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閑話 夫婦 4
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昼休憩に向かったアーロンを残し、俺はハインと丘を下った。
始終黙りっぱなしだったハインだけど、どことなくイラついているように見えるのは、ダニルのことを、考えているからだろうか……。
「……サヤを連れて来れば良かったですね」
ハインが急に、そんなことを言う。
「もう、腹に子を宿して七月ほど経過しているのですよね?
それは、普通に働ける段階なのでしょうか……。
ロジェ村のノエミが、ずっと吐き通しでいた時期なのでは?」
「……ノエミは獣人で、しかも複産だったし……状況は違うと思う。
でも、子供を腹で育てているのだもの……普通の人と同じにできるとは、思えないよな……」
あぁ、ハインの言う通り、本当なら、サヤを連れて来れば良かったのだろう。
サヤの母親は、元はジョサンシという職であったらしい。
この世界の産婆のような役職であるみたいだけど、もう少し医師に近い立ち位置であるように聞こえた。サヤはそんな母から、色々な話を聞いているらしい。
だから、サヤがいればもう少し、カーリンの状態についての意見を聞けたかもしれない。
だけど…………。
彼女は、連れて来たくなかったのだ……。
この問題は、サヤをきっと、深く傷付ける……。
彼女は異界の者で、俺の婚約者だ。そして俺はセイバーン男爵家の後継。
サヤは、俺の妻となる以上、俺の子……後継を産む義務がある。
……本来ならば。
だけど異界の者である彼女は、姿形がどれほど似通っていようと、俺たちとは種が違うらしい。
そして、種が違うから、子は成せないと、言った。初めは妻となることも拒んだ。
だけど俺は、サヤとの未来しか考えられず、彼女を孤独にするなど、絶対に嫌だったから……子は要らない。それでも良いと、彼女に言った。
紆余曲折あって、サヤはなんとか、俺との婚姻を認めてくれた。生涯を共に歩むと、誓ってくれた。
だけど彼女は……今でもずっと、気に病んでいる。
俺の子を、産めないであろうことを……。
そういった話が周りで囁かれる度に、苦しい気持ちを噛み殺している。何度も心を乱しているのだ。
たった十七歳だ。
サヤの世界であれば、まだそんなこと、考えなきゃならない年齢ですらない。
だけどこの世界……とりわけ貴族で、後継となってしまった俺の周りには、そういった声がついて回る。
普通にしてたって、当たり前のこととして言われてしまう。
だから、極力、必要のない場所では、触れさせたくなかった。
そのサヤの重圧を少しでも減らしたくて、婚姻だって、三年先を選んだし、生涯サヤ以外を娶らないと、俺の人生と魂は、全てサヤに捧げると誓った。
「…………帰ったら、ナジェスタに話を聞いてみよう。
医師なのだし、出産にも多く関わっていると思うし」
でも……戻ればきっとサヤは、ダニルたちの話を、聞きたがるのだろうな……。
二人がどうしているか、心配している。今日だって孤児らの世話という理由がなければ、きっと無理矢理にでもついて来た。
彼女はきっと、苦しくても、辛くても、カーリンたちの力になろうとするのだろう……。
堤となった土嚢壁の側まで戻ってくると、汗だくになったクロードとアーシュが待っていた。
ほんの半時間程であったけれど、土嚢作りに勤しんでいた様子。
「おかえりなさいませ……レイシール様?」
いけない。沈んだ顔をしていては。
「ただいま。凄い汗だな二人とも」
「なんとか十袋、土を入れ続けることはできました。ですがこれは、思っていた以上の重労働ですね」
「そうなんだよ。だけどこれを必要とする時は時間勝負となる場合が多いと思う。
だから、八分目くらいの力と速度で、少しでも長く作業を続けられるように意識する方が良いらしい。
結果的にその方が、一日で作れる土嚢の量が多いのだって。
あとは、組で役割分担をし、楽な役割で休憩を挟みながら作業を回すとかね」
「成る程。工夫を凝らす必要があり、その為にはお互いが役割をきちんと理解しておかなければ、衝突の種となりかねないのですね」
二人に土嚢作りのコツを話し、休憩ついでに昼食を食べに行こうと提案した。
本日は、食事処で昼を済ますと決めてあったのだ。
シザーが少しソワソワとしだしたのは、前回の修羅場に彼も居合わせているから。シザーもダニルたちの様子が気掛かりなのだろう。
ほんの少し関わっただけだけど、シザーはとても心の優しい男だから。
食事処に入るには、少し勇気が必要だった……。
前回、もう帰ってと言われてから、ここには来ていなかったから……。
「こんにちは……」
そろりと顔を覗かせると、ばっちりカーリンと視線が合ってしまった。ちょっと慌ててしまう。
「あっ、ひ、久しぶりカーリン。その……ま、まだ、働いてて、大丈夫?」
「レイ様久しぶり。大丈夫なんだよ? 今くらいが一番落ち着いてる時期だって、母さんが」
前より少しふっくらしたかもしれない。
腹部の膨らみも随分と目立つようになったカーリンは、アーロンの言っていた通り、まだ食事処で仕事を続けていた。
前のことは、彼女の中でもうケリがついた話であったよう。少し居心地悪そうというか、俺に申し訳なく思っているみたいで、表情が少々ぎこちない。
だから俺も、気にしてないと分かるように笑っておいた。
「今日はここで昼を食べさせてもらうって、連絡してたと思うんだけど……」
「うん、聞いてる聞いてる。座って待っててくれる? もうできるからさ」
いつも通りの朗らかなカーリン。だけど、ダニルは随分と雰囲気が荒んでいる……。表情も硬く、目つきも鋭くなっていると感じた。
やっぱりな……。当たり前の顔して、カーリンと仕事を続けていけるような奴じゃないって、思ってた。
手伝いの少女たちも、前より手際は良くなっているような気はするけど……ダニルの張り詰めた雰囲気に、どこかビクついているようにも見受けられる。
そんなことを考えながら働く二人を見ていたのだけど……。
「はいっ、お待ちどう様! 半時間後くらいから人足さんたちのご飯どきになるんだけど……」
「うん、心得てるよ。それまでには食べ終わる。
あ、それでカーリン……その、仕事はいつ頃まで続けるつもり? 見た所、だいぶんその……」
「あはは。私のお腹、結構でっかい方みたいなんだよねぇ。びっくりした?
だけどこれ、まだでっかくなるらしいよ。生まれるまでまだ三月くらいあるしね」
カラッと明るく振る舞うカーリン。
立ったままにさせておくのはなんだか申し訳なくて、話を聞く間だけでも座っておくれとお願いした。
それにカーリンは、苦笑しながら従ってくれ、腹を抱えるようにしつつ、よいしょと椅子に座る……。
「仕事はね、極力続けたいと思ってるの。だってさ、六の月が終われば雨季だし、そうしたら嫌でも仕事は休みでしょ」
「そうだね……流石に雨季の中で作業するのは難しいしな」
「そ。だからせめてそれまで。で、八の月の終わり頃に生まれると思うんだけど、極力早く戻るつもり。そこからが本番、忙しくなるんだろうし」
そんな風に話すカーリン。
けれど、そこで眉を寄せたクロードが、口を挟んできた。
「失礼。それは推奨しかねます。
産後というのは、女性の身体が相当衰えている時期。子を産むために作り変えた身体を、また元に戻していかなければならないのです。
だから無理は禁物。命に関わる疾患を招きやすい上に、母乳を与えるのはそれこそ、二時間おき……寝る間も無いのですよ」
厳しい表情、彼にしては強めの口調。
カーリンは初めて見るクロードと、彼のその表情に、びっくりしてしまって固まった。
また、調理場のダニルも動きを止め、こちらを凝視している……。
「急に脅すようなことを……気分を害されたかと思います。差し出口を挟み、申し訳ございません。
私はクロード。レイシール様にお仕えするためセイバーンに参りました。
私には妻がおり、妻は三度の妊娠経験がございます。そのうち二度は出産、私も立ち会っております。
産後の私の妻は、寝台より身を起こすこともできぬ程に消耗しておりました。
特に一人目の時は……すぐに、来世へと旅立ってしまいましたから……心労もあり、後を追ってしまうのではと心配してしまうくらいに、弱り切っておりました」
「…………え、お子さん……」
「はい。産後半日と保ちませんでした。そういった場合もありますし……それは決して、低い確率ではございません。
お嬢さん、貴女は見たところまだお若いですし……初産ですね? ならば、初めての経験に身体は馴染んでおりません。何が起こるか分かりませんから、どうかそのように、性急に考えぬよう……。
産む前から、産んだ後の仕事の心配など、していてはいけません。産んだ後も、せめて四半年は、身体を休めるべきですよ」
クロードの言葉に、救われる思いだった。
そうだ、彼は妻帯者。俺の周りには未婚者ばかりだったから、こういった話は全く聞いたことがなくて、何に配慮すれば良いかすら、分からなかったのだ。
カーリンも呆気に取られていた様子であったのだけど、ハッと我に帰り、慌てて手を振る。
「い、いや別に、全然、気にしてません!
……で、でも大丈夫です。うちは兄弟多いから……確かに私が産むのは初めてだけど、母が産むのは何度も見てるから……」
「そうですか……では余計なことをしてしまいましたね。申し訳ありません」
「い、いえ! その……あ、ありがとうございます。心配して、くださって……」
「どうか、ご自愛なさってください。仕事のことは、ご家族や、夫君とも良く相談してみるべきですよ」
夫君……。
そのダニルは、刺さりそうなほどに鋭い視線で俺たちを見ていたのに、クロードの言葉で視線を逸らした。
そうして、それまでよりも大きな音で、野菜か何かを刻み出し、まるでこちらのことを忘れよう、振り払おうと躍起になっているようなその様子に、胸が苦しくなる……。
できるならば、ダニルともう一度、話がしたい。
そう思っていたのだけど、全てを拒絶するようなその雰囲気に、今は何を言っても無駄なのだろうと、悟らずにはおれなかった。
「…………カーリン……」
「ん?」
「…………仕事のことは、気にしないで良い。とにかくまずは、自分の身体のことと、お腹の子のことだけを考えて。
幼子は……一人では生きられない。母の君の手が必ず必要なんだ。
仕事は、人を探せば済むことだし、対応できる。だから、ね? どうか、無理をしないで……」
「や、やだなぁ! レイ様もそんな、心配し過ぎ! ちゃんと休む時は休んでるし、全然……全然無理とかしてないからさ!」
照れたように笑い、恥ずかしそうに頬を染めるカーリン。
だけど、俺は気付いていた。カーリンの視線が、一度もダニルに向かないことに。会話の中に、ダニルを頼る気持ちが、全く無いことに。
彼女はダニルを頼みにしていない……。
もう欠片も、ダニルに期待していないのだ……。
カーリンの腹の子は、もう既に、父無し子なのだ……。
始終黙りっぱなしだったハインだけど、どことなくイラついているように見えるのは、ダニルのことを、考えているからだろうか……。
「……サヤを連れて来れば良かったですね」
ハインが急に、そんなことを言う。
「もう、腹に子を宿して七月ほど経過しているのですよね?
それは、普通に働ける段階なのでしょうか……。
ロジェ村のノエミが、ずっと吐き通しでいた時期なのでは?」
「……ノエミは獣人で、しかも複産だったし……状況は違うと思う。
でも、子供を腹で育てているのだもの……普通の人と同じにできるとは、思えないよな……」
あぁ、ハインの言う通り、本当なら、サヤを連れて来れば良かったのだろう。
サヤの母親は、元はジョサンシという職であったらしい。
この世界の産婆のような役職であるみたいだけど、もう少し医師に近い立ち位置であるように聞こえた。サヤはそんな母から、色々な話を聞いているらしい。
だから、サヤがいればもう少し、カーリンの状態についての意見を聞けたかもしれない。
だけど…………。
彼女は、連れて来たくなかったのだ……。
この問題は、サヤをきっと、深く傷付ける……。
彼女は異界の者で、俺の婚約者だ。そして俺はセイバーン男爵家の後継。
サヤは、俺の妻となる以上、俺の子……後継を産む義務がある。
……本来ならば。
だけど異界の者である彼女は、姿形がどれほど似通っていようと、俺たちとは種が違うらしい。
そして、種が違うから、子は成せないと、言った。初めは妻となることも拒んだ。
だけど俺は、サヤとの未来しか考えられず、彼女を孤独にするなど、絶対に嫌だったから……子は要らない。それでも良いと、彼女に言った。
紆余曲折あって、サヤはなんとか、俺との婚姻を認めてくれた。生涯を共に歩むと、誓ってくれた。
だけど彼女は……今でもずっと、気に病んでいる。
俺の子を、産めないであろうことを……。
そういった話が周りで囁かれる度に、苦しい気持ちを噛み殺している。何度も心を乱しているのだ。
たった十七歳だ。
サヤの世界であれば、まだそんなこと、考えなきゃならない年齢ですらない。
だけどこの世界……とりわけ貴族で、後継となってしまった俺の周りには、そういった声がついて回る。
普通にしてたって、当たり前のこととして言われてしまう。
だから、極力、必要のない場所では、触れさせたくなかった。
そのサヤの重圧を少しでも減らしたくて、婚姻だって、三年先を選んだし、生涯サヤ以外を娶らないと、俺の人生と魂は、全てサヤに捧げると誓った。
「…………帰ったら、ナジェスタに話を聞いてみよう。
医師なのだし、出産にも多く関わっていると思うし」
でも……戻ればきっとサヤは、ダニルたちの話を、聞きたがるのだろうな……。
二人がどうしているか、心配している。今日だって孤児らの世話という理由がなければ、きっと無理矢理にでもついて来た。
彼女はきっと、苦しくても、辛くても、カーリンたちの力になろうとするのだろう……。
堤となった土嚢壁の側まで戻ってくると、汗だくになったクロードとアーシュが待っていた。
ほんの半時間程であったけれど、土嚢作りに勤しんでいた様子。
「おかえりなさいませ……レイシール様?」
いけない。沈んだ顔をしていては。
「ただいま。凄い汗だな二人とも」
「なんとか十袋、土を入れ続けることはできました。ですがこれは、思っていた以上の重労働ですね」
「そうなんだよ。だけどこれを必要とする時は時間勝負となる場合が多いと思う。
だから、八分目くらいの力と速度で、少しでも長く作業を続けられるように意識する方が良いらしい。
結果的にその方が、一日で作れる土嚢の量が多いのだって。
あとは、組で役割分担をし、楽な役割で休憩を挟みながら作業を回すとかね」
「成る程。工夫を凝らす必要があり、その為にはお互いが役割をきちんと理解しておかなければ、衝突の種となりかねないのですね」
二人に土嚢作りのコツを話し、休憩ついでに昼食を食べに行こうと提案した。
本日は、食事処で昼を済ますと決めてあったのだ。
シザーが少しソワソワとしだしたのは、前回の修羅場に彼も居合わせているから。シザーもダニルたちの様子が気掛かりなのだろう。
ほんの少し関わっただけだけど、シザーはとても心の優しい男だから。
食事処に入るには、少し勇気が必要だった……。
前回、もう帰ってと言われてから、ここには来ていなかったから……。
「こんにちは……」
そろりと顔を覗かせると、ばっちりカーリンと視線が合ってしまった。ちょっと慌ててしまう。
「あっ、ひ、久しぶりカーリン。その……ま、まだ、働いてて、大丈夫?」
「レイ様久しぶり。大丈夫なんだよ? 今くらいが一番落ち着いてる時期だって、母さんが」
前より少しふっくらしたかもしれない。
腹部の膨らみも随分と目立つようになったカーリンは、アーロンの言っていた通り、まだ食事処で仕事を続けていた。
前のことは、彼女の中でもうケリがついた話であったよう。少し居心地悪そうというか、俺に申し訳なく思っているみたいで、表情が少々ぎこちない。
だから俺も、気にしてないと分かるように笑っておいた。
「今日はここで昼を食べさせてもらうって、連絡してたと思うんだけど……」
「うん、聞いてる聞いてる。座って待っててくれる? もうできるからさ」
いつも通りの朗らかなカーリン。だけど、ダニルは随分と雰囲気が荒んでいる……。表情も硬く、目つきも鋭くなっていると感じた。
やっぱりな……。当たり前の顔して、カーリンと仕事を続けていけるような奴じゃないって、思ってた。
手伝いの少女たちも、前より手際は良くなっているような気はするけど……ダニルの張り詰めた雰囲気に、どこかビクついているようにも見受けられる。
そんなことを考えながら働く二人を見ていたのだけど……。
「はいっ、お待ちどう様! 半時間後くらいから人足さんたちのご飯どきになるんだけど……」
「うん、心得てるよ。それまでには食べ終わる。
あ、それでカーリン……その、仕事はいつ頃まで続けるつもり? 見た所、だいぶんその……」
「あはは。私のお腹、結構でっかい方みたいなんだよねぇ。びっくりした?
だけどこれ、まだでっかくなるらしいよ。生まれるまでまだ三月くらいあるしね」
カラッと明るく振る舞うカーリン。
立ったままにさせておくのはなんだか申し訳なくて、話を聞く間だけでも座っておくれとお願いした。
それにカーリンは、苦笑しながら従ってくれ、腹を抱えるようにしつつ、よいしょと椅子に座る……。
「仕事はね、極力続けたいと思ってるの。だってさ、六の月が終われば雨季だし、そうしたら嫌でも仕事は休みでしょ」
「そうだね……流石に雨季の中で作業するのは難しいしな」
「そ。だからせめてそれまで。で、八の月の終わり頃に生まれると思うんだけど、極力早く戻るつもり。そこからが本番、忙しくなるんだろうし」
そんな風に話すカーリン。
けれど、そこで眉を寄せたクロードが、口を挟んできた。
「失礼。それは推奨しかねます。
産後というのは、女性の身体が相当衰えている時期。子を産むために作り変えた身体を、また元に戻していかなければならないのです。
だから無理は禁物。命に関わる疾患を招きやすい上に、母乳を与えるのはそれこそ、二時間おき……寝る間も無いのですよ」
厳しい表情、彼にしては強めの口調。
カーリンは初めて見るクロードと、彼のその表情に、びっくりしてしまって固まった。
また、調理場のダニルも動きを止め、こちらを凝視している……。
「急に脅すようなことを……気分を害されたかと思います。差し出口を挟み、申し訳ございません。
私はクロード。レイシール様にお仕えするためセイバーンに参りました。
私には妻がおり、妻は三度の妊娠経験がございます。そのうち二度は出産、私も立ち会っております。
産後の私の妻は、寝台より身を起こすこともできぬ程に消耗しておりました。
特に一人目の時は……すぐに、来世へと旅立ってしまいましたから……心労もあり、後を追ってしまうのではと心配してしまうくらいに、弱り切っておりました」
「…………え、お子さん……」
「はい。産後半日と保ちませんでした。そういった場合もありますし……それは決して、低い確率ではございません。
お嬢さん、貴女は見たところまだお若いですし……初産ですね? ならば、初めての経験に身体は馴染んでおりません。何が起こるか分かりませんから、どうかそのように、性急に考えぬよう……。
産む前から、産んだ後の仕事の心配など、していてはいけません。産んだ後も、せめて四半年は、身体を休めるべきですよ」
クロードの言葉に、救われる思いだった。
そうだ、彼は妻帯者。俺の周りには未婚者ばかりだったから、こういった話は全く聞いたことがなくて、何に配慮すれば良いかすら、分からなかったのだ。
カーリンも呆気に取られていた様子であったのだけど、ハッと我に帰り、慌てて手を振る。
「い、いや別に、全然、気にしてません!
……で、でも大丈夫です。うちは兄弟多いから……確かに私が産むのは初めてだけど、母が産むのは何度も見てるから……」
「そうですか……では余計なことをしてしまいましたね。申し訳ありません」
「い、いえ! その……あ、ありがとうございます。心配して、くださって……」
「どうか、ご自愛なさってください。仕事のことは、ご家族や、夫君とも良く相談してみるべきですよ」
夫君……。
そのダニルは、刺さりそうなほどに鋭い視線で俺たちを見ていたのに、クロードの言葉で視線を逸らした。
そうして、それまでよりも大きな音で、野菜か何かを刻み出し、まるでこちらのことを忘れよう、振り払おうと躍起になっているようなその様子に、胸が苦しくなる……。
できるならば、ダニルともう一度、話がしたい。
そう思っていたのだけど、全てを拒絶するようなその雰囲気に、今は何を言っても無駄なのだろうと、悟らずにはおれなかった。
「…………カーリン……」
「ん?」
「…………仕事のことは、気にしないで良い。とにかくまずは、自分の身体のことと、お腹の子のことだけを考えて。
幼子は……一人では生きられない。母の君の手が必ず必要なんだ。
仕事は、人を探せば済むことだし、対応できる。だから、ね? どうか、無理をしないで……」
「や、やだなぁ! レイ様もそんな、心配し過ぎ! ちゃんと休む時は休んでるし、全然……全然無理とかしてないからさ!」
照れたように笑い、恥ずかしそうに頬を染めるカーリン。
だけど、俺は気付いていた。カーリンの視線が、一度もダニルに向かないことに。会話の中に、ダニルを頼る気持ちが、全く無いことに。
彼女はダニルを頼みにしていない……。
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