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5章 晩冬堕天戦

19. 譲れぬもの

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 レヴリッツ・シルヴァの行動原理はただ一つ。
 契約の履行。約束の遂行。

 死の淵に立たされた時も、彼は古の契約を思い出して乗り越えてきた。
 たかが一つの契約、されど一つの契約。
 それは時に亡者の執念にも似る。

 故に──どれだけ傷つこうが、どれだけ恥を晒そうが。
 彼は魂に誓って身体を突き動かす。

 「そんなボロボロの身体でどうやって勝つつもり?
 舐めプをぼくに強要すると?」

 「……全力で」

 全身から血を垂れ流し、自慢の着物はボロボロ。
 レヴリッツの勝機はないに等しい。
 放置していても出血多量でセーフティ装置が鳴るだろう。

 彼自身、打開策が明瞭に頭に浮かんでいるわけではなかった。
 レヴリッツ・シルヴァという人物には謎が多い。
 どのように自己を形成し、かつここまで至ったのか──彼自身、説明できない。

 「わからないな……わからない。だが、この辛苦が心地いい」

 身体の奥底から湧いてくる快感。
 それはレヴリッツ自身も理解していないものだった。

 だが不思議と、湧いてくる快感が。
 どうしても無視できなかった。
 地獄のような苦しみの果てに、数多の試練の果てに得る感覚を。

 「『魔導拡大』──」

 瞬間。バトルフィールド全体に悪寒が走る。
 肌が粟立つ寒気、殺気とはどこか違う刺激的な波動。
 根源はフィールドの中心に立つレヴリッツだった。

 「これ……嫌い」

 ユニは生理的嫌悪をもよおして後退る。
 急激な体温の低下を感じ取り、彼女は呼吸を整えた。
 先程まで手負いだった獣が、一気に別のモノへと変質したのだ。

 もはやバトルパフォーマンスの本質……『魅せる闘い』という行為は二の次。
 レヴリッツはただ勝利という結果のみを目指し、刀を手にする。

 「──《虚刀バルーク》」

 紫色の靄を刀身に宿す。
 一切の停滞なく身体が動く。
 大傷にかかわらず、痛みすら感じることはない。
 むしろ興奮に近い刺激がレヴリッツの精神を支配していた。

 地を蹴る。
 同時、ユニもまたすさまじい速度で回避行動を取った。

 「っ……!?」

 跳躍と同時、ユニを襲った虚脱感。
 全身が鉛のように重い。自身に付与した加速、レヴリッツに付与した減速。
 それらを兼ね備えていても、レヴリッツから届く重力が彼女を襲う。

 刀の切っ先がユニの頬を掠める。
 下方から刀を振り抜くレヴリッツの瞳は胡乱うろんで、理性を欠いたように見開かれていた。彼はユニの回避行動に合わせて刀を斬り返す。

 (どうして……ここまで動けるの……!?)

 空中で身を翻したユニは、再びレヴリッツと距離を取る。
 あまりに足が重い。
 スピードに快感を感じる彼女からすれば、この重圧は耐えがたい。

 「──《加速アクセル》」

 ならば、さらにスピードを上げるまで。
 限界に至るまで、限界を超えても。
 たとえ四肢が千切れたとしても彼女は加速の足を緩めない。

 ユニが加速を始め、姿が揺らいでゆく。
 再び韋駄天幻狼スエリカの減速を受けたレヴリッツだが、彼は至って平静を保っていた。戦に高揚しているからこそ、眼前の相手を仕留める手段を見失わない。

 「……」

 ひとつ呼吸を置いてレヴリッツは身体に魔力を通す。
 魔力が呼気に乗ってフィールドの各所に広がる。

 ぐるぐると、レヴリッツの周囲を疾走するユニ。
 彼女の速度は加速度的に高まり、大きな重圧を受けた状態でも目で追えないほど速い。

 いつ攻撃を仕掛けて来るか……それが問題だ。
 レヴリッツは虎視眈々と術式を発動する瞬間を狙っていた。
 数秒前に広げた魔力を起動させる。

 「惑え」

 「消えた……!?」

 ユニの視界からレヴリッツが消えた。
 超高速で動いたわけではない。
 彼女に目で追えないモノなど存在しないのだから。

 つまり転移だ。
 彼女は結論を下し、レヴリッツが転移した先を探る。

 ユニの独壇場スターステージは霧が濃く見通しが悪い。
 性質を逆手に取られたのだ。
 まだユニは重症を負っていない。
 アドバンテージは彼女にあり、消えたレヴリッツを逃すつもりは毛頭ない。

 「逃がさない──《増幅ブースト》」

 全身が軋む痛みに耐えながら、さらに加速。
 彼女は地を蹴ってバトルフィールドを巡る。一巡するのに五秒もかからない。

 刹那、見えた。
 霧の切れ目……木々の合間に佇むレヴリッツの姿が。
 彼は刀を隙なく構え、ユニの姿を探っているようだった。
 やはり息を整えるために転移したようだ。

 (今がチャンス、仕掛ける……!)

 奇襲を仕掛けるならばここしかない。
 急に戦闘スタイルを変えたレヴリッツのことだ、何をしてくるのかわからない。ゆえに早々に決着を着けるべきだ。

 狼の如く狙いを定め、確実に屠る。
 四肢を崩して前傾姿勢になったユニ。

 彼女は気配を極限まで希薄させ、鉤爪を構えて駆け出した。
 この瞬発に勝負の全てを籠める。

 「奥義──」



 ──幻狼霞光ユニ・バムアーク


 霧が晴れる。
 狼が通った道筋に陽光が射す。さながら一本の綾の糸。

 音を置き去りにした桃色の光線が、迷いなくレヴリッツへと伸びる。
 フィールドを震撼させる衝撃波が吹き荒れ、霧が全て晴れてゆく。


 観客たちは固唾を飲んで結末を見守っていた。
 ユニの奥義はレヴリッツを仕留めたのか。
 轟音が響き渡った頃には、すでに両者は衝突しているはずだった。

 立ち昇った土煙が晴れた時、そこには……

 「……なんで」

 青褪めた顔で立ち尽くすユニがいた。
 彼女は中空で鉤爪を止め、しきりに周囲を見渡している。

 そう、レヴリッツ・シルヴァは其処にいなかった。
 全霊を籠めた一撃は空を裂き、一切のダメージを相手に与えることができず。
 彼女は魔力欠乏で痛む頭を抑え、敵影を模索している。

 あの超速度で接近して、気配を察知されるわけがない。
 レヴリッツが気がつかぬままに勝負を終わらせる算段だった。

 「意志、壊せよ」

 声が響く。
 声の主はバトルフィールドの中心に立っている。
 最後にレヴリッツとユニが打ち合った時から、彼は一度たりともその場を動いていなかった。

 「──《魂壊刀》」

 刀が振り抜かれる。
 レヴリッツの斬撃の対象はユニではない。空間だ。

 彼の紫刀が空を裂くと同時、バラバラと景色が瓦解する。
 ユニの独壇場スターステージが紙のように易々と斬り裂かれていた。

 「ぼくの、舞台が……?」

 レヴリッツに纏わりつく減速が解除。
 中央から波のように、ユニの韋駄天幻狼スエリカが崩壊していく。

 まるで自分の虚心舞台フェルスラ・ステージが塗り替えられたお返しだと言わんばかりに、レヴリッツは空間を破壊する。

 不敵な視線がユニを射抜く。
 足元に独壇場スターステージ崩壊の余波が届いた時、彼女は底知れぬ恐怖を感じた。

 「勝利は絶対に譲らない……!」

 レヴリッツは宣言し、ユニの独壇場スターステージを踏み荒らす。
 殺気ではなく、純粋な悪意によってユニは動けなかった。
 足がすくむ、という感覚を彼女は生涯にして初めて味わったのだ。

 再びレヴリッツが消える。
 右へ左へ、彼の像が揺らぎ現れる。彼が現れた空間には亀裂が入る。
 勝負崩壊の音色が接近する中で、ユニは何とか回避姿勢を取った。

 「……バケモノ」

 ひそかに呟いた彼女の罵倒は、すなわち称賛でもあった。
 これが飛び級を実現する怪物の底力。
 ソラフィアートと同等の結果を叩き出した強者。

 間近、レヴリッツの像が現れた。
 ユニは迷うことなく鉤爪を繰り出した。
 最初から最後まで、電光石火。
 スピードで相手を仕留めるスタイルは変わらない。

 だが彼女の速度は否定された。
 再び空を切った爪先。気配は彼女の背後に。

 「戸惑い、迷い。人の心は不完全。
 不落の最速、何するものぞ。
 達人マスター幻狼──斬り捨て御免」

 セーフティ装置が鳴る。
 レヴリッツの一刀が静かにユニを下していた。

 レヴリッツが刀に宿した靄を消すと同時、ユニは意識を失って倒れる。
 静かな戦場に、勝者の呼気が響いた。

 「……僕の勝ちだ」

 『お……え? き……決まったー!
 勝者、レヴリッツ・シルヴァー!! こんな展開があったのか!?
 絶体絶命の状況から一転、強すぎるー!

 見事マスター級へ昇格を決めましたー!!』

 観客の誰もが、ユニの勝利を確信していた。
 だからこそ今、目の前で起こった結末は驚くべきもの。
 何が起こったのかもわからず、ギャラリーの人々は熱狂の声を上げた。

 喧騒の中、レヴリッツは客席を見上げる。
 先程見えたソラフィアートの姿はすでになかった。

 「今、殺しに行くよ」

 納刀し、彼は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
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