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5章 晩冬堕天戦

18. 幻狼

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 レヴリッツが創造した独壇場スターステージは侵食され、ユニの独壇場スターステージが現れた。

 周囲に生えた高木、足元に広がった草原。
 辺りには霧が立ち込めている。
 これら全てのオブジェクトが、ユニの意志力によって形成された代物である。

 「参ったな……これじゃ僕が有利に立ち回れない」

 ユニの常軌を逸した速度を攻略するには、独壇場スターステージの幻惑を使うしかなかった。
 しかし、こうして書き換えられては元も子もない。

 満ちた霧の中でユニは問いかける。

 「独壇場スターステージって、今まで何となく使ってなかった?
 実はめちゃくちゃ謎が多くてね……この領域は魔術によって創り出されるものでもなく、ある日唐突に発現する。そして習得してから時間が経つほどに強度も増していくんだよ。

 つまり、独壇場スターステージを習得してから数年経ってるぼくと。
 先日習得したばかりのレヴリッツくん……力量差は明白だね」

 レヴリッツは理解した。
 ──状況の不利は覆せない。
 逆境の中での戦闘が必要条件だ。

 「後輩相手に、ずいぶんと容赦がない。
 手加減なんてしてもらわなくても僕が勝ちますがね」

 「当たり前でしょ。手加減しながら闘うなんて、それこそ相手に失礼だし。
 ぼくは自分が楽しむことに重きを置く。視聴者を楽しませることも大事だけど、何よりも自分の逸楽……バトルの興奮を味わいたい」

 ユニは言いきると同時、足に魔力を通す。
 ──《増幅ブースト

 まだまだスピードを上げるつもりだ。
 レヴリッツは思考を急加速させる。

 どうすればあの速度を見切れるか。
 独壇場スターステージは書き換えられ、振り出しに戻った。

 「やるだけやってみるか……」

 結論は出た。
 初手の一撃と二撃、彼は全ての攻撃を「直感」で防いだ。
 幾千万もの戦闘経験、殺し屋として培った危機感と気配察知。
 あらゆる直感……すなわち経験が武器となる。

 これより先、レヴリッツは全ての攻撃を直感で躱しきる。
 そして攻撃もまた直感で命中させる。

 「《幻狼ミラージュ・セット》」

 霧にユニの姿が溶けて消える。
 五里霧中、レヴリッツは己の神経を全力で尖らせる。
 一つ違えば急所を突かれ……負ける。

 「……」

 軽い気流と息遣い。
 瞬く間に過ぎ去ったほのかな香り。
 ユニの移動速度も勘案し、数手先を読んで刀を振り抜く。

 「おっ、と……」

 「くっ……!」

 一合打ち合った結果は、レヴリッツが腹部を負傷。ユニが後退。
 完全に気配を掴んだつもりのレヴリッツ。
 しかし、彼は上手いことユニの攻撃を逸らせなかった。

 どこか体に違和感がある。彼は試しに足を動かしてみた。

 「む? 足が重い?」

 「そ。ぼくはね、スピードで快感を感じるんだ。
 運転免許を取ったら、翌日に速度違反で免停になったんだよねぇ……でさ、スピードを上げて上げて上げまくって、とにかくスピード重視の戦闘を究めたんだよ。

 でもさ、人には限界ってもんがあるじゃん? そこで考えたんだ。自分がこれ以上速くなれないなら、相手を遅くすればいいって」

 いわゆるスピード狂と言うやつ。
 とりあえず彼女にハンドルを握らせてはいけない。

 「なるほど。僕の動きが鈍ってるのはそういうことですか」

 「ぼくの韋駄天幻狼スエリカにおいて、速く動くことは許されない。
 きみが一手を打つ間に、ぼくは十六手くらい打つ。
 速さこそスピードってこと!」

 「身体負荷やばそう。ユニ先輩、ぜったい早死にしますよ」

 「速く死ねるならいいことじゃん。
 寿命の消費速度もスピード出さなきゃね」

 「狂ってやがる」

 自分が置かれている状況は承知した。
 レヴリッツは速度低下も含めてユニの攻撃を凌がなくてはならない。
 だるま式に増えていく問題を抱えながら、彼は刀を構える。

 「そろそろ本気出そうかなー……というかレヴリッツくん、ぼくに全然攻撃してなくね? 舐めてんの?」

 「舐めてませんよ。様子見です」

 大嘘である。そもそもレヴリッツはユニの動きを追えていない。
 攻撃も当てられない。

 ユニが再び霧中に消える。
 しかし、今度ばかりはレヴリッツ側も静観できない。
 魔力を天へ。天空に雷雲をかき集める。

 一気に暗くなった視界。轟く雷鳴。
 ヒリつく電糸が肌を撫でた。

 「シロハ十法──《雷雲招来》」

 レヴリッツは瞳を閉じる。
 いつしか彼の視界は天へと移動していた。
 自分が立つバトルフィールドを俯瞰して見ている。

 視界を雷雲に移行する秘術。
 自分を俯瞰して、さながらゲームのキャラクターのように操作する。
 あまり使いどころがない術だが、この局面では多少役に立つ。
 これでレヴリッツに付与された速度低下も緩和される。

 自分の周囲を狼のように駆ける光線を追うレヴリッツ。
 あの桃色の線がユニだ。超高速を捉え、上手いこと攻撃に合わせて反撃する。

 「はっ!」

 「そこっ!」

 鋼の打ち合いが響く。ユニの鉤爪を逸らした。
 その瞬間だけ、わずかに彼女の動きが停滞する。

 純粋な切り返し。
 レヴリッツは刀の峰を裏返して振り抜いた。

 「痛いなぁ!」

 確かに命中した。刀の切っ先はユニの腕部を掠めた。
 負傷した彼女は即座に後退。再び猛烈なスピードで動き回る。

 この調子でダメージを蓄積させれば、動きも鈍るはずだ。
 レヴリッツは雷雲から戦場を俯瞰しながら勝機を見出した。

 一方、ユニは駆けながら先程の交戦について考える。

 (目を閉じてる……てことは、感覚で凌ぐタイプ?
 というか空の雷は何の意味があるんだろう……まあいいや。
 色々と不可解なことはあるけど、スピードを上げればヨシ!)

 「《増長グロウ》、《成熟マチュリティー》」

 さらに加速。もっと加速。超加速。
 あり得ないほど加速。引くほど加速。

 (マズい……これ以上速くなると俯瞰していても追えなくなる!)

 次第に速度を増すユニの像。
 もはや光線ですらなく、点が瞬間移動しているように見える。
 音ゲーをやってる気分になる。キモい。

 「ぐぅっ……!?」

 警戒も虚しく、レヴリッツの急所を鉤爪が捉える。
 間一髪のところで逸らしたレヴリッツだが、大きなダメージには違いない。

 ダメだ。もう雷雲は役に立たない。
 レヴリッツは視界を等身大に戻し開眼。

 念のため、雷雲は上空に残しておく。
 霧中に加えて視界が暗いとなれば、ユニも攻撃を当てにくいだろう。

 「さっきから様子見してたんだけどさ。
 レヴリッツくんって完全にぼくの攻撃を感覚で往なしてるよね?」

 「……それが何か?」

 行動を看破されるレヴリッツ。
 彼がユニの動きを追えていないということを知られたのだ。
 これは非常にマズい情報を相手に与えてしまった。

 「足りないよ。マスター級に昇格するには足りない」

 疾走しながら、ユニは淡々と事実を告げる。
 それは事実上の不合格通知。
 試験官である彼女が、レヴリッツはマスター級に足り得ないと判断を下した。

 「きみに足りないものは、それは──」

 戦法のレパートリーが少ない。
 正しく言えば、超スピードに対応できる切り札がない。
 それがレヴリッツの弱点だった。

 「速度、スピード、機敏、ラピッド、疾走感、ペース、俊敏性!
 そして何よりも──」

 右へ左へ、正面へ真後ろへ。
 ユニの声がメトロノームのように触れていた。
 同時にレヴリッツの思考はぐちゃぐちゃに乱されていた。



 「速 さ が 足 り な い !!」



 ──《大爆発フルブラスト


 極光爆ぜる。視界がホワイトアウト。
 鼓膜をつんざく爆音、心臓を叩く衝撃。

 今だけ世界が停滞していた。
 レヴリッツは衝撃の中。くるくると体が宙を舞う。

 軽く吹けば飛ばされる埃のように。全ての神経を殺されて。
 ひたすらに白い視界の中を藻掻く。


 「か……はっ……!」

 地面に激しく打ち付けられた衝撃と共に、白い視界が赤く染まる。
 口から血があふれ、ほのかに鉄の匂いが鼻腔をくすぐった。

 意識の混濁を必死に振り切る。
 数秒にして徐々に視界が回復し、彼は周囲を見渡した。

 霧の合間からユニが緩慢な歩調でやって来る。
 独壇場スターステージの外側では、大勢の観客が息を呑んで激しい戦闘を見守っていた。
 
 「終わりだよ。セーフティ装置は鳴ってないけど、あと一度でも傷を負えば作動すると思う。
 それに……その大怪我じゃ体は動かせないでしょ?」

 たしかに、この上なくレヴリッツの肉体は摩耗している。
 もはや魔力を身体に通すことも難しい。
 全身からとめどなく痛みが発し、頭が破裂しそうだ。

 だが、自身の痛苦以上に受け入れられないものがある。
 それは敗北だ。大衆の前で恥を晒すことだ。
 勝利という結果に拘り、目的の遂行を絶対として生きてきた彼にとって……ここでの敗北は認められない。

 「…………」

 しかし身体は持ち上がらなかった。
 鉛のように重い。泥のように凝り固まっている。
 戦意はあるのに、肉体が継戦を認めようとしない。

 「降伏サレンダーか、最後まで諦めずに闘ってぼくに倒されるか」

 「どっちも……嫌ですね」

 「……たしかにきみはさ、強いよ。今まで無敗だってのも納得できる。
 でもね……マスター級はきみでも手の届かない化け物ばかりなの。それに、この先を知ってしまえば……きみはきっと失望するから」

 きっとシルバミネ秘奥を、黒ヶ峰を使えば勝てるのに。
 彼は殺しの技能の行使をかたくなに認めない。
 一人のバトルパフォーマーとして誇りを持ってしまったから。

 中途半端な誇りなど捨ててしまえばいい。
 捨てれば、楽になれるのに──

 「…………終わり、か」

 今はまだ、頂点には届かない。
 彼は諦観と共に空へ手を伸ばした。

 霧が晴れる。
 ユニはもはや独壇場スターステージを使う必要すらないと判断し、己の領域を解除した。

 「僕の負け……?」

 晴れた霧の先には、夜空が広がっている。
 白い手がまっすぐに伸びて星々をかすめた。

 レヴリッツは思う。
 あのそらの高み、果てへ辿り着くのはいつになるのかと──

 「──」

 一筋の金色が視界の端に舞った。
 見下ろす少女の瞳があった。

 碧色の瞳が、レヴリッツを見下ろしている。
 熱烈なバトルにざわめく観客の中でただ一人、退屈そうに座る黄金の少女。
 伸ばした手の、その真っ先に……彼女は座していた。

 あれほど再会を望んだ少女がすぐそこにいる。

 この世のすべてに退屈し、宝石のような瞳を濁らせた少女。
 生まれた時から天才で、手の届かないモノは存在せず。
 飽和と既知に満ちた人生を送っていた。

 レヴリッツが初めて、心の底から『殺したい』と願った相手だ。

 「……ちぎった」

 もういっかい。
 彼女と闘い、殺すこと。それが契約ならば。

 「……? どうしたの? 降伏しないなら、ぼくが倒すよ」

 目の前に立つユニ・キュロイを超えなければ、レヴリッツの悲願は叶わない。
 今、レヴリッツは大勢の仲間に勝利を願われている。
 これまでに共に闘ったパフォーマーたちが、彼の勝利を願っている。

 だから諦めるのは御免だ。

 「俺は、契った……! 必ず、君を……ッ!」

 刀を支えとして、彼は立ち上がった。
 意地。これは一人のバトルパフォーマーとしての意地だ。
 そして契約を履行するための条件だ。

 「オーケー。信念は認めるよ。
 だから敬意を持って、全霊で仕留めてあげる」

 満身創痍の相手を前に、ユニは油断もあざけりもしない。
 手負いの相手が一番恐ろしいことを、彼女は熟知していたから。
 幻狼は誰を狩るにも全力を出す。

 だが……彼女の戦意を受けてレヴリッツは。

 「ははっ……来いよ、幻狼……!」

 狂気的な笑みを浮かべた。
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