異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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試練の時 9

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 けれど、その願いは虚しく……。
 カーリンの状態は、急変した。

「……なんか、さっきから、痛い……」

 簡易厠事件からさして時間の経たぬうちに、カーリンがそう呟いたことで、皆が一気に緊張。

「痛いって、どこら辺がですか⁉︎」
「よ、よく分かんないよ……全体……ズクズクするっていうか……。お腹、壊した時みたいな……」
「…………もしかして、今までも、痛かったですか?」
「か、軽い腹痛みたいなのなら……だ、だけど、そんなのは前からで、今日に限ったことじゃ…………」

 そのカーリンの言葉に、サヤの表情がより厳しくなった。

「前から……前駆陣痛が起こってた?    じゃあ今の痛いのは、本陣痛?    子宮口は開いてるんやろか……」

 ブツブツと呟きつつ、緊張のためか汗を滲ませ、サヤの表情は強張っていた。
 強く握りしめられた手が、ブルブルと震えている……っ。俺はとっさにそれを、俺の手で包み込んだ。

「レイ……」
「大丈夫。もうそろそろ二時間経つ。もう少しで、医師が到着する。それまでだよ」

 その言葉に、気力を奮い起こすように、サヤが頷く。そうして、頬を引っ張って、無理やり笑顔を意識。

「よし。きっと、本陣痛が始まってます。
 陣痛は、子宮口を開くために、入り口を柔らかくしている痛みです。赤ちゃんが出てくるためには、十センチまで、入り口を広げなければなりません。
 痛み、痛かったり、痛くなくなったりを繰り返していますか?    どれくらいの感覚ですか?」
「わ、わかんないけど……ギューって痛くなって、しばらくしたら、平気になる……今は、痛くない……」
「……では、ギューってなりだしたら、教えてください。計ってみますから。終わったら終わったこと、それからまた痛くなった時、数回繰り返し教えてください」

 瞳を閉じて、自分の脈で時間を計る。俺たちは極力音を立てないように静かに待っていたけれど、その感覚は案外短かった。

「五十七……約一分。に、十分感覚……。一時間に六回弱ですか。……うん、きっと本陣痛です。
 多分、まだ子宮口は二糎か、三糎程度かと。
 二分に一回くらいになるまで、待つしかないです。
 今時間は夕刻前……となると、出産は夜になる可能性が高いですね」
「…………この痛いの、二分おきに、来るようになるの?」
「まだ然程痛くないはずですよ。もっとずっと……私の母は、喋ってられない痛みと言ってましたから……」

 サヤの言葉に、泣きそうな顔になるカーリン。
 だんだん、不安が膨れ上がってきたのだろう……。

「人によっては、一日以上、続きます。初産は特に、進みが遅いと言われていますから。
 私の母の場合は、一日半……でも、早い方は二時間程で出産という場合もあります。
 こればかりは個人差があって、私にはなんとも言えません…………」
「十分感覚は、まだまだ先が長そうなんだな?」
「はい。これが、七分に一回、五分に一回と縮まってくるはず。
 えっと、母が言うには、陣痛の合間に意識が飛んでて、きっとその間に眠っていたんだろうって、言ってました。
 五分おきくらいから、なかなか進まなくて……陣痛促進剤を打っても効果無くて、それが半日以上続いたって」
「じんつうそくしんざい?」
「……こちらには、無い薬だと思います。でも母は、この薬は本来必要無いものだと言ってました。
 無理やり体の構造変化を早める類の薬なので、痛くて苦しいって。普通は、母親の身体は自然とその変化を受け入れます。
 私の母の場合は、まぁまぁな高齢出産だったからじゃないかと……」

 ペラペラと、よく喋る……。これはきっと、サヤが緊張しているからだ。
 普段なら、カーリンの不安を煽るようなことは口にしないだろうし、自分の世界のことも、ここまであからさまに話さないはず……。
 そう思ったから、サヤの肩を抱き寄せた。大丈夫、落ち着いて。

「分かった。では、とりあえず辛いことを考えても、仕方がない。痛みを意識しなくて良いことを、考えようか。
 待つしかないなら、何をしていよう?    あぁ、さっきハインがクッキーを焼いてくれるって言ってたから、できてるか聞いてこようか。
 それができてたら、みんなでお茶会なんてどうだい?」

 俺の言葉にハッとしたのはダニル。
 クッキーを焼くという言葉で、自分がすっかり賄い作りを失念していたことに気付いたのだろう。

「大丈夫。ハインが進めてくれてる。とにかくダニルは、今はここにいるべきだよ。
 じゃぁ、サヤ、お茶の準備をお願いできる?    俺も運ぶの手伝うから」
「は、はい!」

 サヤを促して一階に向かうと、やはり精神的に追い詰められていたのだと思う。部屋を出た途端、表情が強張った。
 唇を震わせるサヤを支えて階段を下ると、そこには思ってもみなかった人物……、手伝いの少女二人がいて……。

「……え?    雨は?」
「もう小降りですよ。それであの……そろそろ賄いの時間なので」

 雨が落ち着いてきたから、手伝いに来てくれたらしい。

「レイシール様、丘の上の宿舎へは、別館へ纏めて食事を届けるのだそうです。
 私はそちらへ完成したものを納めに行きますので、暫くここを空けます。
 ここには、間もなく人足たちが向かってくるだろうとのことなのですが……」

 この、状況でか。

「……カーリンに陣痛が始まってるそうだ。今、十分おきくらい。
 まだ時間は掛かるらしいんだけど、進み具合には個人差があるって」
「…………カーリンさん?」
「じ、陣痛⁉︎」

 少女二人の声が重なる。
 ハインも、表情を引き締めた。

「…………では、貴女、申し訳ありませんが、別館まで使者に立っていただけますか。
 万が一があり得るので、私がここを離れるのは良くないでしょう。別館の使用人に、事情を説明して、賄いを取りに来るよう、伝えてもらえますか」

 まだ雨避けの外套を外していなかった少女を指名し、指示を飛ばすハイン。
 その子はこくりと頷いて、店の外に走り出た。
 もう一人残った少女はというと……。

「あ、あのっ、カーリンさんのお宅と、近所の女性にも、知らせましょうか?」
「サヤ、どうするべきですか」

 機転のきく良い子だ。
 ハインの問い掛けに、サヤはまたギュッと、拳を握りしめた。
 そうして俯き、暫く思考を巡らしてから……。

「……ご家族には、知らせましょう。
 でも、お手伝いは……ここに、外の汚れをあまり、持ち込みたくないんです」
「では、家族に伝えると共に、少し遠いですが……人足たちの宿舎にも、賄いを取りに来るよう知らせを届けてもらえますか?」
「はいっ!」
「カーリンの家族には、カーリンの安全のため、こちらに任せてほしいとお伝えください。
 間もなく医師も到着する手筈となっておりますので、悪いようにはいたしませんからと」

 少女を外に送り出したら、ハインは「で、何かご用でしたか?」と、俺たちに聞いてきた。そうだった……。陣痛が進むまで、時間つぶしにお茶でもと思って用意しにきたと伝えると、クッキーを盛った皿を取り出してくれた。まだ温かいな……

「私はシザーと幌馬車に食器と食事の積み込みをしておきますので、お茶はご自分でお願いします」
「……ありがとうな」
「そちらの方が大変でしょう。サヤ、大丈夫ですか」
「は、はい。大丈夫です」

 反射のように。即座に顔を上げて、キリッと答えたサヤ。
 しかしハインは、そんなサヤに……。

「……無理は無理と言うんですよ。貴女が全て考えなければいけないわけではありません」
「…………はい。ありがとうございます……でも、まだ大丈夫です」
「なら良いです。茶器は流しの上の水切り棚に一式あります」

 ポンとサヤの背中を叩き、外の幌馬車に向かうハイン。サヤは俺を見上げてきた。そうして少しだけ、口角を持ち上げる。

「あったかいお茶を、入れましょう」

 自分を落ち着けるために、あえてそう口にして。

「サヤのお茶は美味しいからね」

 そう返すと、今度は自然に、ふんわりと笑ってくれた。
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