、と樹子は思った。どうすればいいの?
 すみれは不機嫌そうに押し黙った。
「なあ、明日は盛大に失敗しようぜ」とヨイチが言った。
「失敗……?」
「ああ。なんかおれ、成功するかもって思ってた。未来人の書く詞はおもしれえし、おれもまあまあいい曲をつくれたから、もしかしたら、受けるんじゃないかと思ってたんだ。でもさ、おれたちみたいな素人の曲が聴いてもらえるわけないじゃん。青春の思い出にどかーんと失敗しようぜ!」
「それいいわね。どかーんと失敗しましょう! 青春の思い出に!」
「きみたちはバカだなあ。つきあうよ、失敗に」
 みらいは憑き物が落ちたような顔をした。
「失敗していいの……?」
「いいに決まってるだろ。おれたちはプロじゃない」
 すみれはふっと笑った。こういうやつらなのか、と思った。
「しょうがないなあ。私も失敗につきあうわ。チンドン屋になったつもりで、パーカッションを鳴らすわよ!」
 みらいは花のように笑った。
「そっか。失敗しよう!」
「よーし、失敗の練習をしようぜ!」
 彼らはオリジナル曲の練習をした。奇妙な歌詞とポップなメロディを持つ5曲。  
 みらいは調子を取り戻し、楽しそうに歌った。
 本当に失敗してもいいや、と樹子は腹をくくった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚したくない腐女子が結婚しました

折原さゆみ
キャラ文芸
倉敷紗々(30歳)、独身。両親に結婚をせがまれて、嫌気がさしていた。 仕方なく、結婚相談所で登録を行うことにした。 本当は、結婚なんてしたくない、子供なんてもってのほか、どうしたものかと考えた彼女が出した結論とは? ※BL(ボーイズラブ)という表現が出てきますが、BL好きには物足りないかもしれません。  主人公の独断と偏見がかなり多いです。そこのところを考慮に入れてお読みください。 ※この作品はフィクションです。実際の人物、団体などとは関係ありません。 ※番外編を随時更新中。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

オレは視えてるだけですが⁉~訳ありバーテンダーは霊感パティシエを飼い慣らしたい

凍星
キャラ文芸
幽霊が視えてしまうパティシエ、葉室尊。できるだけ周りに迷惑をかけずに静かに生きていきたい……そんな風に思っていたのに⁉ バーテンダーの霊能者、久我蒼真に出逢ったことで、どういう訳か、霊能力のある人達に色々絡まれる日常に突入⁉「オレは視えてるだけだって言ってるのに、なんでこうなるの??」霊感のある主人公と、彼の秘密を暴きたい男の駆け引きと絆を描きます。BL要素あり。

人生負け組のスローライフ

雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした! 俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!! ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。 じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。  ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。 ―――――――――――――――――――――― 第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました! 皆様の応援ありがとうございます! ――――――――――――――――――――――

穢れなき禽獣は魔都に憩う

Arakane
キャラ文芸
1920年代の初め、慈惇(じじゅん)天皇のお膝元、帝都東京では謎の失踪事件・狂鴉(きょうあ)病事件が不穏な影を落としていた。 郷里の尋常小学校で代用教員をしていた小鳥遊柊萍(たかなししゅうへい)は、ひょんなことから大日本帝国大学の著名な鳥類学者、御子柴(みこしば)教授の誘いを受け上京することに。 そこで柊萍は『冬月帝国』とも称される冬月財閥の令息、冬月蘇芳(ふゆつきすおう)と出会う。 傲岸不遜な蘇芳に振り回されながら、やがて柊萍は蘇芳と共に謎の事件に巻き込まれていく──。

序盤で殺される悪役貴族に転生した俺、前世のスキルが残っているため、勇者よりも強くなってしまう〜主人公がキレてるけど気にしません

そらら
ファンタジー
↑「お気に入りに追加」を押してくださいっ!↑ 大人気ゲーム「剣と魔法のファンタジー」の悪役貴族に転生した俺。 貴族という血統でありながら、何も努力しない怠惰な公爵家の令息。 序盤で王国から追放されてしまうざまぁ対象。 だがどうやら前世でプレイしていたスキルが引き継がれているようで、最強な件。 そんで王国の為に暗躍してたら、主人公がキレて来たんだが? 「お前なんかにヒロインは渡さないぞ!?」 「俺は別に構わないぞ? 王国の為に暗躍中だ」 「ふざけんな! 原作をぶっ壊しやがって、殺してやる」 「すまないが、俺には勝てないぞ?」 ※ カクヨム様にて、異世界ファンタジージャンル総合週間ランキング40位入り。1300スター、3800フォロワーを達成!

処理中です...