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失った地 4
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早春の夜はまだ長い。
闇の中、女中が手に持つ行灯ひとつを頼りに、エルピディオ様は足を進めていた。
供は護衛の騎士二人と、灯を持つ女中一人のみ。
毛皮の外套を纏っているが、寒さは染み込むように身を凍えさせてきて、更に向かう先が、心も身体も重くさせる。
示された場所は郊外の私有地で、ここもオゼロの所有。かつてはとある一家が暮らす屋敷があったものの、その者らが家移りして、屋敷は解体され、以後は使われていなかった。今はただ、庭の木々が鬱蒼と茂り、かつての姿は見る影もない。
無論、家移りというのは建前である。
現在その一家は、存在していたことすら記録に無い。
秘匿権を守るため、民の生活を守るため、国の安寧のためにその処置がとられたのは、二十年以上昔のことで、その当時のことを知る者も少なくなっていた。
「お待ち致しておりました」
その場所に待っていたのは、白い衣装に身を包んだ白髪の男。そして……金糸雀色の髪をした、細身の男と、やはり細身の女性……。
かつて手にかけた、死んでいるはずの孫。
成長期を迎える前の、幼く細く、柔らかかった輪郭はもう立派に育ち、消える寸前だった命の灯火は、憎悪と怨嗟を薪にして、燃え盛っている。
けれどその炎を心の奥底へと、丁寧に仕舞い込んで、彼は微笑んでいた。
金糸雀色の髪の男は、手に何かの包みを抱いている。ちょうど赤子でも包んでいそうな、片腕に抱えられる程度の大きさだ。
「このような場所に、このような時間……お呼びだてして申し訳ございません。
ですが、その理由は重々承知していただけたようですね。有難いことです」
柔らかい口調でそう言った彼の言葉を、エルピディオ様は冷めた無表情で受け止めていた。
ここに呼び出された理由が、全て虚言であることは承知していたから。
「もう二十年以上も過去ですか。随分と経ったものです。
オゼロ公爵様……ここにかつてあった生活を、貴方が自ら摘み取ったことを、忘れていらっしゃらなかったのですね」
「忘れるはずもない」
愛する末の娘と、孫だったのだ。そして信頼した部下だった。それを自ら手に掛けなければならなかった。
それが領主としての勤めで、代々の領主が守ってきたもの。何万もの命を支えてきて、これからも支えていくもの。
だから心を殺し、斬り捨てた。
「忘れるはずもない……」
エルピディオ様の言葉を、そのまま反芻したアレクは、口元に笑みを浮かべた。
忘れるはずもない……。よくまぁ、そんな言葉を吐ける。
内心ではそう思っているのだと、俺には分かる。
「それでも彼は、貴方にお会いしたかったそうです。あなたに連なる血を示したかった。
まだ、愛を信じてらっしゃるのです」
アレク、貴方もだ。
愛を信じているだなんて心にもない言葉を、貴方も吐くのだね。
男から包みを受け取ったアレクは、それを腕に抱えた。
「見てやってくださいますか」
柔らかく慈愛に満ちた表情の仮面を被り、大事そうにその包みを抱えて足を踏み出す。
エルピディオ様に向かって。
金糸雀色の髪の男と女性は、その場に残った。
自分たちが近づくことを、エルピディオ様は許さないだろうと思ったのか……。
護衛として立つふたりは、司教の接近には意識を向けない。金糸雀色の髪の男と、寄り添って立つ女性、そして周りの闇に向けていた。
これだけの人数であるはずはない。
上手く隠しているけれど、もう少し潜ませてあるはずだ。
だが、エルピディオ様だけは、自らの手で差し貫きたいのだろう。
やられたことをそのまま、全て返してやろうと、そう思っている。
「さぁ……」
アレクの、包みを抱えるのと逆の手が、上にかけられていた布をはらりとめくり、中のものを慈しむように伸び……。
「……っ⁉︎」
包みから取り出された短剣は、風のような速度で振るわれた。
けれどそれは、更に速く振り上げられた脚が蹴り上げ、軌道を逸らす。
「お下がりください」
手に持っていた行灯を、敢えて落とした。ギリギリまで詰め込まれていた油が溢れ、引火し、行灯が燃え上がって、辺りはそれまでよりもう少しだけ、大きな灯りに照らされる。
女中に扮していたサヤは、エルピディオ様を後方に押しやり、アレクの前に身を割り込ませた。
「アレクさん」
その声と、灯りに照らされて見えた顔で、アレクも女中姿の者が誰であるかを理解した。
驚愕に瞳が見開かれたけれど、すぐにそれを振り払い、今一度短剣を握り込み、振り下ろす。
「させません」
サヤにとって、最も相性の悪い武器も短剣だったけれど、彼女はそれに怯みはしなかった。
再度振られた刃を、衣服の下に隠していた籠手で受け、身を引いて躱し、逆に短剣を握る腕を取りに行く。
アレクはサヤのその動きに、身を引かざるをえなかった。
けれどサヤは更にアレクを追い、間合いを詰める。
「なんでいる⁉︎」
そう飛んだ言葉に、サヤは返事を返さなかった。
アレクの短剣を握る腕を再度狙い、手を伸ばす。
しかし、そこに放たれた小刀を避け、飛び退った。
夫婦に見せかけていた女性側が、腰帯から引き抜いた小刀を放ち、腰の後ろから短剣を引き抜く。金糸雀色の髪の男も、背中に隠していた小剣を引き抜いた。
それを合図に周辺の木々から潜ませていた影が滲むように飛び出してきたけれど、そのうちの二人はすぐ雪の上に落ち、動かない。
俺も小刀を放っていた。借り受けたオゼロ騎士の制服上に身に付けたホルスターは、右側のみにびっしりと小刀が装填されている。
続けざまに二本放ち、仕留めたその二人は、先程の女性同様、遠距離を得意とする弓使い。暗がりで飛び道具は色々危険なので、先に始末させてもらった。
「あの男を狙え! 接近すれば反撃は無い!」
俺が右手を失ったと知っているから、アレクはそう言ったのだろう。
その言葉の間に左手で、胸に下げていた犬笛を咥えた。隣のもう一人に目くばせしつつ、吹く。
口から離し、更に次の一本を放つため、小刀に手を伸ばすが、その俺に向かって金糸雀色の髪の男が走り寄り、小剣を振り上げていた。
隣のオゼロ騎士はそのまま俺をその場に残し、エルピディオ様の守りに徹するため移動。邪魔になったのだろう。被っていた帽子ごとカツラをむしり取って投げ捨てた。
「お前……っ」
「お久しゅうございます、フェルディナンド様。
……何度もお会いしていたのに、気付けなかったことが悔やまれます」
そう言ったオブシズは、燃える行灯の火で揺らめく蒲公英色の瞳をアレクに据えた。
「そうか……お前が気付いたのか!」
「いいえ。俺は正直今までずっと、半信半疑だったんですがね」
その言葉に、くぐもった声が重なる。
腹部を剣に貫かれた金糸雀色の髪の男は、そのまま雪の上に崩れ、俺は外套で隠していた右の籠手を、男の腹から引き抜きざま、足で蹴って身から離した。
まだまだ人数がいる。隙を作る余裕は無い。
「アレク、もう貴方の作戦は用を成さない。このままであれば貴方の目的は、全て俺が潰すよ」
何もできないはずの右手に剣を生やした俺に、アレクはまた瞳を見開いた。
けれど直ぐに、その瞳は憎悪に歪む。歯を食いしばり、隙間から堪えきれない怒りが呻き声として溢れる。
「レイィぃぃ……」
今まで見せたことのなかった、憎悪に染まった表情のアレク。でも、自分の感情で、自分の表情だった。それが嬉しくもあり、酷く悲しい。
こうなるしかなかったのだと思うけれど、それでも俺はやっぱり、貴方にそうであってほしくなかった。
「久しいな。婚姻の儀以来だ、アレク……。それとも、フェルディナンド様とお呼びした方が、宜しいでしょうか」
「何故お前がここにいるんだ! 獣人を使うお前が、何故オゼロと共に立っている⁉︎」
敢えてそう叫んだのに、エルピディオ様はその言葉に反応を示さない。
「それ、エルピディオ様はもうご存知です。だから、俺が獣人を使うことは、貴方の武器にはならない」
そう言うと、今まで以上に表情が歪んだ。
憎くて憎くて仕方なかったろう俺が、更に憎くなった。そんな表情。
「何故お前、ここに居る……」
「山脈越えの獣人連合部隊は退けました。それで、次はここだと思ったので、来たんです。
だからどれだけ待っても、荒野は静かですよ。寧ろ貴方の思惑とは裏腹に、獣人らと人の距離は縮まった。
勿論、俺がそう仕向けたわけですが」
「なん、だと……っ⁉︎」
「そんなことが起こるはずはない? そう思うなら、その目で確認してみれば良い。
でも……貴方が俺を厭うていたのは、俺がそれをしそうだったから……じゃ、ないのかな」
貴方と似た人生を歩んでいるはずなのに、貴方と真逆の道を進んだ俺を、だから貴方は、恐れたんだ。
◆
「山脈越えに気付いた時、陛下にも報せをやりました。
スヴェトランと組んで策謀を巡らせているのは裏の神殿だと。
だから、もう陛下も神殿の企みをご存知ですよ。春を迎えたのに状況が動かないのは、そういうことです」
俺の言葉にアレクは、動揺を必死で隠そうとした。
けれど、俺が山脈越えという言葉を使ったこと、この場に現れ、エルピディオ様を庇って立っていることが、その言葉が事実だと証明している。
そしてなにより、アレクの本当の名を口にしていることが、彼を揺さぶっていた。
気付くはずがないことだったはず。
俺の死はオゼロが情報操作し、神殿が隠した。そのうえ髪の色も、瞳の色も、名も変わっているのに……何故気付いた⁉︎
実の祖父すら、何度見えても、気付かなかったのに!
そんな彼の感情が、手に取るように分かる。それだけ彼は冷静さを欠いており、俺を恐ろしいと感じている。
けれどハッと我に返り、サヤに視線を向けた。
俺が握る叡智。それの授けた知識ではないか。
「違います」
貴方が誰かを教えてくれたのは、サヤじゃない。
思考を辿る俺に、また視線が戻る。何故読まれているのか、動揺する心が瞳に写り込んでいる。
「貴方を貴方だと知らしめたのは、貴方だ」
「っ、黙れ……殺せ! 全員、口を塞げば……っ」
まだ、取り返せるはず。
その号令で俺たちを取り囲んでいた影らが再度動き出した。
闇に紛れるために、黒い衣装を纏っていた者たちは十数名。足手まといを含むたったの四人ならば始末できると思ったのだろう。
けれど、そう思うことが既に、冷静な判断力を失ってしまっている証拠だった。
認めたくないのだろう。もう、自分の目的が達成されることはないのだと。
今までの人生を賭けて積み上げてきたものが、瓦解してしまった後なのだと。
俺たちに迫ってくる影に、エルピディオ様を囲む形で向き直ったけれど、その更に後方から、別の白い影が飛び込んでくる。
狼姿のウォルテールは、鞍を身に纏った姿で、俺の前に迫っていた一人の肩に食らいついた。
首を振って食い千切り、振り飛ばす。
他にも五つの影が飛び込んで来て、直ぐに乱戦へと突入。
数的優位は変わらなかったけれど、その差は明らかに縮められ、自らの勝利を確認できなくなっていることに、アレクはもはや混乱していた。
だから更に、判断が遅れる。
その耳に、この時間に聞こえるはずのない音が、また聞こえて来たのだろう。
瞳に恐怖までもをチラつかせた。
遅れて、別の部隊が敷地内に踏み込んできた。
馬に騎乗したオゼロ騎士と、狼。そして狼に跨っているアイルだ。俺の笛を聞き取り、拠点からオゼロの騎士団を率いてきた。
松明を掲げて来た者たちの中には、ここにいるはずのない、王家近衛の衣装の者まで含まれる。
「何故だ……何故だ、何故だ‼︎」
現状が理解できず叫ぶアレク。
けれど、飛び込んできた増援に、もう、どうしようもないと思ったのだろう。
今一度エルピディオ様に視線を向け、歯を食いしばり、背を向けた。
闇に向かってその白い影を走らせる。
「ウォルテール!」
俺の声に、影と向かい合っていたウォルテールが即座にこちらへと駆けてきた。その背を追おうとした影の前に、橙色の長身が割り込み阻止。
女近衛の衣装だが、男と大差ない長身の彼女は、力押しになど負けはしなかった。
振われた小剣に己の持つ短い棒状の武器を掲げ、柄の部分で刃を受け止め、絡める。抜けなくなった剣を手放せない影の腹に、逆手の得物を叩き込んだ。
そんな攻防を背にやってきたウォルテール。
「追うぞ。匂いは辿れるな」
そう問い掛けると、身を低くして乗れと示す。
更にアイルが駆けてきて「闇の中は危険だ」と俺に言った。
「今更……」
そう笑うと、困ったように表情を歪め、先に駆け出す。
もうこの人は止められない。ならば、露払いに労力を割く方が良い。と、そう判断したのだろう。
「レイっ!」
サヤの声がしたが、大丈夫だとだけ言葉を飛ばし、ウォルテールに走れと指示した。
逃がさない、絶対に。
闇の中、女中が手に持つ行灯ひとつを頼りに、エルピディオ様は足を進めていた。
供は護衛の騎士二人と、灯を持つ女中一人のみ。
毛皮の外套を纏っているが、寒さは染み込むように身を凍えさせてきて、更に向かう先が、心も身体も重くさせる。
示された場所は郊外の私有地で、ここもオゼロの所有。かつてはとある一家が暮らす屋敷があったものの、その者らが家移りして、屋敷は解体され、以後は使われていなかった。今はただ、庭の木々が鬱蒼と茂り、かつての姿は見る影もない。
無論、家移りというのは建前である。
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秘匿権を守るため、民の生活を守るため、国の安寧のためにその処置がとられたのは、二十年以上昔のことで、その当時のことを知る者も少なくなっていた。
「お待ち致しておりました」
その場所に待っていたのは、白い衣装に身を包んだ白髪の男。そして……金糸雀色の髪をした、細身の男と、やはり細身の女性……。
かつて手にかけた、死んでいるはずの孫。
成長期を迎える前の、幼く細く、柔らかかった輪郭はもう立派に育ち、消える寸前だった命の灯火は、憎悪と怨嗟を薪にして、燃え盛っている。
けれどその炎を心の奥底へと、丁寧に仕舞い込んで、彼は微笑んでいた。
金糸雀色の髪の男は、手に何かの包みを抱いている。ちょうど赤子でも包んでいそうな、片腕に抱えられる程度の大きさだ。
「このような場所に、このような時間……お呼びだてして申し訳ございません。
ですが、その理由は重々承知していただけたようですね。有難いことです」
柔らかい口調でそう言った彼の言葉を、エルピディオ様は冷めた無表情で受け止めていた。
ここに呼び出された理由が、全て虚言であることは承知していたから。
「もう二十年以上も過去ですか。随分と経ったものです。
オゼロ公爵様……ここにかつてあった生活を、貴方が自ら摘み取ったことを、忘れていらっしゃらなかったのですね」
「忘れるはずもない」
愛する末の娘と、孫だったのだ。そして信頼した部下だった。それを自ら手に掛けなければならなかった。
それが領主としての勤めで、代々の領主が守ってきたもの。何万もの命を支えてきて、これからも支えていくもの。
だから心を殺し、斬り捨てた。
「忘れるはずもない……」
エルピディオ様の言葉を、そのまま反芻したアレクは、口元に笑みを浮かべた。
忘れるはずもない……。よくまぁ、そんな言葉を吐ける。
内心ではそう思っているのだと、俺には分かる。
「それでも彼は、貴方にお会いしたかったそうです。あなたに連なる血を示したかった。
まだ、愛を信じてらっしゃるのです」
アレク、貴方もだ。
愛を信じているだなんて心にもない言葉を、貴方も吐くのだね。
男から包みを受け取ったアレクは、それを腕に抱えた。
「見てやってくださいますか」
柔らかく慈愛に満ちた表情の仮面を被り、大事そうにその包みを抱えて足を踏み出す。
エルピディオ様に向かって。
金糸雀色の髪の男と女性は、その場に残った。
自分たちが近づくことを、エルピディオ様は許さないだろうと思ったのか……。
護衛として立つふたりは、司教の接近には意識を向けない。金糸雀色の髪の男と、寄り添って立つ女性、そして周りの闇に向けていた。
これだけの人数であるはずはない。
上手く隠しているけれど、もう少し潜ませてあるはずだ。
だが、エルピディオ様だけは、自らの手で差し貫きたいのだろう。
やられたことをそのまま、全て返してやろうと、そう思っている。
「さぁ……」
アレクの、包みを抱えるのと逆の手が、上にかけられていた布をはらりとめくり、中のものを慈しむように伸び……。
「……っ⁉︎」
包みから取り出された短剣は、風のような速度で振るわれた。
けれどそれは、更に速く振り上げられた脚が蹴り上げ、軌道を逸らす。
「お下がりください」
手に持っていた行灯を、敢えて落とした。ギリギリまで詰め込まれていた油が溢れ、引火し、行灯が燃え上がって、辺りはそれまでよりもう少しだけ、大きな灯りに照らされる。
女中に扮していたサヤは、エルピディオ様を後方に押しやり、アレクの前に身を割り込ませた。
「アレクさん」
その声と、灯りに照らされて見えた顔で、アレクも女中姿の者が誰であるかを理解した。
驚愕に瞳が見開かれたけれど、すぐにそれを振り払い、今一度短剣を握り込み、振り下ろす。
「させません」
サヤにとって、最も相性の悪い武器も短剣だったけれど、彼女はそれに怯みはしなかった。
再度振られた刃を、衣服の下に隠していた籠手で受け、身を引いて躱し、逆に短剣を握る腕を取りに行く。
アレクはサヤのその動きに、身を引かざるをえなかった。
けれどサヤは更にアレクを追い、間合いを詰める。
「なんでいる⁉︎」
そう飛んだ言葉に、サヤは返事を返さなかった。
アレクの短剣を握る腕を再度狙い、手を伸ばす。
しかし、そこに放たれた小刀を避け、飛び退った。
夫婦に見せかけていた女性側が、腰帯から引き抜いた小刀を放ち、腰の後ろから短剣を引き抜く。金糸雀色の髪の男も、背中に隠していた小剣を引き抜いた。
それを合図に周辺の木々から潜ませていた影が滲むように飛び出してきたけれど、そのうちの二人はすぐ雪の上に落ち、動かない。
俺も小刀を放っていた。借り受けたオゼロ騎士の制服上に身に付けたホルスターは、右側のみにびっしりと小刀が装填されている。
続けざまに二本放ち、仕留めたその二人は、先程の女性同様、遠距離を得意とする弓使い。暗がりで飛び道具は色々危険なので、先に始末させてもらった。
「あの男を狙え! 接近すれば反撃は無い!」
俺が右手を失ったと知っているから、アレクはそう言ったのだろう。
その言葉の間に左手で、胸に下げていた犬笛を咥えた。隣のもう一人に目くばせしつつ、吹く。
口から離し、更に次の一本を放つため、小刀に手を伸ばすが、その俺に向かって金糸雀色の髪の男が走り寄り、小剣を振り上げていた。
隣のオゼロ騎士はそのまま俺をその場に残し、エルピディオ様の守りに徹するため移動。邪魔になったのだろう。被っていた帽子ごとカツラをむしり取って投げ捨てた。
「お前……っ」
「お久しゅうございます、フェルディナンド様。
……何度もお会いしていたのに、気付けなかったことが悔やまれます」
そう言ったオブシズは、燃える行灯の火で揺らめく蒲公英色の瞳をアレクに据えた。
「そうか……お前が気付いたのか!」
「いいえ。俺は正直今までずっと、半信半疑だったんですがね」
その言葉に、くぐもった声が重なる。
腹部を剣に貫かれた金糸雀色の髪の男は、そのまま雪の上に崩れ、俺は外套で隠していた右の籠手を、男の腹から引き抜きざま、足で蹴って身から離した。
まだまだ人数がいる。隙を作る余裕は無い。
「アレク、もう貴方の作戦は用を成さない。このままであれば貴方の目的は、全て俺が潰すよ」
何もできないはずの右手に剣を生やした俺に、アレクはまた瞳を見開いた。
けれど直ぐに、その瞳は憎悪に歪む。歯を食いしばり、隙間から堪えきれない怒りが呻き声として溢れる。
「レイィぃぃ……」
今まで見せたことのなかった、憎悪に染まった表情のアレク。でも、自分の感情で、自分の表情だった。それが嬉しくもあり、酷く悲しい。
こうなるしかなかったのだと思うけれど、それでも俺はやっぱり、貴方にそうであってほしくなかった。
「久しいな。婚姻の儀以来だ、アレク……。それとも、フェルディナンド様とお呼びした方が、宜しいでしょうか」
「何故お前がここにいるんだ! 獣人を使うお前が、何故オゼロと共に立っている⁉︎」
敢えてそう叫んだのに、エルピディオ様はその言葉に反応を示さない。
「それ、エルピディオ様はもうご存知です。だから、俺が獣人を使うことは、貴方の武器にはならない」
そう言うと、今まで以上に表情が歪んだ。
憎くて憎くて仕方なかったろう俺が、更に憎くなった。そんな表情。
「何故お前、ここに居る……」
「山脈越えの獣人連合部隊は退けました。それで、次はここだと思ったので、来たんです。
だからどれだけ待っても、荒野は静かですよ。寧ろ貴方の思惑とは裏腹に、獣人らと人の距離は縮まった。
勿論、俺がそう仕向けたわけですが」
「なん、だと……っ⁉︎」
「そんなことが起こるはずはない? そう思うなら、その目で確認してみれば良い。
でも……貴方が俺を厭うていたのは、俺がそれをしそうだったから……じゃ、ないのかな」
貴方と似た人生を歩んでいるはずなのに、貴方と真逆の道を進んだ俺を、だから貴方は、恐れたんだ。
◆
「山脈越えに気付いた時、陛下にも報せをやりました。
スヴェトランと組んで策謀を巡らせているのは裏の神殿だと。
だから、もう陛下も神殿の企みをご存知ですよ。春を迎えたのに状況が動かないのは、そういうことです」
俺の言葉にアレクは、動揺を必死で隠そうとした。
けれど、俺が山脈越えという言葉を使ったこと、この場に現れ、エルピディオ様を庇って立っていることが、その言葉が事実だと証明している。
そしてなにより、アレクの本当の名を口にしていることが、彼を揺さぶっていた。
気付くはずがないことだったはず。
俺の死はオゼロが情報操作し、神殿が隠した。そのうえ髪の色も、瞳の色も、名も変わっているのに……何故気付いた⁉︎
実の祖父すら、何度見えても、気付かなかったのに!
そんな彼の感情が、手に取るように分かる。それだけ彼は冷静さを欠いており、俺を恐ろしいと感じている。
けれどハッと我に返り、サヤに視線を向けた。
俺が握る叡智。それの授けた知識ではないか。
「違います」
貴方が誰かを教えてくれたのは、サヤじゃない。
思考を辿る俺に、また視線が戻る。何故読まれているのか、動揺する心が瞳に写り込んでいる。
「貴方を貴方だと知らしめたのは、貴方だ」
「っ、黙れ……殺せ! 全員、口を塞げば……っ」
まだ、取り返せるはず。
その号令で俺たちを取り囲んでいた影らが再度動き出した。
闇に紛れるために、黒い衣装を纏っていた者たちは十数名。足手まといを含むたったの四人ならば始末できると思ったのだろう。
けれど、そう思うことが既に、冷静な判断力を失ってしまっている証拠だった。
認めたくないのだろう。もう、自分の目的が達成されることはないのだと。
今までの人生を賭けて積み上げてきたものが、瓦解してしまった後なのだと。
俺たちに迫ってくる影に、エルピディオ様を囲む形で向き直ったけれど、その更に後方から、別の白い影が飛び込んでくる。
狼姿のウォルテールは、鞍を身に纏った姿で、俺の前に迫っていた一人の肩に食らいついた。
首を振って食い千切り、振り飛ばす。
他にも五つの影が飛び込んで来て、直ぐに乱戦へと突入。
数的優位は変わらなかったけれど、その差は明らかに縮められ、自らの勝利を確認できなくなっていることに、アレクはもはや混乱していた。
だから更に、判断が遅れる。
その耳に、この時間に聞こえるはずのない音が、また聞こえて来たのだろう。
瞳に恐怖までもをチラつかせた。
遅れて、別の部隊が敷地内に踏み込んできた。
馬に騎乗したオゼロ騎士と、狼。そして狼に跨っているアイルだ。俺の笛を聞き取り、拠点からオゼロの騎士団を率いてきた。
松明を掲げて来た者たちの中には、ここにいるはずのない、王家近衛の衣装の者まで含まれる。
「何故だ……何故だ、何故だ‼︎」
現状が理解できず叫ぶアレク。
けれど、飛び込んできた増援に、もう、どうしようもないと思ったのだろう。
今一度エルピディオ様に視線を向け、歯を食いしばり、背を向けた。
闇に向かってその白い影を走らせる。
「ウォルテール!」
俺の声に、影と向かい合っていたウォルテールが即座にこちらへと駆けてきた。その背を追おうとした影の前に、橙色の長身が割り込み阻止。
女近衛の衣装だが、男と大差ない長身の彼女は、力押しになど負けはしなかった。
振われた小剣に己の持つ短い棒状の武器を掲げ、柄の部分で刃を受け止め、絡める。抜けなくなった剣を手放せない影の腹に、逆手の得物を叩き込んだ。
そんな攻防を背にやってきたウォルテール。
「追うぞ。匂いは辿れるな」
そう問い掛けると、身を低くして乗れと示す。
更にアイルが駆けてきて「闇の中は危険だ」と俺に言った。
「今更……」
そう笑うと、困ったように表情を歪め、先に駆け出す。
もうこの人は止められない。ならば、露払いに労力を割く方が良い。と、そう判断したのだろう。
「レイっ!」
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