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第三章 掴んだ手を放すことは、許されないでしょう。
3-7
しおりを挟む掴んでしまった手は力強い腕に引かれ、仕切り板をくぐった私の身体は五十嵐社長の胸の中に着地していた。ドクドクと五十嵐社長の心臓の音が、振動と共に伝わってくる。私を抱き締める腕があまりにも力強くて、傲慢な私が顔を出す。まさか、もしかしてって、ね。
「すみません」
「・・・」
「い、板を壊さなくても、内側から開けてもらってもよかったんですけど」
雰囲気に耐え切れず、いつもの憎まれ口を発動してしまう。こういう時は、怖かったと泣いたほうが良かったのかもしれない。それでも私の肩口に埋められた綺麗な横顔は動かない。
「五十嵐社長?」
何も言わない五十嵐社長の手が私の露出した手を掴み、腕を伝いゆっくりと上がってくる。温めるように添えられた手は私の両頬で動きを止めた。見つめあうように上げられた私の顔は、どんな表情をしていますか?
「お前はいつも俺の努力をあっさりと無きものにしてくれる」
一体何のことを言っているのかわからなかった。それでも見下ろしてくる瞳が真剣で、どうして私にそんな・・・野獣のような視線を向けるのか、五十嵐社長の考えは分からない。
「いっ・・・んぅ」
名前を呼ぶのを遮るようにされた、噛みつくようなキス。
綺麗な歯が見えたと思ったら奪われていた唇は、温かく柔らかな五十嵐社長のそれに包まれていて。吸い付かれて思わず胸板を押せば、更に強く抱き締められる。逃げることを許さない手は、私の後頭部に回されていた。急くように唇を甘噛みされれば、痺れる疼きに自然と口を開けてしまう。もっと、と。
覆いかぶさらんばかりに五十嵐社長の身体が私を包んでいる。濡れた舌が私の歯茎をなぞり、キュウと締め付けてしまうのは己のオンナ部分。求めていた。全身で、この男を。
熱く感じるのは冷えた身体だったからなのか、火照り欲情していく心の所為なのか分からない。燃えるように熱くて、それなのにやめて欲しくない。このまま燃え上ってしまうとしても、それでもいいとさえ思えるくらい私は・・・。
「ん・・・はぁ、はぁ」
いやらしい大人のキスから解放されても、全身に甘い疼きは残ったままだ。「どういうことですか」と聞く勇気なんてない。何か言って欲しいのに、五十嵐社長の濡れた唇は動かない。腰に添えられた腕と後頭部に回された手は、何かを噛み殺すように小さく揺れた。
無言のまま立ち上がる五十嵐社長に手を引かれて立ち上がる。余裕がなくて見えていなかったけれど、五十嵐社長の部屋のベランダはうちのベランダの何倍も広かった。窓を開けて室内に入れば、そこは広いベッドルーム。まさかと思いながら五十嵐社長を見ても、先を歩く五十嵐社長の後頭部が見えるだけ。大きなベッドは私が三回寝返りを打っても落ちることはない広さだ。窓際に置かれた小さめの丸テーブルと揺れる椅子は、おそらく読書用。
そのまま手を引かれて座るように促されたのは、例のベッドだった。まだ心の準備が出来ていない。毛だって剃っていないし、まだ見せられるような身体にもなっていないのに。
「誤解するな」
正面から見下ろしてくる五十嵐社長はいつもの様子に戻っている。呆れたように視線を明後日に向けてから、綺麗に整えられた掛け布団をまくり上げた。
「冷たい身体を温めるだけだ」
その手で芋虫のように布団で巻かれれば、色気もくそもないと言うものだ。私の「?」の表情を一瞥してから、右の口角だけを綺麗に持ち上げて「はっ」と笑った。
「肉巻きおにぎりというものは中身が米で回りが肉であるべきだな」
「はい?」
「中も外も肉では、ただの肉の塊だ」
何を言っているのか分からない。それでも貶されていることくらい分かる。さっきまでの雰囲気は一体どこへ消えてしまったと言うのだろうか。
「来週の月曜から福岡に行く」
「ふく、おか・・・ですか?」
「そうだ」
「私の地元です」
「知っている」
「何をしに?」
「仕事に決まっている」
「私も、ですか?」
「当たり前だ」
「はぁ」
私の返事などどうでもいいのか、五十嵐社長はくるりと背を向けて寝室を出て行った。呆然としたまま、とりあえず部屋に帰ろうと藻掻いてみる。しかし手足もろとも布団で巻かれた、肉肉巻きはほぐれそうにない。一体、このままどうしろと? 疼いていた身体はいつの間にか平常運転に戻っていて、さっきまでのアレが夢だったかのようにさえ感じる。下唇を噛んでみても、さっきのような快感は訪れない。どうしようもないので、疲れた脳みそを休ませようと目を閉じた。
翌朝、スッキリと眠れた身体は綺麗にベッドに収まっていた。肉巻きは外されていて、甲斐甲斐しく布団を掛けてある。ボサボサの頭のまま身体を持ち上げて周りを見回しても、五十嵐社長の姿はなかった。
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