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第8章 砂銀の日
欲しいもの
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「……なるほど」
ランドルフから聞いた情報をそのままペートルスに流す。
彼はさして驚いた表情もせず澄ましていた。
「イアリズ伯爵夫人トマサ……レディ・イアリズについては、僕も少し怪しいと思っていたんだ。ただ……彼女がノーラの暗殺を指示するメリットが見当たらなかった」
「メリットですか。単純に邪魔だから……ってのは短慮が過ぎますよね。たしかに、わたしなんて一生離れに閉じ込めておけばいいのです。『呪われ姫』によるイアリズ伯爵家に対する風評被害をなくすため、とかでしょうか」
「どうだろう。『呪われ姫』の噂はあるにせよ、そこまで致命的な悪評ではないからね。レディ・イアリズが邪法を使っているという証拠は得られたが、暗殺を指示した証拠は見つかっていない。簡単に結びつけるのも危うい気がするよ」
とりあえず義母が悪人なのは確定として。
余罪の精査にはまだ時間と機会が必要だ。
「邪法の使用は、単にわがままなヘルミーネに言うことを聞かせるため……という可能性もありますからね。わたしの暗殺を試みるメリットがないなら、それとはまた別の問題かもしれません」
「ああ。ところで……君はレディ・イアリズについて、どれくらい知っている?」
「どれくらい……と言われましても。わたしの実母が亡くなった一年後くらいに、いきなりやってきたことくらいしか。わたしのことを酷く嫌っていましたね。ヘルミーネにもわたしと話すなと命令したり、使用人たちにわたしを遠ざけるよう命令したり。父とは政略結婚で結ばれたらしいです」
悪印象しかない。
高慢で差別的で、子どもにも優しくない。
亡き母の優しさが恋しくて、しきりに泣いていた幼少期を思い出す。
「政略結婚か……誰の紹介かは知ってる?」
「いえ、存じ上げません。父に聞けばわかると思いますが」
「そうだね、聞いてみよう。しかし……邪法を使える令嬢か。明らかに異質だね」
「その邪法とやらは……なんすか? 聞いたことないのですが」
ノーラの問いに、ペートルスは何やら書き物をしながら答えた。
「邪気を用いた術だよ。魔物を構成する物質が、邪気という気体であることは知っているね? その邪気を使って事象を引き起こすのが邪法だ。神と正反対の性質を持つと言われていて、帝国法でも使用は禁止されている。科学的にまだわかっていないことが多い、謎の術さ」
「聞いただけでもヤバそうですね……」
貴族の中には、平気で罪を犯す輩もいる。
特権階級の意識に基づき、自分ならば何をしても許されると思い込む者も多いのだ。
マインラートがこの国を変えようとしている理由のひとつでもある。
ペートルスが筆を止める。
文字が描かれた紙は魔力を纏い、次第に鳩の姿を形成していった。
自動的に相手のもとへ飛んでいく『紙鳩』だ。
壁際に控えていたイニゴに、ペートルスは紙鳩を手渡す。
「イニゴ。これを凶鳥のもとに飛ばしておいてくれ」
「了解です」
大きな手で紙鳩を受け取り、そそくさと外へ出ていくイニゴ。
あんなに体格が良いのに、チマチマした世話ばかりしている印象がある。
「さて。とりあえず暗殺の件については、もう少し捜査の時間が必要だね」
「はい。父から何か追って情報があれば、都度お知らせしますね。それでは……」
失礼します、とノーラが席を立とうとしたときだった。
「ノーラ。話は変わるんだけど、君は欲しいものとかある?」
「えっ……ああ、もしかして砂銀の日の贈り物ですか?」
「うん。ご所望のものがあれば、なんなりと」
大切な人に贈り物をする日。
……ということは、ノーラはペートルスの『大切な人』に入っているのだろうか。
あるいは単なる社交辞令か。
「わたしはペートルス様から、抱えきれないほどの恩恵をもらっています。もう望むものなんてありませんよ。……あっ、でもひとつだけ」
「遠慮しなくていいよ。何が欲しいのかな?」
「『ペートルス様の欲しいもの』が欲しいです」
瞬間、ペートルスは驚いたように瞳を開いた。
見慣れない表情だ。
彼は心底戸惑った声色でうなりを上げる。
「ぼ、僕の欲しいものか……困るね」
「ふふ、困るでしょう? ペートルス様は欲を出さない人ですもんね」
この反応は想定通りだ。
彼は常に施す側で、施される側ではないから。
たとえ贈り物をもらったとしても、笑顔でお礼を言うだけだろう。
ならば具体的に欲しいものを聞かれるのはどうだろうか。
間違いなく、このように困惑するとわかりきっていた。
「でも、物欲がないわけじゃないと思うんですよ。欲を表に出さないだけで、本当は欲しているものがあるはず! さあ、ペートルス様……普段の恩返しに、なんでもおっしゃってください!」
意気揚々と言い放ったノーラ。
そろそろこの男の本質に踏み込んでやろうではないか。
今までは一定の距離を置いていたが、今の自分には恐れるものなんてない。
だが、彼から返ってきた答えは。
ノーラの自信を易々と打ち砕くものだった。
「――ノーラ。君が欲しい」
ランドルフから聞いた情報をそのままペートルスに流す。
彼はさして驚いた表情もせず澄ましていた。
「イアリズ伯爵夫人トマサ……レディ・イアリズについては、僕も少し怪しいと思っていたんだ。ただ……彼女がノーラの暗殺を指示するメリットが見当たらなかった」
「メリットですか。単純に邪魔だから……ってのは短慮が過ぎますよね。たしかに、わたしなんて一生離れに閉じ込めておけばいいのです。『呪われ姫』によるイアリズ伯爵家に対する風評被害をなくすため、とかでしょうか」
「どうだろう。『呪われ姫』の噂はあるにせよ、そこまで致命的な悪評ではないからね。レディ・イアリズが邪法を使っているという証拠は得られたが、暗殺を指示した証拠は見つかっていない。簡単に結びつけるのも危うい気がするよ」
とりあえず義母が悪人なのは確定として。
余罪の精査にはまだ時間と機会が必要だ。
「邪法の使用は、単にわがままなヘルミーネに言うことを聞かせるため……という可能性もありますからね。わたしの暗殺を試みるメリットがないなら、それとはまた別の問題かもしれません」
「ああ。ところで……君はレディ・イアリズについて、どれくらい知っている?」
「どれくらい……と言われましても。わたしの実母が亡くなった一年後くらいに、いきなりやってきたことくらいしか。わたしのことを酷く嫌っていましたね。ヘルミーネにもわたしと話すなと命令したり、使用人たちにわたしを遠ざけるよう命令したり。父とは政略結婚で結ばれたらしいです」
悪印象しかない。
高慢で差別的で、子どもにも優しくない。
亡き母の優しさが恋しくて、しきりに泣いていた幼少期を思い出す。
「政略結婚か……誰の紹介かは知ってる?」
「いえ、存じ上げません。父に聞けばわかると思いますが」
「そうだね、聞いてみよう。しかし……邪法を使える令嬢か。明らかに異質だね」
「その邪法とやらは……なんすか? 聞いたことないのですが」
ノーラの問いに、ペートルスは何やら書き物をしながら答えた。
「邪気を用いた術だよ。魔物を構成する物質が、邪気という気体であることは知っているね? その邪気を使って事象を引き起こすのが邪法だ。神と正反対の性質を持つと言われていて、帝国法でも使用は禁止されている。科学的にまだわかっていないことが多い、謎の術さ」
「聞いただけでもヤバそうですね……」
貴族の中には、平気で罪を犯す輩もいる。
特権階級の意識に基づき、自分ならば何をしても許されると思い込む者も多いのだ。
マインラートがこの国を変えようとしている理由のひとつでもある。
ペートルスが筆を止める。
文字が描かれた紙は魔力を纏い、次第に鳩の姿を形成していった。
自動的に相手のもとへ飛んでいく『紙鳩』だ。
壁際に控えていたイニゴに、ペートルスは紙鳩を手渡す。
「イニゴ。これを凶鳥のもとに飛ばしておいてくれ」
「了解です」
大きな手で紙鳩を受け取り、そそくさと外へ出ていくイニゴ。
あんなに体格が良いのに、チマチマした世話ばかりしている印象がある。
「さて。とりあえず暗殺の件については、もう少し捜査の時間が必要だね」
「はい。父から何か追って情報があれば、都度お知らせしますね。それでは……」
失礼します、とノーラが席を立とうとしたときだった。
「ノーラ。話は変わるんだけど、君は欲しいものとかある?」
「えっ……ああ、もしかして砂銀の日の贈り物ですか?」
「うん。ご所望のものがあれば、なんなりと」
大切な人に贈り物をする日。
……ということは、ノーラはペートルスの『大切な人』に入っているのだろうか。
あるいは単なる社交辞令か。
「わたしはペートルス様から、抱えきれないほどの恩恵をもらっています。もう望むものなんてありませんよ。……あっ、でもひとつだけ」
「遠慮しなくていいよ。何が欲しいのかな?」
「『ペートルス様の欲しいもの』が欲しいです」
瞬間、ペートルスは驚いたように瞳を開いた。
見慣れない表情だ。
彼は心底戸惑った声色でうなりを上げる。
「ぼ、僕の欲しいものか……困るね」
「ふふ、困るでしょう? ペートルス様は欲を出さない人ですもんね」
この反応は想定通りだ。
彼は常に施す側で、施される側ではないから。
たとえ贈り物をもらったとしても、笑顔でお礼を言うだけだろう。
ならば具体的に欲しいものを聞かれるのはどうだろうか。
間違いなく、このように困惑するとわかりきっていた。
「でも、物欲がないわけじゃないと思うんですよ。欲を表に出さないだけで、本当は欲しているものがあるはず! さあ、ペートルス様……普段の恩返しに、なんでもおっしゃってください!」
意気揚々と言い放ったノーラ。
そろそろこの男の本質に踏み込んでやろうではないか。
今までは一定の距離を置いていたが、今の自分には恐れるものなんてない。
だが、彼から返ってきた答えは。
ノーラの自信を易々と打ち砕くものだった。
「――ノーラ。君が欲しい」
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