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067・vs韓国

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「気を付けるべきは、オーバーエイジ。センターハーフのイ・ドヨンだ。おい、聴いているか? オトート!?」

 準決勝。韓国戦の前日のミーティング。
 ジーコさんのがなり声は、大吾を現実に戻した。

――グラン・トリノからのオファーがあるだと? あとでデメトリオに聴いてみなくては……!

「イ・ドヨンは厄介だ。斜陽のマンチェスター・ユニオンを支える、ボックス・トゥ・ボックスのミッドフィルダー。気を付けるべきは場面場面に応じて、ミドルシュートも、危険なファウルも使い分けるところだ。183cm・79キロの恵まれたフィジカルに状況判断も正確だ。何度A代表がこいつに泣かされたことか……」

 日本A代表のアジアにおける天敵、イ・ドヨン。
 クリエイティブな司令塔でもあり、ときには相手を破壊することも決して厭わない。アンドレア・ピルロとジェンナーロ・ガットゥーゾを掛け合わせたような存在であり、『アジア人で初のバロンドール受賞者になるのはこいつでは』と昔は騒がれた。しかし、奥に秘めた暴力性が仇となり、その攻撃的な性格のためカードコレクターとならざるを得なかった。

 だが、その存在はまさにワールドクラスである。

「いいか、韓国は日本オリンピックをボイコットしようとした。そしてメダルを取れば、韓国人男性は兵役を免除される。さらに相手は日本でアウェイ。言いたいことはわかるか!?」

「いわゆる、『反日ドーピング』だ」

 ジーコさんの言葉に、もともと口数が少ないはずの山口監督が続ける。
 それだけ脅威なのだ。

「怪我だけは気を付けろ! 選手生命にかかわるファウルでさえ、向こうはためらいを覚えないぞ!」

 実際、日韓戦での怪我人は多い。
『相手が日本人であれば、何をやっても構わない』という思いはやはり向こうにはあるであろう。
 試合だけで終われば、まだマシな方だ。
 ときに日韓戦は、両国を騒がす国際問題になることがある。
 たとえば、『旭日旗問題』。それまで何も言われなかったのに、日韓戦でゴールを決めた韓国人選手がゴールパフォーマンスで猿真似をした。批判されたところ、『スタジアム内に旭日旗があったからカッとなってやった』と言い、それから国際問題化したのだ。


「イ・ドヨンだ! イ・ドヨンに気を付けろ!」

 オウムのようにジーコさんが繰り返し、試合前日のミーティングは終わった。



 日本代表の今回の大会は、携帯電話やスマートフォン等で外部と連絡を取ることは禁止されている。一日30分だけ許されたPCでのメールのやりとりのみが、外界との接触を図る唯一の方法であった。なので、代理人と電話で話すというのは基本的に許されていない。

 頭の中がグラン・トリノでいっぱいの大吾はメールでデメトリオ・スキラッチに連絡を図る。

デメ・・。俺にグラン・トリノから話があるって本当?』

 正確に、3分後にスキラッチから返信が来た。

『良いオファーが欲しければ、今はオリンピックに集中しろ! 超新星スーパー・ノヴァになれ!』

『準決勝へのモチベーションが欲しい。少しだけ情報をくれ』

『ロッシーニは、君を売りたがっている。一方で、グラン・トリノはなんでも欲しがりだ』

 その意味を察した大吾は、握りこぶしを作って腕を引いた。
 グラン・トリノに所属したことがあるアジア人は、北朝鮮のひとりだけだ。『超新星と化した、向島大吾』は二人目となるかもしれない。

――1歩ずつ、目的に辿りついている

 オリンピックでゴールド・メダルを獲ったとき、そのタイトルはより高きに大吾を導くはずであった。





 韓国戦。
 シニアレベルの代表で、大吾にとって初のスタメン。
 アンセムに合わせながら、子供たちの手を取り入場する。


『ニーッポン、ニーーーッポン、ニーーーーポォン!!』

『テーハミングッ!!』

 観客席でも、すでに争いが始まっている。
 隣国として、負けられないダービーが始まろうとしている。
 発煙筒がスタンドを赤く染め、発車を示すシグナルが3つ目を点灯させようとしている。



 韓国のキックオフで試合が始まる。
 左サイドハーフの大吾には、それと同時にマークが付く。

――おまえらの攻撃が始まったばかりなのに、もうマークに付くのか?

 瞬間、肘打ちが大吾の鼻を襲う。
 大吾は倒れた。そして肘打ちをした相手は何事もなかったかのように、去っていく。観客も審判もほかの選手ですらも何が起きたか分からず、ボールの行方だけを追っている。

 植民地となって独自性を70年間失った韓国の『ハン』が為せる技。
 サッカーに限らず、野球でも、バレーでも、日本に対してだけは敵愾心をむき出しにせざるを得ない隣国の特徴。1000年の『恨』は昨今の経済戦争を巻き起こし、両国には再び強烈な冷風が吹きすさんでいる。

――そっちがその気なら!

 大吾は芝生から起き上がり、先ほど肘打ちしてきた相手の横へと走る。そして、お返しとばかり削り返す。

 相手も黙ってはいない。スパイクで大吾の足を踏み返す。

 そして、そのうちいさかいは大きくなり、相手が大吾の胸ぐらをつかむ。

 さすがに審判も気付き、試合は一時中断した。

 鼻から血を流す大吾を見て、両チームは騒然とする。
 しかし、結果は両者イエローカード。大吾のプロキャリア初のカードだ。

「なにやってんだ、大吾!」

 勇也が大吾に叱責を飛ばす。

「こいつが、肘打ちしてきて……なんで俺もイエローカードなのさ!?」

「喧嘩両成敗に決まってるだろ! おまえサッカーをなんだと思ってるんだ!?」

「サッカーどころか、スポーツは全部戦争の代償行為だろ!?」

「おまえ、本気でそう思っているのか……?」

 真吾が大吾に警告する。

「おまえのサッカー観と、お前がショックを受けたルカ・ボバンのサッカー観は何も変わらないことになるぞ!」



 試合が再開した。大吾のファーストタッチが行われようとしている。
 大吾の右足インサイドのトラップは大きくミスをし、韓国に奪われた。

「おまえのサッカー観は、ボールを愛すことだろう! 暴力性を否定しないと、おまえはおまえのサッカーを失うぞ!」

 真吾が怒鳴りつける。
 またもや大吾はトラップミスをした。今度は、大吾は自分の歩幅以上にボールを放してしまい、カウンターの餌食となる。

「大吾!」

 今度は勇也が声を荒げる。

 3度、大吾はボールを持つ。
 
――グラン・トリノ行きがかかってるんだ! 少しでも良いところを見せなければ。そのためには……

 己を見失った大吾の左サイドからの暴力的なサイドチェンジは、右サイドラインを割ってしまった。



「もう、左サイドは、大吾は使うな!」

 真吾が指示を出す。

――どういうことだよ!? グラン・トリノが、俺のキャリア・アップがそんなに気に入らないのか?

 ひとりの少年の利己心がフィールドを漂い始めた。

 韓国のバックパスを真吾が掻っ攫い、そのままゴールへとボールを前進させ、そのあとを追撃する。

「イ・ドヨンだ! イ・ドヨンが行ったぞ!」

 ジーコさんが声を振り絞る。

 真吾はボールをいったん後ろに引き、イ・ドヨンと対峙せざるを得ない。

 真吾vsイ・ドヨンの1on1。

 真吾は、ボールをまたぐシザース・フェイントを発揮する。
 そして、右足のアウトサイドでボールを外に押し出し、またインサイドで引っかけるエラシコを繰り出す。さらにそのボールをすぐに左足へと持ち替え、ダブル・タッチでトドメを刺す。
 大吾の得意とする技は、真吾の模倣から始まっている。すなわち、大吾の技で真吾が扱えないものは少ない。

 イ・ドヨンはバランスを崩すが、そのイングランドで鍛えられた身体で真吾の進路を拒もうとプロフェッショナル・ファウルを喰らわす。



 ピーーーーーーーーーーーーー!


 イ・ドヨンにイエローカード!



「大吾、おまえにフリーキックを蹴らすわけにはいかん」

 真吾が、ボールに近づいてフリーキックを蹴ろうとする大吾を遮る。

「なんでだよっ!? 俺のほうがプレースキックの精度が上なのは兄貴も認めてるだろ!?」

「暴力とステップアップ移籍に己を見失って、目の前の一試合にひたむきになれないやつに、誰がチームの運命を預けられる?」

「えっ……」

「そんなにグラン・トリノ移籍が大事か!?」

「なんでそれを……」

「イタリア語がピッチ上でわかるのは、おまえと勇也だけじゃないぞ」

「!」

「おまえはおまえを取り戻せ。移籍状況次第で、モチベーションが激しく変わる糞雑魚メンタル野郎! チームのためにおまえがいるんだぞ! おまえのために、チームがあるんじゃねえぞ」



「フリーキックは、スペシャリストの向島大吾が蹴ってくるぞ。気を付けろ!」

 韓国のゴールキーパーがそう指示を飛ばす。
 
 真吾が助走を開始しても、大吾が蹴ってくると思った韓国の壁はピクリともしない。

 その上を真吾が蹴ったボールが強襲し、韓国のゴールネットを揺らす。



 1-0!

 先制点は日本!



(こいつがセリエAで活躍した、ムコウジマ・シンゴか)

 イ・ドヨンは熱視線を真吾へと送る。
 その視線に殺意が宿るのに、そう時間はかからなかった。



 後半。
 トップ下の葛城、司令塔レジスタ山南やまなみのパスワークが、全盛期のスペイン代表のティキ・タカ時計の針が刻む音のように響き渡る。
 シャビ、イニエスタが操る演奏会を、規模が小さいながらも日本代表も開演しているかのようである。

 韓国代表は付いていけず、ただただボールを追いかけてはスタミナを浪費する。

 そのパスワークから大吾へとボールが渡る。
 まだ焦りから解放されない大吾は、無謀にドリブル突破を開始する。

「イ・ドヨンが行ったぞ!」

 現役バリバリのプレミアリーガーと、セリエAの新星の1on1!

「大吾、無理をするな! ボールを廻せ!」

 真吾の言葉は届かない。

 大吾がフェイントを発動する前に、イ・ドヨンが強烈なイングランド仕込みのチャージを食らわし、ボールがこぼれる。

 いとも簡単に虚弱な大吾は吹っ飛ばされファウルをアピールするが、審判は反則をとらない。
 なぜなら、こぼれ球を日本が拾い、チャンスが続いていたからだ。

 不満そうに審判にアピールを続ける大吾と続行するゲーム。

 山南が拾い、そのボールは葛城へと渡り、前線へとスルーパスを放つ。

 それを受けた真吾がエリア内へと突進する。

 ゴールキーパーがシュートコースを消そうと、前へと飛び出してくる。

 真吾はそれを冷静に見極めて、右下へとボールを流し込み、これで2-0。



 技術ほどには成熟していない大吾のメンタル。
 サッカーは物理的なボール・テクニックだけで成立しているわけではない。マインド・ゲームの勝者こそが、最終的な勝利者たり得る。
 それはサッカーだけではない。すべてのスポーツ、すべての人間の活動において共通しているはずだった。

 だから、イ・ドヨンが日本の弱点として、大吾のメンタルを削りにかかるのは戦術として正しい。

 ボックス・トゥ・ボックスであるはずのイ・ドヨンは、真吾の周りを衛星的に動き回る大吾の前にポジションを取った。
 そして大吾がボールを持つと、ファウルぎりぎり、いや審判によっては反則を取るであろうチャージを仕掛けてくる。
 
「くっ!」

 腕と腕がギシギシと音を立ててきしみ合う。その競り合いに負けた大吾は、大きく大袈裟にこれでもかと倒れた。両手を掲げてファウルをアピールする。

「アホッ! 早く立ち上がれ!」

 真吾が叫ぶ。
 
 大吾がロストしたボールは、韓国のカウンターアタックの餌食となった。
 スクリューのように推進する、イ・ドヨン。利根がチェックに行くが、タイミングを外したかのように、イ・ドヨンはフォワードへ向かってスルーパスを通した。

 ゴールキーパー、成田誠也が加速して飛び出し、間一髪のところでボールを掻きこんだ。


「おまえの未熟さが、失点に繋がるところだったんだぞ?」

 真吾の檄が大吾に飛ぶ。

「国を背負って戦うことを、もう少し真剣に考えろ!」


 ロスタイム。
 日本のゴールキック。成田が前線へと思いっきり蹴る。
 最前線で真吾が競ろうとしている。マークに付いているイ・ドヨンは、あるいは笑みを浮かべたかもしれない。

(この試合は負けだ。だがまだがある。こいつがいなければ日本はゴールド・メダルを取れないだろうし、この先の脅威・・・・・・も取り除かれる!)

 真吾が片足で着地する瞬間を狙って、イ・ドヨンは思いっきり体当たりを食らわした。真吾は倒れ、イ・ドヨンには2枚目のイエローカードを飛ばしてレッドカードが飛び出る。

 日本は決勝に進出した。
 しかしながら絶対的エースを失ったのだ。


※※※※※



「兄貴!」

 担架で運ばれる真吾の傍を、大吾は離れようとはしない。

「なにやってんだ、馬鹿弟! 決勝までにチョチョイと治してくるから、はやくそこをどけよ」

 脂汗を顔に浮かべ、痛みに耐えつつも、真吾は弱音を吐かず皮肉を吐いた。
 しかし、運ばれていく真吾の横を大吾は付いていく。

「俺は決勝に出るぞー!!」

 スタンドまで担架がやって来ると、真吾は上半身をあげてサポーターを扇動する。

『ゲット・ゴーオッル・シンゴ! オォー、オ・オ・オ! シンゴ!』

 岡山時代の真吾のチャントを、大観衆全員が雪崩のように、山彦のように輪唱した。

「兄貴……」

「ほら、馬鹿弟。決勝まで4日ある。それまでに何とかするから、その涙を拭け。みっともないったらありゃしない」

 いつの間にか頬を伝っていた一筋の水滴を、大吾は半袖のユニフォームで拭う。

「もう兄貴とサッカーできないんじゃないかって……」

「おい、勝手に予後不良にするな! いちいちこれくらいの怪我で大袈裟なんだよ!」

 また一筋、今度はもう片方の眼から水滴がこぼれる。

「いいか、よく聞け。俺は決勝に出るって言ってるんだ。これは絶対だ!」

「絶対……?」

「都合の良いときだけ良い子ちゃんになるな、おまえは。あと一試合終わったら俺とおまえはまた敵なんだぞ? 兄弟で世界一バロンドール争いをするんだろう!?」

「うん……」

「情けねえ弟だぜ。そんなに自己中心的なプレーで、自分のキャリアのためだけのプレーをしたいか。考え直せ! 今日のおまえは明らかに変だ。俺たちの背中には、おまえだけじゃない。日本国民全員の期待を背負っているんだ。おまえのステップアップのために、チームがあるんじゃない、日本国民の希望の先端におまえがいるだけだ。二度と立場を見失うな!」

 いいからあっち行け! と手で真吾は大吾を払い、医務室へと向かう。



「監督、アニキ真吾は、決勝は無理でしょうな……」

 医務室の前でジーコさんは腕を組みながら言う。

「わかってるよ」

 携帯灰皿を取り出し、山口荒生は煙草に火を付けた。

「どうします? オトート大吾をセンターフォワードで使うという手もありますが……」

「なんのための控えだ? 亀岡を使うよ」

「しかし、亀岡では……」

「荷が勝ちすぎるだろうな。それもわかっている」

 山口は煙草をくわえ、深く深呼吸をする。



「糸山、知っているか。ひとりでもチームに勝ちをもたらす存在というやつを……」

「ファンタジスタのことですか?」

「ファンタジスタじゃないさ……」

 ため息と煙草の煙を交じえながら、山口荒生は言う。

フオリクラッセ超一流、っていうやつだ……」



 一方、もう片方のトーナメントでは、クロアチアが決勝進出を決めていた。
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