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帰宅

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久方ぶりの帰宅。
ネシウス伯爵家を前にわたしは萎縮していた。

「お嬢様、ご安心を。すでにトリスタン様が手配した偽装婚約の書状は届いているはずです。旦那様に怒られることもないでしょう」

隣に立つロゼーヌが安心させてくれる。
そうだ、ここは仮にもわたしの実家。
過剰に恐れる必要はない。

そして、わたしの前を行く白髪の令嬢。
セフィマ伯爵令嬢イシリア様もうなずいた。

「……そろそろ時間ですね。あと半刻後にはトリスタン率いる騎士団が到着し、屋敷を包囲するはずです。そろそろ屋敷に入って、ネシウス伯爵が帝国に寝返ろうとしている証拠を探しましょう」

「あの、イシリア嬢。その件なのですが大丈夫でしょうか? わたしもできる限り協力しますが、やはり親に逆らうのは怖いもので……」

「お任せを。何かを謀ることに関しては、誰よりも熟知しているつもりです。ネシウス伯がどういう人間かを考えれば、資料の隠し場所は見当がつきます」

頼もしい限りで。
とにかくわたしの役目は自然に振る舞うことか。
父が帝国と通じている証拠をイシリア嬢が探している間、わたしは気を惹かなくてはならない。

事前に話は合わせてある。
勇気を出して屋敷への足を踏みだした。
まさか自分の家に帰ることが、こんなに恐ろしくなるなんて。

「……おお、戻ったかマリーズ!」

屋敷に入ると、父が走ってやってきた。
よかった……顔を見る限り上機嫌だ。
わたしが長らく留守にしていたことなんてどうでもよく、今は婚約が決まったことだけが嬉しいのだろう。
リディオとの婚約なんて嘘なのに。

「……そちらの方は?」

「お初にお目にかかります。マリーズ嬢の友人、イシリア・セフィマと申します」

「あ……あぁ、セフィマ伯のご令嬢様か! 娘とローティス伯爵令息の婚約を仲介してくださったとお聞きしている! その節はお世話になりましたな!」

「いえ、お役に立てたのなら嬉しいです」

イシリア嬢はそつのない態度でカーテシーする。
ひとつひとつの所作が洗練されていて、まるで緊張などしていないように見えた。

「とにかく話を聞かせてくれ。マリーズにロゼーヌも、久しぶりに帰宅できてよかった。さ、奥へ」

言われるがまま、わたしたち三人は居間に入る。
さて……どのタイミングで探りを入れようか。
そこらへんはイシリア嬢に一任すると話をしているのだが。

「お母様は何をしていらっしゃるの?」

「ああ、あいつは部屋で縫い物をしている。なんでも新しいドレスを隣国から取り寄せたとかでな」

「隣国って……帝国のドレスかしら?」

「……さあな。さ、座ってくれ。セフィマ伯爵令嬢も、どうぞそちらへ」

わたしとイシリア嬢は隣合う形で父の向かいに座る。
普通は世間話から入るものだが、父はよほど急いでいたのだろうか。
いきなり婚約の話を持ち出した。

「いやあ、よかったではないかマリーズ! ローティス伯爵令息との婚約が決まったのだろう? しかも現婚約者のアレッシア嬢に代わって、正妻として迎えてくれるのだそうだ!」

「え、えぇ……喜ばしい限りですわ」

「お前がトリスタンに誘拐されかけたときは動揺したが、それもローティス伯爵令息が解決してくれたしな。恋人想いのよい相手ではないか!」

「は、あはは……そうですね」

父はリディオの悪評を知っているそうだ。
それにもかかわらず、こうして婚約を勧めてくる。
これが本当の婚約であれば、婚姻後に娘がひどい目に遭うことは明白。
だが、そんなことは父にとっては些末な問題なのだろう。

ぎこちない様子で返答していると、イシリア嬢が口を開いた。

「ネシウス伯。当家が紹介したローティス伯爵令息との婚約を承諾してくださり、ありがとうございます。紹介を通していただいて我が父も安堵していることでしょう」

「いやぁ、セフィマ伯爵には頭が上がりませんな! 婚約者を失ったマリーズに目をかけてくれるとは。マリーズもよき友を持ったものです」

「マリーズ嬢の境遇と努力する姿勢に感銘を受け、婚約を紹介させていただきました。これが良縁となれば光栄なのですが」

「はははっ! 良縁に違いありませんな! 前々からローティス伯爵令息とはお付き合いしてましたが、他家の後押しがあればなおさらです。そういえば、ローティス伯爵令息との話し合いの場もいずれも設けたいのだが……」

気分よく饒舌な父の話を聞く。
わたしは常に様子をうかがっていたのだが、隣のイシリア嬢は聞いているのか、聞いていないのか。
今のところは特に不審な様子も見せず、イシリア嬢は振る舞ってくれている。



そして話を始めてから十数分が経っただろうか。
ついにイシリア嬢が動きだす。

「すみません、セフィマ伯爵。お手洗いを使わせていただきたいのですが」

「ええ、もちろんです」

「イシリア様。私がご案内いたします」

ロゼーヌがイシリア嬢を連れ、部屋を出て行く。
屋敷を調べるとしたらこのタイミングだろう。
わたしはこの間、父が離れないように留めておく必要がある。

賓客が消えて安心したのだろう。
父は笑みを崩してソファに背を預けた。

「ふぅ……お前にあんなに使える・・・友人がいたとはな。早くセフィマ伯爵令嬢に頼り、婚約を紹介してもらえばよかったではないか。一年間も待たせおって……」

「……そうですね。もう少し他人を頼るということを考えればよかったです」

「とにかく、婚約が成ってよかったではないか」

嫌味を言ったつもりだが父には届いていないようだ。
他人を頼るということが学べなかったのは、親を頼ることもできなかった境遇のせいだと。
そう暗に訴えかけたのに。
やはり更生の余地はないのだろうか。

「ローティス伯爵令息は次いつ会えるのだ? ローティス家からの資金援助について、早急に話し合いたいのだが」

「え、えぇと……改めてリディオ様に聞いてみます」

「ああ、頼んだぞ。何度か顔を合わせたが、改めて義父として挨拶しなければな。多少は女遊びがきついと聞くが、お前は文句を言ってはならんぞ? 万が一にもローティス伯爵令息を失えば、もうお前と婚約を結んでくれる者などいないのだからな」

「は、はい……気をつけます」

ああもう、こんなに話を聞いていて不快なことはない。
でも耐えないと。
とにかく話題を打ち出して時間を稼がなくては。

「お父様、今からするには早い話かもしれませんが……結婚式の準備などについてお話ししたく」

「ん……まあ、うちからあまり金は出せんぞ。ローティス家から大半の式費用を出してもらえるよう、交渉してくれ」

「はい。やはり我が家の財政は厳しいようですね。領地経営が難航している……のですよね?」

「そ、そうだ。まったく……民のために使う金がなくて困っているのに、マリーズが婚約破棄などされるものだからな。アイニコルグ家からの資金が途絶えて困っていたのだぞ」

 ***

「ふむ……セフィマ伯爵令嬢はまだ戻らんのか?」

どれくらいの時間が経ったのだろう。
まだ数分しか経っていないようだが、かなり長く感じる。
父は痺れを切らしつつあった。
婚約を急かしてくることからわかるように、我慢ができない性格なのだ。

「え、えっと……迷っているのでは?」

「ロゼーヌが付き添いで行ったではないか。セフィマ伯爵家よりもずっと狭い我が家で、迷うなんてことは……」

そのとき。
猛烈な勢いで部屋の扉が開いた。
イシリア嬢かと思ったが……違う、お母様だ。

「大変よ、あなた!」

「なんだ騒がしい……客人が来ているのだぞ」

「屋敷が変な連中に囲まれてるわ! 大公の旗を掲げた騎士団よ!」
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