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谷木川リハーサル

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 土曜日の放課後、大臣でラーメンを食べているとき、樹子が言った。
「ねえ、今日は屋外で練習してみない? 5曲通しで演奏して、リハーサルみたいなことをやってみようと思うの」
「いいんじゃねえか。どこでやる?」
「谷木川の河原でいいんじゃない?」
 谷木川は南東京市青葉区を流れる小川だ。緑豊かな河原があり、散歩している人もいる。
「河原で歌うの? 誰かに聴かれるかもしれないよ。怖い!」
「まだそんなことを言っているの? あたしたちは駅前ライブをやろうとしているのよ。河原で歌えなくてどうするの?」
「はい……。やります……」
 5人は樹子の部屋から楽器やアンプを持ち出し、谷木川へ向かった。
 夏の太陽が照りつけている。空には鳶が飛んでいた。
 河原でヨイチと良彦は、それぞれが持っている小型の電池式アンプにギターとベースのシールドを繋ぎ、電源ボタンを押した。
 ヨイチはジャラーンとギターを鳴らし、良彦はボボボンとベースを弾いた。
 樹子はケースからスタンドを取り出して砂地の上に設置し、その上にエレクトリックピアノを置いた。
 すみれはクラベスを持ち、カンカンと音を出した。
 みらいは呆然と突っ立っていた。
「じゃあ『愛の火だるま』からやるわよ。クラベスが4つ音を鳴らしてから演奏スタート。原田さん、よろしく」
 すみれはメンバーの顔を見回してから、打楽器を4回叩いた。
 ヨイチのギターがリフを演奏した。その後、エレピとベースが加わって、印象的なイントロを奏でる。
 そして歌が始まるはずなのだが、みらいは声を出せなかった。
「どうしたの未来人? 歌いなさいよ!」
「ご、ごめん。なんだか緊張して、歌えなかった。今度はちゃんと歌うよ」
 イントロが再開された。
 みらいは歌い始めた。高くて澄んだ歌声が河原に響いた。よく通る歌声だ。長く声を伸ばしたとき、自然に美しいビブラートがかかる。それは天性のものだった。
 彼女が1曲歌い終えたとき、小さな子どもが目の前に立っていて、拍手をしていた。いつの間に立っていたのか、みらいは夢中で歌っていたので気づかなかった。
「あら、小さな観客がいるわ」
 樹子は笑った。
 その子の母親らしき女性が歩いてきて、若草物語の前に立った。好奇心を向けられているのに、みらいは気づいた。
「次の曲は『わかんない』よ。ヨイチのギターリフからスタート」
「えっ、人がいるのに歌うの?」
「あなたたち、バンドなの? 聴かせてよ」と女性が言った。
「いいですよ。歌うのよ、未来人!」
「ほ、本当に人前で歌うの……?」
 ヨイチが弾き始め、樹子、良彦、すみれが加わる。
 だが、みらいは歌えなかった。
 突っ立ったまま、口をぱくぱくと開けたが、声が出なかった。
「どうしたの、未来人?」
「緊張して、歌詞を忘れちゃった……」
「え? 観客ふたりだけで緊張するの?」
「う、うん……」
「しっかりしてよね。もう一度やりましょう」
 今度はみらいも歌えたが、彼女本来の伸びやかな声ではなかった。
 母親と子どもは立ち去ってしまった。
 困ったな、と樹子は思った。みらいが実力を出せていない。
 人がいなくなると、彼女は素晴らしい歌声を取り戻した。
 だが、散歩をしている中年の男性が近くを通りかかると、みらいの声はまたしぼんでしまった。
「未来人、どうしちゃったの?」
「ごめんなさい。人がいると、あがっちゃって歌えない……」
 樹子は頭を抱えた。まいったな。みらいのメンタルがこれほど弱いとは……。
「みらいちゃん、しっかりしてよ! あなたがこのバンドのメインボーカルなのよ!」
 すみれが刺々しく言った。
「ごめんなさい……」
 みらいはうつむいた。みんなに失望されていると思うと、泣きたくなった。
「原田さん、未来人を非難しないで。この子はこれでも一生懸命なのよ!」
「一生懸命? 全然歌えてないじゃない! こんなんじゃ、ライブはできないわ! みらいちゃん、あなたのいい声を披露してよ!」
「が、がんばるよ……」
 しかし、その日のみらいの出来は散々だった。
 人が見ていなくても、声が委縮するようになってしまった。誰かの視線を感じると、歌がストップすることもたびたびだった。
「未来人、気楽にやれよ!」
 ヨイチはそう声をかけたが、みらいはぎこちなく笑うだけで、調子を取り戻せなかった。
 とんでもない問題が露呈した。
「練習は中止よ!」と樹子は言った。
 どうすれば解決するのか、バンドマスターにもわからなかった。
 夕立が降り始めた。
 激しい雨だった。
 彼らは楽器を急いでケースに仕舞い、樹子の家へと急いだ。
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