呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第5章 留学生

面影

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ノーラを抱えてバレンシアは走る。
腕の中の友は、苦しそうに息を漏らしている。
いつ死んでもおかしくない。

とにかく医務室へ急がなくては。
バレンシアは全速力で校舎を駆けた。

「――おーい! バレンシア!」

校舎を出ようとした瞬間、呼び声がかかる。
本来ならバレンシアは足を止めず医務室へ急いでいたが……その声に聞き覚えがあり、望みが宿っていたから。
彼女は足を止めた。

葡萄色の髪を巻いた男子生徒。
コルラードはバレンシアに抱えられたノーラを見て、慌てて駆け寄った。

「コルラード! ノーラが刺客に狙われ、毒を受けたのよ」

「だよな。顔色を見てすぐにわかったよ。そこに横たえてくれ、俺が解毒する」

言われるがままバレンシアはノーラを横たえる。
コルラードと出会えるなんて僥倖だ。
毒の魔術の扱いを得意とする彼ならば、解毒できるかもしれない。

コルラードはノーラの魔力の巡りを見て、冷静に分析を進めていく。

「魔毒サソリの毒か……意識を奪うのは早いが、致命に至るには時間がかかる。大丈夫、いますぐ解毒すれば問題ない」

「よかった……! お願い!」

首肯してコルラードは解毒を始めた。
ノーラの全身を淡い光が包み込む。
いつも笑顔の彼だが、今ばかりは真剣そのものだ。
解毒を進めつつコルラードは尋ねる。

「刺客はどうしたんだ?」

「今はネドログ伯爵令息が相手をしているわ。彼が毒に倒れていないといいのだけど……」

「この毒は結構な安物でな。即効性がないんだ。しかし解毒はなかなか難しい代物だから……医務室に連れていってもどうにもならなかっただろう。俺がいればとりあえず解毒はできる。安心してくれ」

徐々にノーラの顔色が熱を取り戻していく。
コルラードは驚異的な集中力で体内の毒を分解していった。
その様子を見ていたバレンシアは感嘆の声を上げる。

「す、すごい……!」

「はは……小さいころは自分に毒を盛って実験していたからなー。解毒に関しては自信があるよ。……よし、これでもう大丈夫。解毒後に無理に体を動かすと心臓に負担がかかる。患部を心臓より高い位置にして、しばらく寝かせておいてやってくれよ」

「ありがとう、コルラード! 危ないところだったわ……」

ほっと胸を撫でおろすバレンシア。
だがコルラードの表情はまだ厳しいままだ。

「で、刺客の相手をしている生徒がいるんだっけ? 俺が対処に回るから、バレンシアはノーラが起きるまで見ててくれ」

「……わかったわ。クラスBの教室でネドログ伯爵令息が戦っている。お願い」

「りょーかい。じゃ、また会おう」

そう言うとコルラードは見たこともない速さで駆けていった。
あの身のこなし、達人に近い。
魔術のみならず身体能力にも秀でているようだ。

バレンシアとてアンギス侯爵家の令嬢。
腕には自信があるが……さすがにサンロックの賢者の弟子であるコルラードには敵わない。
刺客の相手は彼に任せた方が賢明だろう。

バレンシアはそっと屈みこみ、ノーラの顔を覗き込む。
彼女は瞳を閉じたままうなり声を上げた。

 ◇◇◇◇

九年前。
エレオノーラが呪いを発症する前のこと。

彼女は屋敷の書斎で本を読みふけっていた。
時刻は夜、きっと父に見つかったら怒られる。
でも面白いのだ、止められないのだ。
『もう少しだけ』を繰り返して、すっかり夜更けになっていた。

「……やあ、ノーラ」

「わっ!? ……って、ランドルフか。お父様かと思ってびっくりしちゃった」

「君の部屋に行ったらいなかったからさ。どうせまた書斎だろうなぁ……って。ほら、紅茶とお菓子を持ってきたんだ」

ことりとテーブルに置かれたティーセット。
琥珀色の液体がモクモクと煙を上げていた。
エレオノーラが好きな紅茶のディンブラ、甘さ控えめのバタークッキー。

「わー、ありがと! さっすがランドルフ、気が利くね!」

「婚約者の嗜好を理解するのは当然のことだよ。俺には……このストレートティーのよさ、あんまりわからないけど。砂糖をいっぱい入れた甘いやつの方が好きだ」

「そのうちわかるよ、ランドルフも。大人になったらね」

「まったく……同い年なのに大人ぶって。……ところでエレオノーラ、今日は何の本を読んでるんだ?」

ランドルフはエレオノーラが読む書物を覗き込んだ。
綴られた文字は小さく、難しい文字が多く、彼は顔をしかめる。

「『永らえる黒鳶と神の定める悪について』……アジェン共和国の建国者をモチーフにした冒険物語だよ。ひとつひとつの描写が細かくてね、すごく引き込まれるんだ」

「な、なんだか哲学みたいな題名だな。しかも難しい文字もいっぱい出てくるし……俺には読めそうにないや。君が読んでるなら、俺も読んで内容について語り合いたいんだけど」

「ま、あんまり本を読まないランドルフには難しいかもね。このお話……絵本にもなってるから、そっちで読んでみたら?」

「そうだなぁ……まずは絵本だな。もう少し勉強してから文字だけの本は読んでみるよ。文学の勉強もしたいけど、いま集中するべきは剣の訓練だから」

ランドルフはそう言いながら、書棚から簡単そうな児童書を抜き取った。
まだ七歳。ランドルフの反応が普通だ。
エレオノーラが本の虫なだけで。

「ランドルフは将来、騎士になるの?」

「騎士の家系だからな。学校を卒業して、騎士になるのが今の夢だよ」

エレオノーラは本に落としていた視線を上げる。
銀色のティーカップを置いて、ランドルフを見つめた。

「騎士って何をするお仕事なんだろう。魔物と戦ったりするんだよね? 本の中だとそんな感じだけど」

「ああ、それも間違っていないが……やっぱり一番の仕事は、人を守ることだろうな」

「人を守る……人って、だれ?」

エレオノーラの問いに、ランドルフは口ごもった。
本当なら答えに窮する場面ではない。
民を守る、どんな人でも守る……それが高潔な騎士の役目。
だが、彼は躊躇わずに返答できなかったのだ。

「誰でも守れるのが、立派な騎士って言われている。でも……正直、俺は愛する人を守るために騎士を目指してる気がする」

「愛する人……って、わたしのこと!? 婚約者だもんね?」

「ま、まだそう言ってないだろう? でも……そうだな。俺がエレオノーラを守ってあげるよ。そのために俺は強くなるんだ」

ランドルフは照れくさそうに笑った。
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