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066・vsイタリア
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「隆行さん、怪我明けなんだから無理しないでくださいよ!」
「ああ、わかっているよ!」
大吾の言葉に柳沢隆行が笑顔で応じた。
クラブチームでは、ポジションを争う者に対してどうしても敵愾心が芽生えてしまう。
だが、代表はどうであろう。
もちろん、レギュラーを目指したいという忸怩たる思いはある。
しかし、一度大会が始まってしまえば、サブにはサブのやり方、ポジションがある。腐らず、チームを盛り上げ、ときには道化を装いチームの士気をあげる。
一ヶ月のお祭りを通してピエロを装うようなものだ。
――だが、ルカ・ボバン。彼とは、決着を付けねばならない
不合理な想いを身に纏い、大吾は今日もベンチに座る。
試合開始前の通路で、大吾は水をみんなに廻す。
「勇也、わかってるな?」
「わかってるよ!」
勇也は言葉と共にドリンクを喉へ押し込む。
「兄貴!」
「おう!」
真吾は手で少しそれを弄び、ボトルキャップを開封して少しだけ口に含む。
「利根さん!」
「悪いな!」
利根は受け取った水を頭から被り、体感温度を低くしようとする。
「大吾、試合内容はどうあれ、日本代表を視察に海外スカウトが増えているらしい」
アフロヘアから滴る水をユニフォームの袖で拭い、利根がスタンドへ向かって顎をクイっとやる。
「俺だってまだ、海外へ行くのを諦めたわけじゃあない。良い成績を残して、『利根亮平ここに在り』ってところをアピールするつもりだ」
利根は大吾の頭に、その太い腕を巻き込み、絡ませて言う。
「おまえだって、イタリアへ行っただけで満足したわけじゃああるまい」
ライトが芝生を照らし、芝生に浮かんだ水がそれを反射する。
ホームということもあり、パス回しが伝統的なスタイルとなりつつある日本に有利になるよう、ボールのスピードが上がるように、いつもより多めに水が撒かれているのだ。
日本のキックオフで試合開始。
真吾がまず、司令塔・葛城哲人にボールを渡す。
日本のシステムは4-5-1
GK
成田誠也(OA)
DF
左から
中元大地
瀬棚勇也
利根良平(OA)
巽圭一
MF
ボランチに
横溝孝
山南浩(OA)
左
柳沢隆行
右
酒井班奈
トップ下
葛城哲人
FW
向島真吾
そこから葛城はもう一度パスを下げ、ディフェンダー陣にボールを渡す。
利根が受け取り、左の巽へ。巽は利根に返し、利根は勇也へと渡した。そしてまた勇也は左の中元へ。
できるだけ早い段階で全員へボールを渡し、トーナメント特有の緊張をほぐそうとする初級の作戦だ。
しかし、水を撒きすぎたせいか、パススピードが日本代表のトラップレベルを上回るほどになってしまい、中元から横溝へのパスがズレてしまった。
そこをイタリアのミッドフィールダーは見逃さない。
パスをカットし、一気にストゥラーロへとカウンターのパスを放り込む。
重戦車。
走る冷蔵庫。
暴走機関車。
そう名付けられたストゥラーロは激走を開始する。
ストゥラーロは万能のセンターフォワードだ。
マークを外すのも巧い。だが、日本はあえて彼にマンマークを付けなかった。
ストゥラーロのプレーは、まずは1名ないし、2名のマンマークをそのスマルカメント能力でかわすところから始まる。けれども、この日本という国は、彼にマークを付けることをしない。
(舐めやがって!)
戸惑いながらも、ストゥラーロは突貫する。
オーバーエイジ、所属チームに引き続き、日本五輪代表の主将を務める利根がチェックに行く。
だが、直接当たることはせず、ディレイしてストゥラーロの突進スピードをやや鈍らせる。
ストゥラーロが左足でシュートモーションに入った!
そこへ勇也がストゥラーロの左側から激しいボディ・コンタクトをかまし、ストゥラーロのシュートは力なく枠を外れていく。
前半15分。
またもや、イタリアのカウンターアタックが開始されようとしている。
ロングボールを胸で受け取り、ストゥラーロは独走を開始した。
マークを付けていないため、そのトラップはいとも簡単に行われるが、普段センターバックと競り合いながらそれを行うストゥラーロは困惑を隠せない。
堅守と、閃きで一人で試合を支配するファンタジスタ。そして決定機をモノにする屈強なセンターフォワード。
イタリアの伝統である。
その伝統を受け継ぐセンターフォワード・ストゥラーロ。まさか2度も外さまい……
待ち構えていた利根は、またもやリトリートしながらストゥラーロの進軍スピードを遅らせる。そして左足シュートモーションに入ると、ファウルにならないタイミングで一本足のストゥラーロめがけて勇也がぶちかます。
ストゥラーロのシュートは、またもや枠を外した。
『右で打ったら入ってたよなあ』
『なんで右で打たないの?』
『あいつ、マーク要らないだろ』
その観客のざわめきに気付いた勇也が、ベンチの大吾に向ってサムズアップを行った。
大吾はサムズアップに加えて、ウインクも付けて勇也へと返す。
「よく気付いていたな」
山口監督の言葉に大吾は、
「スランプに陥ってたときに、YouTubeでストゥラーロのゴール集を見たんです。あれ、こいつの右足でのゴールひとつもなくね? って。まさか、守備の国イタリアでそんなフォワードが通じるのかと思って見てたんですけど、そんな思惑を本場の人が吹き飛ばすくらい左足が圧倒的だったんですね。俺、両利きでチビだから、見るところがほかの人と違うのかもしれません」
と言った。
「マークを外すのも巧いんですが、逆にマークがいないときの動きはぎこちない。マークがいないと、動きが変質するフォワードって結構いるんです」
「チビだったら視点が変わるか?」
「高いところからの視点は、そりゃ必要でしょう。ですけど、目を代えて見るってのもやっぱり必要だとは思いますよ。眼の眩むような光と、その影によって出来た闇ですね」
「光と闇、か……」
三度、ストゥラーロへとボールが渡る。
しかし、利根と勇也はストゥラーロに左足でシュートを撃たせることはしない。
やむを得ずストゥラーロは右足でシュートを撃つが、ぎこちない足さばきでボールをかすっただけで、コロコロと転がったボールはしっかりと成田がキャッチした。
成田がスローで利根へ出し、受け取った利根が柳沢へ向かってフライパスを送る。
自らのことを不甲斐なく思ったストゥラーロは、その名の通り暴走機関車と化した。
ボールをキープしようとする柳沢隆行に対して突進し、ダーティ・ファウル。
審判の懐から出された、黄色いカードを見て、猛牛は鎮静を取り戻した。
「監督、柳沢はちょっと駄目なようです。前回のことも合わせると、もう変えたほうが良いでしょう」
ジーコさんの進言を聴いた山口荒生は、ベンチで静かに頷いた。
「おい、ちょっとゲームの視点を変えてこい!」
※※※※※
「出てきたか……」
「やっぱりな……」
ほぼ試合に参加できていない、ルシアーノ・エリベルトのボナッツォーリ兄弟は同時に呟いた。
「「これは手ごわくなるぞ……」」
「ダイゴ、今日は点を取らなくて良いんだぞ!?」
イタリア語でマッシモ・パンカロはそう告げた。
「生憎と……」
大吾はここで一息入れる。
「俺を投入するってことは、点を取りに行くという合図なんだよ……」
後半15分。
熱射によって芝は乾き、スピードが落ちかけている日本のパスが繋がりだす。
その中心にいるのは、グラウンドを所狭しとボックス・トゥ・ボックスで縦横無尽に動き回る大吾。
ボールのあるところに大吾、大吾のあるところにボール。それは往年のラファエウ・サリーナスを少しだけ彷彿とさせる。途中出場のため、スタミナに不安もない。
日本のパス回しは、イタリア・ディフェンダー陣を混乱させる。
特に試合に途中参加し、それまでのリズムを完全に乱す向島大吾という存在に。
(セリエAでも厄介なやつだとは思っていたが、敵に回すとなると……)
イタリアで学んだように、大吾は前線のハブとなった。
しかし、最前線には真吾がいるため、トップ下と左サイドハーフの間を中心として動き回る。そしてボールを受けると、すぐに身に付けつつある『鷹の目』によって味方の位置を俯瞰し、ボールをはたく。そのため、百戦錬磨のイタリア・ディフェンダーも容易に大吾に近づけない。
またもや大吾がボールを持つ。
「パスを出す相手を、全員チェックしろ!」
イタリアのディフェンスリーダー・パンカロが味方に指示を出す。
その指示をよそに大吾は平然と歩行を開始した。
愛する彼女との悠然たるデート。
じりじりと、しかし着実に一歩ずつイタリアゴールへと迫る。
大吾をマークするはずの、イタリア右サイドバックは半瞬混乱した。
そして大吾を中心としたトライアングル、右サイドバック・右ボランチ・右センターバックは一瞬判断が遅れ、二瞬ののちには全員が大吾に襲い掛かっていた。
「ここだ!」
大吾は、自分にチェックが襲い掛かってきた瞬間にボールを前方へと放つ。
残ったイタリアのセンターバック、偉大なるペルージャのキャプテン・パンカロのスピードでは届かない、そして偉大なる兄・真吾にはギリギリで届く地点へと。
猛ダッシュを開始した真吾に、やはりパンカロはひとりでは付いていけない。
周りを使うことがパンカロの凄さであって、全盛期のスピードをなくした今、真吾のユニフォームを引っ張ることしかできない。
真吾はユニフォームを引っ張る手を跳ね除け、完全にドフリーとなる。
真吾はシュートモーションに入り、一瞬足を振り上げる。
(サルヴェッティには隙がない!)
一度は振り下ろそうとした足を、もう一度真吾は振り上げる。
サルヴェッティはピクリと反応する。
真吾はセリエAでの対戦のときのようにまたしても、トゥーキックで意表を突いたシュートを繰り出す。
横っ飛びに倒れるサルヴェッティの右横をすり抜け、ボールはゴールへ収まった。
後半26分。
日本の湿気交じりの灼熱地獄によって、選手全員のスタミナが著しく落ちてくる。
左センターバックであったパンカロが右センターバックへとポジションチェンジし、大吾のマークに付く。
「もっとシーズン中に活躍してくれれば良いんだぜ!?」
「まあ、来シーズンはね……」
正直、大吾は来シーズンもペルージャにいるかどうかわからない。
パンカロは選手としては老い先短い。地元っ子のため、再び故郷を離れることはもうないであろう。
年齢と国籍。立場の違いがふたりをクラブチームでも敵に追いやるかもしれない。
「大吾!」
ボランチの司令塔、山南が大吾へとボールを渡す。
「さあ、1on1でもするか? 同じチームだからって、遠慮はしないぞ! いつもは気持ちよく試合に臨めるように手加減してやってるんだからな!」
トラッシュ・トーク気味のパンカロをよそに、大吾は大きく後ろへボールを戻す。
そして今までショートパスを繋いできた日本はロングパスを使いだす。
アフロヘアを掻きながらの利根からの真吾への放り込み。
真吾はお得意の軟体動物を彷彿とさせるポストプレーで、左斜め前に落とす。
走り込んできたのは、右腕でパンカロを制しながらオーバーラップしてきた大吾であった。
「決めろ! 大吾!」
大吾は左足を振りぬく。
真正面に来たボールを、サルヴェッティはキャッチしようとする。
しかしキャッチの寸前、ボールはドロンと垂直に落ちる。
無回転ダイレクトシュート!
2-0!
勝負は決まったかに思えた。
カウンターを得意とし、ポゼッションはまだまだ進化段階のイタリア代表。
司令塔と呼べる人物も存在しない。
2002年のイタリア代表はレジスタがいないために敗退したとも言われている。
1990年代を代表するデメトリオ・アルベルティーニと、2000年代を代表するアンドレア・ピルロ。そのイタリア史上屈指のレジスタが不在であり、転換期が早期敗退した日韓ワールドカップであった。
そして今現在も、イタリアには世界を代表するようなレジスタは存在しない。イタリアが弱くなったと言われるのは、カテナチオの守備のアイデンティティを失い、ファンタジスタを蔑ろにし、それらを操るレジスタがいないためだ。
それでも憔悴せず、決して諦めようとはしないストゥラーロ。この歳で百戦錬磨であり、そのメンタルは拙い右足の技術とは比べようにならない。中盤まで下がり、ボールを受け取るとドリブルを開始する。
それをまたディレイしようとする利根。
異変はそのとき起きた。
通常時のシュートエリアより外から、ストゥラーロは強力なミドルシュートを繰り出す。慌ててはじき出すゴールキーパー成田。
イタリアがコーナーキック獲得。
イタリア代表の10番が、コーナーキックを放り込む。
そして、その大吾にはとても届かない高さのコーナーキックを、197cmの勇也を弾き飛ばしながら、185cmのストゥラーロが叩き込む!
『空中戦なら、マークも利き足も関係ないだろう』と言わんばかりのヘディング・ゴール。
実際には利きヘディングというものは確実に存在する。左右どちらの方向から来たほうがヘディングが得意か、ということだ。ストゥラーロの左足はワールドクラスだが、右足はアマチュアよりも酷いレベル。しかし利きヘディングについては、どちらも正確なようだ。
イタリアはボールを持つと、すぐストゥラーロに渡し、またミドルシュートを繰り出す。その威力のために、前方に弾き出すことができず、日本はまたしてもコーナーキックを与えてしまう。
そして両度、ストゥラーロはヘディングを叩きこむ。
2-2。
イタリアがボールを持つと、すぐにミドルカウンターが始まる。
またもや、イタリアがコーナーキックを放つ。
「そう、何度も良い気になるなよ!」
高い打点のコーナーキックを、ディフェンスに混じった真吾が胸トラップで確保した。
そこから始まるゴール・トゥ・ゴール。
真吾のスピードに、パワーに、スタミナに。
90分間の真夏の日本を過ごしたイタリア代表は付いていけない。
しかしただひとつ、スタミナを温存できるポジションがあるではないか!
ゴールキーパー。
真吾の前方より、のちにイタリア代表最強の守護神の座をディノ・ゾフやジャンルイジ・ブッフォンと争うことになるであろう男が立ちはだかる。
しかし、真吾は左足ヒールでボールを後方へと押し出す。
そこには、途中出場でまだスタミナが余っていた大吾が押し寄せていた。
迫ってきたボールを、大吾は右足ダイレクトでループシュートを繰り出す。
サルヴェッティが飛び出した後の、誰もいないゴールへと、ボールが曲射しながら吸い込まれた。
3-2!
イタリアのキックオフが再開され、真吾が執拗なフォアチェックを行う。
「ここがラストワンプレーだ! 気合を入れてしのげ!」
利根が喝を入れる。
ロングボールが前方に放り込まれた。
ヨーイ、ドン! でストゥラーロに最後の命運を託そうとしたのだ。
しかし大吾が、そのロングボールに身体を当てて軌道を変え、ボールがアウトになった瞬間に笛がかき鳴らされる。
日本、準決勝進出!
「ダイゴ、ユニフォームを交換してくれないか?」
マッシモ・パンカロが大吾に語り掛けた。
「俺も現役はあと2、3シーズンくらいだろう。敵として相対するのは、これが最後になるかもしれないからな」
パンカロはユニフォームを脱ぎはじめ、大吾もそれに応じた。
「おまえら、兄弟は厄介だな。事前に知識があったにも関わらず、このざまだ」
いい兄弟だよ、とパンカロは付け加え、
「ん」
と大吾は答える。
「ゴールドメダル、獲れよ!」
そう言って、パンカロは大吾の14番のユニフォームを肩にかけてフィールドを去って行った。
「ダイゴ、おまえの移籍金は跳ね上がったな」
サルヴェッティが今度は話しかけてきた。
「行きたいチームはあるのか?」
「チャンピオンズリーグが獲れるところかな」
「ハッハッハ。おまえの目標はアレだもんな!」
サルヴェッティは爆笑した。
口にすると願いは叶わない。他人の願いながら、そのイタリアのジンクスをサルヴェッティは律儀に守っているようであった。
「日本人には無理だって言いたいのか?」
「いやいや、今日はおまえに負けたんだ。俺がそんなこと言うことはできないよ」
でもな、とサルヴェッティは続ける。
「俺はグラン・トリノからオファーが来た。おそらく移籍するだろう」
と大吾の表情が固まる。
「おまえにもオファーを出すらしい。来季は敵か味方か、神のみぞ知るってところだな」
その言葉は、しばらく大吾の耳から離れなかった。
「ああ、わかっているよ!」
大吾の言葉に柳沢隆行が笑顔で応じた。
クラブチームでは、ポジションを争う者に対してどうしても敵愾心が芽生えてしまう。
だが、代表はどうであろう。
もちろん、レギュラーを目指したいという忸怩たる思いはある。
しかし、一度大会が始まってしまえば、サブにはサブのやり方、ポジションがある。腐らず、チームを盛り上げ、ときには道化を装いチームの士気をあげる。
一ヶ月のお祭りを通してピエロを装うようなものだ。
――だが、ルカ・ボバン。彼とは、決着を付けねばならない
不合理な想いを身に纏い、大吾は今日もベンチに座る。
試合開始前の通路で、大吾は水をみんなに廻す。
「勇也、わかってるな?」
「わかってるよ!」
勇也は言葉と共にドリンクを喉へ押し込む。
「兄貴!」
「おう!」
真吾は手で少しそれを弄び、ボトルキャップを開封して少しだけ口に含む。
「利根さん!」
「悪いな!」
利根は受け取った水を頭から被り、体感温度を低くしようとする。
「大吾、試合内容はどうあれ、日本代表を視察に海外スカウトが増えているらしい」
アフロヘアから滴る水をユニフォームの袖で拭い、利根がスタンドへ向かって顎をクイっとやる。
「俺だってまだ、海外へ行くのを諦めたわけじゃあない。良い成績を残して、『利根亮平ここに在り』ってところをアピールするつもりだ」
利根は大吾の頭に、その太い腕を巻き込み、絡ませて言う。
「おまえだって、イタリアへ行っただけで満足したわけじゃああるまい」
ライトが芝生を照らし、芝生に浮かんだ水がそれを反射する。
ホームということもあり、パス回しが伝統的なスタイルとなりつつある日本に有利になるよう、ボールのスピードが上がるように、いつもより多めに水が撒かれているのだ。
日本のキックオフで試合開始。
真吾がまず、司令塔・葛城哲人にボールを渡す。
日本のシステムは4-5-1
GK
成田誠也(OA)
DF
左から
中元大地
瀬棚勇也
利根良平(OA)
巽圭一
MF
ボランチに
横溝孝
山南浩(OA)
左
柳沢隆行
右
酒井班奈
トップ下
葛城哲人
FW
向島真吾
そこから葛城はもう一度パスを下げ、ディフェンダー陣にボールを渡す。
利根が受け取り、左の巽へ。巽は利根に返し、利根は勇也へと渡した。そしてまた勇也は左の中元へ。
できるだけ早い段階で全員へボールを渡し、トーナメント特有の緊張をほぐそうとする初級の作戦だ。
しかし、水を撒きすぎたせいか、パススピードが日本代表のトラップレベルを上回るほどになってしまい、中元から横溝へのパスがズレてしまった。
そこをイタリアのミッドフィールダーは見逃さない。
パスをカットし、一気にストゥラーロへとカウンターのパスを放り込む。
重戦車。
走る冷蔵庫。
暴走機関車。
そう名付けられたストゥラーロは激走を開始する。
ストゥラーロは万能のセンターフォワードだ。
マークを外すのも巧い。だが、日本はあえて彼にマンマークを付けなかった。
ストゥラーロのプレーは、まずは1名ないし、2名のマンマークをそのスマルカメント能力でかわすところから始まる。けれども、この日本という国は、彼にマークを付けることをしない。
(舐めやがって!)
戸惑いながらも、ストゥラーロは突貫する。
オーバーエイジ、所属チームに引き続き、日本五輪代表の主将を務める利根がチェックに行く。
だが、直接当たることはせず、ディレイしてストゥラーロの突進スピードをやや鈍らせる。
ストゥラーロが左足でシュートモーションに入った!
そこへ勇也がストゥラーロの左側から激しいボディ・コンタクトをかまし、ストゥラーロのシュートは力なく枠を外れていく。
前半15分。
またもや、イタリアのカウンターアタックが開始されようとしている。
ロングボールを胸で受け取り、ストゥラーロは独走を開始した。
マークを付けていないため、そのトラップはいとも簡単に行われるが、普段センターバックと競り合いながらそれを行うストゥラーロは困惑を隠せない。
堅守と、閃きで一人で試合を支配するファンタジスタ。そして決定機をモノにする屈強なセンターフォワード。
イタリアの伝統である。
その伝統を受け継ぐセンターフォワード・ストゥラーロ。まさか2度も外さまい……
待ち構えていた利根は、またもやリトリートしながらストゥラーロの進軍スピードを遅らせる。そして左足シュートモーションに入ると、ファウルにならないタイミングで一本足のストゥラーロめがけて勇也がぶちかます。
ストゥラーロのシュートは、またもや枠を外した。
『右で打ったら入ってたよなあ』
『なんで右で打たないの?』
『あいつ、マーク要らないだろ』
その観客のざわめきに気付いた勇也が、ベンチの大吾に向ってサムズアップを行った。
大吾はサムズアップに加えて、ウインクも付けて勇也へと返す。
「よく気付いていたな」
山口監督の言葉に大吾は、
「スランプに陥ってたときに、YouTubeでストゥラーロのゴール集を見たんです。あれ、こいつの右足でのゴールひとつもなくね? って。まさか、守備の国イタリアでそんなフォワードが通じるのかと思って見てたんですけど、そんな思惑を本場の人が吹き飛ばすくらい左足が圧倒的だったんですね。俺、両利きでチビだから、見るところがほかの人と違うのかもしれません」
と言った。
「マークを外すのも巧いんですが、逆にマークがいないときの動きはぎこちない。マークがいないと、動きが変質するフォワードって結構いるんです」
「チビだったら視点が変わるか?」
「高いところからの視点は、そりゃ必要でしょう。ですけど、目を代えて見るってのもやっぱり必要だとは思いますよ。眼の眩むような光と、その影によって出来た闇ですね」
「光と闇、か……」
三度、ストゥラーロへとボールが渡る。
しかし、利根と勇也はストゥラーロに左足でシュートを撃たせることはしない。
やむを得ずストゥラーロは右足でシュートを撃つが、ぎこちない足さばきでボールをかすっただけで、コロコロと転がったボールはしっかりと成田がキャッチした。
成田がスローで利根へ出し、受け取った利根が柳沢へ向かってフライパスを送る。
自らのことを不甲斐なく思ったストゥラーロは、その名の通り暴走機関車と化した。
ボールをキープしようとする柳沢隆行に対して突進し、ダーティ・ファウル。
審判の懐から出された、黄色いカードを見て、猛牛は鎮静を取り戻した。
「監督、柳沢はちょっと駄目なようです。前回のことも合わせると、もう変えたほうが良いでしょう」
ジーコさんの進言を聴いた山口荒生は、ベンチで静かに頷いた。
「おい、ちょっとゲームの視点を変えてこい!」
※※※※※
「出てきたか……」
「やっぱりな……」
ほぼ試合に参加できていない、ルシアーノ・エリベルトのボナッツォーリ兄弟は同時に呟いた。
「「これは手ごわくなるぞ……」」
「ダイゴ、今日は点を取らなくて良いんだぞ!?」
イタリア語でマッシモ・パンカロはそう告げた。
「生憎と……」
大吾はここで一息入れる。
「俺を投入するってことは、点を取りに行くという合図なんだよ……」
後半15分。
熱射によって芝は乾き、スピードが落ちかけている日本のパスが繋がりだす。
その中心にいるのは、グラウンドを所狭しとボックス・トゥ・ボックスで縦横無尽に動き回る大吾。
ボールのあるところに大吾、大吾のあるところにボール。それは往年のラファエウ・サリーナスを少しだけ彷彿とさせる。途中出場のため、スタミナに不安もない。
日本のパス回しは、イタリア・ディフェンダー陣を混乱させる。
特に試合に途中参加し、それまでのリズムを完全に乱す向島大吾という存在に。
(セリエAでも厄介なやつだとは思っていたが、敵に回すとなると……)
イタリアで学んだように、大吾は前線のハブとなった。
しかし、最前線には真吾がいるため、トップ下と左サイドハーフの間を中心として動き回る。そしてボールを受けると、すぐに身に付けつつある『鷹の目』によって味方の位置を俯瞰し、ボールをはたく。そのため、百戦錬磨のイタリア・ディフェンダーも容易に大吾に近づけない。
またもや大吾がボールを持つ。
「パスを出す相手を、全員チェックしろ!」
イタリアのディフェンスリーダー・パンカロが味方に指示を出す。
その指示をよそに大吾は平然と歩行を開始した。
愛する彼女との悠然たるデート。
じりじりと、しかし着実に一歩ずつイタリアゴールへと迫る。
大吾をマークするはずの、イタリア右サイドバックは半瞬混乱した。
そして大吾を中心としたトライアングル、右サイドバック・右ボランチ・右センターバックは一瞬判断が遅れ、二瞬ののちには全員が大吾に襲い掛かっていた。
「ここだ!」
大吾は、自分にチェックが襲い掛かってきた瞬間にボールを前方へと放つ。
残ったイタリアのセンターバック、偉大なるペルージャのキャプテン・パンカロのスピードでは届かない、そして偉大なる兄・真吾にはギリギリで届く地点へと。
猛ダッシュを開始した真吾に、やはりパンカロはひとりでは付いていけない。
周りを使うことがパンカロの凄さであって、全盛期のスピードをなくした今、真吾のユニフォームを引っ張ることしかできない。
真吾はユニフォームを引っ張る手を跳ね除け、完全にドフリーとなる。
真吾はシュートモーションに入り、一瞬足を振り上げる。
(サルヴェッティには隙がない!)
一度は振り下ろそうとした足を、もう一度真吾は振り上げる。
サルヴェッティはピクリと反応する。
真吾はセリエAでの対戦のときのようにまたしても、トゥーキックで意表を突いたシュートを繰り出す。
横っ飛びに倒れるサルヴェッティの右横をすり抜け、ボールはゴールへ収まった。
後半26分。
日本の湿気交じりの灼熱地獄によって、選手全員のスタミナが著しく落ちてくる。
左センターバックであったパンカロが右センターバックへとポジションチェンジし、大吾のマークに付く。
「もっとシーズン中に活躍してくれれば良いんだぜ!?」
「まあ、来シーズンはね……」
正直、大吾は来シーズンもペルージャにいるかどうかわからない。
パンカロは選手としては老い先短い。地元っ子のため、再び故郷を離れることはもうないであろう。
年齢と国籍。立場の違いがふたりをクラブチームでも敵に追いやるかもしれない。
「大吾!」
ボランチの司令塔、山南が大吾へとボールを渡す。
「さあ、1on1でもするか? 同じチームだからって、遠慮はしないぞ! いつもは気持ちよく試合に臨めるように手加減してやってるんだからな!」
トラッシュ・トーク気味のパンカロをよそに、大吾は大きく後ろへボールを戻す。
そして今までショートパスを繋いできた日本はロングパスを使いだす。
アフロヘアを掻きながらの利根からの真吾への放り込み。
真吾はお得意の軟体動物を彷彿とさせるポストプレーで、左斜め前に落とす。
走り込んできたのは、右腕でパンカロを制しながらオーバーラップしてきた大吾であった。
「決めろ! 大吾!」
大吾は左足を振りぬく。
真正面に来たボールを、サルヴェッティはキャッチしようとする。
しかしキャッチの寸前、ボールはドロンと垂直に落ちる。
無回転ダイレクトシュート!
2-0!
勝負は決まったかに思えた。
カウンターを得意とし、ポゼッションはまだまだ進化段階のイタリア代表。
司令塔と呼べる人物も存在しない。
2002年のイタリア代表はレジスタがいないために敗退したとも言われている。
1990年代を代表するデメトリオ・アルベルティーニと、2000年代を代表するアンドレア・ピルロ。そのイタリア史上屈指のレジスタが不在であり、転換期が早期敗退した日韓ワールドカップであった。
そして今現在も、イタリアには世界を代表するようなレジスタは存在しない。イタリアが弱くなったと言われるのは、カテナチオの守備のアイデンティティを失い、ファンタジスタを蔑ろにし、それらを操るレジスタがいないためだ。
それでも憔悴せず、決して諦めようとはしないストゥラーロ。この歳で百戦錬磨であり、そのメンタルは拙い右足の技術とは比べようにならない。中盤まで下がり、ボールを受け取るとドリブルを開始する。
それをまたディレイしようとする利根。
異変はそのとき起きた。
通常時のシュートエリアより外から、ストゥラーロは強力なミドルシュートを繰り出す。慌ててはじき出すゴールキーパー成田。
イタリアがコーナーキック獲得。
イタリア代表の10番が、コーナーキックを放り込む。
そして、その大吾にはとても届かない高さのコーナーキックを、197cmの勇也を弾き飛ばしながら、185cmのストゥラーロが叩き込む!
『空中戦なら、マークも利き足も関係ないだろう』と言わんばかりのヘディング・ゴール。
実際には利きヘディングというものは確実に存在する。左右どちらの方向から来たほうがヘディングが得意か、ということだ。ストゥラーロの左足はワールドクラスだが、右足はアマチュアよりも酷いレベル。しかし利きヘディングについては、どちらも正確なようだ。
イタリアはボールを持つと、すぐストゥラーロに渡し、またミドルシュートを繰り出す。その威力のために、前方に弾き出すことができず、日本はまたしてもコーナーキックを与えてしまう。
そして両度、ストゥラーロはヘディングを叩きこむ。
2-2。
イタリアがボールを持つと、すぐにミドルカウンターが始まる。
またもや、イタリアがコーナーキックを放つ。
「そう、何度も良い気になるなよ!」
高い打点のコーナーキックを、ディフェンスに混じった真吾が胸トラップで確保した。
そこから始まるゴール・トゥ・ゴール。
真吾のスピードに、パワーに、スタミナに。
90分間の真夏の日本を過ごしたイタリア代表は付いていけない。
しかしただひとつ、スタミナを温存できるポジションがあるではないか!
ゴールキーパー。
真吾の前方より、のちにイタリア代表最強の守護神の座をディノ・ゾフやジャンルイジ・ブッフォンと争うことになるであろう男が立ちはだかる。
しかし、真吾は左足ヒールでボールを後方へと押し出す。
そこには、途中出場でまだスタミナが余っていた大吾が押し寄せていた。
迫ってきたボールを、大吾は右足ダイレクトでループシュートを繰り出す。
サルヴェッティが飛び出した後の、誰もいないゴールへと、ボールが曲射しながら吸い込まれた。
3-2!
イタリアのキックオフが再開され、真吾が執拗なフォアチェックを行う。
「ここがラストワンプレーだ! 気合を入れてしのげ!」
利根が喝を入れる。
ロングボールが前方に放り込まれた。
ヨーイ、ドン! でストゥラーロに最後の命運を託そうとしたのだ。
しかし大吾が、そのロングボールに身体を当てて軌道を変え、ボールがアウトになった瞬間に笛がかき鳴らされる。
日本、準決勝進出!
「ダイゴ、ユニフォームを交換してくれないか?」
マッシモ・パンカロが大吾に語り掛けた。
「俺も現役はあと2、3シーズンくらいだろう。敵として相対するのは、これが最後になるかもしれないからな」
パンカロはユニフォームを脱ぎはじめ、大吾もそれに応じた。
「おまえら、兄弟は厄介だな。事前に知識があったにも関わらず、このざまだ」
いい兄弟だよ、とパンカロは付け加え、
「ん」
と大吾は答える。
「ゴールドメダル、獲れよ!」
そう言って、パンカロは大吾の14番のユニフォームを肩にかけてフィールドを去って行った。
「ダイゴ、おまえの移籍金は跳ね上がったな」
サルヴェッティが今度は話しかけてきた。
「行きたいチームはあるのか?」
「チャンピオンズリーグが獲れるところかな」
「ハッハッハ。おまえの目標はアレだもんな!」
サルヴェッティは爆笑した。
口にすると願いは叶わない。他人の願いながら、そのイタリアのジンクスをサルヴェッティは律儀に守っているようであった。
「日本人には無理だって言いたいのか?」
「いやいや、今日はおまえに負けたんだ。俺がそんなこと言うことはできないよ」
でもな、とサルヴェッティは続ける。
「俺はグラン・トリノからオファーが来た。おそらく移籍するだろう」
と大吾の表情が固まる。
「おまえにもオファーを出すらしい。来季は敵か味方か、神のみぞ知るってところだな」
その言葉は、しばらく大吾の耳から離れなかった。
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