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第二章 ガタガタの階段は、しがみついて泥臭く登れば良いでしょう。

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 IGバイオでの住み込み修業が始まって三日目。夕方のジムの時間である。

「伊藤さん。今日のメニューは終了です。あとは自由に有酸素運動をお願いします。また声かけますね」

「ありがとうございました」

 にこやかに去って行くトレーナーの山本くんは可愛い系イケメンである。私の体重を笑うこともなく「一緒に頑張りましょうね」なんて笑顔で言われたら、簡単な私のハートはキュンとしてしまう。まあ、私の心がときめこうがどうなろうが、山本くんの人生に何の影響も及ぼさないのだ。私は通行人Ⅰでしかないのだから。

 額の汗を拭いながらランニングマシーンへと向かう。トレーニングを始めてわかったことは、汗をかくことがこんなにも気持ちよく気分転換になるということ。気分の上がる音楽を聴きながら没頭する時間は、きっと今回のことがなければ出会う事のなかった時間だ。そう考えると、やっぱり五十嵐社長には感謝しなければいけない。ランニングマシーンの速度と角度を調整しつつ、徐々に足を速めていく。丁度いいスピードで両手を腰の横に付けて前を見ると、大きな窓に反射した自分が映っている。午前中は下を歩く人が見えるから好きだけれど、夜は醜い自分が映るから嫌だ。それでも下を向いて走るわけにはいかないし、せめてもと映った自分の顔から視線を下の方にズラす。
ネイビーの“減量中”ジャージは気に入ったから着ているわけじゃない。初めて着た時は山本くんすら驚いた顔をしていた。それでも着続けているのは、運動が出来る様な服がこれしかないから。明日は土曜日で、やっとお休みがくる。つまりは新しい服を買うから、今日でこのジャージとはおさらばだ。

今週はいろんなことがあった。月曜日に五十嵐社長と会ってから、変化が目まぐるしくて未だに気持ちの整理が出来ていない。佐山からは心配するメッセージが着てたっけ。そっけなく返してしまったから、明日にでも電話してみよう。

「わっ・・・、失礼」

 突然隣から声が聞こえて首だけで振り向くと、綺麗な女性が止まったランニングマシーンの上に立ってこちらを見ていた。口元が動いていて、何か喋っている。慌てて大音量のイヤフォンを外して頭を下げる。

「あ・・・っと、すいません。イヤフォンしていたので何も聞こえなくて」

「いえ、いいの。私こそ大きな声を出してごめんなさいね」

 そう言って笑った女性は恐らく四十代くらいだと思う。茶色の髪を頭頂部でラフにお団子にしていて、全身スポーツブランドのウェアを身に付けている。大人の女性で気品と色気があり、何より美容に気を使っているのがわかる。美魔女とはこういう人のことを呼ぶのだろう。

「素敵なジャージね。誰が見ても貴女だってわかるわ」

「お恥ずかしながら、嫌味な上司からのプレゼントなんです」

「あはは。そう。じゃあ、その上司の方は貴女のことをとても気に入っているのね」

「あー・・・どうでしょうか。平気で体重聞いて来るような無神経ヤローです」

「それはきっと、その“減量中”が終わった時にわかるわね」

「えっと・・・?」

 微笑む女性は何もかもを包み込むような温かい笑顔を見せながら、私の胸元の文字を指差しながらそう言った。素敵だと思った。私もこんな女性になりたいと、眩しく見つめる。

「私は先にお邪魔するわ。頑張ってね。伊藤さん」

 ひらりと指先だけを動かして挨拶をした女性は去って行った。なんて素敵な人。歩いて行く後ろ姿は凛としていて、百合の花のよう。

「うおっ、ととと」

 思わず止まりかけた足がランニングマシーンのベルトに引っ掛かり転びそうになった。転んで機械を壊してしまえば大惨事だ。首にかけていたタオルで額の汗を拭う。

 ありがとう女神様。俄然やる気が出てきました。

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