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アンバー 2

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「足を止めるな!    目標の部屋はもう目前だ!」


 状況は、かんばしくなかった。

 進むにつれ、当然ながら敵影は増えた。
 前方の人影はさほどでもない。……後方に比べれば……。
 足を進めながら、俺は苦しい決断を、せざるを得ない状況だと、悟っていた。

「……シザー……後方、抑えを頼めるか……」

 時間を、稼ぐ必要がある。
 異母様の部屋はもうすぐそこだけれど、当然守りは固められているだろう。すぐに攻略とはいかないに違いない。
 時間をかけるだけ、こちらの消耗が進む。
 部屋を開けられなくて戸惑っているうちに、後方から追い打ちを受けたのではたまらない。とは言っても、迫ってくるこの人数を相手にしていたら、目標に逃亡時間を与えるだけだ。

 前方に戦力を集中して、急ぎ進むしか……。

 そう考えると、苦渋の決断をするしか、ないのだ。
 後方に最小限の人員を裂き、食い止めている間に目的を達する。
 セイバーン兵や偽装傭兵団の隊員では、死傷者がきっと、相当数になってしまう。
 そうなれば当然、より状況の過酷さが増すだけ。
 追い詰められて終わる未来しかないのだ。

「……」

 返事は無かった。けれどこくりと頷いたシザーが、足を止めて廊下の真ん中に仁王立ちになる。
 覇気が、視認できるのではないかと思えるほどの気迫でもって、押し寄せてくる騎士に慄きもしない。
 自身の命を賭けて、俺の命に、忠実に。
 彼の実力も、その覚悟も分かっていたけれど、そうは、したくなかった……。けれど、こうするしか……。

「俺も残る」

 踵を返したジェイドが腰の袋から何かを取り出し、廊下の奥に向かって投げつけた。
 それは騎士ら頭上辺りで天井に当たり、砕けて何か、粉末状の粒子が舞い散ると……。そこで悲鳴や怒声、凄まじい混乱が生じた。

「はっ、こんな時は確かに威力絶大だなこりゃ」

 丸い形状に見えたからあれは、卵の殻の目潰しだろう。
 サヤは、目と鼻と両方潰すのだと言っていた。廊下のように行動範囲が制限された場所では、更に混乱に拍車が掛かる。
 そこに嘲笑うかのように、更に何かが投げ入れられた。あれは、石飛礫だろう。親指の先程の石の玉。投石用でありつつ、退路に転がして、踏んだ者が体勢を崩す役割も果たす。目と鼻をやられた者らの中に放り込めば……結果は当然、混乱は更に……だ。

「任せた!」

 ジェイドの機転で、シザーの危険は随分と緩和された。
 この二人なら、きっと凌げる。
 そう思えたので、その言葉を残し、先に進むことにする。
 ジェイドは動かせる方の腕をひらりと振った。シザーは、気迫の後姿のみで、俺を送り出す。混乱を抜け出してきた者を、その大剣で吹き飛ばし、命を果たす。

 二人を残して、俺たちは目前にある、異母様の部屋へ向かった。
 扉前に到着すると、第一部隊がかなり頑張ってくれた様子。負傷者が出ていたものの、警護の騎士はもう倒され、扉が押し開かれる瞬間だった。

「こちらはフェルナンに向かいます!」

 扉が開いたことで、ジークらと第三部隊は兄上の捕縛に向かう。セイバーン兵も半数がそちらに向かった。

 残りの俺たちは、第一部隊と共に異母様の部屋の中へ押し込む。と、悲鳴。
 女中数名と同じく数名の騎士。人数にものを言わせて一気に捕縛に掛かる。

「何をしているの!    其方らは早く其の者を捕らえなさい!」

 異母様の金切り声が、俺たちと共に来たセイバーン兵をそう叱りつけたけれど、彼らはそれに、反応を返さなかった。

「お縄を頂戴すべきは貴女様ですよ、アンバー様。
 領主様を、お返しいただきました」

 兵士長が、淡々と言葉を発すると、異母様の瞳が、大きく見開かれる。

「……何を、言っているの?…………執事長を、ザラスを呼びなさい!」
「今頃は、ザラス様も捕らえられておりましょう。
 アンバー様、貴女を謀反の罪で拘束します。抵抗は無意味ですから、大人しく従って頂きたい。
 でなければ、無駄に死傷者を増やすことになりますので」
「何が謀反だというの!それは其方らでしょう⁉︎」

 悲鳴のように叫んだ異母様の視線が、そこで俺を見つけた。
 恐怖に引きつっていた表情が、途端に鬼のような形相へと歪む……。

「……レイシール……そう、貴方なのね……このっ、悪魔が!
 兵を誑かし、謀反を企むだなんて、さすがあの醜女の産んだ悪鬼だこと!」

 鬼のような形相なのに……。

「それでもあの人のたっての願いで生かしておいてやった恩を、仇で返すのね‼︎」

 なんだろう……。酷く、必死に見えるのだ。

 異母様に感じてきた恐怖は、いつの間にやらかなり薄らいでしまっていて、言葉の棘は、身体の表面を掠めていくだけだった。
 罵る暴言が一区切りつくまで、ただ黙ってその言葉を聞き、言葉が途切れたところで、口を開く。

「異母様。何故父上を監禁などしたのですか」

 その言葉に、場がシン……と、静寂に染まった。

「逃亡阻止のために、腱を切り、更に薬漬けにして。
 何故、そこまでしなければならなかったのです?
 父上が貴女以外と子を成したことが、それほど許せなかったのですか……。
 ですが、貴族である以上、承知されていたはずでしょう?
 特に貴女は、納得の上で、降嫁されたはずだ。
 なのに何故……母を、殺しましたか。
 二年ともう、半年前ですか……そこで一体、何があったのです?」

 俺の言葉に、よろりと異母様が傾ぎ、寝台に座り込んだ。
 …………恐怖……?
 引きつった顔で、どこか虚空を見ている。
 俺の言葉に、父上の救出が虚言ではないと悟ったからか?

「領主様を……領主様に、そのような仕打ちを⁉︎」

 激昂した兵士長が叫び、兵士らがいきり立つ。
 けれどそれを、俺は手を挙げて制した。
 怒りに呑まれるな。我々は責務を果たすべく、ここに来ているのだから。

「貴女には、父上を我々が救出したこと、知らされていなかったようですね。
 ですが、もう二日前ですよ。
 父上は別邸から救出しました。そして昨日夜半、父上の奪還を諦め、始末を優先する指示が出たそうです。
 毒まで使って、父を亡き者にする理由は、資金源であるセイバーンを抑えるためですか。
 残念ですが、兄上はもう、後継として認めない方向であるそうです。たとえ父上を始末したとしても、セイバーンは手に入りませんよ。
 その場合、セイバーンは国に返上されます。父上の遺言として、それは受理されるでしょうし、私もそれを受け入れます。
 つまり、セイバーンがジェスルの資金源となる未来は、ありません。
 貴女方はもう、詰んでいるんです」

 淡々とそう伝えたが、返事は返らない。
 兵士長が顎をしゃくり、異母様を捕らえるよう、兵に指示を出した。
 けれど、兵が異母様の両腕に手を伸ばした途端、それは鋭い音でもって拒否された。

わたくしに触れることは許さないわ!」

 そうしてから、ギッと鋭い視線を、俺に突き刺す。

「お前のせいよ……お前のせいで、全部狂ったのよ!
 お前さえ生まれて来なければ、すべて丸く、おさまっていたのに!
 お前は本当に悪魔よ!    あの女も、お前を孕んだと、私を脅して、私に並び立とうなどと!」

 俺が全てを狂わせた。
 それは……その通りなのだろう。
 俺が生まれて来なければ、均衡は崩れなかったのかもしれない。
 多少の問題は孕んでいたろうけれど、ここまで拗れることは…………。

「それは、違うでしょう!」

 だがそこで、兵士長が声を張り上げた。

「奥様、貴女が正妻としての責任を果たしてさえいれば、全ては丸くおさまったことです。
 ロレッタ様を第二夫人と認めず、妾としてしか許さなかったのは貴女だ。
 ロレッタ様を卑しい身分と言うが、それは貴女がそこに彼の方を追いやったからでしかない。
 それでも彼の方は、セイバーンのために尽くしてくださいました。
 軽んじられる身分でも、御子息様の認知が認められずとも、全てを受け入れたではないですか!」
「黙りなさい!    私はジェスルの、伯爵家の者です!
 当然のことではないの⁉︎」
「領主様の胤は等しく領主様のお子です。その事実は変わらない。それを貴女は認めなかった。
 だからあのような事件を招いたのでしょう!
 領主様がレイシール様方を呼び戻したのは当然のことで、この方に責任などありはしない!」

 あのような……とは、母の心中未遂のことだろうか。
 それは、母に届けられていた手紙を、兵士長は知らないということなのだろう。
 順当に考えれば、あの手紙の送り主は異母様か、ジェスルだ。本来の目的は俺の始末であったのかもしれない。
 兄上以外の後継となり得る存在を抹消したかったということ。
 だけど……妾の子で、認知すらされていない俺をというのは、違和感があった。
 あの当時の俺に後継となる可能性なんて、それこそ兄上が没することでもない限りあり得なかった。なのに何故わざわざ……?
 母に対する怒りや嫉妬……そう考えるならば、異母様がそんな暴挙に出たことも納得ができるが…………。

 何だろう、この違和感……。

「彼の方は私の夫なのよ!    他など許されるはずがないではないの!
 ただの補佐だと言うから……子供だと言うから認めたのに……子を成すなど裏切りではないの!」
「貴族の義務です。他の妻を娶るかもしれないことも、子を成すかもしれないことも、当然でしょう」
「当然なものですか!」

 髪を振り乱して怒りをぶちまける異母様を見て、俺は……今この場でやっと、異母様の本心を、見たのだと思った。
 この方は、ただ父上に執着していたのだ。
 政略結婚とはいえ、十も年の離れた相手に、若くして嫁いだのだ、異母様も……。
 それこそ、サヤと変わらぬ年齢で、子まで成した。
 この方にとってそれが貴族の勤めで、正しき行いで、上位貴族とはいえ、女性であり、後継となり得ない生まれの異母様は……駒としての価値にしか、しがみ付けなかったのかもしれない。

「あの人は私のものなのよ!    だからあそこにいるのよ!
 あの人がそれを承諾したのだもの!」
「……兵士長」
「はっ。捕らえよ」
「触るなと言ったでしょう!」

 それでも異母様は手首を掴まれ、縄をかけられた。
 貴人を捕らえておく場合の部屋など男爵家には無いので、三階の隅にある、使用人の控え室へ押し込められ、鍵が掛けられた。
 これをもって異母様は全ての権限を剥奪されたことになり、俺は大きく息を吐く。

「……私の名の下に命ずる。ジェスルの者へ、投降せよと。
 武器を捨てたならば、無闇に傷つけはしない。しばらくは聴衆等に付き合ってもらうが、異母様の罪と関わりない者、罪を犯してない者は、ジェスルへお帰りいただけると。それから……こちらの調べに協力するならば、便宜も図ると」
「便宜……ですか」
「苦味ばかりでは、食らうこともしてもらえないだろう?」
「畏まりました」

 兵士長にそう伝えると兵が呼ばれ、報せが村中を走ることとなった。
 異母様の失脚と、父上に全権が戻ったこと。現在は俺がその代理を務めることだ。

 謀反人の頂点を捉えたとなるわけで、ことはこれで、収束する……かと、思われたのだけど……。

「レイシール様、フェルナン様の部屋が……」

 ひと段落した俺の元に、まずはジークが戻ってきた。困惑した表情で……。

「扉が、開かないんです」
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