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第10章 飢える剣士の復讐
ヴェルナー・ルカス
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母さんは優しかった。
生まれつき病弱な俺を、いつも気にかけてくれた。
父の存在は認識していなかった。
この世に生を受けること七年、一度たりとも父の顔を見たことがなかった。
俺にとっては……母の愛が、すべてだったんだ。
「ヴェルナー。今日は父さんが帰ってくるわよ」
編み物をしながら母は言った。
俺は皿洗いをする手を止めて、母に尋ねる。
「父さん……? だれ?」
「父さんはとっても偉い人なの。侯爵様だからね」
「ふーん」
侯爵だとか言われても、子どもの俺にはよくわからなくて。
無関心に相槌を打つしかなかった。
街の外れでひっそりと過ごす俺にとって、貴族社会なんて縁のないものだったし、自分の父が侯爵だと言われても実感が持てず。
かくして俺は『よく知らない父』と初対面を果たした。
「お帰りなさい、侯爵閣下」
母は笑顔で父とやらを出迎えた。
病的に白い顔に、天井に届きそうなほど高い背丈。
父は年季の入った家の中を見渡し、最後に俺へ視線を向けた。
「これはヴェルナーか」
「はい。とっても大きくなりましたよ」
今でもその視線を覚えている。
父の視線は……無機質だった。
人や子どもへ向ける目ではなく、家畜に向けるかのような。
「少し、ヴェルナーと過ごす時間をくれ」
「もちろんです。あなたはこの子の父親ですから」
どうして母がこの男に笑顔を向けているのか。
幼心に解せなかった。
「ヴェルナー、私はお前の父だ。一緒に出かけるとしよう」
「う、うん……」
俺は父に連れられ、家の外に飛び出した。
◇◇◇◇
街のベンチに座り、父から買い与えられた菓子を齧る。
その間も父は無表情に俺の所作を観察していた。
……気味が悪い。
「あんたは……父さんは、なんで家に帰ってこないんだ」
気に食わない相手に対して敵意を包み隠さず、俺はぶっきらぼうに言った。
「私は忙しい。アラリル侯爵として、日々政務に勤しんでいるのだ。お前の母は正妻ではなく、かつて侯爵家の使用人であった妾だ。優先度は低い」
「よくわからないが、母さんを大事にしてないってことか?」
「そうだ。我が血筋は絶やすわけにはいかん。妾を何人か作り、後継は確保しておくに限る」
子どもが相手でも、父はどこまでも現実主義だった。
短い問答でも人として信用に足らないと、はっきりと理解できた。
「ヴェルナー。お前の力を試そう」
「はぁ?」
おもむろに父は言い放つ。
昼下がりの公園で、突然のことだった。
両手を広げた父は俺に問う。
「お前には見えないはずだ。私の周囲に滞留する魔力が」
「魔力……」
魔法とか魔術とか、そういう術に使用する気体だ。
適正がある人は魔力の流れを感じ取れるらしいが……さっぱりだった。
俺が首肯すると、父は微笑を浮かべる。
「お前が生まれたばかりのころ、魔力を司る器官を抜き取った。魔法が使えず、魔力が見えないのも当然だ。恥じる必要はない」
「どうして、そんなこと……」
「――可能性を求めるためだ。実験とも言える」
瞬間、肌が粟立つ感覚が襲った。
父の両手から細長い黒き波動が伸びる。
そして、その『黒』には……見覚えがあった。
俺が小さいころからなぜか扱える、不思議な術。
魔術でも呪術でもない何か。
「我らアラリル侯爵家は、代々特殊な力を引き継いでいる。この力を絶やさず、より高めていくことが我らの使命。この力によって武勲を立て、アラリル侯爵家が爵位を賜ったそのときから……連綿と受け継がれる秘技だとも」
どうでもいい。
継承、歴史、爵位。
そんなもの俺にとっては何の価値もなかった。
少し周りの子よりも運動が得意で、母の仕事を手伝って生きているだけの、俺にとっては。
「私は何名かの子を設けた。ある者は大魔術師の血を継がせ、ある者は合成獣のごとく組織を付け替え……そして南の部族の血筋を持つお前からは、魔力を削ぎ落とした。魔力行使という余分なキャパシティを削ぐことで、力が高まるのではないかと考えたのだ」
「意味が……わからない。そんなことをして、何になるんだ」
「ふむ……力の重要性か。大人になればわかる。何はともあれ、力を使ってみるが良い。お前が黎き力を使いこなせることは、すでに聞き及んでいる」
有無を言わさぬ気迫があった。
実験動物になって、檻の中に閉じ込められているようだった。
子どもが父の暴力的な沈黙に逆らえるはずもない。
俺は不慣れな手つきで波動を宿した。
鞭のようにうねる黒き波動は、木に引っ掛けて遊ぶことくらいにしか使わない。
これを『力』と認識したことすらなかった。
迸る黒き奔流を見て、父は目を細める。
しばし真剣な顔つきで俺の波動を睨んでいたが、やがて息を吐いて微笑を浮かべた。
「失敗作か」
「え……?」
「特に力が強まっている様子はない。魔力制御に割いている力を、黎き力の制御に回せば……と考えたのだが。まあ、失敗は成功への糧となる。無駄ではあるまい」
「……」
俺が呆気に取られている間にも、父は滔々と話し続ける。
子どもを実験台にした試みは、どうやら父の中で勝手に失敗に終わったらしかった。
怒りすら湧いてこなかった。
ある日突然現れた男に失敗作だとか、そんなことを言われても。
奇人の戯言にしか聞こえないのが道理だ。
「だが安心すると良い、ヴェルナー。お前が失敗作だからと言って殺すようなことはしない。血筋は多く残しておくに限るからな。あとは自由に生きなさい」
そう言い残し、父を名乗る男は去っていった。
俺はアレを父だとは思わない。
たとえ血のつながりがあったとしても、父ではないのだ。
◇◇◇◇
あの男のことなど早々に忘れ、その後も変わらぬ暮らしを送った。
これまでと変わらず平穏無事に日々が送れればそれでいい。
そう、思っていたのに。
「ヴェルナーか」
ある日、家に帰った俺を待っていたのは奴だった。
足元には呼気を荒くした母が倒れている。
「お前の母は病に罹り、危篤な状態にあるようだ。看病してやると良い」
「母さんっ!」
奴は一瞥もせずに家から出ていく。
母へ駆け寄って体に触れると、その肌は異様なまでに冷たかった。
昨日までは元気だったのに。
あの男が……何かしたのか?
「ヴェルナー……」
「母さん、大丈夫か!? いま薬を持ってくるから……」
立ち上がろうとした俺の腕を、母の力なき手が掴む。
「ねえ、ヴェルナー……聞いてちょうだい……」
今すぐにでも薬を持ってきたかった。
だが、母の声色はいつになく切実で。
俺の足をその場に縫い付けた。
「私はもう長くない。だから……ごほっ。頼れる人を、この手紙に書いておくから……」
「母さん! アイツだろ!? アイツに……何かされたんだろ!?」
「私の役目は……あなたを産んで育てることだった。侯爵閣下があなたの『結果』を確認したから、私はもう必要ないのよ」
どうして。
どうして、当たり前のように自分の死を受け入れているのだろう。
道具として扱われることを受け入れているのだろう。
「そんなことない……! 俺には、母さんが必要だ!」
「ふふっ……嬉しい。最初はお役目で産んだ子だったけれど……いつしか、あなたがとても愛おしくなっていたわ。閣下があなたを失敗作と呼んでも……私にとって、は……」
母の手が温もりを失う。
力なく俺の体を手放す。
その日、俺は孤独となった。
生まれつき病弱な俺を、いつも気にかけてくれた。
父の存在は認識していなかった。
この世に生を受けること七年、一度たりとも父の顔を見たことがなかった。
俺にとっては……母の愛が、すべてだったんだ。
「ヴェルナー。今日は父さんが帰ってくるわよ」
編み物をしながら母は言った。
俺は皿洗いをする手を止めて、母に尋ねる。
「父さん……? だれ?」
「父さんはとっても偉い人なの。侯爵様だからね」
「ふーん」
侯爵だとか言われても、子どもの俺にはよくわからなくて。
無関心に相槌を打つしかなかった。
街の外れでひっそりと過ごす俺にとって、貴族社会なんて縁のないものだったし、自分の父が侯爵だと言われても実感が持てず。
かくして俺は『よく知らない父』と初対面を果たした。
「お帰りなさい、侯爵閣下」
母は笑顔で父とやらを出迎えた。
病的に白い顔に、天井に届きそうなほど高い背丈。
父は年季の入った家の中を見渡し、最後に俺へ視線を向けた。
「これはヴェルナーか」
「はい。とっても大きくなりましたよ」
今でもその視線を覚えている。
父の視線は……無機質だった。
人や子どもへ向ける目ではなく、家畜に向けるかのような。
「少し、ヴェルナーと過ごす時間をくれ」
「もちろんです。あなたはこの子の父親ですから」
どうして母がこの男に笑顔を向けているのか。
幼心に解せなかった。
「ヴェルナー、私はお前の父だ。一緒に出かけるとしよう」
「う、うん……」
俺は父に連れられ、家の外に飛び出した。
◇◇◇◇
街のベンチに座り、父から買い与えられた菓子を齧る。
その間も父は無表情に俺の所作を観察していた。
……気味が悪い。
「あんたは……父さんは、なんで家に帰ってこないんだ」
気に食わない相手に対して敵意を包み隠さず、俺はぶっきらぼうに言った。
「私は忙しい。アラリル侯爵として、日々政務に勤しんでいるのだ。お前の母は正妻ではなく、かつて侯爵家の使用人であった妾だ。優先度は低い」
「よくわからないが、母さんを大事にしてないってことか?」
「そうだ。我が血筋は絶やすわけにはいかん。妾を何人か作り、後継は確保しておくに限る」
子どもが相手でも、父はどこまでも現実主義だった。
短い問答でも人として信用に足らないと、はっきりと理解できた。
「ヴェルナー。お前の力を試そう」
「はぁ?」
おもむろに父は言い放つ。
昼下がりの公園で、突然のことだった。
両手を広げた父は俺に問う。
「お前には見えないはずだ。私の周囲に滞留する魔力が」
「魔力……」
魔法とか魔術とか、そういう術に使用する気体だ。
適正がある人は魔力の流れを感じ取れるらしいが……さっぱりだった。
俺が首肯すると、父は微笑を浮かべる。
「お前が生まれたばかりのころ、魔力を司る器官を抜き取った。魔法が使えず、魔力が見えないのも当然だ。恥じる必要はない」
「どうして、そんなこと……」
「――可能性を求めるためだ。実験とも言える」
瞬間、肌が粟立つ感覚が襲った。
父の両手から細長い黒き波動が伸びる。
そして、その『黒』には……見覚えがあった。
俺が小さいころからなぜか扱える、不思議な術。
魔術でも呪術でもない何か。
「我らアラリル侯爵家は、代々特殊な力を引き継いでいる。この力を絶やさず、より高めていくことが我らの使命。この力によって武勲を立て、アラリル侯爵家が爵位を賜ったそのときから……連綿と受け継がれる秘技だとも」
どうでもいい。
継承、歴史、爵位。
そんなもの俺にとっては何の価値もなかった。
少し周りの子よりも運動が得意で、母の仕事を手伝って生きているだけの、俺にとっては。
「私は何名かの子を設けた。ある者は大魔術師の血を継がせ、ある者は合成獣のごとく組織を付け替え……そして南の部族の血筋を持つお前からは、魔力を削ぎ落とした。魔力行使という余分なキャパシティを削ぐことで、力が高まるのではないかと考えたのだ」
「意味が……わからない。そんなことをして、何になるんだ」
「ふむ……力の重要性か。大人になればわかる。何はともあれ、力を使ってみるが良い。お前が黎き力を使いこなせることは、すでに聞き及んでいる」
有無を言わさぬ気迫があった。
実験動物になって、檻の中に閉じ込められているようだった。
子どもが父の暴力的な沈黙に逆らえるはずもない。
俺は不慣れな手つきで波動を宿した。
鞭のようにうねる黒き波動は、木に引っ掛けて遊ぶことくらいにしか使わない。
これを『力』と認識したことすらなかった。
迸る黒き奔流を見て、父は目を細める。
しばし真剣な顔つきで俺の波動を睨んでいたが、やがて息を吐いて微笑を浮かべた。
「失敗作か」
「え……?」
「特に力が強まっている様子はない。魔力制御に割いている力を、黎き力の制御に回せば……と考えたのだが。まあ、失敗は成功への糧となる。無駄ではあるまい」
「……」
俺が呆気に取られている間にも、父は滔々と話し続ける。
子どもを実験台にした試みは、どうやら父の中で勝手に失敗に終わったらしかった。
怒りすら湧いてこなかった。
ある日突然現れた男に失敗作だとか、そんなことを言われても。
奇人の戯言にしか聞こえないのが道理だ。
「だが安心すると良い、ヴェルナー。お前が失敗作だからと言って殺すようなことはしない。血筋は多く残しておくに限るからな。あとは自由に生きなさい」
そう言い残し、父を名乗る男は去っていった。
俺はアレを父だとは思わない。
たとえ血のつながりがあったとしても、父ではないのだ。
◇◇◇◇
あの男のことなど早々に忘れ、その後も変わらぬ暮らしを送った。
これまでと変わらず平穏無事に日々が送れればそれでいい。
そう、思っていたのに。
「ヴェルナーか」
ある日、家に帰った俺を待っていたのは奴だった。
足元には呼気を荒くした母が倒れている。
「お前の母は病に罹り、危篤な状態にあるようだ。看病してやると良い」
「母さんっ!」
奴は一瞥もせずに家から出ていく。
母へ駆け寄って体に触れると、その肌は異様なまでに冷たかった。
昨日までは元気だったのに。
あの男が……何かしたのか?
「ヴェルナー……」
「母さん、大丈夫か!? いま薬を持ってくるから……」
立ち上がろうとした俺の腕を、母の力なき手が掴む。
「ねえ、ヴェルナー……聞いてちょうだい……」
今すぐにでも薬を持ってきたかった。
だが、母の声色はいつになく切実で。
俺の足をその場に縫い付けた。
「私はもう長くない。だから……ごほっ。頼れる人を、この手紙に書いておくから……」
「母さん! アイツだろ!? アイツに……何かされたんだろ!?」
「私の役目は……あなたを産んで育てることだった。侯爵閣下があなたの『結果』を確認したから、私はもう必要ないのよ」
どうして。
どうして、当たり前のように自分の死を受け入れているのだろう。
道具として扱われることを受け入れているのだろう。
「そんなことない……! 俺には、母さんが必要だ!」
「ふふっ……嬉しい。最初はお役目で産んだ子だったけれど……いつしか、あなたがとても愛おしくなっていたわ。閣下があなたを失敗作と呼んでも……私にとって、は……」
母の手が温もりを失う。
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