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Ⅱ‐回青の園
寝台ⅰ*
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第十一の月 八日
南のお屋敷も広くて、人の数も多くてまだ全然覚えられないけど、ビリムがいてくれるお陰でとても助かる。毎年来てるわけでもないのによく覚えられる。
仕事はそれほど難しいことや大変なことはなくて、よかった。これで仕事も新しい事ばかりだったら目が回るところだった。
ご主人様の部屋も離れじゃなくて屋敷にくっついているのが最初は妙な感じがしていたけれど、少し慣れてきた。
ここも見える庭が綺麗だが、向こうとは……様式? が違うのだという。こっちのほうが外にも見えるから、お客様向けに整えたものなんだそうだ。ハアルもバラドも咲いているというバラ園があって、咲いた花の世話にいつも庭師が忙しそうだ。
ようやく到着した南のお屋敷も、元の屋敷を見慣れていなければ驚いたに違いない大きな館だった。大きな門、広々とした二階建て、綺麗な庭園。向こうとは違って主人が王宮に出向くのではなく此処が王宮に似た役割もして、主人がやってくると他の役人も此処に集まる、そういう建物なのだそうだ。
寒期だから冷房の仕事は無いだろうし、俺にはあまり関係がない。と思ったが、そうでもない。主人と仕事をする役人や客を使用人と見分けてどこかで出くわしたら頭を下げないとならないが、初めて見る顔ばかりで覚えきれていない。王宮なんかとは違って偉い人も案外地味な格好をしている。勿論俺が一人でいることなんて無いので誰かに合わせて頭を下げていれば大丈夫ではあるが、なかなか緊張感があった。
そういう意味では部屋に籠っている仕事がいい、とはビリムともこそこそと喋るところだが、食糧庫のほうは元からこっちにいる白奴隷が担当していた。俺たちに出る幕はなさそうだ。カサブとバトラという名前の古株だった。
それで今日は昼から門扉や柱の雪払いをしている。
お客様が来るから立派な門がちゃんと見えるようにいちいち雪を払うのだ、と説明してくれたのはビリムで、今日は隣に居るから一人にさせられるよりずっと気が楽でいい。傷も癒えて薄く残るだけになった手でブラシを持ってあっちこっち、梯子に上ったり降りたりしながら作業した。
部屋に籠る仕事がいい、反面、雪があると外での仕事が嬉しいのも事実で。ビリムは時折鼻歌混じりに手を動かしていた。そうすると俺はなおさら気分がいい。
歌なんてろくに知らないのに、俺も何か調子をとりそうになる。そんなうち、視線を感じた。ちらと振り返ると見たことのない使用人が三人。別に俺の作業に不手際があったとか、言いつける用があるとか、そういうわけではないようだ。俺たちと同じ仕事をしていた使用人と話をしている。
「あれが翡翠の環か。本当にいい首輪をしているな」
「見てくれはあんなものだがね、旦那様は随分ご執心らしい」
「なあ。こっちまでお連れになって……今回の道中もあれで何か揉めたんだろう?」
「見かけによらんね……」
――ああ、今日もまだ。
こっちでも、主人に気に入られた奴隷がいるらしい、と俺は噂らしかった。
仕事でどこか行かされるたびに、初めて会う人たちが皆代わる代わる俺を見に来た。別に見ても、大したことないなってだけだから恥ずかしいが。とりあえず叱られないように、気にしないふりで働く手を動かす。柱の装飾の細かいところに吹きつけられた雪や氷を、柱には傷をつけないよう丁寧にブラシで掃いていく。
俺についてあること無いこと言って、ついでに別の世間話をいくつかして。それで、さあ仕事仕事、と散っていく人たちを尻目に今度はビリムが口を開いた。
「お前、なんか慣れてるな……」
はたと瞬く。慣れてる、のは始めて随分経った雪払いの仕事のことじゃなく――今の、見物に来た人たちに、だろう。
「そうかな。……ああでも、うん、お屋敷に入るのも二度目だからかも」
たしかに、これも慣れたかもしれない。こんな風に見てあれこれ言われるのは、もう何度目では数えきれないほど経験した。買われたばかりの頃、夜会に連れられていったとき、王宮での仕事、ビリムたちと会ったとき……なんとなくやっかみの雰囲気はあっても、主人の手前あまり酷いことは言われないし。
「ああ……前もこんなだったんだ?」
「まあ。前は、最初は離れに居たからこんな大っぴらじゃなかったけど……」
主人に買われたばかりの頃とは違って、俺も少しはしゃんとできてる、はずだ。
なんだかんだ落ち着いてきた俺たちと違って、主人はとても忙しそうだ。
これもターウスの所為――あいつが居なくなった所為だという。本当は二人で仕事をするはずだったのに一人になってしまったから、二人分の仕事をしている。考えると物凄く腹が立って、それでむすっとしているわけにもいかないので、なるべく思い出さないことにしているが。
食事中や入浴中でもよくハリュールや他の人が話をしにやってきたし、前みたいに俺に食べさせたり、洗ったり洗わせたりする暇がないようだった。慣れた使用人たちに仕事をさせて、俺はなんとなく横に居るだけだ。
部屋に戻っても何か読んでいる。机については勿論、火鉢の横で、布団の中で。昨日見えた紙には知らない単語と大きな数字がみっしりと並んでいた。文字が読めて物語さえ読めるようになっても分からない文章がこんなにもあるとは、思いもよらなかった。
今も、指先に鉛筆を挟んだ手が片手間に俺の髪を撫でては、何か書きつけるのに紙面へと戻っていく。着替えて解いた黒髪を広げた主人は寝る準備も万端と見えるのに、クッションを背に起き上がって思案顔だ。
連日、俺を呼んで寝台に入りはするものの、こうして南方に出てくる前より遅くまで起きていた。俺に伽も言いつけず、読書というよりは仕事らしい紙を幾つも手にして、時にはペンまで持って、眠るぎりぎりまで動いている。
俺はといえばその横で、新しく貰った巻物に目を通して中身を覚えている。声に出して読めと言われたらなめらかに読めるように、文字を指でなぞって胸の内で練習をする。
いつになるか分からないけど。今日ももう遅くなってきたから、声に出す機会はなさそうだけど。そろそろ止めにして寝る頃合いかな、と思ったところで、やはり紙を置いて、息を吐くのが聞こえた。
「……ハツカ」
「はい」
静かに呼ぶ声もまだ仕事中の雰囲気に近い。顔を上げるといつの間にか紙ではなくこっちを見ていたようで、近距離で金の瞳とぶつかってどきりとする。
「奉仕しろ。口を使え」
「――っはい」
もう寝る、ではない、思わぬ命令に慌てて身を起こした。
あたふたとするうちに、書類や筆記具を横備えの机に置き毛布を捲り上げた主人が寝間着の前を開く。床に降りようとしたらぽんと腿を叩いて示された。そのままの姿勢でいるから、そこに来いということらしかった。
「しつれい、いたします」
離れの寝具とも違わず柔らかな布団の上を這って、軽く開かれた足の間へと半身を入れ股引を下ろす。体を縮めるようにして主人の股座へと顔を寄せる。まだ硬くなっていない性器をそっと掴むと、俺の指の冷たさにか主人が身じろぎした。
心臓が早くなる。陰茎もそうだし、そんな雰囲気でもなかったと思うのに。体の他のところを触らずここというのはなんだか、急な感じもする。
それに、口で、は前に一度やったきりだ。
こうして再び命じられるならもっとちゃんとしたやり方を誰かに聞いておけばよかったかと思うが――聞けるわけない、こんなこと。いやでも、仕事なんだから、やっぱり聞いたりするべきなのかもしれない。ビリムにこっそり聞いてみようか、でも、彼が一番怒りそうだし、嫌かも――
なんて考え続ける余裕も、前にやったように先端をちろと舐めて、舌を動かし始めると無くなった。人の皮膚の感触、味、石鹸と香と、主人の匂い。
どうしたら主人の身体は反応してくれるのか、気持ちいいのか、そればかり考えて必死になる。
「ん……」
両手で揉み、上下に擦りながら先端に舌を使う。
前はどうだったか。俺だったら触れられて気持ちいいのは。考えていると主人の手で触れられたときのことを思い出してしまって、今日は何もされていないのにじわと腹の奥から湧くものがあった。
身震いして、揺れた体は主人に気づかれたかどうか。
違う、俺じゃなくて、主人に気持ちよくなってもらわないと。思い直してとりあえずは懸命に手と舌を動かしていると、少しずつ性器に芯が通ってくる。膨らんで大きくなるそれに尚更どう舌を使ったらいいのか分からなくなるけど、多少安堵もした。
それも束の間。主人の手が頬を一撫でして――また、頭に載せられた。
「咥えろ」
「ふぁ――」
主人が言うなり頭を掴んで引き寄せたので、返事は上手くできなかった。舌を差し出し、口に含んで、口の中がいっぱいになる。主人の熱を感じる。
「狭いな、噛むなよ」
もう一言告げられ、頭が揺すられる。もごもごと不慣れに、動くというより動かされる。よりいっぱい口の奥に押しつけられて、苦しい、けど、我慢する。唾が出てきて口の周りがみっともないことになってる感じがするけど、それも堪えて口を開け続けた。
「んぐ、んっ……ぅ」
上顎を擦られて肩が揺れる。喉が突かれてえづきそうになる。息がしづらくて苦しい。舌をひくつかせながらも全部我慢して受け入れた。
他のことを考える暇はいよいよなく、ただ必死だった。どうにか手を動かしなけなしの奉仕をしながら、様子見に見上げれば書類を眺めていたときとは違う、興奮を滲ませた主人の顔が見えた。接吻とは違う妙な高揚感。身が震えた。
「っん……ふ、んん……!」
完全に硬く上向いた物が顎を繰り返し擦っていくと、苦しいだけじゃなくてぞわぞわと身が竦むような感覚がしてむず痒い。つい呻きが漏れて、舌の動きはさらに拙くなる。もっとちゃんとしないとと思うほどに、その意気を乱すように頭が押しつけられた。
奉仕してるんじゃなくて、口の中を責められているみたいだった。口元がぐちゃぐちゃになって涙さえ滲み始めた頃に手は止まり、同時に、主人の陰茎がどくと脈打って舌の上に精が吐き出される。口の中で如実に伝わってくるその反応に俺の指まで跳ねた。
解けるような息が聞こえて、頭に触れた指も緩み、押さえるのではなく撫でる動きに変わっていく。
「――ん。よくできた」
褒める声に安心して、まだ口の中を塞ぐものに気を使いながらも喉を動かし呑み込む。この前と同じ、精液の味がする。青臭いそれに眉が寄った。
ずるりと抜き出された陰茎は濡れていやらしく見えまた体の底が疼いたが、息を整えるうちに徐々に柔らかく戻りはじめているのが見てとれた。
「……もう寝る。来い」
改めて見遣った顔が涙越しにぼやけていても言葉はいつもどおり明瞭だった。今日はこれで終わり、らしい。主人の仕事も、俺の奉仕も、全部。
細く返事をして、本当は朝支度の為に用意されている手拭いと水差しの水を使って主人の体を拭き清め、服を元に戻す。自分の口の周りも拭いて、口をすすぐ代わりに水を飲み、それからいつもの流れに戻って灯りを消した。
手を引かれるのに従って横になる。クッションを直して横たわっていた主人が俺を抱き込み、額に口づけて目を閉じる。毛布を引き寄せて身を覆う。
他に何もしないのは意外なような、そうでもないような。でもまあ、主人が射精して満足したのだからこれでいいはずだ。俺の奉仕は物足りなかったかもしれないけど、不満があったようではないし、お疲れだからだろう。
でもなんとなく、本当におしまいなのか――確かめるように暗がりの主人の様子を窺ってしまう。
けれど、大丈夫らしい。寝るとなると早い主人はすぐに寝息を立て始めた。身を寄せた胴も分かりやすく、規則的に上下し始める。
「……」
横で、小さく小さく、溜息を吐く。どうしよう、いや、どうもしない。俺の仕事も無事終わったんだ。だから寝るんだ。寝るんだ、けど。
下腹のあたりが落ち着かない、のは、性欲だ。口を使っただけなのに、他には何もされてないのに、俺も興奮してる。でも主人は寝てしまったから、今日はこれで終わり。
自慰だってしない。こんな場所じゃできないし、便所でするのだって……俺が起き上がったら主人も目覚めてしまうだろう。そういう人だ。バレずには無理だ。
そんなのきっと止められるし――恥ずかしいし。そもそもそんなことで主人を起こしてはいけない。ましてや最近はお疲れなんだから。
体に言い聞かせてもう一度、ひっそり溜息を吐く。腹が減って眠れないならともかくこんなのは恥ずかしくて居た堪れない。
ああ、腹も、口の中までそわそわとする。寝返りさえ打ちづらくて、三度目の溜息が出る。深呼吸に変えて、寝る努力をする。それでもなかなか欲は散ってくれなくて――勃ちそうなのを誤魔化して眠るのは、大変だった。
南のお屋敷も広くて、人の数も多くてまだ全然覚えられないけど、ビリムがいてくれるお陰でとても助かる。毎年来てるわけでもないのによく覚えられる。
仕事はそれほど難しいことや大変なことはなくて、よかった。これで仕事も新しい事ばかりだったら目が回るところだった。
ご主人様の部屋も離れじゃなくて屋敷にくっついているのが最初は妙な感じがしていたけれど、少し慣れてきた。
ここも見える庭が綺麗だが、向こうとは……様式? が違うのだという。こっちのほうが外にも見えるから、お客様向けに整えたものなんだそうだ。ハアルもバラドも咲いているというバラ園があって、咲いた花の世話にいつも庭師が忙しそうだ。
ようやく到着した南のお屋敷も、元の屋敷を見慣れていなければ驚いたに違いない大きな館だった。大きな門、広々とした二階建て、綺麗な庭園。向こうとは違って主人が王宮に出向くのではなく此処が王宮に似た役割もして、主人がやってくると他の役人も此処に集まる、そういう建物なのだそうだ。
寒期だから冷房の仕事は無いだろうし、俺にはあまり関係がない。と思ったが、そうでもない。主人と仕事をする役人や客を使用人と見分けてどこかで出くわしたら頭を下げないとならないが、初めて見る顔ばかりで覚えきれていない。王宮なんかとは違って偉い人も案外地味な格好をしている。勿論俺が一人でいることなんて無いので誰かに合わせて頭を下げていれば大丈夫ではあるが、なかなか緊張感があった。
そういう意味では部屋に籠っている仕事がいい、とはビリムともこそこそと喋るところだが、食糧庫のほうは元からこっちにいる白奴隷が担当していた。俺たちに出る幕はなさそうだ。カサブとバトラという名前の古株だった。
それで今日は昼から門扉や柱の雪払いをしている。
お客様が来るから立派な門がちゃんと見えるようにいちいち雪を払うのだ、と説明してくれたのはビリムで、今日は隣に居るから一人にさせられるよりずっと気が楽でいい。傷も癒えて薄く残るだけになった手でブラシを持ってあっちこっち、梯子に上ったり降りたりしながら作業した。
部屋に籠る仕事がいい、反面、雪があると外での仕事が嬉しいのも事実で。ビリムは時折鼻歌混じりに手を動かしていた。そうすると俺はなおさら気分がいい。
歌なんてろくに知らないのに、俺も何か調子をとりそうになる。そんなうち、視線を感じた。ちらと振り返ると見たことのない使用人が三人。別に俺の作業に不手際があったとか、言いつける用があるとか、そういうわけではないようだ。俺たちと同じ仕事をしていた使用人と話をしている。
「あれが翡翠の環か。本当にいい首輪をしているな」
「見てくれはあんなものだがね、旦那様は随分ご執心らしい」
「なあ。こっちまでお連れになって……今回の道中もあれで何か揉めたんだろう?」
「見かけによらんね……」
――ああ、今日もまだ。
こっちでも、主人に気に入られた奴隷がいるらしい、と俺は噂らしかった。
仕事でどこか行かされるたびに、初めて会う人たちが皆代わる代わる俺を見に来た。別に見ても、大したことないなってだけだから恥ずかしいが。とりあえず叱られないように、気にしないふりで働く手を動かす。柱の装飾の細かいところに吹きつけられた雪や氷を、柱には傷をつけないよう丁寧にブラシで掃いていく。
俺についてあること無いこと言って、ついでに別の世間話をいくつかして。それで、さあ仕事仕事、と散っていく人たちを尻目に今度はビリムが口を開いた。
「お前、なんか慣れてるな……」
はたと瞬く。慣れてる、のは始めて随分経った雪払いの仕事のことじゃなく――今の、見物に来た人たちに、だろう。
「そうかな。……ああでも、うん、お屋敷に入るのも二度目だからかも」
たしかに、これも慣れたかもしれない。こんな風に見てあれこれ言われるのは、もう何度目では数えきれないほど経験した。買われたばかりの頃、夜会に連れられていったとき、王宮での仕事、ビリムたちと会ったとき……なんとなくやっかみの雰囲気はあっても、主人の手前あまり酷いことは言われないし。
「ああ……前もこんなだったんだ?」
「まあ。前は、最初は離れに居たからこんな大っぴらじゃなかったけど……」
主人に買われたばかりの頃とは違って、俺も少しはしゃんとできてる、はずだ。
なんだかんだ落ち着いてきた俺たちと違って、主人はとても忙しそうだ。
これもターウスの所為――あいつが居なくなった所為だという。本当は二人で仕事をするはずだったのに一人になってしまったから、二人分の仕事をしている。考えると物凄く腹が立って、それでむすっとしているわけにもいかないので、なるべく思い出さないことにしているが。
食事中や入浴中でもよくハリュールや他の人が話をしにやってきたし、前みたいに俺に食べさせたり、洗ったり洗わせたりする暇がないようだった。慣れた使用人たちに仕事をさせて、俺はなんとなく横に居るだけだ。
部屋に戻っても何か読んでいる。机については勿論、火鉢の横で、布団の中で。昨日見えた紙には知らない単語と大きな数字がみっしりと並んでいた。文字が読めて物語さえ読めるようになっても分からない文章がこんなにもあるとは、思いもよらなかった。
今も、指先に鉛筆を挟んだ手が片手間に俺の髪を撫でては、何か書きつけるのに紙面へと戻っていく。着替えて解いた黒髪を広げた主人は寝る準備も万端と見えるのに、クッションを背に起き上がって思案顔だ。
連日、俺を呼んで寝台に入りはするものの、こうして南方に出てくる前より遅くまで起きていた。俺に伽も言いつけず、読書というよりは仕事らしい紙を幾つも手にして、時にはペンまで持って、眠るぎりぎりまで動いている。
俺はといえばその横で、新しく貰った巻物に目を通して中身を覚えている。声に出して読めと言われたらなめらかに読めるように、文字を指でなぞって胸の内で練習をする。
いつになるか分からないけど。今日ももう遅くなってきたから、声に出す機会はなさそうだけど。そろそろ止めにして寝る頃合いかな、と思ったところで、やはり紙を置いて、息を吐くのが聞こえた。
「……ハツカ」
「はい」
静かに呼ぶ声もまだ仕事中の雰囲気に近い。顔を上げるといつの間にか紙ではなくこっちを見ていたようで、近距離で金の瞳とぶつかってどきりとする。
「奉仕しろ。口を使え」
「――っはい」
もう寝る、ではない、思わぬ命令に慌てて身を起こした。
あたふたとするうちに、書類や筆記具を横備えの机に置き毛布を捲り上げた主人が寝間着の前を開く。床に降りようとしたらぽんと腿を叩いて示された。そのままの姿勢でいるから、そこに来いということらしかった。
「しつれい、いたします」
離れの寝具とも違わず柔らかな布団の上を這って、軽く開かれた足の間へと半身を入れ股引を下ろす。体を縮めるようにして主人の股座へと顔を寄せる。まだ硬くなっていない性器をそっと掴むと、俺の指の冷たさにか主人が身じろぎした。
心臓が早くなる。陰茎もそうだし、そんな雰囲気でもなかったと思うのに。体の他のところを触らずここというのはなんだか、急な感じもする。
それに、口で、は前に一度やったきりだ。
こうして再び命じられるならもっとちゃんとしたやり方を誰かに聞いておけばよかったかと思うが――聞けるわけない、こんなこと。いやでも、仕事なんだから、やっぱり聞いたりするべきなのかもしれない。ビリムにこっそり聞いてみようか、でも、彼が一番怒りそうだし、嫌かも――
なんて考え続ける余裕も、前にやったように先端をちろと舐めて、舌を動かし始めると無くなった。人の皮膚の感触、味、石鹸と香と、主人の匂い。
どうしたら主人の身体は反応してくれるのか、気持ちいいのか、そればかり考えて必死になる。
「ん……」
両手で揉み、上下に擦りながら先端に舌を使う。
前はどうだったか。俺だったら触れられて気持ちいいのは。考えていると主人の手で触れられたときのことを思い出してしまって、今日は何もされていないのにじわと腹の奥から湧くものがあった。
身震いして、揺れた体は主人に気づかれたかどうか。
違う、俺じゃなくて、主人に気持ちよくなってもらわないと。思い直してとりあえずは懸命に手と舌を動かしていると、少しずつ性器に芯が通ってくる。膨らんで大きくなるそれに尚更どう舌を使ったらいいのか分からなくなるけど、多少安堵もした。
それも束の間。主人の手が頬を一撫でして――また、頭に載せられた。
「咥えろ」
「ふぁ――」
主人が言うなり頭を掴んで引き寄せたので、返事は上手くできなかった。舌を差し出し、口に含んで、口の中がいっぱいになる。主人の熱を感じる。
「狭いな、噛むなよ」
もう一言告げられ、頭が揺すられる。もごもごと不慣れに、動くというより動かされる。よりいっぱい口の奥に押しつけられて、苦しい、けど、我慢する。唾が出てきて口の周りがみっともないことになってる感じがするけど、それも堪えて口を開け続けた。
「んぐ、んっ……ぅ」
上顎を擦られて肩が揺れる。喉が突かれてえづきそうになる。息がしづらくて苦しい。舌をひくつかせながらも全部我慢して受け入れた。
他のことを考える暇はいよいよなく、ただ必死だった。どうにか手を動かしなけなしの奉仕をしながら、様子見に見上げれば書類を眺めていたときとは違う、興奮を滲ませた主人の顔が見えた。接吻とは違う妙な高揚感。身が震えた。
「っん……ふ、んん……!」
完全に硬く上向いた物が顎を繰り返し擦っていくと、苦しいだけじゃなくてぞわぞわと身が竦むような感覚がしてむず痒い。つい呻きが漏れて、舌の動きはさらに拙くなる。もっとちゃんとしないとと思うほどに、その意気を乱すように頭が押しつけられた。
奉仕してるんじゃなくて、口の中を責められているみたいだった。口元がぐちゃぐちゃになって涙さえ滲み始めた頃に手は止まり、同時に、主人の陰茎がどくと脈打って舌の上に精が吐き出される。口の中で如実に伝わってくるその反応に俺の指まで跳ねた。
解けるような息が聞こえて、頭に触れた指も緩み、押さえるのではなく撫でる動きに変わっていく。
「――ん。よくできた」
褒める声に安心して、まだ口の中を塞ぐものに気を使いながらも喉を動かし呑み込む。この前と同じ、精液の味がする。青臭いそれに眉が寄った。
ずるりと抜き出された陰茎は濡れていやらしく見えまた体の底が疼いたが、息を整えるうちに徐々に柔らかく戻りはじめているのが見てとれた。
「……もう寝る。来い」
改めて見遣った顔が涙越しにぼやけていても言葉はいつもどおり明瞭だった。今日はこれで終わり、らしい。主人の仕事も、俺の奉仕も、全部。
細く返事をして、本当は朝支度の為に用意されている手拭いと水差しの水を使って主人の体を拭き清め、服を元に戻す。自分の口の周りも拭いて、口をすすぐ代わりに水を飲み、それからいつもの流れに戻って灯りを消した。
手を引かれるのに従って横になる。クッションを直して横たわっていた主人が俺を抱き込み、額に口づけて目を閉じる。毛布を引き寄せて身を覆う。
他に何もしないのは意外なような、そうでもないような。でもまあ、主人が射精して満足したのだからこれでいいはずだ。俺の奉仕は物足りなかったかもしれないけど、不満があったようではないし、お疲れだからだろう。
でもなんとなく、本当におしまいなのか――確かめるように暗がりの主人の様子を窺ってしまう。
けれど、大丈夫らしい。寝るとなると早い主人はすぐに寝息を立て始めた。身を寄せた胴も分かりやすく、規則的に上下し始める。
「……」
横で、小さく小さく、溜息を吐く。どうしよう、いや、どうもしない。俺の仕事も無事終わったんだ。だから寝るんだ。寝るんだ、けど。
下腹のあたりが落ち着かない、のは、性欲だ。口を使っただけなのに、他には何もされてないのに、俺も興奮してる。でも主人は寝てしまったから、今日はこれで終わり。
自慰だってしない。こんな場所じゃできないし、便所でするのだって……俺が起き上がったら主人も目覚めてしまうだろう。そういう人だ。バレずには無理だ。
そんなのきっと止められるし――恥ずかしいし。そもそもそんなことで主人を起こしてはいけない。ましてや最近はお疲れなんだから。
体に言い聞かせてもう一度、ひっそり溜息を吐く。腹が減って眠れないならともかくこんなのは恥ずかしくて居た堪れない。
ああ、腹も、口の中までそわそわとする。寝返りさえ打ちづらくて、三度目の溜息が出る。深呼吸に変えて、寝る努力をする。それでもなかなか欲は散ってくれなくて――勃ちそうなのを誤魔化して眠るのは、大変だった。
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